コラム
2021年03月29日

20年を迎えた介護保険の再考(25)認知症ケアの変遷-映画における描写の変化、今もスティグマは問題に

保険研究部 主任研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任   三原 岳

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1――はじめに~映画で考える認知症ケアの変遷~

加齢による要介護リスクをカバーする社会保険制度として、介護保険制度が発足して昨年4月で20年を迎えました。本コラムは昨年6月以降、介護保険制度の基本的な構造や制度創設時の経緯、最近の制度改正で論じられているテーマなどを考えてきましたが、前回の第24回と今回は「番外編」として映画で介護保険制度を考えていきます。

映画は国民の認識や時代背景を反映しており、時代ごとの雰囲気を知る上での有益な素材になる1と考えており、第24回は日本映画の描写を通じて、1963年制定の老人福祉法に始まる高齢者福祉政策の変遷を考察するとともに、介護保険の価値を考察しました。最終回となる今回は認知症ケアの変遷を取り上げます。具体的には、「認知症の人=何も分からなくなった人」と考えられていた社会の風潮が変わりつつある点を考察したいと思います。

なお、現在の感覚では信じられないような侮蔑的や差別的な表現が含まれますが、当時の雰囲気を感じる趣旨に加えて、オリジナルの変更ができないことをご理解いただいた上で、お読みください。
 
1 なお、過去にも映画を通じて医療・介護制度の論点を考察したことがある。例えば、「映画で考える日本の歴史と感染症」(2020年10月2日)、「映画『体操しようよ』で占う2021年度介護保険制度改正の動向」(2019年7月18日)、『500ページの夢の束』で考える「障害」(同5月17日)。今シリーズでも、制度創設時の時代背景を探る第1回、在宅医療や医療・介護連携の課題を考えた第12回、高齢者政策の変遷を射振り返る第24回でも映画を取り上げた。なお、医療・介護に限らず、ダイヤモンド・オンラインでも2017年12月から2019年1月まで「映画を見れば社会保障が丸わかり!」という連載を実施した(計28回)。https://diamond.jp/category/s-eigadesyakaihosyou

2――認知症を巡るスティグマ

認知症と介護保険の関係、論点などについては、本コラムの第11回で取り上げましたが、最初に「認知症とは何か」という点を踏まえたいと思います。認知症とは、老化や病気に伴って脳の細胞が影響を受け、記憶機能が下がったり、時間・場所に関する認知機能が低下したりすることで、日常生活に支障が出る状態を指します。

しかし、認知症になっても全ての記憶や感性が失われるわけではありません。さらに、変化を自覚しているのも本人であり、一人歩きなどの行動・心理症状(BPSD)については、本人の性格や特性、本人を取り巻く環境や人間関係などの要因で生じるとされています。

それにもかかわらず、認知症に関しては、「認知症=何も分からなくなった人」という認識が依然として根強く、認知症の人は生きにくさを感じています。例えば、2019年6月に政府が取りまとめた「認知症施策推進大綱」は「共生」と「予防」を車の両輪に位置付けましたが、策定プロセスでは予防を前面に押し出そうとした政府の原案に対し、当事者団体から「偏見を助長し、自己責任論に結びつきかねない」という異論が出て、政府が説明と軌道修正に追われる一幕がありました2

ここでのポイントは「偏見を助長」という点と考えられ、社会学の「スティグマ」(stigma)という概念で説明できます3。スティグマとは元々、ギリシア語で「肉体上の徴(しるし)」を表し、社会学の研究ではスティグマを負う側とスティグマを負わせる側の相互作用で生まれると考えます。つまり、一定の属性を持った人達に対し、それ以外の人達が「烙印」を付ける関係性に着目するわけです。

このスティグマを認知症に当てはめると、以下のように説明できます。つまり、依然として「認知症の人=何も分からなくなった人」という認識が根強い中、予防を重視し過ぎると、認知症になった人が「予防の努力が足りなかった人」と見なされやすくなり、認知症ではない人が認知症の人にスティグマを負わせ、生きにくさを増幅させるリスクが指摘されたわけです。

しかし、こうした認識に関しては、軌道修正が図られています。例えば、2020年10月に施行された東京都世田谷区の「認知症とともに生きる希望条例」では前文として、「認知症になる『何もわからなくなってしまう』という考え方が一般的でしたが、認知症になってからも、暮らしていくうえで全ての記憶を失うわけではなく、本人の意思や感情は豊かに備わっていることが明らかになってきており、尊厳と希望を持って『自分らしく生きる』ことが可能です」と謳っています。

つまり、認知症ケアの研究が進んだことで、「認知症の人=何も分からなくなった人」という旧来の認識が否定されるようになり、認知症になっても記憶や意思、感情を全て失うわけではない点、さらに人間としての尊厳を保持することが重視されるようになっているわけです。

では、「認知症の人=何も分からなくなった人」という認識はどうやって形成されたのでしょうか。この点を映画で考察していきたいと思います。
 
2 認知症施策推進大綱を巡る経緯については、2019年8月13日拙稿「認知症大綱で何が変わるのか」を参照。
3 スティグマの説明については、Erving Goffman(1963)“Stigma”〔石黒毅訳(2009)『スティグマの社会学 改訂版』せりか書房〕を参照。

3――最初の認知症映画『恍惚の人』

認知症を初めて真正面から取り上げた日本の映画としては、1973年製作の『恍惚の人』が挙げられます。これは有吉佐和子の同名の小説を原作にした映画で、余りにもインパクトが大きかったため、その影響が今でも続いているように感じられます。以下、映画の描写やセリフを詳しく見て行きます。

映画は冒頭、立花茂造(森繁久彌)が雨の中を歩いている場面から始まります。これを事務所勤めの昭子(高峰秀子)が帰宅中に見掛け、一緒に連れて帰ります。昭子は夫の信利(田村高廣)、息子の敏(市川泉)と一緒に住んでおり、茂造夫妻は離れに住んでいました。

ある日、帰宅後に昭子が離れに行くと、茂造の妻は事切れていました。それにもかかわらず、茂造は妻の死を周囲に知らせず、雨中をさまよっていたのです。しかも、仕事で遅くなった信利が帰宅すると、茂造は鍋の芋を素手で食べており、妻の死も認識できない様子です。やがて茂造は信利のことさえ分からなくなり、食事を摂ったばかりなのに食事を昭子に要求したり、夜中に何度も昭子を呼んだりして、信利、昭子を苦労させます。

こうした中、当時の認知症に関する認識を理解できるようなセリフがあります。それは自宅まで出向いた福祉事務所の笈川という自治体職員(野村昭子)と昭子の会話です。もし今、地域包括支援センターの職員が同じようなことを口にすれば、それだけで大問題になると思われますが、約50年前の雰囲気を理解するため、手を入れずに映画のセリフを再録します。
 
昭子:あの~、「特別養護老人ホーム」っていうのは何でしょうか。
笈川;ええ、それはまあ寝たきり老人とか、人格欠損のある老人を収容するところなんですよ。
昭子:人格欠損?
笈川:ええ、お便所が一人でできなかったり、排泄物を食べてしまったり、体になすりつけたりですね。
昭子:まあ、そんな人があるんですかあ?
笈川:お仕事を持ってらしては、老人の世話は難しいと思うんですけど、誰かが犠牲にならなくては。私たちもやがては老人になるんですからね。お話では(注:茂造が)夜中に飛び出したとおっしゃっていましたね。(略)そういう老人はどこのホームも収容しないんですよ。とても手が足りませんからね。
昭子:それじゃ私はどうなるんでしょう。老人ホームでも引き取らない老人を私一人が面倒見るんでしょうか?
笈川:立花さん。老人性うつ病とは老人痴呆もそうなんですが、これは精神病なんです。
昭子:……精神病。。。
笈川:ええ、まあどうしても隔離なさりたいなら、今のところ精神病院しかないですねえ。

以上のセリフを見ると、介護保険制度ができる前には在宅ケアの選択肢が限られていた点を読み取れます。さらに、認知症になった高齢者の尊厳に配慮している印象は皆無であり、「認知症になった人=何も分からなくなった人」という前提で会話が進んでいる様子も看取できます。実際、映画では「もう生きててもしょうがないわね」という無思慮なセリフさえ別のシーンで出て来ます。

4――認知症が絡む殺人を裁く側も認知症ケアに悩む『半落ち』

その後、認知症を取り上げた映画が1980年代以降に増え始めます。例えば、本コラムの第1回で言及した1985年の『花いちもんめ』、さらに第24回に紹介した1986年製作の『人間の約束』が典型例です。2つの映画における認知症の人の描き方を見ると、前者では故郷の島根県に戻った認知症の男性(千秋実)が宍道湖に沈む夕日に感動する場面、後者では認知症の症状が出始める男性(三國連太郎)が記憶を失いつつある自分に不安といら立ちを感じるシーンがあり、「認知症の人=何も分からなくなった人」という認識が少し修正されていることに気付きます。

しかし、それでも認知症ケアに関する家族介護の負担に力点を置いている分、現在はBPSDと呼ばれている認知症の症状が強調されている感もあります。例えば、前者では夜中に一人歩きするシーン、後者ではごみを集める描写があります。

一方、1995年の映画『午後の遺言状』、1997年の映画『Going West 西へ』は「認知症の人=何も分からなくなった人」という前提で作られています。具体的には、前者は認知症になった元女優が将来を悲観した夫と心中する設定になっており、後者では認知症の高齢者(山村聰)が何も分からなくなった惨めな存在として描かれています。

これらの描写を見ると、「認知症=何も分からなくなった人」という認識で作られていると言わざるを得ません。実際、認知症という名称になったのは2004年以降であり、それ以前は侮蔑的な意味を込めた「痴呆」と呼ばれていたことを考えると、「認知症の人=何も分からなくなった人」という固定観念を引きずっていたと言えます。

その後、2004年製作の『半落ち』という映画では、認知症が絡む殺人事件がテーマとして取り上げられています。具体的には、妻の啓子(原田美枝子)を殺害した元警察官の梶聡一郎(寺尾聡)の謎を巡るストーリーです。この映画では、アルツハイマー型認知症になった啓子が自らを殺して欲しいと懇願し、聡一郎が「壊れ切ってしまう前に、啓子が啓子であるうちに死なせてやりたかった」と考えて啓子を殺してしまう重い展開が続いて行きます。

しかも、映画の後半では若手裁判官の藤林圭吾(吉岡秀隆)が梶を裁くべきか悩む際、彼と彼の家族が直面している認知症ケアの経験が判断に影響する設定になっています。例えば、同じく裁判官だった父の圭一(井川比佐志)がアルツハイマー型認知症になり、圭吾の妻の澄子(奥貫薫)が家族介護で苦労しており、圭吾は梶を裁くべきか否か悩む設定です。この映画を見ると、罪を犯した側も、裁く側も認知症ケアの苦労を共有している点で、観衆は「認知症は特別なことではない」という思いを持つに至り、その分だけ重々しいメッセージになっています。
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保険研究部   主任研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任

三原 岳 (みはら たかし)

研究・専門分野
医療・介護・福祉、政策過程論

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