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エッセンシャルワーカーの給与引き上げで何が変わるのか-介護現場では現場の経営改善なども重要に
保険研究部 上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任 三原 岳
5――介護職の給与引き上げ方法
今回の給与引き上げ措置を反映した制度のイメージは図4の通りであり、2012年度改定以降、段階的に給与を引き上げる過程で、「老舗の温泉旅館の建て増し」のように改廃を積み重ねた結果、かなり制度が複雑になっている様子を確認できる。
ここに今回の給与引き上げに伴う新加算が加わる予定であり、介護職員処遇改善加算の(I)~(III)に9,000円が上乗せされる。さらに、2022年10月以降の報酬改定に関しても、新しい加算が引き継がれる方向となっている(図4の赤い部分)。
ただ、給与引き上げで生じる「矛盾」にも気を配る必要がある。以下、対応が先行した介護分野を主に意識しつつ、「職種ごとに格差が生まれる危険性」「民間給与との裁定に伴って人手不足が深刻化する可能性」「生計維持者ではない労働者の存在」「事業者に対する国家統制の強化」という4つの点を指摘する。
6 介護職の給与改善や人手不足を巡る論点については、介護保険20年を期した拙稿の連載コラムの第20回を参照。さらに、2021年7月6日拙稿「20年を迎えた介護保険の足取りを振り返る」、2019年7月5日拙稿「介護保険制度が直面する『2つの不足』」(全2回、リンク先は第1回)を参照。
6――給与引き上げに伴う「矛盾」
第1に、職種ごとの格差が生まれる危険性である。例えば、看護職員の給与引き上げについては、対象となる医療機関は「一定の救急医療を担う医療機関(救急医療管理加算を算定する救急搬送件数200台/年以上の医療機関、3次救急を担う医療機関)」と定められており、それ以外の医療機関は対象外である。さらに新型コロナウイルスへの対応に関しては、陽性者数の増加などで保健所の業務逼迫が指摘されているにもかかわらず、保健所で勤務する保健師への手当はなされていない。
介護職員の処遇改善に関しても、サービスの種類ごとに加算率が設定されており、訪問介護や夜間対応型訪問介護、定期巡回・随時対応型訪問介護看護、認知症対応型共同生活介護(グループホーム)、認知症対応型通所介護のサービスについては、加算率が高く設定される一方、訪問看護、訪問リハビリテーション、ケアプラン(介護サービス計画)を策定する居宅介護支援などは加算の対象外となっている。
確かに給与引き上げに使える財源が限られている以上、メリハリが付くのは止む得ないとはいえ、こうした対応は対象から外れた業界、職種からの不満が強まる危険性を伴う。実際、そうした声は現場サイドから出ており、日本病院会会長の相澤孝夫氏は2022年1月の記者会見で、看護職員の処遇改善に関する国の補助金が薬剤師や受付などの事務職を対象外としている点に関して、「看護職員だけ賃金を上げることはできない」「介護施設が介護職員だけ賃金を上げたら他の職員の反発がものすごく強く、そのため他の職員も上げざるを得なかった」と述べた7。
さらに、居宅介護支援に当たるケアマネジャー(介護支援専門員)の全国組織である日本介護支援専門員協会は2021年11月、「業務に見合う処遇の問題が放置されれば、介護支援専門員及び主任介護支援専門員の人員確保、さらに優秀な人材の確保は困難になる」という要望書を後藤茂之厚生労働相に提出している8。
7 2022年1月11日の記者会見における発言。同日配信の『m3.com』を参照。
8 2021年11月18日、日本介護支援専門員協会「介護職等の公的価格評価検討対象職種への追加要望について」。
第2に、民間給与との裁定に伴って人手不足が深刻化する可能性である。介護職に関する労働市場では、全体の失業率が下がると、全体の有効求人倍率の伸びを大幅に上回る形で、介護関係職の有効求人倍率が伸びる傾向が以前から見られる。
こうした現象が生まれる一因として、介護労働市場の特性が指摘されている9。具体的には、通常の労働市場の場合、人手不足の局面では労働力に対する需要が高まる分、賃金が上向くなど市場メカニズムによる裁定が働く。これに対し、介護サービスの単価は公定価格である介護報酬で決められているため、市場メカニズムの裁定が機能しにくい。つまり、人手不足で他の産業の賃金が上がっても、政府がコントロールしている介護市場の給与引き上げは遅れがちになるため、介護現場における人手不足感が高まりやすい構造を有している。
こうした状況を踏まえると、岸田首相が考える「新しい資本主義」の下、公定価格でコントロールされるエッセンシャルワーカーの給与引き上げが民間給与に波及すると、今度は介護・福祉業界が人手不足になる可能性がある。実際にこうした状況になるのか、現時点で見通すのは困難だが、その場合には介護職の給与を再度引き上げるなど、新たな対策を迫られるかもしれない。
9 花岡智恵(2015)「介護労働力不足はなぜ生じているのか」『日本労働研究雑誌』No.658。
第3に、介護現場における生計維持者ではない労働者の存在である。介護労働安定センターの2020年度調査(有効回答者数は22,154人)を見ると、生計維持者が「自分(本人)」が41.2%、「自分(本人)以外」が37.7%、「生計費は折半等」が14.1%となっており、生計維持者ではない労働者が多い。
では、生計維持者ではない介護職員とは、どんな属性の人なのだろうか。同じ調査を通じて、生計維持者が「自分(本人)以外」の労働者の性別比を見ると、男性が7.8%に対し、女性が91.9%に及ぶ。さらに配偶関係に関しては、生計維持者が「自分(本人)以外」の人のうち、既婚者が82.4%を占めている。このため、生計維持者が「自分(本人)以外」の介護職員の多くは既婚女性と考えられる。
さらに、こうした職員に関しては、税制の配偶者控除の範囲内で給与を調整したり、社会保険の被扶養者の範囲内に収まるように時間・給与を調整したりしつつ、勤務しているケースが多いと見られる。実際、介護労働実態調査2020年度版を通じて、生計維持者が自分かどうかというカテゴリー分けで月収の分布を見ると、図5の通り、月収が低いゾーンでは「生計維持者が自分(本人)以外」の比率が高い。具体的には、「3万円以上5万円未満」から「15万円以上18万円未満」の範囲では、「生計維持者が自分(本人)」と答えた職員よりも、「生計維持者が自分(本人)以外」と答えた職員の方が多い。
このため、主たる生計維持者ではない介護職は税金や社会保険料の負担を抑えるため、今でも労働時間の短縮や給与抑制などを通じて就業を調整している可能性がある。
こうした状況で、介護職員の給与を人為的に引き上げても、生計維持者ではない介護職は給与を減らしたり、就業時間を調整したりする可能性があり、ダイレクトに介護現場の人手不足解消に繋がらない展開も予想される。
第4に、事業者に対する国家統制の強化という矛盾である。そもそも論で言うと、介護や障害者福祉、保育には株式会社の参入を認めることで、民間活力を活用するとともに、利用者の選択肢を広げる狙いを持っていた10。
しかし、給与引き上げ措置を通じて、事業者の裁量が減退している面は否めない。例えば、対応が先行した介護分野では、給与引き上げの報告義務が介護職員処遇改善加算の取得要件として課されており、2月からの引き上げに関しても、加算額の3分の2以上は基本給か、決まって毎月支払われる手当の引き上げに充当することが要件となっている。
もちろん、加算措置が国民の税金や保険料を財源としている以上、給与引き上げに繋がるようにすることは重要だが、国家統制が事業者の自主性や裁量を削ぐマイナス面も意識する必要がある。何よりも、介護職員処遇改善加算が2012年度に創設された際に「例外的かつ経過的な取り扱い」と位置付けられていた経緯を踏まえると、例外的かつ経過的な制度が半ば永続化している点は一種の矛盾であり、その反動として事業者の裁量を失わせる危険性も意識する必要がある。
さらに、対応が先行した介護業界の動向を踏まえると、給与引き上げだけでは不十分な点が浮き彫りになる。以下、この点を論じることにする。
10 こうした考え方を一般的に「準市場」(quasi-market)と呼ぶ。これは狭間直樹(2018)『準市場の条件整備』福村出版p23によると、「多様な供給主体により一定の競争状態を公共領域で発生させること」を指しており、介護保険や障害者福祉サービス、保育では株式会社の参入が認められているほか、利用者とサービス提供者の間での契約制度も導入されている。詳細は介護保険20年を期した拙稿の連載コラム「20年を迎えた介護保険の再考」の第6回と第16回を参照。
7――対応が先行した介護業界の動向
まず、介護労働安定センターの介護労働実態調査2020年度版によると、離職した人に対して、「前職をやめた理由」を尋ねたところ、「結婚・妊娠・出産・育児のため」が25.0%で最も高く、次いで「職場の人間関係に問題があったため」が16.6%、「自分の将来の見込みが立たなかったため」が15.0%と続いており、「収入が少なかったため」という回答は12.9%にとどまる。
つまり、給与を原因に離職している介護職は意外と少なく、この傾向は過去の調査にも共通している。このため、事業所の経営理念の明確化とか、働きやすい職場づくり、風通しの良い職場環境の整備、キャリアアップコースの確立などを伴わなければ、給与引き上げの財源が有効に使われない危険性さえ想定される。
実際、政府としても過去、処遇改善の拡充だけでなく、様々な対策を講じてきた。具体的には、外国人労働力や元気な高齢者のボランティア受け入れ拡大といった人材確保に取り組んでおり、このうち外国人労働力に関しては、労働力不足が著しい分野を対象とした「特定技能制度」が2019年度から導入された際、政府は向こう5年間で最大6万人を介護業界で受け入れる方針を示している。
さらに、(1)現場の文書量削減、(2)介護職のキャリアアップコースの提示、(3)ICT、介護ロボットの活用――などにも取り組んでいる。例えば、(1)の文書量削減では、現場の介護職員が介護労働に専念してもらうことを企図しており、厚生労働省は2019年8月以降、業界関係者や有識者などで構成する「介護分野の文書に係る負担軽減に関する専門委員会」を設置することで、文書量の削減策を検討・推進している。
2番目のキャリアアップコースの関係でも、厚生労働省は専門性や役割を明確にする必要性を指摘している。具体的には、介護労働の現状について、専門性や役割が不明確な「まんじゅう型」と形容した上で、「専門性を向上させる」「裾野を広げる」といった施策を通じて、「富士山型」のような介護労働市場を作る考えを示している。
このほか、(3)のICT、ロボットの導入についても、厚生労働省は移乗支援、移動支援、排泄支援、見守り・コミュニケーション、入浴支援、介護業務支援の6分野で導入を図る必要性を示している。さらに、ICTやロボットの導入は2021年度介護報酬改定でも焦点となり、ICT機器や見守りセンサーなどを導入した介護事業所に対し、報酬上の加算が講じられたほか、人員基準の特例的な緩和が認められた11。
現場レベルでも、▽ベッドに設置するだけで高齢者の状態がパソコンやタブレットに映し出されるセンサー、▽室内に設置されたセンサーで状況を把握できるセンサー、▽移乗を支援できる機械――などが開発、実装されており、給与引き上げ以外の方策を検討する余地は大きい。
11 2021年度介護報酬改定に関しては、2021年5月14日拙稿「2021年度介護報酬改定を読み解く」を参照。なお、人員基準の緩和に関して、政府の規制改革推進会議で2021年12月、高齢者3人に対して看護・介護職員を1人配置する人員基準の見直し論議が浮上したが、質の低下を恐れる介護現場から反発が出た。
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- プロフィール
【職歴】
1995年4月~ 時事通信社
2011年4月~ 東京財団研究員
2017年10月~ ニッセイ基礎研究所
2023年7月から現職
【加入団体等】
・社会政策学会
・日本財政学会
・日本地方財政学会
・自治体学会
・日本ケアマネジメント学会
【講演等】
・経団連、経済同友会、日本商工会議所、財政制度等審議会、日本医師会、連合など多数
・藤田医科大学を中心とする厚生労働省の市町村人材育成プログラムの講師(2020年度~)
【主な著書・寄稿など】
・『必携自治体職員ハンドブック』公職研(2021年5月、共著)
・『地域医療は再生するか』医薬経済社(2020年11月)
・『医薬経済』に『現場が望む社会保障制度』を連載中(毎月)
・「障害者政策の変容と差別解消法の意義」「合理的配慮の考え方と決定過程」日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク編『トピック別 聴覚障害学生支援ガイド』(2017年3月、共著)
・「介護報酬複雑化の過程と問題点」『社会政策』(通巻第20号、2015年7月)ほか多数
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