コラム
2022年03月23日

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1――はじめに~ESGの論点と企業の役割を社会保障から再考する~

近年、企業経営や投資の世界で「ESG」 という言葉をよく目にします。これは「Environment(環境)」「Social(社会)」「Governance(ガバナンス)」の頭文字を取った言葉であり、持続可能な社会を実現する上での企業の役割、さらに企業の長期的な成長を実現する概念として注目されています。

その際、「Social(社会)」については、児童労働など人権問題がクローズアップされています。この点で日本企業の取り組みは遅れていると指摘されているので、喫緊の課題であると思います。

しかし、医療・介護を中心に社会保障政策・制度の動向に関心を持つ身として、筆者は「ESG」の「S」について、高齢者ケアや障害者への配慮なども含めて、もっと幅広く考える必要性も感じています。

本コラムでは社会保障のテーマから見た「ESG」の「S」を再考する試みとして、社会保障政策・制度における企業の役割を全5回で取り上げます。

第1回は少し理屈っぽい話になりますが、企業にも担い手としての役割を期待する「福祉多元主義」など過去の議論も踏まえつつ、社会保障政策・制度における企業の役割を構造的に再考します。第2回以降は高齢者ケアや障害者への配慮など個別テーマについて議論を進めます。

2――ESGと社会保障の関係についての私見

1|ESGの「S」、そして社会保障の関係
まず、ESGの「S(Social)」に含まれる社会的な課題を筆者なりに整理します。国連の「責任投資原則(PRI)」に従うと、ESGの「S」に関する分野として、労働環境、人権、地域社会、紛争、健康、安全、雇用・人材、ダイバーシティなどが挙がっており、そのテーマは多岐に渡っています。

これらの課題を社会保障政策・制度の文脈で置き換えると、児童労働の問題に限らず、労働安全環境の改善や健康経営1、障害者1への配慮や障害者雇用、地域社会への貢献、高齢者ケアへの参画、居住対策、子どもの貧困や社会的養護への対応、所得・健康格差対策、企業におけるメンタルヘルス対策、働き方改革や女性活躍への対応、性的マイノリティー(LGBTQ)への配慮、刑務所受刑者の社会復帰支援……などになります。

筆者は企業経営や投資の専門家ではありませんが、医療・介護を中心に社会保障政策・制度の動向をウオッチしている研究者として、ESGの「S」は社会保障制度・制度の議論で語られているテーマと重複している部分が大きいと考えています。
 
1 「健康経営」はNPO法人健康経営研究会の登録商標。
2 「障害」の「害」の字が近年、不快の念を与えるとして、「障がい」と言い換えるケースが増えているが、本コラムでは引用などのケースを除き、法令上の表記に従って、「障害」で統一する。
2|社会課題の解決手段はフォーマルサービスだけか
それでは、これらの社会課題を解決する際のツールは制度に基づくサービスだけなのでしょうか。例えば、地域で孤独を感じている高齢者に対するケアを考えると、孤立を生み出したり、孤独を感じたりしている要因として、「要介護状態になり、外出意欲を失った」「知人が亡くなったので、外出機会が減った」などの個人的な背景が想定されます。さらに、「家族や親戚との関係が悪くなった」「地域でトラブルを起こした」といった外部との関係性に起因した問題も考えられます。

こうした複雑な事例に関わる上では、個人の身体的、医学的な問題の解消に加えて、若い頃の仕事や趣味などの話題で対話の糸口を探りつつ、外出する気持ちを高めるような工夫が求められるほか、家族や親戚、隣人との付き合いの再構築とか、外出機会を増やす場づくりも検討する必要があります。

一例として、孤立している高齢者がカラオケや麻雀、スポーツなどを好む場合、知り合いや同じ趣味の高齢者を集めたミニ会合をセットすることも考えられます。日常的な見守りという点では、生活に密着している新聞販売店やスーパー、飲食店、商店街、コンビニエンスストアなども重要な情報源になるかもしれません。

こうした関与の手法は一般的に「ソーシャルワーク」と呼ばれます3。つまり、本人の普通の暮らしを取り戻す、あるいは維持する上では、医療や介護など制度のサービスによるサポートだけではなく、制度に位置付けられていないリソースも活用しつつ、支援を必要とする個人と、周りを取り巻く地域や環境に同時に関わる方法です。

その際には、先の例で挙げたカラオケボックスや雀荘を含め、企業が提供している商品やサービスも含まれる可能性があります。言い換えると、税金や保険料を用いた制度のサービスだけでは孤立・孤独対策を語れないし、企業の立場で考えると、社会との接点を持ってビジネスを展開する以上、ESGの「S」に通じる社会課題と必ず関係していると言えます。

なお、本コラムでは訪問介護など制度に位置付けられたサービスを「フォーマルサービス」、地域の支え合いや公民館、図書館、企業のサービスなど制度に基づかないサービスを「インフォーマルケア」と呼びます。
 
3 ここでは、岩間伸之ほか(2019)『地域を基盤としたソーシャルワーク』中央法規出版に沿って、ソーシャルワークを「個を地域で支える援助と、個を支える地域を作る援助を一体的に推進すること」と定義する。
3|政府の資料における言及
これは別に筆者の思い付きや独り善がりの意見ではなく、政府の資料でも同様の視点が言及されています。例えば、厚生労働省が2019年3月に策定した「これからの地域づくり戦略」を見ると、高齢者の生活支援に寄与するサービスを展開する民間企業と連携する愛知県豊明市の事例とか、商業施設での介護予防教室などに取り組む山口県防府市の事例が紹介されています。

実際、高齢者が集まるのは自治体主導のフォーマルケアとは限らないので、企業が店舗の一角や空きオフィスを通いの場や体操教室、認知症カフェなどの場として、自治体やNPO(民間非営利団体)に定期的に開放するなど、インフォーマルケアで企業が役割を果たせるかもしれません。

さらに、2021年12月に決まった政府の「孤独・孤立対策の重点計画」でも、企業に関係する話として、▽離職などに起因する心の健康保持増進を目指した介入のエビデンス構築、▽就職氷河期世代の活躍機会を増やすための助成、▽刑務所を出所した受刑者を受け入れる企業への助成――といった施策が盛り込まれています。これらの課題は全て社会的な課題であり、ESGの「S」に繋がるテーマと言えます。

3――福祉多元主義や社会的企業の議論

1|ペストフの三角形による整理
実は、企業にも社会保障の担い手を期待する考え方は以前からありました。こうした考え方は一般的に「福祉多元主義」(あるいは福祉ミックス)と呼ばれています4。この概念について、構造的に整理したのが図であり、図を考案した学者に由来し、「ペストフの三角形」と呼ばれています5
図:福祉多元主義を示す「ペストフの三角形」
以下、図をベースに議論を進めると、上に「国家」(公共機関)、左側に「コミュニティ」(世帯・家族など)、右側に「市場」(民間企業)が位置しており、それぞれのカバー範囲が「公式か非公式か」「営利か非営利か」「公共か民間か」に分類されている様子を見て取れます。

本コラムの言葉遣いで言うと、右側の「市場」(民間企業)は企業、「公式」はフォーマル、「非公式」はインフォーマルケアなので、以下は言葉を置き替えて議論を進めます。

その上で、細かく見ると、上側の国家は原則として国や自治体によるフォーマルケアになります。一方、左側のコミュニティ、右側の企業は両方とも基本的に民間の領域であり、前者の多くの部分はインフォーマル、後者の大部分は営利に位置しています。近年、重視されている社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)に基づく支え合いは左側のコミュニティに位置していると言っていいと思います。

しかし、それぞれの役割は固定的ではありません。例えば、左側のコミュニティ領域では、ボランティア組織がNPO(民間非営利団体)などの法人格を取得し、介護保険事業所の指定を受ければ、フォーマルケアの担い手になることも可能です。

右側の企業についても、社会貢献活動などを通じて、非営利のインフォーマルケアに関与できるし、介護保険事業所などの指定を取れば、フォーマルケアにも参入できます。実際、2000年に介護保険がスタートする際、在宅サービスの分野で営利を目的とした企業の参入が認められており、2020年時点の「介護サービス施設・事業所調査」では、「営利法人(会社)」のシェアは訪問介護で69.8%、通所介護(デイサービス)で70.2%に及んでいます。

このほか、国や自治体の事業体が民営化あるいは民間委託されれば、上の国家(公共機関)から右の市場(民間企業)に動くことになります。

さらに、民間と営利の範疇でも、企業の関与できる余地は大きいと思われます。例えば、先に触れた孤独を感じている高齢者の事例で見た通り、高齢者や障害者などが顧客になる場合、企業の商品やサービスは生活支援の側面を持ちます。福利厚生や企業福祉の観点で実施されている従業員の安全衛生対策とか、健康診断、さらに健康経営のような取り組みについても、民間、営利の範疇に含まれるかもしれません。

どちらかと言うと、ペストフの関心事はコミュニティとか、サードセクター6と呼ばれている中央の円、協同組合的な組織にあるのですが、以上のように幅広く考えると、企業の役割やカバー範囲は様々な場面で変わり得るし、「福祉サービスは官だけの役割」「民は補完」などと固定的に考える必要はないことになります。

言い換えると、それだけ企業は多くの社会的課題に接しており、ESGの「S」に関しても、それぞれの企業が置かれた状況などに応じて、幅広く考える必要があるのではないでしょうか。
 
4 ここでは詳しく触れないが、計画経済的な社会福祉の世界に市場機能を導入している点で、「準市場」(Quasi-Market)と呼ばれることもある。準市場と介護保険の関係性については、介護保険20年を期した拙稿の連載コラム「20年を迎えた介護保険の再考」の第6回第16回も参照。
5 Victor A.Pestoff(1998)“Beyond the Market and State”[藤田暁男ほか訳(2000)『福祉社会と市民民主主義』日本経済評論社]を参照。
6 訳本は「第3セクター」という言葉を用いているが、日本語では官民の共同出資による企業を指すことが多いため、ここでは「サードセクター」という言葉を充てた。
2|社会的企業の議論
さらに、企業による社会貢献に着目する考え方は以前から論じられていました。その一例として、CSR(社会的責任、Corporate Social Responsibility)、「社会的企業」(Social enterprise)が挙げられます7

このうち、社会的企業に関しては、日本では制度的な定義が曖昧であり、広範な議論が展開されて来た経緯があります。実際、CiNii(NII学術情報ナビゲータ)で「社会的企業」と入力すると、900件を超える論文がヒットしますし、国立国会図書館ウエブサイトの検索でも1,200件近い論文や報告書、雑誌のタイトルが出て来ます。

これらの全てを挙げる紙幅はありませんが、社会的企業に関する議論の内容を大別すると、幾つかの類型化が可能と感じています。例えば、政府と市場の間に位置する「サードセクター」で活躍する企業を認定する一部の欧州諸国の動向を参考にしつつ、日本でも協同組合などを社会的企業の担い手として期待する議論です8

さらに、CSRに取り組む企業を社会的企業と見なす意見に加えて、「社会的起業」「コミュニティビジネス」「ソーシャルビジネス」などの言葉遣いに代表される通り、ベンチャー企業の育成、地域雇用の受け皿となるビジネスの拡大、社会課題を解決する企業の育成、財政的自立を目指すNPOの収益事業拡大、SRI(Socially Responsible Investment、社会的責任投資)の拡大といった文脈でも、社会的企業の重要性が論じられてきた経緯があります。

これらの議論も企業の社会性に注目したり、社会課題に取り組む点に期待したりしている点では、ESGの「S」と共通している部分が多いと考えています。
 
7 CSRや社会的企業に関する先行研究や文献は枚挙に暇がないが、ここでは米澤旦(2017)『社会的企業への新しい見方』ミネルヴァ書房、塚本一郎ほか編著(2016)『ソーシャル・インパクト・ボンドとは何か』ミネルヴァ書房、同編著(2012)『社会貢献によるビジネス・イノベーション』丸善、同(2008)『ソーシャル・エンタープライズ』丸善、牧里毎治監修(2015)『これからの社会的企業に求められるものは何か』ミネルヴァ書房、山本隆(2014)『社会的企業論』法律文化社、藤井敦史ほか編著(2013)『闘う社会的企業』勁草書房、田中弥生(2011)『市民社会政策論』明石書店、岩井克人(2009)『会社はこれからどうなるのか』平凡社ライブラリー、同(2005)『会社はだれのものか』平凡社、谷本寛治編著(2006)『ソーシャル・エンタープライズ』中央経済社、Carlo Borzaga et.al(2001)”The Emergence of Social Enterprise”[内山哲朗ほか訳(2004)『社会的企業』日本経済評論社]、Victor A.Pestoff(1998)“Beyond the Market and State”[藤田暁男ほか訳(2000]『福祉社会と市民民主主義』日本経済評論社]などを参照。さらに、2018年8月のPHP総合研究所研究報告「企業は社会の公器」、2015年3月の三菱UFJリサーチ&コンサルティング「我が国における社会的企業の活動規模に関する調査」(内閣府委託調査)なども参照。
8 この関係では、出資・経営・労働を一体化する協同労働の組織に法人格を与える労働者協同組合法が2020年12月に制定された。

4――日本の企業の強みと弱み

では、こうした観点で見ると、日本の企業はどういう状況でしょうか。日本の企業の多くは長期雇用、年功序列、企業別労働組合、新規一括採用などの慣行で運営されており、企業と従業員が共同体を構成する「メンバーシップ」のような状態になっているとして、労働政策の研究では「メンバーシップ型雇用」と呼ぶ向きがあります9

こうした組織は社会から独立して存在できる強さを持っており、人的資本の蓄積が進みやすい長所を持っている反面、社会との乖離が起きやすい弱みを持っているように感じられます。分かりやすい言葉で言うと、「企業の常識が世間の非常識」「世間の常識が企業の非常識」といった乖離が起きやすいリスクです。

その結果、企業が何か社会的な課題に対応しようとする際、困り事を抱えている人の暮らしから発想するのではなく、既存の商品やサービス、リソースなど企業の都合から考えてしまう傾向があると思います10

例えば、高齢者支援や社会貢献などに関して、自治体と連携協定を結んでいる企業が増えていますが、どこまで高齢者や住民の暮らしから発想しているでしょうか。

もちろん、予算・人員の制約条件を考えると、最終的な「打ち手」は既存の商品やサービス、リソースの範囲内で対応することになるし、企業として営利性を追求する必要もあるわけですが、その先の高齢者や障害者、住民などの暮らしや困り事から想像しないと、有効な打ち手にたどり着かないと思います。

この点に関して、障害者福祉の世界では、「我々のことを我々抜きで決めるな(Nothing About Us Without Us)」という原則が早い段階から定着し、障害者政策の検討、近年は認知症施策の検討で当事者の参画が強く意識されています。ESGの「S」を幅広く検討する上でも、同じ原則が当てはまるのではないでしょうか。
 
9 浜口桂一郎(2009)『新しい労働社会』岩波新書を参照。
10 この点は2020年10月開催の基礎研シンポ「『健康な社会』実現のために企業にできること」でも議論になった。

5――おわりに

今回はESGのうち、「S(Social)」について、社会保障政策・制度から企業の役割を再考しました。「S」の対象範囲は広範であり、社会保障政策・制度に関心を持つ身としては、もっと幅広く企業の役割を「S」の文脈で捉えてもいいと感じています。

ただ、メンバーシップ型雇用の下、社会からの独立性が高い日本の企業にとっては不得意なことかもしれません。もちろん、営利を目的とする企業の限界があるわけですが、広範な「S」の課題に対応する上では、供給者の目線で考えるだけでなく、高齢者や障害者の生活、困り事などから発想して欲しいと思います。

余り概念的な話をこねくり回しても仕方がないので、次回以降は実際の社会課題について考えてみたいと思います。次回は2024年6月までに施行される改正障害者差別解消法における企業の役割を論じます。
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保険研究部   上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任

三原 岳 (みはら たかし)

研究・専門分野
医療・介護・福祉、政策過程論

経歴
  • プロフィール
    【職歴】
     1995年4月~ 時事通信社
     2011年4月~ 東京財団研究員
     2017年10月~ ニッセイ基礎研究所
     2023年7月から現職

    【加入団体等】
    ・社会政策学会
    ・日本財政学会
    ・日本地方財政学会
    ・自治体学会
    ・日本ケアマネジメント学会

    【講演等】
    ・経団連、経済同友会、日本商工会議所、財政制度等審議会、日本医師会、連合など多数
    ・藤田医科大学を中心とする厚生労働省の市町村人材育成プログラムの講師(2020年度~)

    【主な著書・寄稿など】
    ・『必携自治体職員ハンドブック』公職研(2021年5月、共著)
    ・『地域医療は再生するか』医薬経済社(2020年11月)
    ・『医薬経済』に『現場が望む社会保障制度』を連載中(毎月)
    ・「障害者政策の変容と差別解消法の意義」「合理的配慮の考え方と決定過程」日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク編『トピック別 聴覚障害学生支援ガイド』(2017年3月、共著)
    ・「介護報酬複雑化の過程と問題点」『社会政策』(通巻第20号、2015年7月)ほか多数

(2022年03月23日「研究員の眼」)

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