2023年09月08日

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1――ブラックロックのラリー・フィンクCEOが「ESGという用語をもう使わない」と表明

米国のブラックロックは、運用資産残高が2023年6月末時点で9.42兆米ドル(1ドル=144.535円換算で約1,362兆円)にも達する世界最大の資産運用会社だ。同社のCEO(最高経営責任者)であるラリー・フィンク氏は、今年6月に米コロラド州で開催されたイベントに登壇した際に、「ESG(環境・社会・企業統治)という用語を自身としては『もう使うつもりはない』と述べた」1といい、この発言が資本市場界隈で大きな話題となっている。

「ESG投資」と言えば、企業の環境(E:Environment)、社会(S:Social)、企業統治(G:Governance)への配慮・対応を重視し、投資プロセスにおいてESG要素を考慮する株式などへの投資を指し、ESGへの取り組みを愚直に実践し続ける企業経営を「ESG経営」と呼ぶ。

フィンク氏と言えば、毎年1~3月の年頭に投資先企業の経営者に送る年次書簡、いわゆる「フィンク・レター」が非常に有名だ。フィンク氏は、これまでフィンク・レターや投資先企業との継続的なエンゲージメント(建設的な対話)を通じて、ESGの旗振り役としてその普及に努めてきた。

本稿では、フィンク・レターの趣旨、ESGに言及したフィンク・レターの内容、フィンク氏が「ESGという言葉を使わない」と発言した背景を公表資料を基に概観した上で、ESGやCSR(企業の社会的責任)の在り方について、企業経営の視点から筆者の考え方を述べたい。
 
1 日経電子版2023年6月27日「米ブラックロックCEO、ESGの用語『もう使わず』」より引用。

2――フィンク氏は「フィンク・レター」等を通じてESGの普及をけん引

2――フィンク氏は「フィンク・レター」等を通じてESGの普及をけん引

1フィンク・レターの趣旨
ラリー・フィンク氏は、「フィンク・レター」について「弊社(※ブラックロック)を信頼して資産の運用を委ねてくださるお客様(※年金基金など機関投資家)の受託者として、お客様の目標達成を支えるため、持続的に長期にわたってリターンを確保する上で重要と考えるテーマを書簡において取り上げています」といい、「毎年私(※フィンク氏)は、私どものお客様に代わって投資先企業の皆様に書簡をお送りすることを最も重視しています」と述べている2

フィンク氏は、毎年年頭に投資先企業のCEOに書簡を宛てることで企業経営に関わる自らの問題意識やブラックロックの運用方針を伝え、投資先のCEOにフィンク・レターを当年度の企業経営を行う上でのたたき台や基本的な指針として活用してほしいとの思いがあるのではないだろうか。フィンク氏は、2023年のフィンク・レターにおいて、「投資先企業の少数株主である弊社は、企業に指示を出す立場にありません。私の経営者の皆様に宛てた手紙の唯一の目的は、投資先の企業が弊社のお客様のために耐性のある長期的な投資リターンを生み出すように働きかけることです」3と述べている。

ブラックロックは、決して株主としての立場を盾にして企業に圧力をかけたり事業に細かく干渉するのではなく、インデックス運用など長期の投資家として、投資先企業との継続的なエンゲージメントを長期視点から重視しているスタンスがよくうかがえる。このようなスタンスは、投資先企業の経営力の持続的な底上げに大きく寄与するとみられる。

株式投資ポートフォリオのパフォーマンスの源泉は、個別銘柄固有の動きや銘柄選択によってもたらされるリターン部分(アルファ(α)と呼ぶ)と株式市場全体の動きによってもたらされるリターン部分(ベータ(β)と呼ぶ)に分解できるが、これまでの伝統的な運用手法では、βは所与との前提で、アナリストやファンドマネージャーが独自の企業調査を通じてαを徹底追及することが主流だった。しかし、ブラックロックや米バンガード・グループなど、極めて巨額の運用資産を幅広い資産に分散投資し、株式投資についても事実上ほぼ市場全体(ほぼ全銘柄)に投資していると言えるような長期投資家、いわゆる「ユニバーサルオーナー」が登場するに至り、そのような巨大な機関投資家にとっては、βはもはや所与ではなく影響を与え得るものと捉えられるようになってきている。しかも「過去の株式投資のパフォーマンスを分析すると、すでにαよりもβによる株価変動がはるかに大きいことが分かってきた」4という。具体的には、「昨今の研究では、システマティックリスクがポートフォリオのリターンに及ぼす影響(※βに相当)は、銘柄選択や分散ポートフォリオ構築のスキル(※αに相当)よりも数十倍大きいことが証明され」5たという。ユニバーサルオーナーなど巨大な機関投資家が、多くの投資先企業との継続的なエンゲージメントなどを通じて、株式市場全体に影響を与え市場リターン(β)を高めようとする動きは、「βアクティビズム」と呼ばれる。βアクティビズムで取り上げられるテーマの代表例がESG要素だ。次節で述べる通り、フィンク氏がいくつかのフィンク・レターでESGをテーマとして取り上げているのは、まさにこのβアクティビズムの流れを主導する動きの一環だと思われる。
 
2 「」は、ブラックロックWebサイト「ラリー・フィンク 2022 letter to CEOs:資本主義の力」より引用。ただし、(※ )は筆者による注記。
3 ブラックロックWebサイト「ラリー・フィンク:投資家への年次書簡(2023年)」より引用。
4 松岡真宏「2023年はESGにとって波乱の年?「『良い投資』とβアクティビズム」発刊に寄せて」フロンティア・マネジメント『Frontier Eyes Online』2022年11月14日より引用。
5 三和裕美子「Vol.2 機関投資家のESG投資とエンゲージメント―ユニバーサル・オーナーシップ論と実践」QUICK『お役立ち情報:「人新世」とESG 新しい時代の投資家と企業のエンゲージメント』2023年7月13日より引用。ただし、(※ )は筆者による注記。
2ESGに言及したいくつかのフィンク・レターの内容の概要
フィンク氏は、フィンク・レターでの自らの問題意識・意見の表明やブラックロックの運用方針の説明や、投資先企業との継続的なエンゲージメントなどを通じて、長期視点でのESG推進の重要性をいち早く説き、ESG投資とESG経営の普及に貢献すべく大きく尽力してきた。ここでは、投資先企業にESGの取り組みを要請したいくつかのフィンク・レターの概要について、主としてブラックロックの公開資料の引用により紹介する。
(1) 人的資本経営の重要性を先取り
フィンク氏は、2017年のフィンク・レター6において、「事業に関連する環境・社会・ガバナンス(ESG)は、企業が長期的な視野に立っていかに事業を推進しているか、重要な示唆を与えてくれます」と述べて、長期視点でのESG経営の重要性に言及するとともに、「当社は、研究開発、技術革新に加えて、従業員の能力開発や生活水準の向上に向けて企業が積極的に投資しているかについても注視しています。企業の長期的な繁栄のために従業員のやりがいと満足度がいかに重要であるかは、冒頭に述べた昨年の一連のイベント7が物語っています」と述べて、ESGのSに区分される「人的投資や働き方改革による従業員の働きがい・満足度の向上」の重要性をいち早く説いている。

この主張は、昨今、産業界や政府、有識者の間で共通認識として盛んに強調されるようになった、資本と捉えた人材の価値を最大限に引き出すことで中長期的な企業価値向上につなげる「人的資本経営」の重要性を先取りしており、フィンク氏の卓越した先見性を示していると言える。
 
6 ブラックロックWebサイト「LETTER TO CEO 2017(2017年3月6日)」より引用。
7 2017年書簡の冒頭で「その(※グローバル化の)果実は必ずしも公平に分配されてきたわけではなく、高度なスキルを持ったとりわけ都市部の人材に偏っていたのです。賃金上昇の格差に加えて、テクノロジーの進歩が労働市場のあり方を根底から覆しています。教育水準の高い従業員には新たな機会をもたらしていますが、熟練度の低い従業員の職は数百万単位で消滅しています。技術革新により役割を失った従業員の多くは、リタイアメントに向けた十分な貯蓄もありません」と述べている。
(2) マルチステークホルダー主義に基づく社会的価値創出の重要性
2018年のフィンク・レターでは、「企業が継続的に発展していくためには、すべての企業は、優れた業績のみならず、社会にいかに貢献していくかを示さなければなりません。企業が株主、従業員、顧客、地域社会を含め、すべてのステークホルダーに恩恵をもたらす存在であることが、社会からの要請として高まっているのです」8と述べている。

すなわち、企業が持続可能(サステナブル)な発展を遂げるためには、財務的パフォーマンスだけでなく、良き企業市民として多様なステークホルダーに対して社会的なインパクトをもたらす「マルチステークホルダー主義に基づく社会的価値の創出」が重要であり、その社会的要請が高まっていることを説いた。
 
8 ブラックロックWebサイト「LETTER TO CEO 2018:A Sense of Purpose(2018年1月12日)」より引用。
(3) 気候変動問題に対する産学官金民連携、国際協調、企業の適応力の重要性
フィンク氏は、2020年以降、フィンク・レターにおいて、気候変動問題に多くの紙幅を割いてきた。例えば、2020年のフィンク・レターでは、「政府と企業は、公正かつ適正な形で、移行の実現に向けて協働していく必要がありますが、低炭素社会実現に向けて、社会の一部や発展途上国を置き去りにして進んでいくわけにはいきません。低炭素社会への移行は政府のリーダーシップのもと進められるべきですが、同時に、企業や投資家にも果たすべき重要な役割があると考えます」9と述べ、低炭素社会への移行・実現は、政府のリーダーシップの下で産学官金民を巻き込んだ連携体制で取り組む必要があり、また各国政府の国際協調などにより、立場の弱い途上国への気候変動分野での支援を並行して進めるべきであるということを説いた。

また2021年のフィンク・レターでは、「こうした経済(※温室効果ガス排出量を正味ゼロにするネットゼロ経済)への移行に伴い、自社のビジネスモデルが深刻な影響を受けない企業は存在しません。この移行が加速するにつれて、入念に策定された長期戦略と、ネットゼロ経済への移行に対応する明確なプランを持つ企業は、この世界的な変化に的確に対応していける企業として、顧客、政策立案者、従業員、株主などのステークホルダーから大いなる信頼を寄せられるようになるでしょう。一方、準備が迅速にできない企業は、事業面が芳しくなく、企業価値も低迷することになるでしょう。今後生じる劇的な変化へのビジネスモデルの適応力に対するステークホルダーの信頼が失われてしまうためです」10と述べ、気候変動問題に対する企業のビジネスモデル適応力の重要性を説いた。
 
9 ブラックロックWebサイト「LARRY FINK'S LETTER TO CEOS 2020:金融の根本的な見直し」より引用。
10 ブラックロックWebサイト「ラリー・フィンク2021 letter to CEOs」より引用。ただし、(※ )は筆者による注記。

3――フィンク氏が「ESGという用語をもう使わない」と表明した背景

3――フィンク氏が「ESGという用語をもう使わない」と表明した背景

前述したように、これまで先見性と長期視点を持って、ESG推進の旗振り役を担ってきたフィンク氏が、なぜ「ESGという用語をもう使わない」と今年6月に表明したのか。その背景について、メディア報道の引用により概観する。

その背景には、左派(リベラル派)と右派(保守派)の対立激化による米国の政治・社会の激しい分断の下で、ESGという用語が政治的になり過ぎたことがあるという。すなわち、「保守強硬派と左派の双方がESGという言葉を『誤解』して『攻撃材料として使う』ためという」「右派は『ウオーク・キャピタリズム(社会正義に目覚めた資本主義、※woke capitalism)』と批判し、運用会社の役割を超えた行為とみる。南部フロリダ州のロン・デサンティス知事は2022年、ブラックロックが運用していた州の資金20億ドルを引き揚げた。一方、気候変動対策を重視する左派には運用会社の取り組みが不十分との不満が渦巻く」11という。

フィンク氏は、ESGという用語を使わないとした一方で、「ESG問題に対する姿勢を変えていないとも強調し、出資する企業と今後も対話を続けると訴えた」12という。「ブラックロックは、『脱炭素や企業統治、社会課題への取り組みを企業に要請していく姿勢に変わりはない』としつつも『ESG』という言葉を避け、政治論争から距離を置く構えだ」13という。
 
11 日経電子版2023年6月27日「米ブラックロックCEO、ESGの用語『もう使わず』」より引用。ただし、※は筆者による注記。
12 テレ東BIZ 2023年6月27日「ブラックロックCEO ESGの用語使用やめる」より引用。
13 日本経済新聞2023年8月22日「ESG光と影 再構築への道①」より引用。
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社会研究部   上席研究員

百嶋 徹 (ひゃくしま とおる)

研究・専門分野
企業経営、産業競争力、産業政策、イノベーション、企業不動産(CRE)、オフィス戦略、AI・IOT・自動運転、スマートシティ、CSR・ESG経営

経歴
  • 【職歴】
     1985年 株式会社野村総合研究所入社
     1995年 野村アセットマネジメント株式会社出向
     1998年 ニッセイ基礎研究所入社 産業調査部
     2001年 社会研究部門
     2013年7月より現職
     ・明治大学経営学部 特別招聘教授(2014年度~2016年度)
     
    【加入団体等】
     ・日本証券アナリスト協会 検定会員
     ・(財)産業研究所・企業経営研究会委員(2007年)
     ・麗澤大学企業倫理研究センター・企業不動産研究会委員(2007年)
     ・国土交通省・合理的なCRE戦略の推進に関する研究会(CRE研究会) ワーキンググループ委員(2007年)
     ・公益社団法人日本ファシリティマネジメント協会CREマネジメント研究部会委員(2013年~)

    【受賞】
     ・日経金融新聞(現・日経ヴェリタス)及びInstitutional Investor誌 アナリストランキング 素材産業部門 第1位
      (1994年発表)
     ・第1回 日本ファシリティマネジメント大賞 奨励賞受賞(単行本『CRE(企業不動産)戦略と企業経営』)

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