2022年02月28日

エッセンシャルワーカーの給与引き上げで何が変わるのか-介護現場では現場の経営改善なども重要に

保険研究部 上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任 三原 岳

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1――はじめに~エッセンシャルワーカーの給与引き上げで何が変わるのか~

2021年10月の岸田文雄政権発足後、看護職員や介護・福祉職など医療、介護、福祉、保育の領域で働く「エッセンシャルワーカー」の給与引き上げ論議に関心が集まっている。これは新型コロナウイルスと少子高齢化への対応に共通する職種を支援する側面に加えて、公的に統制されているエッセンシャルワーカーの給与を引き上げることで、民間企業の賃上げに繋げたい狙いがある。

具体的には、岸田首相は自民党総裁選に際して、新自由主義からの脱却を目指す「新しい資本主義」の一つとして、公的に決まっている職種の給与を引き上げると表明。その後、有識者などで構成する「公的価格評価検討委員会」が政府内に発足し、2021年12月に成立した2021年度補正予算や通常国会で審議されている2022年度当初予算案では、エッセンシャルワーカーの給与引き上げに必要な経費が計上された。

しかし、論議が先行した介護現場に関しては、現場の経営改善も求められており、給与引き上げが唯一の解決策とは言いにくい状況がある。本稿では、エッセンシャルワーカーの給与引き上げに関する動向や過去の経緯などを考察し、今後に求められる対応策として、なおも残る給与格差の問題に加え、現場の経営改善、他の職種に業務を移譲するタスクシフトの必要性などを論じる。

2――給与引き上げ論議の動向

2――給与引き上げ論議の動向

1自民党総裁選公約などの記述
医療、介護、福祉、保育などに従事するエッセンシャルワーカーの給与引き上げは2021年10月の岸田政権発足の後、争点として急浮上した。岸田首相は同年9月の自民党総裁選で、規制緩和などを重視する新自由主義的な経済政策に代わる理念として、成長と分配の好循環による「新しい日本型資本主義」の必要性を強調。その上で、同じ派閥「宏池会」の池田勇人首相が1960年に掲げた「所得倍増計画」の令和版として、4つの分配強化施策を挙げた。そのうちの一つの「公的価格の抜本的見直し」が本稿のメインテーマであるエッセンシャルワーカーの給与引き上げである。

例えば、岸田首相が自民党総裁選を戦った際の公約集では、「看護師、介護士、幼稚園教諭、保育士など、賃金が公的に決まるにも関わらず、仕事内容に対して報酬が十分でない皆様の収入を思いきって増やす」とした上で、そのための検討組織として、「公的価格評価検討委員会(仮称)」を政府内に設置することで、公的価格を抜本的に見直すと書かれていた。

同様の点は自著『岸田ビジョン』にも言及されており、「いつでもどこでも、住み慣れた地域で、必要な医療や介護、保育、障害者福祉などの社会保障サービスが受けられるのが理想」「医療や介護の現場では深刻な人手不足が問題となり、職員の皆さんは書類作成や清掃など、資格職でなくてもできる間接業務に忙殺されています」とした上で、「処遇改善や外国人材の活用はもちろん、ICT(情報通信機器)化やAIの活用、事務職員の配置などに取り組む必要があります」などと指摘されていた1

さらに、政権発足後の施政方針演説でも「(筆者注:分配戦略の一つの柱は)看護、介護、保育などの現場で働いている方々の収入を増やしていくことです。新型コロナ、そして、少子高齢化への対応の最前線にいる皆さんの収入を増やしていきます。そのために、公的価格評価検討委員会を設置し、公的価格の在り方を抜本的に見直します」との考えが示された2

この時点で「コロナ対応と少子高齢化への対応が重なる最前線」という形で、看護職や介護・福祉職の給与を引き上げる意味合いが明確になった。
 
1 岸田文雄(2021)『岸田ビジョン』講談社+α新書p54。ただし、新しい資本主義の具体的な内容を記したとされる2021年2月号の『文藝春秋』には、この関係の記述は見られない。
2 2021年10月8日、第205国会衆院本会議における所信表明演説。
2|2021年度補正予算までの対応
2021年10月の総選挙を経て、政権が本格始動すると、有識者などで構成する「公的価格評価検討委員会」が同年11月に政府内に設置された。さらに、岸田首相は初会合で「看護・介護・保育・幼稚園などの現場で働く方々の収入の引上げは、最優先の課題」「第一歩として、民間部門における春闘に向けた賃上げの議論に先んじて、今回の経済対策において、必要な措置を行い、前倒しで引上げを実施いたします」と語り、看護職や介護・福祉職などの給与引き上げに改めて意欲を示した3

この言葉の通り、同月に閣議決定された「コロナ克服・新時代開拓のための経済対策」では、「看護、介護、保育、幼児教育など、新型コロナウイルス感染症への対応と少子高齢化への対応が重なる最前線」を対象に、「全ての職員を対象に公的価格の在り方を抜本的に見直す」との方針が示された。さらに、民間部門における春闘に向けた賃上げの議論に先んじて、賃上げ効果が継続されることを前提として、下記の方針が盛り込まれた。
 
  • 保育士、幼稚園教諭、介護・障害福祉職員を対象に、収入を3%程度(月額9,000円)引き上げるための措置を2022年2月から前倒しで実施。
  • 看護については、まず地域でコロナ医療など一定の役割を担う医療機関に勤務する職員を対象に、段階的に収入を3%程度引き上げることで、収入を1%程度(月額4,000円)引き上げるための措置を2022年2月から前倒しで実施。
 
ここでのポイントは給与引き上げ額に関する具体的な金額とスケジュールが示された点である。その後、こうした方針を実現するため、約2,600億円を計上した2021年度補正予算が12月開会の臨時国会に提出され、岸田首相は「介護、保育、幼児教育の現場で働く方については、来年2月から3%、年間11万円程度給与を引き上げます」「看護職の方を対象に、まずは、地域で新型コロナ医療対応など、一定の条件を満たす医療機関で勤務する方については、段階的に3%、年間14万円程度給与を引き上げていきます」「その上で、民間企業の賃上げを支援するための環境整備に全力で取り組みます」と述べた4

結局、2021年度補正予算は同年12月に成立、2022年2月から9月までの給与引き上げが確定した。こうした経緯を見ると、政権発足後からわずかの間で、エッセンシャルワーカーの給与引き上げに向けた論議が急ピッチで進んだ様子を見て取れる。
 
3 2021年11月9日、第1回全世代型社会保障構築会議・第1回公的価格評価検討委員会合同会議における発言。
4 2021年12月6日、第207国会衆院本会議における所信表明演説。
32022年度予算案での対応
しかし、経済対策では2022年10月以降の対応に関して、結論が先送りされていた。このうち、看護職員については、折しも2022年度が診療報酬改定の年と重なっていたため、2022年度予算編成の焦点となった。結局、医療機関に対する診療報酬本体に+0.20%分が看護職の給与引き上げとして充当され、それに必要な約144億円(内訳は国100億円、地方44億円)については、社会保障目的で引き上げた消費税が充当される形となった。その際、10月以降の収入を3%程度(月額平均1万2,000円相当)引き上げるための処遇改善の仕組みを検討するとの方針も示された。なお、診療報酬本体の改定率は+0.43%、薬価などを含めた全体ではマイナス0.94%で決着した5

一方、2022年10月以降の介護職給与引き上げ分に関しては、臨時で介護報酬改定を実施する方向で、社会保障審議会(厚生労働相の諮問機関)介護給付費分科会の議論が進んでおり、2022年2月に報告が取りまとめられた(詳しい内容は後述)。さらに給与引き上げに必要な財源として、社会保障目的で引き上げた消費税から313億円(国153億円、地方160億円)が振り向けられることになっている。保育士・幼稚園教諭に関しても、10月以降の財源に関しては、全体の予算の範囲内で対応する旨が厚生労働省の資料で示されている。

では、看護職や介護・福祉職の給与は現在、どのようになっているのだろうか。あるいは給与引き上げ措置でどの程度、変化するのだろうか。以下、政府が公的価格評価検討委員会で提出している資料などを基に、全産業平均との格差を通じて現状を概観する。
 
5 2022年度社会保障予算や診療報酬改定の攻防に関しては、2022年1月17日拙稿「2022年度社会保障予算を分析する」を参照。

3――全産業平均との給与格差

3――全産業平均との給与格差

看護、介護・福祉職に関する平均賃金(月収換算)について、政府は公的価格評価検討委員会で、図1のような資料を公表している。これによると、2020年の全産業平均が35万2,000円に対して、看護職は39万4,000円、保育士(女性)は30万2,000円、介護職員が29万3,000円となっている。このため、全産業平均と比べると、看護職の給与は高い一方、介護現場の職員や保育士の給与は低くとどまっている。
図1:職種別平均賃金(月収換算)の推移
同じような傾向に関しては、対策が先行した介護分野でも明らかになっている。例えば、介護業界で働く人で構成するNCCU(日本介護クラフトユニオン)の2020年度実態調査によると、月給制組合員の平均年収は2019年度で359.8万円であり、全産業平均の年収463.4万円に比べると、まだ100万円程度の差があるとしている。

特に、介護業界では人手不足が恒常化している。介護労働安定センターが毎年実施している「介護労働実態調査」のうち、人手不足感を尋ねた回答の経年変化を見ると「人手不足」(大いに不足、不足、やや不足の合計)と答えている事業者は図2の通り、常に50%を超えている。
図2:介護事業所における人手不足感の推移
一方、図1を見る通り、介護職と保育士に関しては、給与が少しずつ改善しているのも事実であり、関連施策が実施されてきた経緯がある。以下、対応が先行した介護職を中心に、その経緯を確認する。

4――給与引き上げの経緯

4――給与引き上げの経緯

1|対応が先行した介護職の給与改善
現在に繋がる介護職の給与引き上げ論議は2008年頃に遡る。この時、野党の民主党(当時)が月額2万円程度の給与引き上げを目指す「介護労働者の人材確保に関する特別措置法案」を議員立法で提出。その後、給与の引き上げ額を明示しなかったものの、「介護従事者等人材確保処遇法」が2008年5月に超党派で成立し、介護職の給与引き上げに向けた機運が高まった。

こうした動向を踏まえ、2009年度介護報酬改定で月額9,000円の給与引き上げが講じられたほか、リーマンショックを受けた2009年度第1次補正予算では全額国費の「介護職員処遇改善交付金」が3カ年の時限措置として創設され、月額1万5,000円の給与引き上げが講じられた。さらに、同交付金の期限が切れた2012年度介護報酬改定では、同交付金と同等の給与引き上げ財源が介護報酬に取り込まれた上、それとは別に月額6,000円の給与引き上げも講じられた。

その後、3年に一度の介護報酬改定で給与引き上げが考慮されたほか、社会保障目的で引き上げられた消費税の財源も一部で活用され、段階的に給与改善が図られた。その主な経緯は図3、表1の通りであり、政府の説明では従来の対応を通じて、月額の実績で7万5,000円の引き上げが実現したとされている。なお、障害者福祉職員の事業所で働く職員に対しても同様の対応が実施されている。
図3:介護職に関する給与改善の経緯
2保育士の給与引き上げ対応
保育士に関しても、表1の通り、段階的に給与引き上げが実施されている。主な経緯を挙げると、2012年度補正予算で子育て支援のための「安心こども基金」が拡充され、9,000円の給与引き上げが2013年度から実施されたほか、消費増税の財源を用いた給与引き上げとか、国家公務員の人事院勧告に準拠する形での改善が毎年図られてきた。こうした過去の経緯と比べると、今回は看護職員、幼稚園教諭まで対象が広がった点を相違点として指摘できる。

では、これまでの給与改善はどのように実施されて来たのだろうか。以下の議論では、対応が先行した介護分野について議論を進める。
表1:介護職員、保育士などの給与引き上げの主な動向と今後の予定
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保険研究部   上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任

三原 岳 (みはら たかし)

研究・専門分野
医療・介護・福祉、政策過程論

経歴
  • プロフィール
    【職歴】
     1995年4月~ 時事通信社
     2011年4月~ 東京財団研究員
     2017年10月~ ニッセイ基礎研究所
     2023年7月から現職

    【加入団体等】
    ・社会政策学会
    ・日本財政学会
    ・日本地方財政学会
    ・自治体学会
    ・日本ケアマネジメント学会

    【講演等】
    ・経団連、経済同友会、日本商工会議所、財政制度等審議会、日本医師会、連合など多数
    ・藤田医科大学を中心とする厚生労働省の市町村人材育成プログラムの講師(2020年度~)

    【主な著書・寄稿など】
    ・『必携自治体職員ハンドブック』公職研(2021年5月、共著)
    ・『地域医療は再生するか』医薬経済社(2020年11月)
    ・『医薬経済』に『現場が望む社会保障制度』を連載中(毎月)
    ・「障害者政策の変容と差別解消法の意義」「合理的配慮の考え方と決定過程」日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク編『トピック別 聴覚障害学生支援ガイド』(2017年3月、共著)
    ・「介護報酬複雑化の過程と問題点」『社会政策』(通巻第20号、2015年7月)ほか多数

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