コラム
2022年07月01日

社会保障から見たESGの論点と企業の役割(4)-高齢者や認知症ケアの官民連携で可能なことは?

保険研究部 上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任 三原 岳

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5――高齢者や認知症の人の暮らしから発想していない?

もちろん、企業だけで高齢者や認知症の人のニーズや困り事を把握するのは困難なので、自治体と企業による官民連携の取り組みが重要になります。中でも、住民の暮らしに身近な市町村との連携がカギを握ることになり、先に触れた調査10では市町村サイドの課題として、「団体・企業と連携をすすめるためのノウハウがない」(60.1%)、「団体・企業側へのメリット作りが難しい」(45.8%)、「連携を推進する担当者を置く人的余裕がない」(40.4%)などの答えが寄せられています。

しかし、そもそもの問題として、筆者は「自治体、企業ともに高齢者や認知症の人の暮らしから発想していないのでは」という感覚を持っています。

まず、自治体に関しては、筆者が藤田医科大学を中心とする人材育成プログラム12に関わる過程で、「多くの自治体が高齢者の暮らしを想像しないまま、施策を打っているのではないか」という印象を持っています。少し事例を挙げると、政府は2021年度の介護保険制度改正に際して、高齢者が気軽に運動などを楽しめる「通いの場」の充実を掲げるとともに、「保険者機能強化推進交付金」「保険者努力支援制度」という補助制度を通じて、市町村に対して通いの場の拡大を促しています。

さらに、厚生労働省は2019年3月、『これからの地域づくり戦略』という冊子を取りまとめ、高齢者が運動などで集まり(集い)、お互い様の気持ちを醸成(互い)し、住民や専門職、自治体職員が連携(知恵を出し合い)すれば、地域づくりが進むという考えを示しました13

これに対し、自治体サイドは高齢者の暮らしや地域の現状を踏まえないまま、「通いの場を作ることが課題」と受け止めている感があります。余り実情を知らない方は「信じ難い」と思われるかもしれませんが、先に触れた藤田医科大を中心とする人材育成プログラムでは冒頭、筆者を含めた講師陣と、参加市町村の間で、こんなやりとりが多く交わされます(あくまでも「あるある」的な典型例です)。
 
市町村職員:ウチの地域には「通いの場」がありません。「通いの場」を作ることが課題です。
筆者を含む講師:「通いの場」が増えると、高齢者の暮らしは何が変わるんでしたっけ。
市町村職員:エーッと(絶句)……。
講師:お住まいの地域で高齢者はどんな風に暮らしているんでしょうか。午前中の図書館に行くと男性の高齢者が新聞を読みに来ていませんか。河川敷でミニゴルフや体操は盛んだったりしませんか。
市町村職員:ああ~、確かに。
講師:それも一種の通いの場だし、行政の知らないところで、地域には資源が多くあるんじゃないですか。そういった場も意識すると、ホントに「通いの場」が新たに求められるのか、立ち止まって考える必要があるのでは。

筆者自身、高齢者福祉に関して、住民の生活に最も身近な市町村の役割に大きな期待を持っているのですが、人材育成プログラムに関わっている範囲では、上記のようなやり取りが多く交わされるため、市町村職員が驚くほど高齢者の暮らしを知らないと感じています14。確かに保健師や社会福祉士などの自治体の専門職は日々、高齢者に接していますが、専門職が政策立案を主導するケースは多くないですし、逆に介護保険事業計画を策定する事務職はケアプラン(介護サービス計画)を見た経験さえない人も少なくありません。

こうした状況で、市町村は高齢者の暮らしをイメージせず、「事業」「制度」から物を発想する傾向があります。この傾向を筆者は「事業頭」「制度頭」と呼んでいます。自治体、特に福祉行政を司る市町村としては、専門職との対話や多職種連携会議の場、地域づくりなどを支援する「生活支援コーディネーター」との連携などを通じて、高齢者の暮らしを踏まえた政策立案づくりに努めて欲しいと思います。いくら官民連携の協定を結んでも、住民の生活に最も身近な市町村の職員が高齢者の暮らしを知らなければ、全ては画餅に帰します。

一方、企業にも似たような特徴があると感じています。事業や制度から施策を考える自治体の職員と同様、自らの商品やリソースから発想してしまう傾向です。もちろん、最終的な施策は制約条件に拘束されるのは当然ですが、高齢者の困り事から考えない限り、その発想や視野は狭くなります。

このため、企業も高齢者のニーズや困り事から対応策を検討し、例えば「既存の商品やリソースで対応できる部分から自治体、他の企業と連携して取り組みを広げる」「マネタイズできそうな案件はビジネスで、難しいケースは非営利での関与」といった形で、高齢者や認知症の人への対応を検討して欲しいと思います。そのことが結果的にESGの「S」への対応に通じると思います。
 
10 同上。有効回答は780市町村、複数回答可。
11 人材育成プログラムは厚生労働省の「老人保健健康増進等事業」で実施されている。詳細は藤田医科大のウエブサイトを参照。http://www.fujita-hu.ac.jp/~chuukaku/kyouikushien/kyouikushien-96009/index.html
12 『これからの地域づくり戦略』に対する筆者の見解に関しては、2019年7月16日拙稿「介護保険制度が直面する『2つの不足』(下)」を参照。地域づくりや通いの場を市町村が支援する難しさに関しても、2019年7月18日拙稿「映画『体操しようよ』で占う2021年度介護保険制度改正の動向」も参照。
13 この点は介護保険創設20年を期した連載コラム第13回でも論じた。

6――おわりに

ESGの「S」を社会保障政策・制度から考える第4回では、高齢者や認知症の人に対するケアという視点で、企業の役割を考察しました。ESGの考え方に沿って、企業が地域社会の構成員として思考、行動するのであれば、そこに暮らす高齢者や認知症の人は一種の「隣人」になり、高齢者や認知症の人の暮らしを支える上で、企業も重要な役割を持つことになります。

しかし、官民連携を進めようとしても、企業、自治体ともに高齢者や認知症の人のニーズや困り事から発想しないと、有効な取り組みには繋がらないのではないでしょうか。現場の取り組みを実効的にしていく上では、事業や制度から発想する「事業頭」「制度頭」の脱却が求められると思います。

ESGの「S」から企業の役割を考える最終回の第5回は従業員の健康づくりに関して論じます。
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保険研究部   上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任

三原 岳 (みはら たかし)

研究・専門分野
医療・介護・福祉、政策過程論

経歴
  • プロフィール
    【職歴】
     1995年4月~ 時事通信社
     2011年4月~ 東京財団研究員
     2017年10月~ ニッセイ基礎研究所
     2023年7月から現職

    【加入団体等】
    ・社会政策学会
    ・日本財政学会
    ・日本地方財政学会
    ・自治体学会
    ・日本ケアマネジメント学会

    【講演等】
    ・経団連、経済同友会、日本商工会議所、財政制度等審議会、日本医師会、連合など多数
    ・藤田医科大学を中心とする厚生労働省の市町村人材育成プログラムの講師(2020年度~)

    【主な著書・寄稿など】
    ・『必携自治体職員ハンドブック』公職研(2021年5月、共著)
    ・『地域医療は再生するか』医薬経済社(2020年11月)
    ・『医薬経済』に『現場が望む社会保障制度』を連載中(毎月)
    ・「障害者政策の変容と差別解消法の意義」「合理的配慮の考え方と決定過程」日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク編『トピック別 聴覚障害学生支援ガイド』(2017年3月、共著)
    ・「介護報酬複雑化の過程と問題点」『社会政策』(通巻第20号、2015年7月)ほか多数

(2022年07月01日「研究員の眼」)

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