2020年08月28日

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(5) 中長期の社会的ミッションとして気候変動対策の取り組みが求められる
今回の新型コロナを含め新たな感染症の発生は、気候変動と深く関わっている、と考えられている。急激な温暖化は、暖冬、猛暑、豪雨などの異常気象を頻発させ、それが干ばつ、森林火災、洪水、水没などの甚大な気象災害を引き起こす。これらの気象災害によりウイルス・細菌の自然宿主・中間宿主である野生動物が生息地を失ったり、温暖化により媒介昆虫が生息地を拡大することで、これらの野生動物や昆虫が人間の生活圏に入り込み、人間との接触機会を増やしてしまうからだ。新たな感染症と甚大な気象災害を発生させないために、企業は、中長期の社会的ミッションとして、気候変動対策に積極的に取り組むべきだ。

ノーベル経済学賞受賞の経済学者、ジョセフ・スティグリッツ米コロンビア大教授は、アフターコロナの世界では、経済発展と環境配慮の両立を図る持続可能(サステナブル:sustainable)なグリーンエコノミーへ移行すべきである、と考えている。同氏は、「2008年の金融危機後、政府の対策は大きかったが、今回(※コロナ対策)はもっと大きくなる。政府が巨額の対策をとるとき、我々がどういう経済を求めているかが問われる。何人かの人は『(※コロナ前の)2020年1月の時点に戻りたい』と言う。しかし我々の考え方は違う。2020年1月は化石燃料の経済だった。しかも大きな格差のある、弾力性のない経済だ。より公平な社会、グリーンエコノミーに移行したほうがいい。コロナ後は、これまでより良い経済を求めるべきだ。労働者の需要を高め、所得を増やし、格差を改善する。より良い経済をめざせば、力強い回復が実現できるだろう」13と述べている。

同氏が主張する通り、脱炭素社会への移行を図りながらコロナ禍からの持続可能な経済復興を目指す「グリーンリカバリー」の機運が、欧州を中心に世界で高まりつつある。グリーンリカバリーを牽引する欧州連合(EU)が7月開催の「首脳会議で合意したのは、2021~27年のEU中期予算案(1.824兆ユーロ)と、その一部をなす新型コロナ対策の復興基金案(7500億ユーロ=約92兆円)だ。中期予算のうち、30%を気候変動対策にあてる。EUが掲げる50年に域内の温暖化ガスを『実質ゼロ』にする目標の実現につなげるためだ」14という。

日本企業は、2000年代初頭までは省エネなど環境配慮の取り組みのフロントランナーであったが、地球温暖化対策の国際協定であるパリ協定がCOP21(国連気候変動枠組条約第21回締約国会議)で合意された2015年あたりから、気候変動対策における日本企業の優位性や存在感が急速に薄れてきているように思われる。投資家が投資先企業に対して環境・社会・企業統治(ESG)への配慮を求めるESG投資や、2015年の国連サミットで採択された2030年までの国際社会全体の開発目標であるSDGs(持続可能な開発目標)の推進が、欧米を中心に世界的潮流となりつつあることを受けて、欧米の先進企業は、気候変動対策を含めてESGやSDGsへの対応を企業経営の中核にいち早くしっかりと組み込んだとみられる。グリーンリカバリーの台頭も、ESG、SDGs、パリ協定の流れに沿った動きと捉えるべきだろう。また欧米企業に加え、中国などアジア企業も、気候変動問題への取り組みを急速に進めているとみられる。

日本企業は、気候変動対策のフロントランナーを目指すべく、まずはESGやSDGsへの対応を企業経営の中にしっかりと組み込み、温室効果ガス削減については、工場やオフィスなど自社エリアでの排出量(Scope1排出量という)の削減にとどまらず、顧客が自社の製品・サービスを使用する段階での排出量(Scope3排出量)の削減にも積極的に貢献できるような製品・サービスの開発・デザインに取り組むことが求められる。自社エリア外のScope3排出量の削減までも視野に入れることで、企業の気候変動対策のソーシャルインパクトは、非常に大きくなる。
 
13 星野眞三雄「【ジョセフ・スティグリッツ】コロナ後に私たちが目指すべき、新しい経済の姿とは」朝日新聞GLOBE+2020年8月2日より引用。ただし、(※ )は筆者による注記。
14 日本経済新聞電子版2020年7月21日「気候変動に30%EU、92兆円の復興基金合意」より引用。
2|原理原則(2):組織スラックを備えた経営の実践
新型コロナのパンデミックにより、産業界では、自動車産業など製造業でのグローバルサプライチェーンの途絶が起こったり、オフィスワークが困難になったりしたことで、大規模な自然災害や感染症のまん延など想定外の緊急事態においても重要業務を継続または迅速に復旧させるための「BCP(Business Continuity Plan:事事業継続計画)」15の重要性を改めて痛感することとなった。筆者は、今回のようなパンデミックに対応したBCP対策の強化を進めるには、企業は、短期的な効率性を犠牲にしてでも、経営資源にある程度の余裕、いわゆる「組織スラック(slack)」16を備えた経営を実践することが必要である、と考えている。

ここでは、今回のパンデミックの産業界への影響として、製造業のサプライチェーンおよびオフィスワークを取り上げ、そのBCP対策について考えたい。
 
15 BCPの概説については、拙稿「Series企業経営者に向けたCRE戦略概論/第9回BCPとCRE戦略(1)」三菱地所リアルエステートサービスHP『スペシャリスの智』2017年7月、同「Series企業経営者に向けたCRE戦略概論/第10回BCPとCRE戦略(2)」三菱地所リアルエステートサービスHP『スペシャリスの智』2017年10月を参照されたい。
16 組織スラックの考え方については、拙稿「震災復興で問われるCSR(企業の社会的責任)」ニッセイ基礎研究所『研究員の眼』2011年5月13日、同「イノベーション促進のためのオフィス戦略」『ニッセイ基礎研REPORT』2011年8月号、同「アップルの成長神話は終焉したのか」ニッセイ基礎研究所『基礎研レポート』2013年10月24日を参照されたい。
(1) 製造業のサプライチェーンへの対応(製造拠点でのBCP対策)
まず今回のパンデミックのサプライチェーンへの影響の概観は、以下の通りである。「2020 年に入って新型コロナウィルスが瞬く間に中国で感染拡大し、(中略)厳しい外出制限や都市間の移動規制が行われ、現地工場の従業員が出勤できず生産が停止したり、通関業者が営業しておらず港湾で物流が滞留したりすることで、日本への供給網が大きく混乱した。特に製造業では、中国からの部品調達が滞ったことによる日本所在の自動車工場の停止や、住宅建材の新規受注の停止といった問題が発生した」「中国の感染及び企業活動の停止は2月をピークに徐々に解消し、(中略)中国からの供給途絶による日本への影響は早期に解消に向かった一方で、2月下旬以降はイタリア、スペイン、フランス、ドイツ、英国、米国での感染が次々と爆発的に拡大し、欧米における3月以降の主要都市のロックダウンや全国規模での移動制限等により、外需が急減した。(中略)今回の感染拡大による中国からの供給途絶は一時深刻であった一方で、早期に回復に向かい、逆に欧米や日本で生産活動が停滞するという経過をたどっている」「中国を皮切りに各国の都市封鎖による供給寸断に加え、消費活動の停滞による需要減が組み合わさったものである」17という。

筆者は、東日本大震災後にも、企業がBCP強化のために組織スラックを備える重要性を指摘した。「震災復興で問われるCSR(企業の社会的責任)」ニッセイ基礎研究所『研究員の眼』2011年5月13日にて、「我が国の大企業の多くは、株主至上主義の下で経営効率を重視するあまり、在庫を極小化するジャスト・イン・タイム(JIT)に代表されるように、ぎりぎり必要な分しか経営資源を持たない『リーン(lean)型』の経営に傾斜してしまった。今回の震災で効率性に偏重した経営の脆弱性が露呈したとみられる」「震災を契機に、短期的な収益や効率性にとらわれがちだった視点を改め、企業経営の発想そのものが転換されることを望みたい。中長期の事業継続・リスク分散のために短期的には効率が低下しても、在庫・IT資産・設備・事業拠点など経営資源にある程度の余裕、いわゆる『組織スラック(slack)』を備えておく、サステナビリティ重視の発想を取り入れてはどうだろうか。事業資産に余裕を持たせるには、自前の投資(生産ラインの二重化)に限らず、アウトソーシング、企業連携、企業買収など多様な手法が考えられ、経営の知恵が求められる。JITについては、中小企業に余裕のない切迫した操業を迫り、体力を消耗させる面があるなら、サプライチェーン(供給網)の持続可能性を維持するためにも、大企業側が在庫を積み増すなどして、その点を是正すべきだろう」と述べた。

今回のようなパンデミックに対するBCP対策の強化についても、組織スラックを備える視点は原理原則として変わらないものの、その手法は、地域的に発生する自然災害とは異なることが多いとみられる。「感染症は世界中に被害が及びかつ出口が不透明で長期化するおそれがあるという固有の深刻さがある。サプライチェーンの強靭性を高めるため、部品調達先を分散させるような災害対策は、世界中の生産活動が同時に停滞する感染症には通用せず、企業は新たな対応を迫られている」18からだ。地域的に発生する自然災害に対するBCPとしては、生産拠点の二重化19や部品など原材料調達先の多様化といったサプライチェーンの分散化が有効に機能する一方、世界の広範な地域・国々で同時発生するパンデミックでは、そのような施策が機能しない可能性が高いのだ。

地域的に発生する震災時の製造拠点におけるBCP対策としては、サプライチェーンの分散化など多くの施策メニューが考え得るが(図表2)、その中でパンデミック発生時にも適用し得る施策があるかどうかは、パンデミックが発生する地域・国々の範囲やタイミングによるだろう。発生範囲が比較的狭かったり、発生のタイミングが地域ごとにばらついたりするケースでは、サプライチェーンの分散化など震災時のBCP対策の多くを適用できる一方、極めて広範かつ同時に発生する最も厳しいケースでは、適用し得るのは製品・仕掛品・原材料など棚卸資産を積み増すことくらいかもしれない。ただし、この施策でもロックダウンなどにより物流機能が停止してしまうと、製品を工場から顧客へ納入することが難しくなる。

筆者は、東日本大震災時に、「株主にも、短期的な株式リターンにとらわれずに、震災復興・持続可能な社会の構築という社会的ミッションを共有し、ミッション遂行に誠実に取り組む企業を高く評価し応援することを望みたい。それこそが真の社会的責任投資(SRI:Socially Responsible Investment)ではないだろうか。企業を社会変革へと突き動かすには、社会的ミッションを実現する企業を称賛し鼓舞する社会風土を醸成する必要があると考える。株主は、その重要な役割を担う主体の一つだ」20と指摘した。
図表2 国内の主力工場におけるBCP強化の施策メニューとCRE(企業不動産)戦略との関わり
今回のようなパンデミックの際にも、株主・投資家や資本市場の役割は大きい。前述したBCP対策としての在庫積み増し(=組織スラック)は、平時ではムダ(=非効率)に見えても、緊急事態に備えた中長期の企業価値創造のための「投資」と捉えるべきだ。投資家は、企業評価の際に棚卸資産や総資産の回転率悪化を単純にマイナス評価するのではなく、BCP対策としての組織スラックへの投資という視点を企業と共有し、むしろ企業にそのような投資を促す立場を取るべきである。

前出のスティグリッツ教授は、「これまで40年間の経済が間違った方向に進んできたことを反省するときを迎えている。コロナの感染拡大によって、そうした問題点が浮き彫りとなった。行き過ぎたグローバル化と金融自由化が、政府と市場の間のバランスを失わせたということだ。金融の規制緩和をしすぎたが、市場には政府が必要だ。グローバル化で、ふつうの市民ではなく企業によって世界的なゲームのルールが決められた。その結果、適切な時期にフェースシールドや人工呼吸器がつくられず、不足する事態を招いた」「市場経済には復元力がなかったのだ。短期利益に集中し、長期安定性に注意を払ってこなかった。分かりやすくするためにこんなたとえ話をするが、多くの会社がわずかなお金を節約するために自動車からスペアタイヤを取り外した。ほとんどのときはスペアタイヤは必要ないが、タイヤがパンクしたときには必要だ。我々はスペアタイヤのない車、復元力のない経済をつくってしまっていたのだ」「金融市場の近視眼的思考ではなく、長期的な視点を促進し、グローバルサプライチェーンをより多角化、弾力化し、経済をもっと信頼できるものに導く必要がある」21と述べている。
 
17 水尾佑希、高見博「新型コロナウィルス感染拡大に伴うサプライチェーンへの影響とその対応策」財務総合政策研究所『財務総研スタッフ・レポート』2020年6月10日より引用。
18 注17と同様。
19 BCP対象の製品の生産拠点を実際にデュアル(二重)に国内または海外に構築・配置する他に、通常は別の製品を生産している自社の他工場にバーチャルに代替生産機能を持たせ、緊急時にそれを速やかに稼働させるための訓練を重ねるという、いわばソフト面の施策も考えられる(拙稿「CRE基礎講座/第3回BCPとCRE戦略~国内中核工場の場合~」日本経済新聞社『企業価値向上のための実践的CRE戦略』(日経電子版2011年9月30日))。この手法は、設備投資を新たに行い、リアルに拠点配置の二重化を図るのに比べ、コスト負担が極めて少ないというメリットがある一方、性質のまったく異なる製品を生産する製造ライン間で代替生産機能を持たせることは難しく、対象の製品とある程度同種の製品を生産するラインをあらかじめ異なる拠点に保有していることが前提となる。例えば、車種の異なる自動車組立ライン間(ガソリン車)やデスクトップパソコン(PC)とノートPCの生産ライン間では、比較的容易に代替機能を持たせることができるとみられるが、クリーンルーム環境下で化学反応を精密制御する工程を伴う半導体や液晶パネルの生産ラインとPCの組立ラインの間では、同じエレクトロニクス製品と言えども代替機能を持たすことは不可能だろう。
20 拙稿「震災復興で問われるCSR(企業の社会的責任)」ニッセイ基礎研究所『研究員の眼』2011年5月13日より引用。
同氏が言う「スペアタイヤ」は、まさに組織スラックのことを意味している。近視眼的思考の金融市場の下で、企業が短期利益を追求するために組織スラックを削ぎ落としてしまった結果、緊急時に復元力のないサプライチェーンや経済が構築されてしまっており、今後は長期的な視点の下で信頼性・復元力のあるサプライチェーンや経済を構築する必要がある、との同氏の主張は、僭越ながら、本稿での筆者の主張と整合的である。 21 注13と同様。
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社会研究部   上席研究員

百嶋 徹 (ひゃくしま とおる)

研究・専門分野
企業経営、産業競争力、産業政策、イノベーション、企業不動産(CRE)、オフィス戦略、AI・IOT・自動運転、スマートシティ、CSR・ESG経営

経歴
  • 【職歴】
     1985年 株式会社野村総合研究所入社
     1995年 野村アセットマネジメント株式会社出向
     1998年 ニッセイ基礎研究所入社 産業調査部
     2001年 社会研究部門
     2013年7月より現職
     ・明治大学経営学部 特別招聘教授(2014年度~2016年度)
     
    【加入団体等】
     ・日本証券アナリスト協会 検定会員
     ・(財)産業研究所・企業経営研究会委員(2007年)
     ・麗澤大学企業倫理研究センター・企業不動産研究会委員(2007年)
     ・国土交通省・合理的なCRE戦略の推進に関する研究会(CRE研究会) ワーキンググループ委員(2007年)
     ・公益社団法人日本ファシリティマネジメント協会CREマネジメント研究部会委員(2013年~)

    【受賞】
     ・日経金融新聞(現・日経ヴェリタス)及びInstitutional Investor誌 アナリストランキング 素材産業部門 第1位
      (1994年発表)
     ・第1回 日本ファシリティマネジメント大賞 奨励賞受賞(単行本『CRE(企業不動産)戦略と企業経営』)

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【コロナ後を見据えた企業経営の在り方-社会的価値の創出と組織スラックへの投資を原理原則に】【シンクタンク】ニッセイ基礎研究所は、保険・年金・社会保障、経済・金融・不動産、暮らし・高齢社会、経営・ビジネスなどの各専門領域の研究員を抱え、様々な情報提供を行っています。

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