2023年08月28日

かかりつけ医強化に向けた新たな制度は有効に機能するのか-約30年前のモデル事業から見える論点と展望

保険研究部 上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任 三原 岳

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3――都道府県と地域の医師会の取り組みに対する期待と不安

1|実践と自治によるボトムアップへの期待
今回の制度整備について、日医の幹部は「私たちも『今のままでいい』わけでは決してありません。かかりつけ医として国民に選ばれるための努力が、今まで以上に求められます」9と述べており、筆者は大いに期待しているところである。

そもそも医療サービスに関しては、患者―医師の情報格差が大きい点など、通常の財やサービスと違う点が多い。このため、患者―医師の信頼関係をベースにする必要があるし、患者の信頼を得る上では、医師が専門職として自己研鑽に励んだり、自立的に判断したりすることが求められる。いわゆる専門職としての自治(professional autonomy)である。特に、今回の制度整備では、ボトムアップによる対応が重視されているため、日医幹部の発言通りに医療界の積極的な参加と、自治体との連携に期待している。

この重要性を少し国民目線で考える。以下、こんな状況を想像して欲しい。医療機能情報提供制度を使い、近隣のA診療所がオンライン診療を実施していることを知ったとする。そこで、「仕事の合間に相談できるので、かかりつけ医をA診療所に決めよう」と考え、A診療所を訪問。そこで医師に対し、「ここでオンライン診療は受けられますか?医療機能情報提供制度では、A診療所が対応していると出ていたので」と聞いたところ、医師から「オンライン診療は3カ月前に止めたんですよ」という答えが返って来た場合、どう思うだろうか。筆者が患者であれば、恐らく「医療機能情報提供制度なんて信用できないな」と感じるに違いない。

つまり、単にシステムを整備したり、データを集めたりするだけでは不十分であり、国民・患者の利便性とか、制度に対する信頼性を高める上では、運用まで意識する必要がある。例えば3カ月周期で情報を定期的に更新するなど、都道府県による創意工夫と地域の医師会の協力が欠かせない。

特に、高齢化に対応した医療提供体制を目指す「地域医療構想」の推進など、かかりつけ医機能の強化にとどまらず、医療行政に関する都道府県の役割が大きくなっていることを踏まえると、都道府県の主体的な対応は重要なカギを握ると考えられる10。その際には、かかりつけ医機能やプライマリ・ケアの部分だけでなく、入院・外来の役割分担明確化、在宅医療の充実、医師確保、勤務環境の改善、新興感染症に備える有事対応など、医療提供体制を俯瞰する視点が欠かせない。
 
9 2022年12月28日『m3.com』配信記事における日医の松本吉郎会長インタビューの発言。
10 地域医療構想は2017年3月までに各都道府県が策定した。人口的にボリュームが大きい「団塊世代」が75歳以上になる2025年の医療需要を病床数で推計。その際には医療機関の機能について、救急患者を受け入れる「高度急性期」「急性期」、リハビリテーションなどを提供する「回復期」、長期療養の場である「慢性期」に区分し、それぞれの病床区分について、人口20~30万人単位で設定される2次医療圏(構想区域)ごとに病床数を将来推計した。さらに、自らが担っている病床機能を報告させる「病床機能報告」で明らかになった現状と対比させることで、需給ギャップを明らかにし、医療機関の経営者などを交えた「地域医療構想調整会議」での議論を通じた合意形成と自主的な対応が想定されている。地域医療構想の概要や論点、経緯については2017年11~12月の「地域医療構想を3つのキーワードで読み解く(1)」(全4回、リンク先は第1回)、2019年5~6月の拙稿「策定から2年が過ぎた地域医療構想の現状を考える」(全2回、リンク先は第1回)、2019年10月31日「公立病院の具体名公表で医療提供体制改革は進むのか」を参照。併せて、三原岳(2020)『地域医療は再生するか』医薬経済社も参照。このほか、医師偏在是正や外来機能分化、医師の働き方改革、新興感染症対策の強化などでも、都道府県の役割が期待されている。それぞれの制度改正については、2020年2月17日拙稿「医師偏在是正に向けた2つの計画はどこまで有効か」(全2回、リンク先は第1回)、2021年7月6日拙稿「コロナ禍で成立した改正医療法で何が変わるか」、2022年12月27日拙稿「コロナ禍を受けた改正感染症法はどこまで機能するか」、2021年6月22日拙稿「医師の働き方改革は医療制度にどんな影響を与えるか」を参照。
2実践と自治によるボトムアップへの不安
一方、今回の制度整備の先行きについては、不安な側面も指摘せざるを得ない。上記で挙げたように、国民や患者がガッカリする事態を防ぐ上では、本来であれば都道府県が医療機関に対し、「かかりつけ医機能を充足して下さい」と改善を促したり、公表データの修正を要請したりするぐらいの対応が必要となる。

しかし、こうした関与は現時点で想定されていないように見える。むしろ、自民党における法律の事前審査では、新たな制度整備における都道府県の関与を巡って議論が紛糾。厚生労働省が「取消などの行政処分を伴う行政行為ではない」「かかりつけ医機能の報告が医療機関を縛るわけではない」などと確認する一幕があった11

さらに、管見の限り、かかりつけ医機能の強化論議に関して、これまでに全国知事会が国に提言、要請した形跡も見受けられない12(ただ、これから制度設計の議論が深まる過程で、関心が高まることに期待したい)。

このほか、実践と自治による取り組みには欠点がある。それは往々にして、俗人的な要素に頼らざるを得ない点である。例えば、医療・介護連携など好事例の現場を訪ねると、「医師の××先生が熱心なんで、周りの専門職が付いて行った」とか、「積極的な自治体職員が主導しており、上手く地区医師会などと連携している」といった話を頻繁に耳にする。

もちろん、人口や面積、高齢化率、専門職の数、財政状況など、それぞれの地域で実情が異なるため、自治体や地域の医師会が実践と自治による取り組みを積み上げることは不可欠であり、国の制度改正だけで医療や介護の提供体制改革は実現できない13

しかし、こうした取り組みは往々にして俗人的になるため、地域差が生まれるのは止むを得ない面がある。さらに、「都道府県医師会の責任者が代わった」とか、「自治体の担当者が異動した」などの理由で、長続きしない危険性を伴う。今回の制度整備についても、一部の医師会による取り組みが「好事例」として強調されるかもしれないが、「どこまで全国に広がるか」「どこまで長続きするか」といった疑問は払拭できない。

しかも、歴史を振り返ると、約30年前にも同じように地域の医師会主導で、かかりつけ医機能を強化しようとする取り組みが実施されており、今回の制度整備との共通点を見出せる。以下、かかりつけ医という言葉が使われるようになった経緯とともに、今の医療制度改革論議では耳にしない約30年前のモデル事業の概要を振り返ることで、今回の制度整備の今後を占う14
 
11 2023年2月7日『ミクスオンライン』などを参照。
12 例えば、2023年8月に提出された政府への提言書・要望書(「ポストコロナ時代の持続可能な医療提供体制構築と健康づくり推進に向けた提言」「令和6年度国の施策並びに予算に関する提案・要望【社会保障関係】」)では、地域医療構想の継続・見直しや医師確保などの言及が見られるものの、かかりつけ医の件は全く触れられていない。
13 2022年12月に示された医療・介護制度に関する審議会報告書でも、「地域の実情」に沿った見直しの必要性が盛んに強調されている。詳細については、2023年3月31日拙稿「『地域の実情』に応じた医療・介護体制はどこまで可能か(1)」を参照。
14 約40年前の家庭医構想に関しては、2021年8月16日拙稿「医療制度論議における『かかりつけ医』の意味を問い直す」でも取り上げた。一部の内容は本稿と重複しているので、参照されたい。

4――30年前に始まったモデル事業の概要

4――30年前に始まったモデル事業の概要

1かかりつけ医という言葉が浮上するまでの経過(1)~家庭医構想に対する日医の反対意見~
元々、「かかりつけ医」という言葉が医療制度で明確に意識されるようになったのは1990年代前半である。その証拠として、国会で「かかりつけ医」という言葉が初めて登場するのは1991年9月であり、改正医療法に関する参考人質疑15で、訪問看護における医師の役割を語る文脈として、「現実にかかりつけ医という言葉が今度初めて出ていますけれども、これはどういう根拠があるかわかりませんが…」という発言が出たと記録されている。

注目されるのは「今度初めて出ていますけど」という部分である。これは1990年代前半から「かかりつけ」という言葉が医療制度改革の議論で使われ始めたことを表しており、厚生省(現厚生労働省)は1993年度からモデル事業を開始した。

その当時の判断について、厚生省の幹部は1993年3月の国会16で、慢性疾患の増大など疾病構造の変化や住民のニーズの多様化などに対応するため、地域の開業医がそれぞれの専門性に応じて、かかりつけ医になることを目指したと述べている。その上で、国会答弁では下記のような発言が示されている。
 
・家庭医に関する懇談会というものの報告が昭和六十二年にできまして、それを受けてモデル事業をやろうとした経緯がございます。そのときに日本医師会側からの御意見が出ましたのは、医師の裁量や患者の主治医の選定に関しまして一定の制約を課し、診療報酬の支払い方式を変更していこうとしておるものではないかというような御意見が出たりしまして、そういう反発があったというふうに私どもは聞いております。

・今回のかかりつけ医推進モデル事業につきましては、先ほども先生が御指摘になりましたように、日本医師会を初めとする医療関係団体の方からも、これを何とか推進していこう、そして患者と医師との間の信頼関係というのを確立しよう、こういうようなお話もございます。

つまり、上記の国会答弁を通じて、厚生省が創設した「家庭医に関する懇談会」の報告とモデル事業に対して日医から意見や反発が示されたこと、さらに日医との調整を経て、かかりつけ医推進モデル事業が創設された経緯を読み取れる。

ここで登場する「家庭医に関する懇談会」とは1985年6月に議論をスタートさせた検討組織。1987年4月に示された報告書では、図表6のような機能が今後の医療制度に求められると指摘していた。これを今回の制度整備とか、かかりつけ医などの定義を示した図表1と比較すると、相当な部分が重複しており、かなり先進的な内容を含んでいたと理解できる。
図表6:約40年前に厚生省懇談会が示した「家庭医」に期待される機能
では、どんな反発が日医から示されたのか。国会答弁では医師の裁量や患者の主治医の選定、診療報酬の変更などに関して、「日本医師会からの御意見」が出たと述べられており、厚生省が発刊した『家庭医に関する懇談会報告書』を読むと、かなり詳細な内容が示されている。

具体的には、「ゲストスピーカー」として、聖路加看護大(現聖路加国際大学)の学長だった日野原重明氏など多くの人の講演録や発言が本の末尾に記載されており、その一つとして、懇談会に加わっていた日医常務理事の発言も記録されている。概要は下記の通りである17
 
・厚生省は1985年度の予算案概算要求で、「家庭医制度創設準備費」を盛り込んだが、日医は非常に敏感に反応した。「家庭医」という言葉が色々な面で、刺激的だったためだ。

・1983年4~5月に雑誌『健康保険』に掲載された「医療保険政策の構想」という論文では、診療所の報酬を出来高払いではなく、定額払いにする考えが提唱されていた。これは当時、保険局長だった吉村仁事務次官の発言と重複していた。

・そこで、日医としては、定額払いを厚生省が家庭医に絡めて来ると警戒しており、発表を「来るものが来た」と捉えた。つまり、医師を家庭医として認定することで、認定権の掌握を通じた支配と、定額払いによる医療費削減を狙っているのでは。この認識の下、反対運動を展開した。

つまり、日医としては、家庭医の制度化が医療費適正化の手段として位置付けられるのではないか、その方法として厚生省が認定制度や登録制度を持ち出すのではないか、と懸念したわけである。さらに診療報酬に関しても、個別の検査・治療行為を評価する出来高払いではなく、登録人数などに応じて支払う定額払い(包括払い、人頭払いなどと呼ばれる時もある)に変えるつもりではないか、と疑った。さらに、その認識の下、厚生省が企図した家庭医に関するモデル事業に対して、反対運動を展開した――と記されている。
 
15 1991年9月18日、第121回国会会議録参議院厚生委員会における全日本民主医療機関連合会長の莇昭三氏の発言。
16 1993年3月26日、第126回国会会議録参議院厚生委員会における厚生省健康政策局長の寺松尚氏による答弁。一部の文章は読みやすいように省略した。明らかな誤植は筆者の判断で訂正した。
17 厚生省健康政策局総務課編(1987)『家庭医に関する懇談会報告書』第一法規出版pp97-108における日医常任理事だった松石久義氏の発言。
2|かかりつけ医という言葉が浮上するまでの経過~当時の時代背景~
では、こうした日医の発言や懸念はどこまで実態に沿っていたのだろうか。別の資料で見ると、日医が疑心を持った事情を推測できる。まず、発言に出ている『健康保険』に掲載された匿名の雑誌論文は後年、厚生省監修の書籍18に資料として掲載されている。このため、厚生省官僚が省内の検討経過を論文として公表したのは間違いない。実際、厚生省官僚OBに対するオーラルヒストリー(口述歴史)でも、複数の官僚OBが執筆者を実名で挙げている19

そこで、厚生省監修の書籍に掲載されている論文を読んでみると、確かに「大胆な一試案」として、登録した患者に対し、ホームドクター(家庭医)が相談指導・生活管理を担う必要性とか、ホームドクターに関する診療報酬制度を定額払いにする考えが披歴されている。さらに、効果や問題点を把握するため、地域や特定の保険者(保険制度の運営者)に限ってホームドクター制を試行実施することも検討に値すると記されている。こうした記述を勘案すると、日医が「家庭医」「モデル事業」という言葉に敏感になった背景を想像できる。

さらに、日医常務理事の発言に登場する「吉村仁氏」とは、後に事務次官になった厚生省の官僚であり、当時は「鬼にも蛇にもなって医療費適正化をやる」20と述べたり、増加する医療費が国を亡ぼす「医療費亡国論」という考え方を提起21したりするなど、医療費抑制に向けて過激な発言を繰り返していた。

こうした事情と背景の下、日医は「家庭医構想=医療費削減の手段」と理解するに至り、反対運動を展開したことで、厚生省の構想は頓挫。その代わりに、かかりつけ医という概念が考案され、モデル事業が始まるに至った。つまり、約40年前の家庭医構想の失敗を踏まえ、曖昧なかかりつけ医を普及させることで、日医と厚生省が合意した経過を確認できる。

誤解を恐れずに言えば、かかりつけ医は敢えて曖昧に設定されており、今回の制度整備でも約40年前と同じように登録制度の導入や診療報酬の見直しの是非が焦点になった末、曖昧さは解消しなかった。それだけ約40年前の経緯は議論に影響を強く及ぼしているし、医療制度における「かかりつけ医」という存在を分かりにくくしていると言える。
 
18 厚生省監修(1985)『医療保険制度59年大改正の軌跡と展望』年金研究所pp226-260。
19 2018年3月発刊の報告書「厚生行政のオーラルヒストリー」における和田勝氏の発言pp126-127、2017年3月発刊の「国民皆保険・国民皆年金の『形成・展開・変容』のオーラルヒストリー」p57における多田宏氏の発言を参照。なお、匿名論文の著者名を見ると、1983年4月号は「医療保険政策研究会」、同年5月号は「医療保障政策研究会」となっている。和田氏によると、これは4月の論文が公表された後、「医療保険政策研究会」という組織が別に実在していることが分かったため、同じ名前で書くのはマズいと判断した結果という。
20 1983年1月31日に開催された会合での発言。同年2月21日『社会保険旬報』を参照。
21 吉村仁(1983)「医療費をめぐる情勢と対応に関する私の考え方」『健康保険』1983年3月号などを参照。
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保険研究部   上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任

三原 岳 (みはら たかし)

研究・専門分野
医療・介護・福祉、政策過程論

経歴
  • プロフィール
    【職歴】
     1995年4月~ 時事通信社
     2011年4月~ 東京財団研究員
     2017年10月~ ニッセイ基礎研究所
     2023年7月から現職

    【加入団体等】
    ・社会政策学会
    ・日本財政学会
    ・日本地方財政学会
    ・自治体学会
    ・日本ケアマネジメント学会

    【講演等】
    ・経団連、経済同友会、日本商工会議所、財政制度等審議会、日本医師会、連合など多数
    ・藤田医科大学を中心とする厚生労働省の市町村人材育成プログラムの講師(2020年度~)

    【主な著書・寄稿など】
    ・『必携自治体職員ハンドブック』公職研(2021年5月、共著)
    ・『地域医療は再生するか』医薬経済社(2020年11月)
    ・『医薬経済』に『現場が望む社会保障制度』を連載中(毎月)
    ・「障害者政策の変容と差別解消法の意義」「合理的配慮の考え方と決定過程」日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク編『トピック別 聴覚障害学生支援ガイド』(2017年3月、共著)
    ・「介護報酬複雑化の過程と問題点」『社会政策』(通巻第20号、2015年7月)ほか多数

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