コラム
2019年05月07日

『500ページの夢の束』で考える「障害」-自閉症の女性を主人公とした映画で考える

保険研究部 准主任研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任   三原 岳

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1――はじめに~『500ページの夢の束』に見る障害と健常の線引き~

「障害」と聞いて、どのような言葉を想像されるでしょうか。筆者は「健常」「障害」の線引きは曖昧であり、その違いを明確に区別するのは難しいと考えています。2018年9月に日本で公開され、2019年4月にDVDのレンタルと発売が始まったアメリカ映画『500ページの夢の束』(原題:Please Stand By、http://500page-yume.com/)を観ている間、そんなことを痛感しました。以下、映画の描写を通じて、「障害」という言葉を再考したいと思います1
 
1 障害論は拙稿レポート2018年3月23日「『合理的配慮』はどこまで浸透したか」を参照。なお、「障害」は「障碍」と表記されたが、戦後に「碍」が当用漢字、常用漢字にならなかったため、「害」の字を当てた。近年は「害」の字を避けるため、「障がい」などと表記するケースもあるが、本稿は法令上の表記に沿って「障害」と記す。

2――映画の内容

映画の主人公はウェンディ(ダコタ・ファニング)という21歳の女性。自閉症と診断され、障害者の自立支援ホームで暮らしていますが、ホームを運営するソーシャル・ワーカーのスコッティ(トニ・コレット)による指導や訓練が奏功し、日常生活を規則正しく暮らす方法を身に付けました。毎朝、日課を一つ一つ几帳面に確認し、決まったルートで仕事先のパン屋に通い、そこで菓子パンを製造・販売。16時から愛犬ピートの散歩に出掛け、18時からはアメリカの人気テレビSFドラマ『スター・トレック(1)』を観ることを楽しみにしています。

そんなある日、ウェンディはテレビに釘付けになります。スター・トレックを製作する「パラマウント・ピクチャーズ社」が50周年を迎えたスター・トレックについて新しく脚本を公募するというCMを見たためです。その以前からウェンディはスター・トレックの脚本作りに熱中しており、ウェンディは約500ページに及ぶオリジナル脚本を書き上げるのですが……。

ここで少し確認すると、上の記述でお分かりの通り、映画でスター・トレックが非常に重要なカギを握っています。しかし、同じSF映画の『スターウォーズ』に比べると、日本ではマイナーな存在ですし、スター・トレックの知識を持っていなくても十分に楽しめる映画ですので、この辺の記述は文末の脚注に回すとして話を先に進めます。

さて、約500ページの脚本を書き上げたウェンディは日曜日、ホームを訪ねた唯一の肉親である姉のオードリー(アリス・イヴ)と口論になります。そして「姉と一緒に家に帰りたい」という希望が叶えられなかったウェンディは癇癪(かんしゃく)を起こしてしまい、深夜までベッドに伏します。

ただ、ウェンディは深夜、我に返ります。日曜日に脚本を投函できなかった上、翌月曜日は祝日なので郵送は休み。そうなると、火曜日午後5時必着の脚本が届かなくなります。

そこでウェンディは一念発起します。普段はホームと職場を往復する生活なのに、誰にも相談・報告せず、日の出とともにホームを出発。初めて遠距離バスに乗り、8~9時間ぐらい掛かるロサンゼルスのパラマウント・ピクチャーズ社を目指します。愛犬ピートとともにウェンディが脚本を届けるための山あり谷ありのストーリーは映画を観て頂くとして、最初の問いに戻ります。

3――主人公は「健常」かどうか

1自閉症の人と「健常」な人の差は?
まず主人公、ウェンディは「健常」でしょうか。人の目を見て話せない、思い通りに行かないことがあると癇癪を起こす、人の言葉を不必要に信じてしまう、思ったことを口に出せない、スコッティの「大通りを渡るな」という言い付けをずっと気にしている、急な変化に適応できない、大きな音を聞くと心理的に不安定になる……。映画では、こうしたウェンディの行動が数多く描写されています。実は、原題の「Please Stand by」はウェンディがかんしゃくを起こしそうな時、スコッティが声を掛けるセリフです。彼女自身も困ったことに直面すると、「Stand by」を繰り返し言い聞かせるように訓練されており、これらの様子は奇異に映ります。

そこで自閉症に関する本を読むと、自閉症の人の特徴的な行動として、表のような内容が指摘されています(千住淳『自閉症スペクトラムとは何か』)。ただ、自閉症を含む発達障害の人の特徴は個別に違うため、自閉症と診断された人の全てに表の特徴が見られるわけではありません。こうした特徴の現れ方が虹のように個人ごとに違う点を重視し、スペクトラム(連続体、Spectrum)と呼ぶことが増えています。
表:自閉症の人の特徴的な行動
さらに言うと、スペクトラムは自閉症の人に限った話ではありません。現に「健常」を疑わない人でも表の特徴は多かれ少なかれ持っているのではないでしょうか。例えば、生活習慣や趣味について、何のこだわりを持っていない人を見たことがありません。

そう考えると、自閉症か否かを線引きする判断基準として表の特徴を用いる場合、一定程度はレベルの問題になります。実際、千住前掲書によると、心理学などの研究では自閉症を含む発達障害の人を「非定型発達者」、それ以外の人を「定型発達者」と呼ぶと紹介しています。スペクトラムとは自閉症の人に限った話ではなく、多様な人間全体の個性の表れという見方さえ可能です。
2周囲との環境が生み出す「障害」
さらに、こうした特徴と不具合が異なって現れる様子について、別の書籍では「コア群」「グレーゾーン群」「カテゴリー群」に区分けしています(平岩幹男『自閉症スペクトラム障害』)。具体的には、コア群は将来にわたって社会で生活するのが難しいケース、グレーゾーン群は社会生活に大きな困難に直面していますが、適切なサポートがあれば社会生活が可能としています。

一方、カテゴリー群はサポートなしで社会生活が送れているものの、周囲との関係に問題が起きると、グレーゾーン群になる可能性を論じています。その上で、社会との接点を確保するには、過度に怒るのを控えるなど、自分に自信を持てる感覚「self-esteem」が重要と指摘しています。実際、映画ではスター・トレックのマニア達から知識や脚本を称賛された際、ウェンディの表情が緩む場面があります。

ただ、ここで考えてみて下さい。非定型発達者は周囲の環境に適応しにくい分、「self-esteem」を感じられないと、その特徴が顕在化しやすいのですが、「健常」を疑わない定型発達者でも他人から叱れれば委縮する時があるし、周囲との関係性が悪くなると落ち込みます。さらに周囲の環境に適応できない状態が続くと、心身に影響が出ます。そう考えると、「非定型発達者は少数、定型発達者は多数」という違いがあるにせよ、「健常」「障害」を厳密に区分できるのでしょうか。

4――できること、できないことの個人差

少し角度を変えます。先に触れた通り、映画のウェンディは「できないこと」「苦手なこと」が多く、時に感情を爆発させるため、社会生活を営みにくい特徴を持っています。それでもホームのスコッティによる指導が奏功し、少しずつ社会のルールに適応できるようになっています。

何よりもウェンディはスター・トレックの話となると、生き生きします。実は、筆者もスター・トレックのファンなので、映画の随所に「クリンゴン(2)」「DS9(3)」などのマニアな固有名詞が次々と出てくるのを見てクスクス笑っていたのですが、ウェンディの知識量には付いて行けませんでした。

ただ、「できないこと」「苦手なこと」があるのはウェンディだけでしょうか。全ての人は何かしら「できないこと」「苦手なこと」を持っていますし、大半の人は「できないこと」「苦手なこと」を諦めるか、自分なりに割り切りつつ暮らしていると思います。何でもできる人間とは、自分の能力を過大評価した余程の自信家か、スター・トレックで登場する遺伝子操作された「優生人類」などSF上のフィクションに過ぎません。

さらに言えば、ウェンディの得意分野はスター・トレックなので、マニアから称賛を受ける程度ですが、他のことが得意だったらどうでしょうか。例えば、1988年公開のアメリカ映画『レインマン』では、簡単な買い物を計算できないのに電話帳を瞬時に全て暗記できる力を持っている複雑な自閉症の男性(ダスティン・ホフマン)が登場し、弟(トム・クルーズ)とともにカジノに行き、その特異な能力を使って大儲けするシーンがあります。ウェンディも得意分野が別のことだったら、称賛してくれる相手はスター・トレックのマニアにとどまらなくなります。

つまり、自閉症の人に限らず人間には個性があり、「できることorできないこと」「得意なことor苦手なこと」という能力の差が必ず生まれます。以上のように考えると、「非定型発達者は少数、定型発達者は多数」という点を除けば、両者の違いは相対的になるという結論になります。

5――障害の社会モデル

このように「障害」を相対的に捉える考え方を「社会モデル」と呼びます。社会モデルと聞くと難しそうに聞こえますが、発想さえ変えれば意外と簡単です。

例えば、聞こえない人が生きにくさを感じるのは普段、多くの聞こえる人が日本語の音声情報でコミュニケーションを取っているためです。ここで、もし聞こえる人が言葉の通じない国を旅行すれば、その人は少数になります。日本では多数の「健常者」に属したとしても、その国では聴覚障害者と似たような環境に置かれるわけです。

こう考えると、「聞こえない」という障害が個人と環境の関係性で生まれていることに気付かされます。つまり、社会モデルでは健常と障害を固定的に捉えず、障害の発生プロセスを個人と環境の関係に求めます。具体的には、障害のある人の特徴を重視する従来の「医療モデル」と異なり、社会モデルでは生きにくさを作り出している環境を「社会的障壁」と呼び、社会のサイドに社会的障壁の除去を義務付けています。この映画で言うと、非定型発達者のウェンディが生きにくさを感じているのは本人の特徴ではなく、定型発達者が作り出す社会に問題があるという結論になるわけです。

以上のような社会モデルの考え方は障害者福祉で定着しており、2011年8月の改正障害者基本法に規定されたほか、社会的障壁を取り除く配慮(合理的配慮)を行政機関などに義務付けた障害者差別解消法が2016年4月に施行されました。発達障害者支援法も発達障害者に対する支援について、「社会的障壁の除去に資することを旨として行わなければならない」と定めています。

6――おわりに

『THE MANY AND THE FEW(多数と少数)』――。これはウェンディの脚本のタイトルです。このタイトルに見られる通り、映画は多数と少数を相対的に捉える社会モデルを明らかにベースにしています。しかし、障害者差別解消法の施行から3年を経ても、こうした考え方は日本で依然として一般的とは言えず、「健常者」「障害者」を必要以上に区分けして考える傾向が強いと感じています。

実際、劇場公開時の解説記事には「自閉症を抱えた女性が障害を乗り越えて…」といった形で、障害を固定的に捉える文章が散見されました。もちろん、自閉症の人の生きづらさは本人や家族しか理解できないため、軽々に物を言えませんが、「抱えた」「乗り越える」などとマイナスを想起させる言葉遣いを見ると、「社会モデルが浸透していないのではないか」との思いが去来します。

確かに世の中では今、国連のSDGs(持続可能な開発目標)がもてはやされ、そこには教育や雇用、公共交通などについて、障害者など少数の人に配慮した平等なアクセスも含まれています。しかし、障害者への配慮を単なる「お題目」にとどめないためには、多数を構成する社会全体の意識を変える必要があります。その素材として、『500ページの夢の束』は様々な示唆を含んでいると思います。
 
(1) スター・トレックとはテレビシリーズが計6本、映画が計13本製作されている人気SFドラマ。
(2) クリンゴンは惑星宇宙連邦と覇を競う異星人の帝国名。
(3) 宇宙ステーション「ディープ・スペース9」の略。3本目のテレビドラマシリーズの舞台となった。
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保険研究部   准主任研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任

三原 岳 (みはら たかし)

研究・専門分野
医療・介護・福祉、政策過程論

(2019年05月07日「研究員の眼」)

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