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議員立法で進む認知症基本法を考える-人権規定やスティグマ解消に向けた視点が重要
保険研究部 上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任 三原 岳
最初に、元厚生労働省老健局長の宮島俊彦氏による独自案を見てみる。前文と全21条で構成する宮島氏の案は既に条文スタイルになっており、前文では認知症の人に対する尊厳、国民的な理解増進の必要性などを訴えている。具体的には、「認知症の人がかけがえのない個人として尊重され、安心して暮らせる社会を実現することは、国民すべての願いであるとともに、国の重要な責務である」とした上で、「認知症を正しく理解し、本人の視点を重視し、認知症の人と地域住民がともに築く共生社会の実現に努めなければならない」「これから迎える超高齢社会では、国民誰もが認知症になる可能性があり、その大きな不安のもととなっている」といった点を指摘している。
さらに、「私たちは認知症を何もわからなくなる病気と考え、徘徊や大声を出すなどの症状だけに目を向け、認知症の人の訴えを理解しようとするどころか、多くの場合、認知症の人を疎んじ、拘束するなど、不当な扱いをしてきた」という形で、従来の認知症ケアに対する反省がうたわれている。
ここで、宮島氏の案と公明党の骨子案と比べると、▽認知症の人の尊厳に関する言及、▽認知症の人の意見を政策決定過程に反映させる必要性、▽認知症施策に関する国や自治体、国民の責務規定、▽国、自治体による認知症施策推進計画の策定に関する規定、▽施策推進を進める国、自治体の合議制機関に関する規定、▽認知症の人に対する事業者の配慮に関する努力義務規定――といった点は共通しているが、幾つかの差異も見られる。下記では(1)法律の名称、(2)国民の責務規定、(3)都道府県への義務付け――という3点について比較を試みる。
6 認知症基本法を巡る議論については、『読売新聞』2018年3月6日、『週刊国保実務』2018年6月25日、2017年9月18日、『老年精神医学雑誌』第28巻 第12号に掲載された宮島氏による論考のほか、『公明』2018年7月号に掲載された古屋範子衆院議員と宮島氏の対談、『シルバー新報』2019年3月8日、『Senior Community』2019年1・2月号、『東京新聞』2019年1月15日、『日本経済新聞』2018年9月5日、『読売新聞』2018年5月18日、浅川澄一(2018)「待望の『認知症基本法』」骨子案を元厚労官僚・精神科医が危ぶむ理由」『ダイヤモンド・オンライン』2018年11月28日配信などを参照。
両者の間で大きな違いは法律の名称である。公明党骨子案は「認知症施策推進基本法」という名称だが、宮島氏の案は「認知症の人基本法」である。つまり、「施策」ではなく、「人」に力点を置いている。
その違いが端的に表れているのが基本理念の部分である。表4の通り、公明党の骨子案では「認知症施策」が主語となっているのに対し、宮島氏の案では3項目まで「認知症の人」を主語としていることに気付く。基本理念に関する全体の記述を見ても「(注:認知症の人による)自由な意思決定」「差別や偏見の除去」といった文言が入っている。
もちろん、骨子案でも認知症の人の「尊厳」という文言は目的や基本理念に盛り込まれているが、主語の違いは「誰のための基本法か」「認知症ケアの在り方を議論する際、何を重視するか」といった議論の出発点に関わる問題であり、決して軽視できない。筆者自身の意見としては宮島氏の案をベースに参考にしつつ、認知症に関する「施策」ではなく、認知症の「人」を中心とした法律にすべきと考えている。
さらに、国民の責務に関する規定も異なる。骨子案は「認知症の予防に必要な注意を払うよう努める」という文言が入っており、予防に言及している。この点については、2018年12月に設置された政府の認知症施策推進関係閣僚会議で「予防」の観点を含めて施策強化の必要性が論じられている点と符合している7。
これに対し、宮島氏の案は前文で「予防や治療が実現するように医学の進歩を推進することは、重要な課題」としつつも、国民の責務規定には「予防」の文字が見られない。その代わりに「国民の理解と責務」という条文の立て方で、国や自治体が「基本理念に関する国民の理解を深める施策を講じなければならない」としているほか、国民には共生社会の実現に寄与するよう努めなければならないとしている。
では、この違いをどう捉えるか。認知症の発生プロセスには依然として明らかになっていないことが多く、一層の研究開発が求められるのは事実である。しかし、先に触れた通り、基本法の重点を「施策」ではなく「人」に力点を置くのであれば、予防は後景に退くことになるし、誰もが認知症になる可能性がある以上、認知症の人を中心に「認知症になっても暮らしやすい社会」の実現に力点を置くのが至当と考える。
7 2018年12月25日に開催された第1回認知症施策推進関係閣僚会議議事録を参照。
都道府県に対する義務付けの規定も異なる。骨子案は「都道府県認知症施策推進計画」の策定を都道府県の努力義務にしているのに対し、宮島氏の案は計画を「策定しなければならない」と義務付け規定となっている。さらに、計画の重要事項を審議する合議制機関についても、骨子案は努力義務、宮島氏の案は義務規定となっている8。一方、市町村については、いずれの案も計画策定、合議制機関の設置について努力義務となっており、都道府県に対する義務付けの違いが浮き彫りになる。
この点について、近年に制定された他の基本法と比べると、骨子案の方が近年のスタンダードに近い。例えば、2014年6月に成立したアレルギー疾患対策基本法は都道府県計画について、「(注:都道府県は)策定することができる」という規定になっている。同じく2018年10月に施行されたギャンブル等依存症対策基本法も都道府県による計画策定について、「努めなければならない」という規定にとどまっている。
こうした努力義務は「国と地方が対等」という地方分権への配慮に基づき、自治体に対する義務付けを控えた結果だが、がん対策基本法は都道府県に対して基本計画の策定を義務付けており、自治体に対する義務付けの程度は政策的な判断に委ねられると言えるかもしれない。
8 合議制機関の名称について、骨子案は「都道府県認知症施策推進会議」となっているが、宮島氏の案は「審議会その他合議制の機関」という文言となっている。
実は、宮島氏の案と同じような指摘は認知症当事者からも示されている。認知症当事者によるJDWGは2019年1月、独自の提案9を行っており、その内容はシンプルかつ本質的な内容を含んでいる。具体的には、(1)法の名称を「認知症の人基本法」にする、(2)目的及び理念は、「認知症の人」を主語にする、(3)支援される一方ではなく、本人が共によりよく暮らすための条文が必要――といった内容である。
このうち、(1)は基本法の中心を「施策」ではなく、「人」に据えることを通じて、認知症になった人が当たり前に暮らすための権利に力点を置く必要性を指摘している。その上で、「社会に根強く残る偏見の解消が進み、すべての世代の人が希望をもって暮らしていくことができる」としている。
(2)に関しては、障害者の人権や尊厳を盛り込んだ障害者基本法や障害者権利条約を引き合いに出しつつ、「自分らしくあたりまえに生き生きと暮らし続けられること(権利があること)」を明記することを通じて、本人だけでなく、家族や社会の安心や活力を高め、施策が真に役立つように方向付けられるとしている。
(3)については、認知症になった人が外出や仕事、買物といった暮らしを続けられる社会環境の整備が重要と指摘し、そのことが本人だけでなく、家族や地域の負担、過剰な医療・介護の解消をもたらすとしている。このように見ると、当事者団体による提案も認知症の「施策」よりも、「人」に力点を置く必要性を強調するとともに、その際に障害者基本法との対比を通じて、認知症施策推進基本法の骨子案の足りない点を論じていることが分かる。
では、障害者基本法とは一体、どういう法律なのだろうか。以下、その対比を通じて、「人権に配慮した理念規定」「当事者の意見反映」という2つの点を浮き彫りにする。
9 詳細は2019年1月27日、JDWGウエブサイト「基本法案にむけた提案」を参照。
http://www.jdwg.org/statement/kihonhouteian/
1|人権に配慮した理念規定――改正障害者基本法との対比
障害者基本法が2011年8月に抜本改正されたのは、国連の障害者権利条約に対応するためだった。条約では障害に基づく差別の禁止、全ての障害者の人権と尊厳の確保などをうたっており、改正障害者基本法でも同じ趣旨の文言が多数盛り込まれた10。さらに、合理的配慮の提供を行政機関などに義務付けた障害者差別解消法が2016年4月に施行された11。
宮島氏や当事者団体の提案では、こうした改正障害者基本法の経緯を念頭に置きつつ、認知症の「人」の基本法の基本理念として、人権や尊厳を前面に掲げる必要性を指摘している。
10 条約は2006年12月に国連総会において採択された後、改正障害者基本法と障害者差別解消法の成立を受けて、日本政府は2014年1月20日に批准した。
11 合理的配慮の詳細は拙稿2018年3月23日レポート「『合理的配慮』はどこまで浸透したか」を参照。
https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=58221
さらに障害者基本法の改正プロセスでは、障害者の意見を積極的に取り入れた点も大きな特徴だった。障害者福祉の分野では“Nothing About Us Without Us”(私達のことを私達抜きに決めないで)という考え方が重視されており、国連障害者権利条約では当事者の意見を聞く会合が持たれたほか、日本の改正障害者基本法のプロセスでも当事者の意見を積極的に聞くアプローチが採用された。具体的には、2009年9月の政権交代を契機に、同年12月に設置された「障がい者制度改革推進会議」では障害当事者が委員の約半数を占め、当事者の意見に配慮しつつ、障害者基本法の改正を含む制度改正の議論が進んだ。
認知症ケアについても、当事者から「介護現場にいる方たち、重度の認知症の人たちをみている方たちは、認知症である本人の『私たち抜きに私たちのことを決めないで』という声をいつも意識していないと、自分たちが支えているのは誰の暮らしなのかという視点がぼやけてくると思います」12、「認知症とともに生きている私たちの主観的体験を考慮せずに、政策やプログラムやサービスについて、私たちのニーズに合ったよりよい設計はできるのでしょうか?」13といった指摘が国内外で示されている点を踏まえると、障害者基本法の改正プロセスは認知症の人に関する基本法でも参考になる。
実際、骨子案、宮島氏の独自案ともに当事者の意見を自治体の政策に反映させる必要性に言及している。3月2日のイベントでも60歳代の認知症男性当事者が発言した際、アメリカの社会学者を引き合いに出しつつ、医師などの専門職が認知症の人の生活をコントロールしかねない「専門家支配」14の危険性に言及していた。
さらに、筆者は基本法の役割として、「スティグマを生み出す偏見の解消」「コミュニティの取り組みを支援する視点」という2つの点が重要と考えている。以下、2点について私見を述べることにしたい15。
12 藤田和子(2017)『認知症になってもだいじょうぶ!』徳間書店p145。
13 Christine Bryden(2016)“Nothing about us, without us!”[馬籠久美子訳(2017)『認知症とともに生きる私』大月書店p78]。
14 Ivan Illich et.al(1977)”Disabling Professions”[尾崎浩訳(1984)『専門家時代の幻想』新評論p21]では、「新しい専門職は支配的、権威主義的、独占的で、法制化されて――同時に個人を無気力にし、事実上不能化する――、公衆の福祉を一手に占める排他的なエキスパートとなったのである」と指摘している。
15 ここでは詳しく述べないが「認知症の人の家族をどう位置付けるか」という論点も想定される。認知症の人の生きにくさを最も分かっている人は当事者自身であり、本人と家族では立場が異なる可能性に留意する必要がある。もちろん、介護の負担軽減を含めて、認知症の人を支える家族に対する配慮も大事な論点である。
(2019年03月26日「基礎研レポート」)
03-3512-1798
- プロフィール
【職歴】
1995年4月~ 時事通信社
2011年4月~ 東京財団研究員
2017年10月~ ニッセイ基礎研究所
2023年7月から現職
【加入団体等】
・社会政策学会
・日本財政学会
・日本地方財政学会
・自治体学会
・日本ケアマネジメント学会
【講演等】
・経団連、経済同友会、日本商工会議所、財政制度等審議会、日本医師会、連合など多数
・藤田医科大学を中心とする厚生労働省の市町村人材育成プログラムの講師(2020年度~)
【主な著書・寄稿など】
・『必携自治体職員ハンドブック』公職研(2021年5月、共著)
・『地域医療は再生するか』医薬経済社(2020年11月)
・『医薬経済』に『現場が望む社会保障制度』を連載中(毎月)
・「障害者政策の変容と差別解消法の意義」「合理的配慮の考え方と決定過程」日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク編『トピック別 聴覚障害学生支援ガイド』(2017年3月、共著)
・「介護報酬複雑化の過程と問題点」『社会政策』(通巻第20号、2015年7月)ほか多数
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