コラム
2020年10月02日

映画で考える日本の歴史と感染症-結核との長い闘い、保健婦の活躍を中心に

保険研究部 主任研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任   三原 岳

医療・介護制度改革 医療保険制度 などの記事に関心のあるあなたへ

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1――はじめに~日本と感染症の関係を映画で考える~

今年上旬からの新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、感染症に対して脆弱な医療提供体制の問題点が浮き彫りになっています。しかし、拙稿で述べた通り、人類と感染症の長い付き合い(腐れ縁?)を踏まえると、感染症が社会にとって深刻な脅威とは言えなくなったのは、そう遠い話ではありません。中でも、日本は結核に長く苦しめられた歴史を持ち、健康保険制度や保健所は元々、結核対策の側面を持っていました。このため、医療制度が最初から感染症を想定していなかったわけではありません。

一方、映画は時々の社会や庶民の生活を描いており、シーンやセリフは社会情勢などを反映しています1。そこで今回は映画を素材にし、感染症との関わりを考えたいと思います。特に解決策などは提示しませんが、結核との長い闘いや保健婦(現名称は保健師)の活躍を中心に、コロナ禍の現状を少しでも冷静かつ客観的に考察する素材にして頂きたいと思います。
 
1 なお、過去にも映画を通じて社会保障制度の論点を考察したことがある。20年を迎えた介護保険の再考(1)時代背景を探る(2020年6月24日)、映画『体操しようよ』で占う2021年度介護保険制度改正の動向(2019年7月18日)、『500ページの夢の束』で考える「障害」(2019年5月17日)。なお、ダイヤモンド・オンラインでも2017年12月から2019年1月まで「映画を見れば社会保障が丸わかり!」という連載を実施した(計28回)。
https://diamond.jp/category/s-eigadesyakaihosyou

2――新興感染症を取り上げた映画

今回のような新興感染症を取り上げた映画としては、海外では『アウトブレイク』(1995年公開)、『コンテイジョン』(2011年公開)、日本では『感染列島』(2009年公開)があります。このうち、『感染列島』では「ブレイム(責め)」と名付けられた新型インフルエンザウイルスが東京都内の「いずみ野市立病院」という病院で発生。救命救急医の安藤一馬(佐藤浩市)が倒れるなど感染が拡大し、いずみ野市立病院に勤める救命救急医の松岡剛(妻夫木聡)や、WHO(世界保健機関)から派遣されたメディカルオフィサーの小林栄子(檀れい)が患者の救命や感染拡大阻止に努めるものの、ワクチンが開発されるまでの半年間で約4,000万人が感染、約1,100万人が亡くなるという設定になっています。

こうした映画を通じて、今回の新型コロナウイルスとの共通点を幾つか見出せます。例えば、新型コロナウイルスへの対応で一つの大きな焦点となっているのは、移動制限と感染拡大防止のバランスです。つまり、感染拡大を防ぐ上では移動の自由という国民の人権を制限してでも、人と人の接触を減らす必要があるとされている一方、それに伴う経済的な損失が大きくなるため、「自由か、命か」あるいは「経済か、命か」という二律背反が論じられがちです。分かりやすく言えば、個別の利益と全体の利益の間に齟齬が生じるわけです。

こうした「自由か、命か」という二律背反は『感染列島』で描かれています。具体的には、感染拡大の早い段階で、厚生労働省の感染症課長が感染地域の封鎖を主張したのに対し、厚生労働大臣の田嶋晶夫(三浦浩一)が「いたずらに国民の不安を与えるのは考え物だな。ワクチンだけで対応できないのか」と踏ん切りを付けられず、感染が拡大しています。結局、政府は72時間以内の地域封じ込めなどの対策を実施するのですが、判断の遅れが感染拡大を許す設定になっています。

一方、『アウトブレイク』では「自由か、命か」の二律背反を極限的に描いています。具体的には、「モターバ・ウイルス」という正体不明のウイルスが街で広がった際、軍隊が町を二重で封鎖線を敷き、人が内部に入るのを止めるだけでなく、住民の外出を禁じています。さらに、恐怖で街から逃げようとする2台の車に対し、ヘリコプターが攻撃する場面もあります。

もちろん、映画なので脚色や誇張が避けられないのですが、こうした新興感染症の映画を鑑賞することを通じて、二律背反を迫られている現状を少し客観視できるかもしれません。 

3――映画で描写されている戦前の感染症と医療

1|明治期のチフス拡大を描いた『ふんどし医者』
歴史を振り返ると、感染症は日常的に起きていました。例えば、開国直後の日本はコレラ、チフス、性病などに次々と見舞われ、1879年のコレラ感染では約10万人が命を落としています。こうした時代の雰囲気を後年に描写した映画として、『ふんどし医者』(1960年公開)があります。

舞台は江戸末期から明治初期の駿河国(静岡県)島田宿。長崎で西洋医学を学んだ医師の小山慶斎(森繁久彌)は池田明海(山村聡)とともに江戸に戻って幕府お抱え医師(御典医)になるつもりだったのですが、渡し船や橋が設けられていなかった大井川の増水に伴い、島田宿で足止めを余儀なくされます。その間、病に苦しむ宿場の旅行者などの実態を見た慶斎は長崎から追い掛けて来た女性、いく(原節子)とともに島田に滞在することを決意し、貧乏人や旅人、農民の病気を治す町医者になりました。

そんな中、ひょんなことから地元の半五郎(夏木陽介)という男に大手術を施すことになり、当初は反発していた半五郎も慶斎が優れた医者であることを知るに至り、自らも医師を志すようになり……。詳細はDVDでご覧頂くとして、映画の後半では当時、伝染病として恐れられたチフスの感染拡大が描かれています。

具体的には、腹痛を訴える患者がチフスかどうか分からないため、たまたま島田宿を通過した商人から高性能の顕微鏡を買いたいが、そのための資金が足りず、かと言って放置するとチフスが拡大するので何とかしたい……という慶斎の葛藤が描かれており、短期間で意思決定を強いられる感染症対策の要素を巧みに盛り込む形で、観ている人を飽きさせない設定になっています。

さらに、ここでも「自由か、命か」という二律背反が描かれています。例えば、チフスに感染した子ども達を慶斎や半五郎が自宅兼診療所に隔離したところ、親たちは「子どもの死に目に会えない」などと激怒。最後は自宅兼診療所の打ちこわし騒動に発展し、官憲が介入する場面があります。この辺りの展開を通じても、「子どもの死に目に立ち会う自由」を求める庶民の気持ちと、「感染拡大を防ぎたい」という全体利益を重視する慶斎の間で、二律背反が起きている様子を見て取れます。

確かに映画なので割り引いて考える必要はありますが、実は明治期の医療を取り上げた書籍(立川昭二『明治医事往来』)を読むと、病名は違うにしても、コレラについて似たような記述があります。当時、コレラの感染が拡大した際、巡査が患者を隔離するだけでなく、家や家具を消毒して回ったため、住民は「コレラの先走り」と巡査を恐れるようになり、しかも隔離先の「避病院」の環境が劣悪だったため、死を恐れた住民による騒擾事件(コレラ一揆)も起きたとのこと。

つまり、正に映画のようなシーンは現実に起きていたことになるし、時代を問わず、「自由か、命か」という二律背反は感染症対策に付いて回る論点であることを理解できます。

(ちなみに、「経済か、命か」という二律背反についても、ペストが大流行した1628年~1632年の間に、フィレンツェの主な商会が支払う通信費は比率にして100から3に激減したという記述があるので、こちらも感染症対策に共通した問題と言えます。カルト・チポロ『ペストと都市国家』を参照)。
2|疫痢が登場する戦前の小津映画
小津安二郎監督が戦前に作った映画にも感染症は登場します。例えば、失業した父子家庭を取り上げる『東京の宿』(1935年公開)、失業した生活困窮世帯の生活を描いた『東京の合唱』(1931年公開)では、いずれも医療費の支払いと急性感染症に関するシーンが盛り込まれています。具体的には、いずれも子どもが「疫痢」になり、主人公が医療費の用立てに迫られた結果、前者では主人公が泥棒に入り、後者では主人公が質屋に服を入れる場面があります。

ここから言えることは2つです。第1に、当時は国民健康保険や生活保護の医療扶助など社会保障制度が整備されていなかったため、医療費の急な支払いが大きなリスクになっていた点です。

第2に、子どもが「疫痢」になっている点です。疫痢とは主に幼児がかかる病気で、激しい腹痛や下痢などを伴います。当時は上下水道が今ほど整備されておらず、衛生環境も良くなかったため、疫痢は脅威になっていました。実際、当時の政府発刊による雑誌(『写真週報』1939年8月号)では、「昨年1カ年に約3万5,000人が疫痢にかかって、そのうち1万5,000人が死亡しました」「日本の疫痢患者の数は他の文明国に比べて多く、保健衛生の上では我が国は決して一等国とは言えません」と紹介されています。

さらにチフスや赤痢、コレラだけでなく、長い間に渡って脅威となっていた病気があります。その病気がどうやって映画に描写されているのか、取り上げることとします。

4――結核との長い闘いが分かる映画の数々

1|結核で早世するシーンが出て来る『おとうと』
「肺が悪い」「肺をやられた」――。昔の日本映画を観ていると、こうしたセリフが頻繁に交わされています。つまり、「国民病」と呼ばれた結核です。特効薬が普及する1950年代中盤までの間、結核は日本人の死因の上位にランクインしており、国民にとって脅威となっていました。それだけ結核が身近だった(悪い意味ですが)ことを理解する一助として、市川崑監督による『おとうと』(1960年公開)を取り上げます。

映画の舞台は昭和初期。文豪の父(森雅之)を持つ主人公のげん(岸恵子)は学生の弟、碧郎(川口浩)を可愛がりつつも、反抗期で何かと問題行為の多い弟に手を焼いていました。その後、映画の中盤で碧郎が結核に感染していることが分かり、無機質な病室に隔離されます。しかも、碧郎の病状は進んでおり、医師から「なぜもっと早く医者に見せなかったんです」と言われるレベル。結局、碧郎は「今日から厄介者か」「『おれはもう難しいんだ』と言ってくれた方がいいんだ」などと半ば自暴自棄になり、げんなどに看取られつつ早世してしまいます。
2|健康保険創設の理由が分かる『あゝ野麦峠』
こうした結核を予防するため、政府は様々な対策を講じます。感染症対策の歴史については、拙稿でご覧いただくとして、新型コロナウイルスへの対策で最前線を担った保健所は元々、結核対策を想定して1937年に創設されました。さらに1927年施行の健康保険法も「女工」と呼ばれた女性労働者の結核対策という側面を持っており、女工の健康問題は『あゝ野麦峠』(1979年公開)に詳しく描写されています。

映画の舞台は20世紀初頭。タイトルの「野麦峠」は岐阜県と長野県の境に位置する地名で、主人公は政井みね(大竹しのぶ)という13歳の女性です。みねの実家は父、母、2人の兄に加え、まだ小さい4人の子どもを抱えており、みねは苦しい家計を助けるため、5年勤務、手付金5円という契約で、岐阜県飛騨地方の寒村から長野県岡谷市の製糸工場に来ました。

みねが工場で従事したのは、繭を煮て生糸を取る「糸取り」という作業。新入りの女性労働者、約30人とともに労働に当たりますが、労働は「過酷」という言葉では形容できないレベルでした。具体的には、朝4時半に起床し、洗顔、トイレを慌ただしく済ませた後に朝の勤務、さらに7時に朝食を10分ぐらい摂り、また仕事。昼食は立ち食いで10分、再び夕方まで仕事し、12時間以上は働いている計算です。職場環境も劣悪であり、気温40度に達する工場は締め切られており、日光も風もほとんど入らない蒸し風呂のような空間。休憩はほとんど許されず、ひたすら糸取りに明け暮れています。

結局、みねは結核で体調を崩してしまいます。しかも十分に医療を受けられず、みねは隔離された小屋で寝かされた後、工場を訪れた兄の辰次郎(地井武男)に背負われ、郷里の飛騨に戻るところで映画はクライマックスを迎えます。

こうした状況は相当、当時の様子を反映しており、工場の実態などを取材した原作の『女工哀史』(細井和喜蔵)とか、農商務省(現経済産業省)が取りまとめた報告書『職工事情』でも同様の実態が紹介されています。

そこで、劣悪な環境を改善するため、政府は1916年、女性労働者の就業時間を制限する工場法を施行させます。これは社会保障立法の始まり一つとされ、1927年施行の健康保険法、あるいは労働安全法制の淵源となりました。つまり、公的医療保険制度は元々、結核対策の側面を持っていたのです。
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保険研究部   主任研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任

三原 岳 (みはら たかし)

研究・専門分野
医療・介護・福祉、政策過程論

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