コラム
2021年03月29日

20年を迎えた介護保険の再考(25)認知症ケアの変遷-映画における描写の変化、今もスティグマは問題に

保険研究部 上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任 三原 岳

文字サイズ

5――最近の映画における認知症の人の描き方

1|『コーヒーが冷めないうちに』の描写
では、最近の映画では、どういった描写になっているでしょうか。まず、同名の小説を映画化した2018年製作の『コーヒーが冷めないうちに』という作品を取り上げます。映画の舞台は、ある席に座ると望み通りの時間に戻れるという不思議なカフェ。ただ、昔に戻れる際には「どんなことをしても現実は変わらない」「過去に戻れるのは、コーヒーをカップに注いでから冷めてしまうまでの間。コーヒーが冷めないうちに飲み干さなければならない」など幾つかの面倒なルールが設定されています。しかも、過去に戻れる席には謎の女性(石田ゆり子)が常に座っており、時折トイレに立つタイミングを見計らって席に座る必要があります。

映画では、店員の時田数(有村架純)や過去に戻りたい客を巡るストーリーがオムニバス形式で展開し、そのうちの1つに若年性認知症の妻と、妻を支える夫の話が出て来ます。具体的には、ツアーガイドだった妻の高竹佳代(薬師丸ひろ子)が若年性認知症になり、ほとんどの記憶を忘れているという設定。夫の房木康徳(松重豊)は看護師に転職して妻を支えているものの、妻を混乱させたくないとして、あえて夫とは名乗らずに姓も別にして他人のフリをしています。

しかし、佳代は全ての記憶を失っているわけではなく、カフェでは旅行のパンフレットなどを見ています。さらに、このカフェで昔に戻れるという噂を覚えており、過去に戻れる席が空くのを待っています。ある日、店員の数が佳代に対し、「ご存知ですか?この店の噂」と声を掛けると、佳代は夫に渡せなかった手紙を渡そうと思った日に戻りたいと明かした上で、「今度こそちゃんと渡したい」と話します。

その後、康徳は数から手紙の件を聞かされ、不思議な席が空いた隙を見計らい、佳代が認知症になる前の時代に戻ります。3年前の佳代は既に自らが認知症で記憶を失いつつあることを自覚しており、2人は束の間の夫婦の会話を楽しんだ後、佳代は康徳に手紙を渡します。そして、現代に戻った康徳が手紙を読むと、「この先、私がどんどん記憶を失って、どんな行動を取ったとしても、あなたは看護師としてうまく付き合ってくれることでしょう。でも、私の前で看護師である必要はない。私はあなたの前で患者でいたくない。最後まで夫婦でいたい」と直筆で書かれており、康徳は佳代の気持ちを理解するとともに、他人を演じていた行動を反省します。こうした描写を見ると、認知症になっても記憶や感性が残っていることが十分に認識されている点、さらに記憶や感性が過去と現代を繋ぐ線になっていることに気付かれます。
2|「徘徊」は目的があることを理解できる『長いお別れ』
同名の小説を映画化した2019年製作の『長いお別れ』も認知症ケアを真正面から取り扱っています。映画は認知症になった東昇平(山崎努)、少し天然キャラの妻の曜子(松原智恵子)、夫の仕事で米カリフォルニアに住んでいる今村麻里(竹内結子)、カフェを経営する夢を持っている芙美(蒼井優)という2人の娘を中心にストーリーが展開して行きます。

元々、昇平は中学校の国語教師だったのですが、70歳の誕生日を境に認知機能に変化が見られるようになります。やがて生活に支障が出るようになり、大学の同期の通夜に来ているのに「中村死んじゃったのか!」と大声を出し、一緒に参列した芙美を困らせます。さらに、認知症が悪化した段階ではスーパーでボンタン飴などを万引きし、曜子が平謝りするシーンもあります。

しかし、「認知症になった人=何も分からなくなった人」という前提でストーリーは進んで行きません。例えば、昇平が現役の頃に慣れ親しんだ漢字の知識は消えておらず、通っているデイサービスでのクイズでは全問正解。アメリカ育ちの麻里の息子、今村崇(蒲田優惟人)を前に「混凝土(コンクリート)」「子守熊(コアラ)」「美人局(つつもたせ)」といった漢字ドリルの難題を全て言い当て、驚いた崇が「漢字マスター」と呼ぶ一幕もあります。さらに、崇が「おじいちゃん多くのことを忘れてしまったけど、それほど悲しそうに見えない。僕は今のおじいちゃんを嫌いじゃないです」というメッセージをアメリカのガールフレンドに送る場面もあります。

映画の中盤では、昇平が行方不明になり、曜子と芙美、たまたま帰国していた麻里が慌てふためく一件が起きます。少し前から昇平にはGPS機能付きの携帯を持たせていたため、期せずして3人は昇平の所在地を探り当てるのですが、その場所は遊園地でした。しかも、昇平はメリーゴーランドに乗っています。ホッとする中、やがて曜子は麻里、芙美が幼かった頃、雨が降りそうだったので、昇平が家から傘を持って来てくれたエピソードを思い出します。さらに、曜子が「迎えに来てくれたのね、今日も」といって指を差した先には傘が3本、メリーゴーランドの入口に置かれていました。

この描写は近年、認知症の人が外出してしまう行為を「徘徊」と呼ばなくなっている点と符合しています。手元の辞書では「徘徊」を「あてもなく歩き回ること」と書いていますが、映画で「雨が降りそうなので、出掛けている3人に傘を持っていかなければならない」と思った昇平のように、認知症の人にとって相応の理由があれば、それは「あてもなく…」とは言い切れないはずです。

例えば、認知症の人は方向感覚を失う時があるため、散歩している間に道に迷ったのかもしれません。さらに認知機能の低下に伴って時間の感覚が失われた結果、実際には既に取り壊された実家に帰りたいとか、既に引退しているのに「会社に出勤する時間だ」と考えているのかもしれません。つまり、認知症の人ではない人にとって、非合理的で目的がない外出に映ったとしても、認知症の人にとっては目的があるのかもしれません。こうした認知症の人の行動を全て「徘徊」という言葉で一括りにしてしまうと、認知症の人の内面や心情を理解できなくなります。

実際、福岡県大牟田市は認知症の人の行方不明などを防ぐ訓練の名称から「徘徊」という言葉を外し、2015年から「認知症SOSネットワーク模擬訓練」という名称で実施するとともに、市の目指す理念も「安心して徘徊できるまち」から「安心して外出できるまち」に変えました4。兵庫県、東京都国立市、愛知県大府市、兵庫県川西市、鳥取県鳥取市、同米子市なども「徘徊」という言葉を使わないようにしている5らしく、認知症の人が感じやすいスティグマに考慮する対応と言えます。ちなみに、本稿でも「一人歩き」という言葉を用いました。
 
4 2018年3月25日『朝日新聞』。
5 2018年12月17日『読売新聞』オンライン。
3|最近の映画から言えること
さらに、2017年に公開された『ケアニン』という映画でも、認知症になっても一人の人間として尊重する重要性がストーリーの骨格として貫かれており、新人介護職(戸塚純貴)と、認知症になった女性(水野久美)の交流がメインストーリーになっていました。

ドキュメンタリー系でも、良質な映画があります。例えば、2012年から3部作が製作された『毎日がアルツハイマー』という映画では、娘の映画監督の視点で認知症になった母親との山あり谷ありの暮らしが描かれています。このほか、『ぼけますから、よろしくお願いします。』という2019年製作のドキュメンタリー映画では、遠距離に住むテレビディレクターの娘が認知症になった母親と、母親を介護する父親の老々介護生活をカメラに収めており、観る人の心を惹き付けます。

ここで取り上げた映画はフィクション、ノンフィクションの違いはあるにしても、認知症になった人を一人の人間として捉え、周囲の人との交流、家族の葛藤などを描いており、「認知症になった人=何も分からなくなった人」という認識には立っていません。

つまり、認知症ケアの研究が進む中で、社会の認識が変わりつつあり、映画の描写も修正されつつあると言えます。併せて、介護保険サービスを使う場面も出て来るため、在宅ケアの整備に力を入れた介護保険制度の恩恵も一定程度、見て取れます。

6――おわりに

以上、日本映画を通じて、認知症ケアを巡る変遷を考察して来ました。ここで取り上げた映画は一部に過ぎない(私が見ていない映画も多々あります)のですが、こうした変遷を見ると、「認知症の人=何も分からなくなった人」という認識は少しずつ修正されているように感じます。さらに介護保険制度が在宅ケアの選択肢を広げた点も読み取れます。

ただ、今でも「認知症の人=何も分からなくなった人」という認識は根強く、現に「予防」が必要以上に喧伝される理由は、この辺にありそうです。認知症の症状を遅らせる活動を含めて、「予防」の全てを否定する気はないのですが、スティグマという副作用には気を付ける必要がありそうです。

これで昨年6月から25回続けた介護保険20年のコラムを終えます。今回、長広舌を振るった背景には、近年の制度改正論議に対する疑問があります。例えば、3年に1回の頻度で実施される介護保険制度改正論議を見ていると、「重箱の隅の隅の隅の…」を突き回すような内容に終始している結果、「自己選択」「地方分権」などを重視した当初の理念が薄れつつあるように感じています。しかも、その際には専門家や業界団体の関係者だけで細部の議論が展開されており、国民にとっては極めて分かりにくい話が続いています。このため、制度創設から20年を迎えたのを機に、介護保険という仕組みを様々な論点と観点で考えて欲しいと考え、長々と私見を披露した次第です。

しかも介護保険を巡る環境は厳しく、中でも財源不足と人手不足という2つの制約条件の下、認知症ケアや在宅ケアの充実などが求められる点で、介護保険は「曲がり角」を迎えつつあります。今回、多くの論点は網羅したつもりなので、制度改正の方向性を国民、立法府、国・地方自治体、現場の専門職、市民組織、メディアなどでも考えて頂きたいと思います。

最後に、20年を期した過去の原稿とコラムの連載を振り返るため、ぞれぞれのテーマとリンク先を示しますので、興味を持たれた方はリンク先からご一読下さい。
【介護保険制度20年を期すレポート】
  • 制度創設の歴史を振り返る(上)
  • 制度創設後の制度改正を振り返る(下)
  • 制度創設後の変化をデータで振り返るレポート
 
【介護保険20年を期して制度の根幹や各論を取り上げた各コラムのテーマ(計25回)】
Xでシェアする Facebookでシェアする

保険研究部   上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任

三原 岳 (みはら たかし)

研究・専門分野
医療・介護・福祉、政策過程論

経歴
  • プロフィール
    【職歴】
     1995年4月~ 時事通信社
     2011年4月~ 東京財団研究員
     2017年10月~ ニッセイ基礎研究所
     2023年7月から現職

    【加入団体等】
    ・社会政策学会
    ・日本財政学会
    ・日本地方財政学会
    ・自治体学会
    ・日本ケアマネジメント学会

    【講演等】
    ・経団連、経済同友会、日本商工会議所、財政制度等審議会、日本医師会、連合など多数
    ・藤田医科大学を中心とする厚生労働省の市町村人材育成プログラムの講師(2020年度~)

    【主な著書・寄稿など】
    ・『必携自治体職員ハンドブック』公職研(2021年5月、共著)
    ・『地域医療は再生するか』医薬経済社(2020年11月)
    ・『医薬経済』に『現場が望む社会保障制度』を連載中(毎月)
    ・「障害者政策の変容と差別解消法の意義」「合理的配慮の考え方と決定過程」日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク編『トピック別 聴覚障害学生支援ガイド』(2017年3月、共著)
    ・「介護報酬複雑化の過程と問題点」『社会政策』(通巻第20号、2015年7月)ほか多数

(2021年03月29日「研究員の眼」)

公式SNSアカウント

新着レポートを随時お届け!
日々の情報収集にぜひご活用ください。

週間アクセスランキング

レポート紹介

【20年を迎えた介護保険の再考(25)認知症ケアの変遷-映画における描写の変化、今もスティグマは問題に】【シンクタンク】ニッセイ基礎研究所は、保険・年金・社会保障、経済・金融・不動産、暮らし・高齢社会、経営・ビジネスなどの各専門領域の研究員を抱え、様々な情報提供を行っています。

20年を迎えた介護保険の再考(25)認知症ケアの変遷-映画における描写の変化、今もスティグマは問題にのレポート Topへ