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介護保険の2割負担拡大、相次ぐ先送りの経緯と背景は?-「改革工程」では2つの選択肢を提示、今後の方向性と論点を探る
保険研究部 上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任 三原 岳
7――物価上昇の影響をどう考えるか
改革工程に盛り込まれていない視点として、今後は物価上昇の影響を加味する必要があるだろう。物価が上昇すると、年金の物価スライドで高齢者の収入は自動的に増える。この結果、年金財政健全化のための調整(いわゆるマクロ経済スライド)が発動されたとしても、表1で示した2割負担、3割負担の所得基準を満たす高齢者が増える局面も予想される。
この場合、高齢者の実質収入が増えているわけではないので、2割負担あるいは3割負担の対象者を増やさないようにする上では、物価や年金支給額の上昇と連動させる形で、所得基準も動かすことが求められる。
逆に所得基準を動かさないまま、年金支給額が物価連動で上がった場合、自動的に2割負担、3割負担の対象者が拡大することになる。こうした点も今後の制度改正論議で念頭に置く必要がありそうだ。
インフレ対応に関して付言すると、介護現場の人手不足が一層、悪化する危険性がある。そもそもの問題として、介護現場の人材不足は常態化しており、人手不足感を尋ねた介護労働安定センターの調査に対し、「大いに不足」「不足」「やや不足」と答えた事業者は毎年、6割を超えている。さらに、介護事業所の収入は介護報酬で固定されており、コスト増を価格や利用者負担に転嫁できない。人員・施設も国の基準で一律に縛られており、自由度が極めて低く、報酬の単価や人員・施設基準は原則として3年に一度しか見直されない。
こうした状況で物価や他の産業の賃金が上がると、事業者とっては一種の逆ザヤとなるため、経営悪化の要因になり得るし、人材不足に拍車が掛かることになる。その結果、インフレが続けば後追い的に介護報酬を引き上げることが必要になる。
実際、別稿27で論じた通り、診療報酬・介護報酬の同時改定となった2024年度予算編成では、インフレ対応と人手確保のための財源措置が一つの焦点となった。結局、介護報酬の改定率は医療機関向け診療報酬本体(0.88%)を上回る1.59%の引き上げとなり、政府は処遇改善加算の組み換えなども加味すると、2024年度にベースアップ2.5%、2025年度に同2.0%を確保できると説明した。
しかし、介護職員の賃金は依然として全産業平均よりも下回っている点とか、インフレが続く可能性を考慮すると、これだけの対応で十分なのか、疑問である28。このため、次の次の改定に当たる2027年度を待たず、賃金引き上げに向けた報酬改定の機運が高まることが予想される。
27 インフレ対応の診療報酬・介護報酬改定については、2024年1月25日拙稿「2024年度の社会保障予算の内容と過程を問う(上)」を参照。なお、2024年1月に公表された介護報酬の新たな体系では、訪問介護の基本報酬が下げられた。厚生労働省は処遇改善加算の取得を通じて、最大24.5%の加算を得られると説明しているが、業界団体や現場の間で不満が渦巻いている。2023年2月22日『47 NEWS』配信記事、同月1日『朝日新聞デジタル』配信記事などを参照。介護報酬改定の動向や論点などは改めて取り上げる予定である。
28 付言すると、介護労働安定センターの調査では、介護職員が前職を辞めた理由として、「職場の人間関係」が毎年、トップに挙がっている。このため、給与引き上げだけでなく、風通しの良い職場づくりなども欠かせない。この点については、2022年2月28日拙稿「エッセンシャルワーカーの給与引き上げで何が変わるのか」を参照。
さらに、インフレ対応の一環として、要支援・要介護認定ごとに定められた区分支給限度基準額(以下、限度額)などの見直しも議論の俎上に上る可能性がある。限度額は7段階の要支援・要介護段階で定められており、限度額の範囲内であれば原則1割でサービスを利用できるが、限度額を超えると全額が自己負担になる仕組みとなっている。例えば、要介護1の場合、16,765単位(1単位は原則10円)と定められており、この単位の範囲内であれば、訪問介護などのサービスを原則として1割負担で受けられる。
ここで、もしインフレ対応で報酬単価を引き上げれば、同じサービスを利用しているだけでも、限度額を超える利用者が出て来る可能性が生まれる。現実には職員給与の引き上げに充てる「処遇改善加算」は限度額の外で対応しているため、処遇改善加算だけでインフレに対応すれば、限度額を見直す必要はないが、基本報酬を引き上げるのであれば、最終的に限度額の見直しに発展する可能性がある。つまり、1つのインフレ対応が別のインフレ対応を招くことになり、報酬改定や制度改正の論議が後追い的に求められる可能性がある。
付言すると、介護保険制度が2000年度に創設された後、一貫してデフレが続いていたため、インフレへの対応を意識する必要がなかった。実際、先に触れた限度額の単位数は制度発足後、消費増税の影響を除いて一度も見直されていない。しかし、今後は物価上昇に伴って、今まで想定していない事態に見舞われる可能性が高い。
一方、介護保険を取り巻く環境を考えると、ここで触れた2割負担の話とか、インフレ対応の制度改正だけに時間とリソースを費やす余裕はないように見受けられる。具体的には、制度創設時から比べると、単身世帯の増加など人口・世帯構造が大きく変化しており、家族による介護を以前よりも想定しにくくなっている。さらに、老齢人口の増加に伴って認知症の人が多くなる点を踏まえると、要支援・要介護認定の考え方自体を一度、見直す必要があるかもしれない。このほか、将来的な人材不足を意識すると、AI(人工知能)の導入やDX(デジタルトランスフォーメーション)を含めたテクノロジーの現場への実装も意識する必要がある29。
このように考えると、少なくとも2割負担の対象者引き上げの是非という同じテーマを議論し続けるような時間的な余裕はないことに気付かされる。筆者自身の意見としては、対象者拡大を実施するまたは実施しないの選択肢に関わらず、一刻も早く一応の結論を見出した上で、人材確保などの課題に対応する必要があると考えている。
付言すると、3年に一度の制度改正の見直しサイクルを一度、止めてでも制度改正の在り方を模索する必要があるかもしれない。筆者が見る限り、3年サイクルの制度改正に際して、老健局は新たな案件(霞が関では「弾」と称されることが多い)を探している印象を受けるが、少ない定員と市町村・企業の職員受け入れでやり繰りしている厳しい状況である。
さらに、その「弾」でさえ、最近は「小粒」の案件か、結論の先送りが相次いでいる。具体的には、3年前の2021年度改正では、全額を保険給付で賄っているケアマネジメント費の有料化30とか、要介護1~2の人の給付見直し31が浮上した。
しかし、結局は高額介護サービス費の見直しなどに留まり、「小粒」に終わった32。さらに、これらのテーマは2024年度制度改正でも議論の俎上に上ったが、本稿で述べた2割負担の対象者拡大と同様、次の次の制度改正まで結論が先送りされた。
このほか、2024年度制度改正では、通所介護(デイサービス)と訪問介護を組み合わせる新サービスを創設する話も浮上し、業界関係者の注目を浴びたが、2023年12月の社会保障審議会介護給付費分科会の取りまとめでは、「より効果的かつ効率的なサービスのあり方について、実証的な事業実施とその影響分析を含めて、更に検討を深めることとしてはどうか」という文言が入り、2024年度には導入されないことになった。
つまり、最近の制度改正論議では、同じようなテーマを繰り返し議論しているのに結論を見出せず、「小粒」の制度改正案件が積み重ねられている形だ(しかも、新サービスの創設見送りに代表されている通り、「小粒」な案件さえ実現できていない)。
一方、制度改正を現場で担う市町村や事業所も、国から間断なく示される通知やガイドラインに振り回されている結果、足元を見詰め直す余裕がないように見受けられる33。これでは人材不足やインフレなどを踏まえた介護の将来像を議論することは困難と言わざるを得ず、国・自治体ともに制度改正に振り回されている実情を改める必要がある。
29 この関係では近年、厚生労働省は「介護現場の生産性向上」を重視しており、自治体における相談窓口の設置やガイドラインの作成などに取り組んでいる。2024年度介護報酬改定でも、生産性向上の方策を職員同士で話し合う委員会の設置が事業所に義務付けられたほか、テクノロジー導入に関わる加算措置も設けられた。この点は稿を改めて取り上げる。
30 ここでは詳しく触れないが、介護保険サービスの仲介などを担うケアマネジメント費は全額、保険給付で賄われている。しかし、財務省は給付適正化の観点に立ち、利用者負担を徴収する制度改正を求めている。ケアマネジメント費の有料化を巡る論点に関しては、2022年9月28日拙稿「居宅介護支援費の有料化は是か非か」を参照。
31 ここでは詳しく触れないが、要支援者の訪問介護、通所介護を移行させた「介護予防・日常生活支援総合事業」(通称、総合事業)を要介護1~2に拡大する是非が浮上している。総合事業の論点については、2023年12月27日拙稿「介護軽度者向け総合事業のテコ入れ策はどこまで有効か?」を参照。
32 2021年度改正に関しては、2021年5月14日拙稿「2021年度介護報酬改定を読み解く」、2019年12月24日拙稿「『小粒』に終わる?次期介護保険制度改正」を参照。
33 市町村が制度改正への対応に疲弊している実情については、審議会報告書で多用されている「地域の実情」という言葉に着目したコラムの第1回で取り上げた。
8――おわりに
しかし、ここまで同じ案件が先送りされた挙句、最後は政治決着に委ねられた経緯は異例と指摘せざるを得ず、介護保険部会委員から「何のための審議会なのか」といった不満や批判が出るのも当然である。
一方、介護現場の人手不足は常態化しており、今後はインフレ対応で後追い的に制度改正に追われる可能性もある。さらに、人口・世帯構造の変化を踏まえた課題も山積しており、2割負担の問題を議論し続ける余裕はない。一刻も早く一旦、この問題にケリを付け、介護の将来像を模索することが求められる。
34 2023年12月20日、記者会見概要。厚生労働省ウエブサイトを参照。
(2024年03月01日「基礎研レポート」)
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- プロフィール
【職歴】
1995年4月~ 時事通信社
2011年4月~ 東京財団研究員
2017年10月~ ニッセイ基礎研究所
2023年7月から現職
【加入団体等】
・社会政策学会
・日本財政学会
・日本地方財政学会
・自治体学会
・日本ケアマネジメント学会
【講演等】
・経団連、経済同友会、日本商工会議所、財政制度等審議会、日本医師会、連合など多数
・藤田医科大学を中心とする厚生労働省の市町村人材育成プログラムの講師(2020年度~)
【主な著書・寄稿など】
・『必携自治体職員ハンドブック』公職研(2021年5月、共著)
・『地域医療は再生するか』医薬経済社(2020年11月)
・『医薬経済』に『現場が望む社会保障制度』を連載中(毎月)
・「障害者政策の変容と差別解消法の意義」「合理的配慮の考え方と決定過程」日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク編『トピック別 聴覚障害学生支援ガイド』(2017年3月、共著)
・「介護報酬複雑化の過程と問題点」『社会政策』(通巻第20号、2015年7月)ほか多数
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