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エッセンシャルワーカーの給与引き上げで何が変わるのか-介護現場では現場の経営改善なども重要に

保険研究部 上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任 三原 岳
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8――給与引き上げ策をどう考えるか
ただ、その場合でも財源確保が求められる。例えば、経済対策による2022年9月までの対応は原則として国の補助金を財源としているが、いくら「国が支援」「公費(税金)で対応」と言っても、最終的には国民の負担、赤字国債や赤字地方債を財源とする場合は将来世代の負担に跳ね返る。
さらに介護報酬の引き上げを通じて、介護職の給与を引き上げる場合、財源の50%に相当する国と自治体の公費(税金)を確保する必要があるほか、23%を占める65歳以上高齢者の保険料、27%を負担する40歳以上64歳未満の保険料、さらに原則1割の自己負担の引き上げ要因となる。
しかし、65歳以上の月額介護保険料(基準額)が全国平均で6,014円に及んでいる点、さらに介護保険料が天引きされる基礎年金の平均支給額が約5万円である点を踏まえると、それほど保険料の引き上げ余地が残っているわけではない。
このほか、看護職員の給与引き上げを診療報酬でカバーしても、その負担は国・自治体の公費(税金)、本人や事業者が支払う保険料、患者の自己負担に跳ね返る。保育士、幼稚園教諭の給与引き上げに関しては、原則として国や自治体の公費(税金)で確保されており、やはり税負担の増加に繋がる。このため、税制改革などを通じて財源を確保する過程で、給与を少しずつ引き上げる現在の方法が継続することが次善の策と言えそうだ。
その一方、これまで述べた通り、給与引き上げ以外でも論点は多い。以下、対応が先行した介護分野を主に意識しつつ、給与引き上げ以外に必要な方策として、「現場の経営改善」「タスクシフト」「制度の簡素化」の3点を指摘する。
9――給与引き上げ以外に必要な方策
第1に、現場の経営改善である。介護職の離職原因に「人間関係」が多く挙がっている点を考えると、給与を引き上げるだけでは、その効果が薄れる危険性がある。
このため、働きやすい職場づくりやキャリアアップコースの確立などの経営改革が必要となる。例えば、経営理念の明確化や定期的な人事面談、職員同士のコミュニケーションの活性化、成果に応じたボーナスの支払いなどが想定される。さらに介護に関しては、▽腰痛を理由に退職する介護職員も少なくないため、腰に負担が掛からない介護技術の普及、▽介護施設に入居する高齢者の重度化が進んでいる点に鑑み、認知症や看取りに関する研修機会の確保――なども求められる。
その際には2022年度からスタートする「社会福祉連携推進法人」の活用も考えられる。この仕組みでは、社会福祉法人が「連携以上、統合未満」のような形で連携しつつ、福祉人材の確保や職員の相互派遣、共同購入や研修の共同化などに取り組むことが想定されており、経営改善に繋がる可能性がある。
このほか、DX(Digital Transformation、デジタルトランスフォーメーション)の推進やICT技術の導入、介護ロボットの導入なども論点となる。例えば、介護職員が日常的に把握しているバイタルサイン(呼吸、体温、血圧、脈拍など)や生活記録、援助時間、利用者の状態といった記録を紙ベースではなく、デジタル化していけば、事務負担の軽減とか、関係職員との円滑な情報共有が可能になるし、高齢者や家族との意思疎通も図りやすくなるかもしれない。
なお、DX化やデジタル化の関係では、データに基づく介護を目指す「科学的介護」が2021年度以降、本格的に始まっている。具体的には、国が「LIFE(科学的介護情報システム、Long-term care Information system For Evidence)」というデータベースを構築するとともに、「科学的介護推進体制加算」などの取得条件として、LIFEへのデータ提出を介護事業者に課すことで、エビデンス(証拠)に基づく介護が目指されている。
しかし、データ収集が目的化した感があり、現場との意思疎通が十分とは言えない12。実際、現場ではデータ入力の負担感が課題となっており、「やらされLIFE」といった揶揄も聞かれるほどである。厚生労働省は2022年度、科学的介護の好事例収集などに取り組むとしているが、現場との対話やDX化の支援などを通じて、現場の負担を減らす議論も必要であろう。
12 科学的介護に関しては、2021年9月15日拙稿「科学的介護を巡る『モヤモヤ』の原因を探る」を参照。
第2に、タスクシフトや仕事の切り出しの発想である。医師の働き方改革や薬剤師業務の見直しでは現在、専門職の権限を他の職種に移譲する「タスクシフト」が重視されている13。さらに、▽一定の条件の下、医師の指示を待たずに点滴や床ずれなどを処置できる「診療看護師」(ナースプラクティショナー)を創設した2015年の制度改正、▽介護福祉士や一定の研修を受けた介護職員が一定の条件の下、たんの吸引などの行為を実施できるようにする2012年の制度改正――なども実施されているが、それ以外でも看護師や介護・福祉職が現場で判断できる裁量を広げるような制度改正を想定できる。
さらに、非専門職に仕事を移譲しやすくする仕事の切り出しを図る必要もある。例えば、介護現場では現在、高齢者や子育て中の女性など、非正規雇用の労働者が高齢者の見守りなどの業務に従事しており、正規雇用の労働者の負担を軽減できている面がある。このため、今後も慢性化する人手不足の解消を図る上では、非専門職を含めて多様な人材を受け入れる体制整備が必要になる。
確かに介護・福祉職が高齢者や障害者と接する際、家事を支援したり、コミュニケーションを取ったりしつつ、その人の状態を把握しているため、生活援助と身体介助の切り離しなど、仕事の切り出しが難しい面もある。しかし、それでも多様な人材を受け入れる上では、業務内容や範囲、必要なスキルなどを示す「ジョブディスクリプション」の明確化、さらに必要に応じた仕事の切り出しを図ることが求められる。
13 医師の働き方改革に関しては、2021年6月22日拙稿「医師の働き方改革は医療制度にどんな影響を与えるか」、薬剤師の業務見直しについては、2021年10月15日拙稿「かかりつけ薬剤師・薬局はどこまで医療現場を変えるか」を参照。
第3に、制度の簡素化である14。対応が先行した介護分野で言うと、職員給与引き上げの加算制度は改変を重ねる過程で図4の通りに複雑化している。それでも2021年度改定で一部の加算が廃止されるなど簡素化の努力がなされたが、岸田政権の給与引き上げ方針を受けて、制度が再び複雑化した。
しかし、介護現場では請求書の作成など事務負担が重荷になっており、片方で進められている現場の文書量削減方針と相反する結果になっている。このため、要件の見直しや加算の統廃合など制度の簡素化は常に意識する必要がある。
14 制度の簡素化の必要性に関しては、介護保険20年を期した拙稿の連載コラムの第23回を参照。
10――おわりに
つまり、国会では同じような議論が15年ぐらい続いていることになり、それだけ介護・福祉現場の人手不足が深刻化していることの証と言えるかもしれない。実際、2012年度報酬改定で「例外的かつ経過的な取り扱い」とされた介護職員の処遇改善加算が拡充、強化されつつ、10年以上も続いている点は問題の深刻さを物語っており、全ての課題を一気に解決するような「クリーンヒット」は存在しない。給与引き上げに伴う財源確保の必要性や本稿で指摘した「矛盾」などを考えると、現場への影響を見つつ、少しずつ給与を改善して行くのがベターな解決策と言えそうだ。
一方、政界の関心事が「給与引き上げ」という分かりやすい議論に傾いている感も否めない。今回の引き上げも岸田政権の発足とともに争点となったし、その対象は看護職や幼稚園教諭にまで広がった。しかも、今もなお残る介護職や保育士の給与格差や今後の生産年齢人口の減少などを考えると、恐らく同じような展開は今後も形を変えつつ続くことが予想される。
しかし、本稿で繰り返し述べた通り、給与引き上げだけが現場の課題を解決する方法ではない。段階的な給与引き上げ措置とともに、経営理念の明確化とか、働きやすい職場づくり、社会福祉連携推進法人制度やICTの活用、タスクシフトの推進なども併せて推進、検討する必要がある。
15 2008年4月9日、第169回国会衆議院厚生労働委員会における三井辨雄衆院議員の発言。
(2022年02月28日「基礎研レポート」)
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03-3512-1798
- プロフィール
【職歴】
1995年4月~ 時事通信社
2011年4月~ 東京財団研究員
2017年10月~ ニッセイ基礎研究所
2023年7月から現職
【加入団体等】
・社会政策学会
・日本財政学会
・日本地方財政学会
・自治体学会
・日本ケアマネジメント学会
【講演等】
・経団連、経済同友会、日本商工会議所、財政制度等審議会、日本医師会、連合など多数
・藤田医科大学を中心とする厚生労働省の市町村人材育成プログラムの講師(2020年度~)
【主な著書・寄稿など】
・『必携自治体職員ハンドブック』公職研(2021年5月、共著)
・『地域医療は再生するか』医薬経済社(2020年11月)
・『医薬経済』に『現場が望む社会保障制度』を連載中(毎月)
・「障害者政策の変容と差別解消法の意義」「合理的配慮の考え方と決定過程」日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク編『トピック別 聴覚障害学生支援ガイド』(2017年3月、共著)
・「介護報酬複雑化の過程と問題点」『社会政策』(通巻第20号、2015年7月)ほか多数
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