- シンクタンクならニッセイ基礎研究所 >
- 社会保障制度 >
- 社会保障全般・財源 >
- 社会保障から見たESGの論点と企業の役割(4)-高齢者や認知症ケアの官民連携で可能なことは?
社会保障から見たESGの論点と企業の役割(4)-高齢者や認知症ケアの官民連携で可能なことは?
保険研究部 上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任 三原 岳
5――高齢者や認知症の人の暮らしから発想していない?
しかし、そもそもの問題として、筆者は「自治体、企業ともに高齢者や認知症の人の暮らしから発想していないのでは」という感覚を持っています。
まず、自治体に関しては、筆者が藤田医科大学を中心とする人材育成プログラム12に関わる過程で、「多くの自治体が高齢者の暮らしを想像しないまま、施策を打っているのではないか」という印象を持っています。少し事例を挙げると、政府は2021年度の介護保険制度改正に際して、高齢者が気軽に運動などを楽しめる「通いの場」の充実を掲げるとともに、「保険者機能強化推進交付金」「保険者努力支援制度」という補助制度を通じて、市町村に対して通いの場の拡大を促しています。
さらに、厚生労働省は2019年3月、『これからの地域づくり戦略』という冊子を取りまとめ、高齢者が運動などで集まり(集い)、お互い様の気持ちを醸成(互い)し、住民や専門職、自治体職員が連携(知恵を出し合い)すれば、地域づくりが進むという考えを示しました13。
これに対し、自治体サイドは高齢者の暮らしや地域の現状を踏まえないまま、「通いの場を作ることが課題」と受け止めている感があります。余り実情を知らない方は「信じ難い」と思われるかもしれませんが、先に触れた藤田医科大を中心とする人材育成プログラムでは冒頭、筆者を含めた講師陣と、参加市町村の間で、こんなやりとりが多く交わされます(あくまでも「あるある」的な典型例です)。
市町村職員:ウチの地域には「通いの場」がありません。「通いの場」を作ることが課題です。
筆者を含む講師:「通いの場」が増えると、高齢者の暮らしは何が変わるんでしたっけ。
市町村職員:エーッと(絶句)……。
講師:お住まいの地域で高齢者はどんな風に暮らしているんでしょうか。午前中の図書館に行くと男性の高齢者が新聞を読みに来ていませんか。河川敷でミニゴルフや体操は盛んだったりしませんか。
市町村職員:ああ~、確かに。
講師:それも一種の通いの場だし、行政の知らないところで、地域には資源が多くあるんじゃないですか。そういった場も意識すると、ホントに「通いの場」が新たに求められるのか、立ち止まって考える必要があるのでは。
筆者自身、高齢者福祉に関して、住民の生活に最も身近な市町村の役割に大きな期待を持っているのですが、人材育成プログラムに関わっている範囲では、上記のようなやり取りが多く交わされるため、市町村職員が驚くほど高齢者の暮らしを知らないと感じています14。確かに保健師や社会福祉士などの自治体の専門職は日々、高齢者に接していますが、専門職が政策立案を主導するケースは多くないですし、逆に介護保険事業計画を策定する事務職はケアプラン(介護サービス計画)を見た経験さえない人も少なくありません。
こうした状況で、市町村は高齢者の暮らしをイメージせず、「事業」「制度」から物を発想する傾向があります。この傾向を筆者は「事業頭」「制度頭」と呼んでいます。自治体、特に福祉行政を司る市町村としては、専門職との対話や多職種連携会議の場、地域づくりなどを支援する「生活支援コーディネーター」との連携などを通じて、高齢者の暮らしを踏まえた政策立案づくりに努めて欲しいと思います。いくら官民連携の協定を結んでも、住民の生活に最も身近な市町村の職員が高齢者の暮らしを知らなければ、全ては画餅に帰します。
一方、企業にも似たような特徴があると感じています。事業や制度から施策を考える自治体の職員と同様、自らの商品やリソースから発想してしまう傾向です。もちろん、最終的な施策は制約条件に拘束されるのは当然ですが、高齢者の困り事から考えない限り、その発想や視野は狭くなります。
このため、企業も高齢者のニーズや困り事から対応策を検討し、例えば「既存の商品やリソースで対応できる部分から自治体、他の企業と連携して取り組みを広げる」「マネタイズできそうな案件はビジネスで、難しいケースは非営利での関与」といった形で、高齢者や認知症の人への対応を検討して欲しいと思います。そのことが結果的にESGの「S」への対応に通じると思います。
10 同上。有効回答は780市町村、複数回答可。
11 人材育成プログラムは厚生労働省の「老人保健健康増進等事業」で実施されている。詳細は藤田医科大のウエブサイトを参照。http://www.fujita-hu.ac.jp/~chuukaku/kyouikushien/kyouikushien-96009/index.html
12 『これからの地域づくり戦略』に対する筆者の見解に関しては、2019年7月16日拙稿「介護保険制度が直面する『2つの不足』(下)」を参照。地域づくりや通いの場を市町村が支援する難しさに関しても、2019年7月18日拙稿「映画『体操しようよ』で占う2021年度介護保険制度改正の動向」も参照。
13 この点は介護保険創設20年を期した連載コラム第13回でも論じた。
6――おわりに
しかし、官民連携を進めようとしても、企業、自治体ともに高齢者や認知症の人のニーズや困り事から発想しないと、有効な取り組みには繋がらないのではないでしょうか。現場の取り組みを実効的にしていく上では、事業や制度から発想する「事業頭」「制度頭」の脱却が求められると思います。
ESGの「S」から企業の役割を考える最終回の第5回は従業員の健康づくりに関して論じます。
このレポートの関連カテゴリ
03-3512-1798
- プロフィール
【職歴】
1995年4月~ 時事通信社
2011年4月~ 東京財団研究員
2017年10月~ ニッセイ基礎研究所
2023年7月から現職
【加入団体等】
・社会政策学会
・日本財政学会
・日本地方財政学会
・自治体学会
・日本ケアマネジメント学会
【講演等】
・経団連、経済同友会、日本商工会議所、財政制度等審議会、日本医師会、連合など多数
・藤田医科大学を中心とする厚生労働省の市町村人材育成プログラムの講師(2020年度~)
【主な著書・寄稿など】
・『必携自治体職員ハンドブック』公職研(2021年5月、共著)
・『地域医療は再生するか』医薬経済社(2020年11月)
・『医薬経済』に『現場が望む社会保障制度』を連載中(毎月)
・「障害者政策の変容と差別解消法の意義」「合理的配慮の考え方と決定過程」日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク編『トピック別 聴覚障害学生支援ガイド』(2017年3月、共著)
・「介護報酬複雑化の過程と問題点」『社会政策』(通巻第20号、2015年7月)ほか多数
(2022年07月01日「研究員の眼」)
関連レポート
- 社会保障から見たESGの論点と企業の役割(1)-福祉多元主義などで改めて幅広く考える
- 社会保障から見たESGの論点と企業の役割(2)-試金石となる?障害者の合理的配慮義務化に向けた対応
- 社会保障から見たESGの論点と企業の役割(3)-法定率のクリアだけで十分?障害者雇用を再考する
- AIオンデマンド乗合タクシーの成功の秘訣(上)~全国30地域に展開するアイシン「チョイソコ」の事例から
- AIオンデマンド乗合タクシーの成功の秘訣(中)~全国30地域に展開するアイシン「チョイソコ」の事例から
- AIオンデマンド乗合タクシーの成功の秘訣(下)~全国30地域に展開するアイシン「チョイソコ」の事例から
- AIオンデマンド乗合タクシーの成功の秘訣(総括編)~全国30地域に展開するアイシン「チョイソコ」の事例から
- 2020年ニッセイ基礎研シンポジウム 「「健康な社会」実現のために企業にできること」
- 自治体の認知症条例に何を期待できるか-当事者や幅広い関係者の参加、「予防」の記述配慮が必要
- 介護保険制度が直面する「2つの不足」(上)-3年に一度の見直し論議が本格化へ
公式SNSアカウント
新着レポートを随時お届け!日々の情報収集にぜひご活用ください。
新着記事
-
2024年03月29日
晩年に関する不安~老後とその先の不安には「近居」が“程よい距離感” -
2024年03月29日
急速に導入が進むインドの再生可能エネルギー~2030年の国際公約達成を狙える位置に -
2024年03月29日
身体活動基準2023~座位行動時間、筋トレに関する指針が追加 -
2024年03月29日
鉱工業生産24年2月-不正問題の影響で自動車生産が一段と落ち込む -
2024年03月29日
管理職志向が強いのはどんな女性か~「中高年女性会社員の管理職志向とキャリア意識等に関する調査~『一般職』に焦点をあてて~」より(6)
レポート紹介
-
研究領域
-
経済
-
金融・為替
-
資産運用・資産形成
-
年金
-
社会保障制度
-
保険
-
不動産
-
経営・ビジネス
-
暮らし
-
ジェロントロジー(高齢社会総合研究)
-
医療・介護・健康・ヘルスケア
-
政策提言
-
-
注目テーマ・キーワード
-
統計・指標・重要イベント
-
媒体
- アクセスランキング
お知らせ
-
2024年02月19日
News Release
-
2023年07月03日
News Release
-
2023年04月27日
News Release
【社会保障から見たESGの論点と企業の役割(4)-高齢者や認知症ケアの官民連携で可能なことは?】【シンクタンク】ニッセイ基礎研究所は、保険・年金・社会保障、経済・金融・不動産、暮らし・高齢社会、経営・ビジネスなどの各専門領域の研究員を抱え、様々な情報提供を行っています。
社会保障から見たESGの論点と企業の役割(4)-高齢者や認知症ケアの官民連携で可能なことは?のレポート Topへ