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コラム
2025年07月24日

診療報酬改定と「植木鉢」-石油危機の逸話から考える制度複雑化の背景

保険研究部 上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任 三原 岳

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1――はじめに

今年も医療界の「恒例行事」が訪れる。2年サイクルで実施される診療報酬本体の改定である。いつものスケジュールでは、秋頃から厚生労働省の審議会で検討が本格化し、年末に改定率が決着。2026年3月頃までに公表される国の資料では、眼精疲労になるような小さな字で、「○○加算では●●の会議開催を要件に追加」などの内容が細々と示される。

さらに、現場の問い合わせに対し、国が運用方針を答える「疑義解釈」という資料も細かく作られており、加算(ボーナス)を取りたい医療機関は国の資料を隅々までチェックすることが求められる。

この間、関係者が費やすエネルギーは非常に膨大であり、煩雑な過程を見ていると、天邪鬼な筆者は約50年前の「植木鉢」の逸話を思い出してしまう。

2――石油危機の際の副総裁の発言

1973年、第4次中東戦争の影響で石油価格が急騰。田中角栄内閣の積極財政と相俟って、物価が高騰した。この時、政府内では物価抑制策として、敗戦直後に制定された物価統制令の適用を促す意見が強まったが、自民党副総裁だった椎名悦三郎の発言が議論の流れを変えた。

「私も戦時中、商工省(注:現経済産業省)で統制経済をやった男だから言うけれども、統制はやっていくうちに、あれもしなければならない、これもしなければならないと一波万波になって、最後は植木鉢の値段まで統制することになる。」

これで座は爆笑となり、物価統制はご破算になったという1。要は「××は重要だから統制する」と判断すると、「重要」の対象がドンドンと広がり、最後は国策にとって「重要」とは思えない植木鉢の値段まで政府が決めるという指摘だ。

椎名は戦時中、岸信介(後に首相)とともに、戦時経済の統制に当たったので、政府が複雑な経済システムを制御する難しさを痛感していたのかもしれない。
 
1 三橋規宏ほか編著(1994)『昭和経済史(下)』日経文庫24ページ。なお、該当部分は通商産業省(現経済産業省)の官僚による「述懐」と記述されており、正式な公文書などの引用ではない点に留意する必要がある。

3――椎名の発言を笑えるか?

ただ、診療報酬改定の資料を見ていると、「植木鉢」の話は全く笑えない。国が医療機関に対し、人員・施設の基準、ポスターの掲示や会議の開催などの加算要件を細かく規制しているためだ。

例えば、新型コロナウイルス禍の反省に立った感染症対策。最近の改定では、発熱患者の受け入れ先を拡大するため、診療報酬の加算の拡充が相次いでいる。

このうち、「外来感染対策向上加算」という制度では、加算取得と引き換えに、「見やすい場所に、院内感染防止対策に関する取組事項を掲示」という要件が義務付けられている。つまり、患者への情報開示を促すため、加算を取る医療機関は待合室などに「院内感染対策に取り組んでいます」といったポスターを貼ることが義務化されている。

ここで、医療機関の立場で考える。国の監査で「掲示の内容が不十分。要件を満たしていない」と注文を受けた場合、加算の返納が求められるかもしれない。

そこで、医療機関は「どんなポスターの内容が望ましいのか」を国に質問し、国が必要事項を疑義解釈で定めることになる。実際、疑義解釈では対策の基本指針や組織体制などの記載を促している。しかも、同様のやり取りは全ての見直し事項で交わされており、ルールや要件は複雑化する一方である。

4――ポスターまで国が介入する背景

では、細かく政府が介入する理由は何か。元々、医療では患者―医師の情報格差が大きく、市場原理に委ねることは難しく、政府の価格統制は避けられない。

ただ、ここまで複雑になった始まりは1980年代に遡る。当時、長期入院の解消など医療費適正化が意識される中、政府は民間中心の提供体制に対し、直接介入できないため、診療報酬の点数や要件を政策誘導に使うようになった。

その後、椎名の指摘を援用すると、改定の度に「あれも重要」「これも重要」と加算を付けているうち、その対象が広がるだけでなく、加算取得のためのルールも細分化し、ポスターの内容まで国家が統制する事態になっている。 

以上の点を踏まえると、現在の複雑な仕組みは「あれも~」「これも~」と合理的に判断した結果であり、どこかで考え直す機会を設けなければ、複雑化の流れは止まらない。関係者には簡素化を意識するスタンスを徹底して欲しい。 

さらに、官僚や関係団体が議論を独占すると、「制度が分かりにくい」という素朴な意見が反映されにくくなる。このため、国民の代表である国会での議論や、患者代表の意見を聞く場も必要である。

本資料記載のデータは各種の情報源から入手・加工したものであり、その正確性と完全性を保証するものではありません。
また、本資料は情報提供が目的であり、記載の意見や予測は、いかなる契約の締結や解約を勧誘するものではありません。

(2025年07月24日「研究員の眼」)

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保険研究部   上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任

三原 岳 (みはら たかし)

研究・専門分野
医療・介護・福祉、政策過程論

経歴
  • プロフィール
    【職歴】
     1995年4月~ 時事通信社
     2011年4月~ 東京財団研究員
     2017年10月~ ニッセイ基礎研究所
     2023年7月から現職

    【加入団体等】
    ・社会政策学会
    ・日本財政学会
    ・日本地方財政学会
    ・自治体学会
    ・日本ケアマネジメント学会

    ・関東学院大学法学部非常勤講師

    【講演等】
    ・経団連、経済同友会、日本商工会議所、財政制度等審議会、日本医師会、連合など多数
    ・藤田医科大学を中心とする厚生労働省の市町村人材育成プログラムの講師(2020年度~)

    【主な著書・寄稿など】
    ・『必携自治体職員ハンドブック』公職研(2021年5月、共著)
    ・『地域医療は再生するか』医薬経済社(2020年11月)
    ・『医薬経済』に『現場が望む社会保障制度』を連載中(毎月)
    ・「障害者政策の変容と差別解消法の意義」「合理的配慮の考え方と決定過程」日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク編『トピック別 聴覚障害学生支援ガイド』(2017年3月、共著)
    ・「介護報酬複雑化の過程と問題点」『社会政策』(通巻第20号、2015年7月)ほか多数

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