2023年09月08日

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4――ESGという言葉を使わなくてもいい世界の構築を

筆者は、左派と右派の間で板挟みになってしまったように見えるフィンク氏とは異なる意味合いで、「ESGという言葉を使わなくても済む」世界の構築を積極的な意味で強く標榜している。ここでは、ESGやCSRの在り方について、企業経営の視点から筆者が提唱する考え方を紹介したい。

筆者は、「企業の社会的責任(CSR)や存在意義は、単に製品・サービスを提供することではなく、あらゆる事業活動を通じて社会を良くすること(=社会課題を解決すること=社会的ミッションを実現すること)、すなわち『社会的価値(social value)』を創出することにこそあり、結果としてそれと引き換えに経済的リターンを獲得できると考えるべきであり、経済的リターンありきではなく、社会的ミッションを起点とする発想が求められる。このような社会的価値創出を経済的リターンに対する上位概念と捉える『社会的ミッション起点の真のCSR経営』は、従業員、顧客、取引先、株主、債権者、地域社会、行政など多様なステークホルダーとの高い志の共有、いわば『共鳴の連鎖』があってこそ実践できる。経営者は、社会を豊かにする社会変革(social innovation)をけん引すべく、強い使命感・気概・情熱を持って、沸き立つ高い志を多様なステークホルダーと共有し、社会的ミッションを成し遂げなければならない」と主張してきた14。筆者は、このような「志の高い社会的ミッションを起点とする真のCSR経営」を2008年頃からいち早く提唱してきた15

「社会的価値の創出」とは、最終的には、人々の快適性・利便性、心身の健康(ウェルネス)、安全・安心、幸福感(ウェルビーイング)など社会生活の質(QOL)を豊かにすることにつながることが重要であり、企業活動の「ソーシャルインパクト(社会全体への波及効果)」と捉えることができる。

「社会的ミッション起点の真のCSR経営」と言うと小難しく聞こえるかもしれないが、平たく言えば、「企業経営は社会の役に立ってなんぼ」ということだ。また、「真のCSRの実践においては、適切な『ガバナンス(G)』の下で、企業活動の一挙手一投足を『環境(E)や社会(S)への配慮』という『フィルター』にかけることが不可欠である」16ため、筆者が提唱する「社会的ミッション起点の真のCSR経営」は、「ESG経営」と言い換えることもできる。

筆者が提唱する通り、「社会的ミッション起点の真のCSR/ESG経営」が、企業の社会的責任であり存在意義(=社会的目的)であるならば、あらゆる企業が志の高い社会的ミッション(=社会課題解決)を実現すべく、共通の拠り所として「社会的ミッション起点の真のCSR/ESG経営」の実践に邁進しなければならない。このように、あらゆる企業が当たり前に「社会的ミッション起点の真のCSR/ESG経営」を実践するようになれば、そのような呼称はもはや必要なくなるだろう。必ずしも短い道のりではないだろうが、筆者はそのような世界の構築を標榜している。

逆に言えば、元々「ESG」という言葉が出て来たのは、社会を豊かにすべく、高い志を持って社会変革(ソーシャルイノベーション)に邁進する努力が不十分である、あるいはそのような努力を怠ってきた多くの企業経営に対する「アンチテーゼ」と捉えることができるのではないだろうか。
 
14 企業の存在意義や社会的責任を社会的価値の創出と捉える考え方については、文末の<参考文献(2)>筆者が執筆した「社会的ミッション起点の真のCSR経営」に関わる主要な論考を参照されたい。
15 筆者は、志の高い社会的ミッションを企業経営の上位概念に据えるこのような考え方を拙稿「地球温暖化防止に向けた我が国製造業のあり方」『ニッセイ基礎研所報』Vol.50(2008年)および同「CSR(企業の社会的責任)再考」『ニッセイ基礎研REPORT』2009年12月号にていち早く体系的にまとめた。
16 拙稿「CSRとCRE戦略」ニッセイ基礎研究所『基礎研レポート』2015年3月31日にて指摘。

5――CSR/ESGに対する2つの根強い誤解

5――CSR/ESGに対する2つの根強い誤解

筆者が標榜する、CSR/ESG経営の実践が当たり前になる世界に至るまでに「必ずしも短い道のりではない」と前章にて述べたのは、「CSR/ESG」については、産業界・資本市場の関係者や有識者などの間で、多くの誤解が未だ蔓延しているからだ。ここでは、筆者が大きな課題と考えている2つの根強い誤解を指摘しておきたい。
1|誤解(1):CSR=フィランソロフィー
1つは、「CSR」と言うと、ボランティア、寄付、植林、芸術文化支援(メセナ)など慈善の社会貢献活動(フィランソロフィー)を指している、と考える向きが未だに多いことだ。

「社会的ミッション起点のCSR/ESG経営」には、勿論そのようなフィランソロフィー活動も含まれるが、前述したように、それにとどまらず企業活動の一挙手一投足までを内包する考え方だ。CSRは、フィランソロフィーといった特定の狭い企業活動に限定するのではなく、企業経営の基盤を成すもっと広い普遍的な概念として、「企業が良き企業市民として社会で存在するために責任を持ってなすべきこと」と捉えるべきである、と筆者は考えている。すなわち筆者は、「CSR(企業の社会的責任)と企業の社会的存在意義(=社会的目的)はほぼ同義である」と捉えている。

筆者は、この1つ目の誤解と一線を画するために、「CSR経営」の前に「真の」という形容詞をわざわざ付けている。
2|誤解(2):企業の目的=経済的リターンの獲得
2つ目の誤解は、「企業の目的は経済的リターン(財務的パフォーマンス)の獲得」と考えている向きが未だに多いことだ。

前述の通り、「社会的ミッション起点の真のCSR/ESG経営」では、企業の目的は、志の高い社会的ミッションを掲げそのミッションを実現すべく、愚直・誠実に社会的価値創出に邁進し続けて社会を豊かにすることだ。社会的価値を創出し社会的ミッションを実現した結果の「ご褒美」として、初めて経済的リターンが獲得できるのであって、利益獲得が決して目的ではないのだ。

一方、利益ありきの「経済的リターン(利益)ファースト」の考え方が行き過ぎると、企業経営に不具合が起き最悪のケースでは企業不祥事にまでつながる、と筆者はこれまでも指摘してきた。「社会的ミッション起点の真のCSR/ESG経営」の対極にあるのが、「目先の利益追求を優先する短期志向(ショートターミズム:short-termism)の経営」だ17。短期志向の経営が企業不祥事にまでつながってしまうと、企業価値の大きな毀損を招くことは明らかだが、ショートターミズムは企業不祥事に至らなくとも、経済的リターンの継続的な創出には結局つながらないことに留意すべきだ18

筆者は、この点を説明する典型事例として、いつも日本の大企業を挙げている。我が国の大企業の多くは、外国人投資家の台頭や四半期業績の開示義務付けなど、資本市場における急激なグローバル化の波に翻弄され、2005年前後を境に株主利益の最大化が最も重要であるとする「株主至上主義」へ拙速に傾いた、と筆者は考えている19。多くの大企業は、短期志向の株主至上主義の下で、労働や設備への分配を削減して将来成長を犠牲にする代わりに、短期収益を上げ株主配当の資金を捻出するという、バランスを欠いた付加価値分配に舵を切り20、リーマン・ショック後には大手メーカーが派遣労働者の大量解雇に走った。多様なステークホルダーからの共感が得られる「誠実な経営」には程遠く、社会的ミッションが軽視され、社会変革(ソーシャルイノベーション)を起こす突破力が沈滞したとみられる。短期志向の経営は、結局縮小均衡を招くだけで継続的な付加価値創造、つまりGDP成長にはつながらなかったため、日本経済の「失われた10年」を「失われた20年」に引き延ばした主因の1つになってしまったのではないだろうか21

我が国では、2003年が「CSR元年」と言われ、CSRという言葉自体はこの20年で広く普及したが、前述した通り、大企業の多くは2000年代半ば以降、短期志向の株主至上主義へ拙速に舵を切り、また企業不祥事も依然として後を絶たず、日本企業はCSRの在り方を問われ続けている。今となっては、「2003年はCSR元年」という掛け声は虚しく響く。
 
17 拙稿「社会的ミッション起点のCSR経営のすすめ」ニッセイ基礎研究所『基礎研レポート』2019年3月25日にて指摘。
18 拙稿「最近の企業不祥事を考える」ニッセイ基礎研究所『研究員の眼』2015年12月28日にて指摘。
19 拙稿「CSR(企業の社会的責任)再考」『ニッセイ基礎研REPORT』2009年12月号にて指摘。
20 我が国の大企業の多くが経営の短期志向に陥っていることを示す、付加価値分配構造の詳細な考察については、拙稿「社会的ミッション起点のCSR経営のすすめ」ニッセイ基礎研究所『基礎研レポート』2019年3月25日を参照されたい。
21 拙稿「最近の企業不祥事を考える」ニッセイ基礎研究所『研究員の眼』2015年12月28日にて指摘。

6――むすびにかえて

6――むすびにかえて:「社会的ミッション起点の真のCSR/ESG経営」の普及啓発に努めたい

これまでフィンク・レターやエンゲージメント活動を通じてESGの普及に尽力してきたフィンク氏は、米国の政治・社会を激しく分断する左派と右派の間で板挟みとなり、政治論争から距離を置くために、「ESGという用語をもう使わない」と表明した。同氏は、一方で「ESG問題に対する姿勢は変えていない」とも述べているため、同氏によるESGという用語の不使用は「消極的な意味合い」を持つ、と筆者は推測する。

筆者は、ESGの実践が当たり前となりESGという言葉を「積極的な意味合い」で使わなくても済むようになるまで、企業経営の研究者として、フィンク氏の志・考え方を噛み締めつつ、CSR/ESGに対する根強い誤解を解きながら、「社会的ミッション起点の真のCSR/ESG経営」の考え方の普及啓発に今後も愚直に努めていく所存だ。

<参考文献(1)>
  • テレ東BIZ 2023年6月27日「ブラックロックCEO ESGの用語使用やめる」
  • 日経電子版2023年6月27日「米ブラックロックCEO、ESGの用語『もう使わず』」
  • 日本経済新聞2023年8月22日「ESG光と影 再構築への道①」
  • ブラックロックWebサイト「LETTER TO CEO 2017(2017年3月6日)」
  • 同「LETTER TO CEO 2018:A Sense of Purpose(2018年1月12日)」
  • 同「LARRY FINK'S LETTER TO CEOS 2020:金融の根本的な見直し」
  • 同「ラリー・フィンク2021 letter to CEOs」
  • 同「ラリー・フィンク2022 letter to CEOs:資本主義の力」
  • 同「ラリー・フィンク:投資家への年次書簡(2023年)」
  • 松岡真宏「2023年はESGにとって波乱の年?「『良い投資』とβアクティビズム」発刊に寄せて」フロンティア・マネジメント『Frontier Eyes Online』2022年11月14日
  • 三和裕美子「Vol.2 機関投資家のESG投資とエンゲージメント―ユニバーサル・オーナーシップ論と実践」QUICK『お役立ち情報:「人新世」とESG 新しい時代の投資家と企業のエンゲージメント』2023年7月13日

<参考文献(2)>筆者が執筆した「社会的ミッション起点の真のCSR経営」に関わる主要な論考
(※弊社媒体の筆者の論考は、弊社ホームページの筆者ページ「百嶋 徹のレポート」を参照されたい)
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社会研究部   上席研究員

百嶋 徹 (ひゃくしま とおる)

研究・専門分野
企業経営、産業競争力、産業政策、イノベーション、企業不動産(CRE)、オフィス戦略、AI・IOT・自動運転、スマートシティ、CSR・ESG経営

経歴
  • 【職歴】
     1985年 株式会社野村総合研究所入社
     1995年 野村アセットマネジメント株式会社出向
     1998年 ニッセイ基礎研究所入社 産業調査部
     2001年 社会研究部門
     2013年7月より現職
     ・明治大学経営学部 特別招聘教授(2014年度~2016年度)
     
    【加入団体等】
     ・日本証券アナリスト協会 検定会員
     ・(財)産業研究所・企業経営研究会委員(2007年)
     ・麗澤大学企業倫理研究センター・企業不動産研究会委員(2007年)
     ・国土交通省・合理的なCRE戦略の推進に関する研究会(CRE研究会) ワーキンググループ委員(2007年)
     ・公益社団法人日本ファシリティマネジメント協会CREマネジメント研究部会委員(2013年~)

    【受賞】
     ・日経金融新聞(現・日経ヴェリタス)及びInstitutional Investor誌 アナリストランキング 素材産業部門 第1位
      (1994年発表)
     ・第1回 日本ファシリティマネジメント大賞 奨励賞受賞(単行本『CRE(企業不動産)戦略と企業経営』)

(2023年09月08日「基礎研レポート」)

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