2021年07月12日

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5――組織スラックを備えた経営の実践

1働き方改革とBCPの推進に向けて短期志向から中長期志向の経営へ
従業員に寄り添う真の働き方改革を推進するための働く環境の多様化と、パンデミックや災害に対応したBCP対策の強化を進めるには、企業はメインオフィスを働く場の中核に据えつつも、図表5に示したような拠点配置の分散化・二重化を図ることが欠かせない。日本企業はコロナ禍を契機に、短期的な収益や効率性にとらわれがちだった視点を改め、中長期のイノベーション創出やサステナビリティ(sustainability:持続可能性)確保のために短期的には効率が低下しても、経営資源をぎりぎり必要な分しか持たない「リーン(lean)型」の経営ではなく、経営資源にある程度の余裕、いわゆる「組織
スラック(organizational slack)」38を備えた経営を実践しなければならない。

例えば、メインオフィスにおいては、異なる部門の従業員による偶発的な出会いやインフォーマルなコミュニケーションを喚起するための休憩・共用スペースは、イノベーション創出のために確保しておくべき組織スラック型の仕掛けであるが、リーン型の経営を徹底すれば、仕事に関係のない無駄なものとして撤去されてしまうだろう。また、様々な利用シーンに応じて多様性を取り入れたオフィス空間も、リーン型の経営者には極めて非効率な空間とみなされ、従業員の利便性を考えずに、維持管理の手間やコストが相対的に掛からない選択肢の少ない画一的な空間に変更されてしまうだろう。これまで多くの日本企業がそうであったように、効率性のみを追求したオフィス空間は、個性のない均質なものになってしまう。そうすると、目先の不動産コストは削減できても、それと引き換えに何よりも大切な社内の活気や創造性が失われ、企業内ソーシャル・キャピタルは破壊され、イノベーションが生まれない悪循環に陥ることになるだろう。

山極京大前総長が、「効率性を重んじないゆっくりとした時間の流れに身を任せながら他者とじっくりつき合うということを経験しなければ、信頼関係は醸成されない」(前出)と述べているように、ソーシャル・キャピタルは、時間的効率性が高いリーン型のデジタル環境(例:オンライン会議)ではなく、むしろ目先の効率性を重視しない組織スラック型のリアルな環境(例:従業員が気軽に集える休憩・共用スペース)の下でしか形成されない。

目先の利益を優先する効率性・経済性ありきの経営、言い換えれば「短期志向(ショートターミズム:short-termism)の経営」39は、結局中長期で見れば、組織スラックを破壊してしまい経済的リターンをもたらさないと言える。ソーシャル・キャピタルや創造性を育み、結果として中長期での経済的リターンを獲得するためには、イノベーションの源となる「組織スラックに投資する」という発想が欠かせない。組織スラックは、中長期の企業価値創造につながる極めて重要な経営資源と考えるべきだ。
 
38 組織スラックの考え方については、拙稿「震災復興で問われるCSR(企業の社会的責任)」ニッセイ基礎研究所『研究員の眼』2011年5月13日、同「イノベーション促進のためのオフィス戦略」『ニッセイ基礎研REPORT』2011 年8 月号、同「アップルの成長神話は終焉したのか」ニッセイ基礎研究所『基礎研レポート』2013年10月24日、同「コロナ後を見据えた企業経営の在り方」ニッセイ基礎研究所『基礎研レポート』2020年8月28日、同「特別レポート:コロナ後を見据えた企業経営の在り方」日本生命保険相互会社(協力:ニッセイ基礎研究所)『 ニッセイ景況アンケート調査結果-2020年度調査』2020年12月8日を参照されたい。
39 筆者は「我が国の大企業の多くが2005年前後を境に短期志向の株主至上主義へ拙速に傾いた」と考えているが、筆者のこのような考え方については、拙稿「CSR(企業の社会的責任)再考」『ニッセイ基礎研REPORT』2009年12月号、同「最近の企業不祥事を考える」ニッセイ基礎研究所『研究員の眼』2015年12月28日、同「社会的ミッション起点のCSR 経営のすすめ」ニッセイ基礎研究所『基礎研レポート』2019年3月25日を参照されたい。
2利用率が大幅に下がっているオフィススペースは組織スラックと捉えるべき
コロナ禍の下で企業において、在宅勤務比率の急上昇に伴いメインオフィスの利用率(在席率)が大幅に低下した結果、一時的に発生している空きスペースは、一見すると余剰のように見えるが、経営者は、これをオフィス内での感染予防(3つの密(密閉・密集・密接)の回避)に向けた執務エリアや会議室でのソーシャルディスタンシング(Social Distancing:社会的距離の確保)のために有効活用できる組織スラックと捉えるべきではないだろうか。

経営者は、従業員が全社的な拠り所となるメインオフィスに安心して戻ってきて、最も創造的な環境で存分に業務を再開できるであろう、来るべきアフターコロナ時代に備えて、日常を取り戻せるコロナ後に至るまでの暫定移行期とも言えるウィズコロナ期では、貴重な経営資源であるメインオフィスをソーシャルディスタンシングに十分に配慮したスペースとして利用し続けることで、このウィズコロナ期という引き続く苦境を胆力を持って耐えしのぐことが望まれる。コロナ禍で一時的に空いたオフィススペースを、組織スラックではなく単なる余剰と拙速に捉え、短期的なコスト削減のために安易にメインオフィスのスペースを削減したり手放したりするべきではない。

オフィスの現状の利用率(在席率)が極めて低いからといって、メインオフィスなどの座席数さらにはスペースを大幅に削減するなど縮小均衡型の施策を拙速に講じて、一時的な移行期間であるウィズコロナ期の低いオフィス利用率に合わせたオフィススペースに固定化してしまうことは、組織スラックを備えないリーン型の意思決定に他ならずリスクが極めて高い、と筆者は考える。コロナ後に、日常を取り戻せるレベルまで感染リスクが大幅に低減し多くの従業員がオフィスワークを希望する日が増えてきたり(オフィス利用率の大幅な上昇)、事業が拡大することなどに伴い、より多くのオフィススペースが必要になっても、売却や賃貸借契約の解約をした後では取り返しがつかないからだ。本来はアマゾンやグーグルのように、ウィズコロナ期にコロナ後を見据えた確固たる骨太のオフィス戦略を打ち出し実行すべきだが、さもなければアフターコロナを迎えるまでは、固定資産(不動産)としてのオフィススペースに関わる意思決定をペンディングにしておくことが、次善の策となるのではないだろうか。不動産の投資や削減に関わる意思決定には、中長期の設備投資計画や賃貸借契約などが関わるため、当然のことながら、短期的な目先の視点ではなく中長期の視点が欠かせず慎重さが求められるからだ。

ただし、コロナ禍で資金繰りが大幅に悪化し直ちにキャッシュが捻出できなければ立ち行かなくなる企業については、勿論メインオフィスなどの不動産をすぐに手放さざるを得ないケースもあるだろう。また、必ずしも業績が悪化していない企業の中にも、在宅勤務を中心とする体制に早々と移行しオフィスを退去・縮小移転する動きが、従業員規模が数十人以下の小回りの利くIT系スタートアップを中心に一部の企業で昨年前半に先行して見られた40。スタートアップの中には、原則出社はせず各自の好きな場所(在宅に限定しない)で働ける完全リモートワーク体制に移行したり、さらにはオフィスを完全解約する企業も一部で見られた。
 
40 大企業では、在宅勤務などテレワークの活用を標準とした働き方を推進する方針を昨年いち早く打ち出した企業は、IT系を中心に一部にあった一方、オフィススペースを削減することにまで踏み込むことを公表する企業は、ごく一部に限られたが、今年に入って業種を問わず本社を売却する動き(セール・アンド・リースバック、一部減床を含む)が散見されるようになっている。
3在宅と出社の厳格な切り分けは組織スラックを削ぎ落とすことになりかねない
コロナ禍を契機に在宅勤務を中心とする働き方にシフトしようとしている企業では、従業員の出社を抑止するために、チームでの打合せ・議論など対面のコミュニケーションがどうしても必要な場合に出社とし、一人でもできる作業などそれ以外の業務は在宅で行う、というように、在宅勤務とオフィスワークの役割・機能を厳格に切り分けようとしているケースが多いように見受けられる。

業務を厳格に切り分けて在宅勤務とオフィスワークを使い分けることは、一見合理的であるように見えるが、偶発性を含めた組織スラックの要素が削ぎ落とされて、かえってイノベーションの創出プロセスが分断されてしまうリスクがあるのではないだろうか。すなわち、メインオフィスの休憩・共用スペースなどでの異なる部門の従業員との偶発的な出会いやインフォーマルなコミュニケーション、すなわちフィジカル空間でのセレンディピティ(serendipity)41が一種の組織スラックでありイノベーションの源であるのに、予め決まった特定の従業員と直接顔を合わせる必要がある場合のみオフィスに出社し所定のミーティングが終われば帰宅するのであれば、オフィス内での偶発的な出会いのチャンスは著しく低減してしまうのではないか、と懸念される。在宅と出社を厳格に切り分けるやり方は、イノベーションが起こりにくいリーン型のオフィス運用に陥りかねない。

明確な目的や時間の制約もなく偶発的な出会い・新たな気付きを求めて街をふらっと歩くように、オフィスを回遊したり休憩・共用スペースを利用する、良い意味での「曖昧さ」=「余裕部分(組織スラック)」を残しておかないと、イノベーションを創発する創造的な環境は醸成されないのではないだろうか。前述したように、オフィス全体を街や都市など一種のコミュニティと捉えることが「クリエイティブオフィスの基本モデル」の大原則だが、セレンディピティや多様な背景を持つ人々を引き寄せ「化学反応」を起こして画期的なイノベーションを生み出し続ける「創造的でイノベーティブな街・都市(スマートシティまたはクリエイティブシティ(創造都市)と言い換えてもよい)」を縮図にしたものが、まさにクリエイティブオフィスの在るべき姿なのだ。

「企業は、オフィスワークと在宅勤務などのテレワークの最適なバランス(ベストミックス)を見つけるべき」との意見が多く一見もっともらしいが、この比率を経営側が具体的数値でFIXしルール化することは避けるべきだ。会社側が働き方の組合せをルール化して従業員に強いると、働き方の多様性・柔軟性が著しく阻害されかねず、「真の働き方改革」に逆行し本末転倒である。オフィスワークとテレワークのベストミックスは本来、従業員が個々の事情・ニーズ(仕事・家庭・健康)に合わせて日々自ら自由に選択する結果決まってくるべきものであり、予め予想することは不可能だ。企業は、ガイダンスや推奨値(例えば、筆者が主張するようにメインオフィスをワークプレイスの中核に据える戦略を取る場合は、週3日以上の出社を推奨)を示して緩やかに従業員の選択をコントロールすることが望ましいが、それでも「リーン型の厳格な運用」ではなく「組織スラック型の弾力的・柔軟な運用」を心掛けるべきだろう。
 
41 株式会社アルク『英辞郎 on the WEB』によれば、「別のものを探しているときに、偶然に素晴らしい幸運に巡り合ったり、素晴らしいものを発見したりすることのできる、その人の持つ才能」を指す。
 

6――まとめ

6――まとめ

本稿では、コロナ後の働き方とオフィス戦略に関わる「原理原則」となるべき2つのキーワード、すなわち「メインオフィス」と「働く環境の選択の自由」の2つの重要性を中心に考察してきた。

イノベーション創出の起点や経営理念・企業文化の象徴と位置付けられるメインオフィスの機能は、テレワークでは代替できず、主として都市部に立地する「メインオフィスの重要性」は今後も変わらない。逆にメインオフィスで醸成される従業員間の信頼感(企業内ソーシャル・キャピタル)は、テレワークの円滑な運用に欠かせない(メインオフィスのテレワークに対する補完効果)。筆者が昨年いち早く打ち出した「コロナ前後でオフィスの重要性は何ら変わらない」との主張を裏付けるように、オフィス戦略の先進事例であるアマゾンとグーグルが、コロナ禍の中で、あえて米国内でのオフィス増床を続行するとの力強い表明を揃って行った。

メインオフィスの重要性を熟知し実践してきた米国の先進的なハイテク企業では、コロナ後に従業員の安全性が確認されれば、速やかに躊躇なくメインオフィスでの業務を全面的に再開する、すなわちコロナ前の体制に積極的な意味で「戻す」だろう。一方、多くの日本企業では、これまでメインオフィスをイノベーション創出や企業文化体現の場として十分に活かし切れていなかった、と言わざるを得ない。多くの日本企業の在り方としては、導入・実践が遅れている大本のCRE戦略をしっかりと取り入れた上で、それに基づく創造的なオフィス戦略を新たに構築することが急務だ。メインオフィスの役割・在り方は、筆者が提唱する「クリエイティブオフィスの基本モデル」で示した通り、再定義するまでもなく、コロナ前から既に明確になっている。日本企業が今やるべきことは、オフィスの再定義ではなく、米国の先進企業が実践してきた「オフィス戦略の定石」を一刻も早く取り入れることだ。

従業員にその時々のニーズに応じて「働く環境の選択の自由」を与えることは、働き方改革の本質だ。そのためにはメインオフィス内にも多様なスペースの設置が求められる。平時での在宅勤務は、経営側からの指示ではなく、従業員が多様な働き方の選択肢の1つとしていつでも自由に選択できるようにすべきだ。さらにワーケーションを含めたサテライトオフィスやコワーキングスペースなどの選択肢も取り入れることが望ましい。

働く環境の多様化とBCP対策の強化を進めるには、メインオフィスを働く場の中核に据えつつも、拠点配置の分散化・二重化が欠かせない。コロナ禍を契機に、日本企業は短期的な収益や効率性にとらわれがちだった視点を改め、中長期のイノベーション創出や持続可能性確保のために短期的には効率が低下しても、「リーン型」の経営ではなく「組織スラック」を備えた経営を実践しなければならない。多くの日本企業は、コロナ禍を契機に、経営の短期志向と決別できるかが問われている。
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社会研究部   上席研究員

百嶋 徹 (ひゃくしま とおる)

研究・専門分野
企業経営、産業競争力、産業政策、イノベーション、企業不動産(CRE)、オフィス戦略、AI・IOT・自動運転、スマートシティ、CSR・ESG経営

経歴
  • 【職歴】
     1985年 株式会社野村総合研究所入社
     1995年 野村アセットマネジメント株式会社出向
     1998年 ニッセイ基礎研究所入社 産業調査部
     2001年 社会研究部門
     2013年7月より現職
     ・明治大学経営学部 特別招聘教授(2014年度~2016年度)
     
    【加入団体等】
     ・日本証券アナリスト協会 検定会員
     ・(財)産業研究所・企業経営研究会委員(2007年)
     ・麗澤大学企業倫理研究センター・企業不動産研究会委員(2007年)
     ・国土交通省・合理的なCRE戦略の推進に関する研究会(CRE研究会) ワーキンググループ委員(2007年)
     ・公益社団法人日本ファシリティマネジメント協会CREマネジメント研究部会委員(2013年~)

    【受賞】
     ・日経金融新聞(現・日経ヴェリタス)及びInstitutional Investor誌 アナリストランキング 素材産業部門 第1位
      (1994年発表)
     ・第1回 日本ファシリティマネジメント大賞 奨励賞受賞(単行本『CRE(企業不動産)戦略と企業経営』)

(2021年07月12日「ニッセイ基礎研所報」)

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【アフターコロナを見据えた働き方とオフィス戦略の在り方-メインオフィスと働く環境の選択の自由の重要性を「原理原則」に】【シンクタンク】ニッセイ基礎研究所は、保険・年金・社会保障、経済・金融・不動産、暮らし・高齢社会、経営・ビジネスなどの各専門領域の研究員を抱え、様々な情報提供を行っています。

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