2023年08月07日

ドブス判決と米国の分断-各州が中絶を禁止できる米国になって1年-

保険研究部 主任研究員・気候変動リサーチセンター兼任 磯部 広貴

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3)3段階基準と医師の責任
とはいえ連邦最高裁はプライバシー権として中絶の権利を絶対的なものと認めたわけではない。いつでも、どのような方法でも、どのような理由でも妊婦には妊娠を終了させることができるという主張には同意できないとしている。ロー判決については、単に女性の中絶の権利を認めたものと報じられることが多いものの、無条件ではなく3段階に分けて基準を設定したことに注意が必要である。

・妊娠の第1三半期17では、妊婦は全く州の介入を受けず中絶を行う排他的権利を持つ。この期間においては、通常の分娩より中絶による死亡率は低いためである。

・妊娠の第2三半期では、州は妊婦の健康に合理的に関連する限りにおいて中絶を規制することができる。

・妊娠の第3三半期に入り胎児が外部で生存可能の場合、州は中絶を禁止できるが、常に妊婦の生命または健康を守るための例外規定を持たねばならない。

とはいえこのように妊娠を3段階に分けて基準を設定することには多分に医学の知識を要し、判事が行うことが適切かとの批判が伴う。レーキンスト判事の反対意見でも、司法よりも立法機関で判断することが望ましいと述べられている。

また、ロー判決において注意すべきもうひとつの点は、中絶の決定はあらゆる面で第一義的には医学的決定であり、基本的責任は医師にあるとしている点である。
 
17 日本語文献では3か月と書かれていることもあるが、原文では一定期間(妊娠期間)を3分割するTrimesterという表現が用いられている。
4)併合審理されたドウ判決
併合審理され、ロー判決と同日に判決が下されたドウ判決18についても触れておきたい。テキサス州法ほどは中絶を認める要件が例外的ではなく、アメリカ法律協会によるモデル州法に則ったジョージア州法についても連邦最高裁は違憲とした。具体的には中絶実施に際しての以下の手続き上の要件を憲法修正第14条に反するとした。

・病院認定合同委員会によって認定された病院で行われること
・各病院の中絶委員会によって承認されること
・他に2人の免許を持つ医師によって確認されること

また、妊婦を州内居住者に限定する点について、特権および免除に関する条項に反するとしてこれも違憲とした。ロー判決と同日に別途、テキサス州法より緩和的なジョージア州法にも違憲判決を下したのであった。
 
18 Doe v. Bolton, 410 U.S. 179 (1973)

4――中絶禁止派の反撃

4――中絶禁止派の反撃

【図表1:1973年以降の年間中絶数】 絶対的なものではないとしつつも、中絶を女性の憲法上の権利と明確に位置付けたロー判決は画期的であった。これを受けて全米の中絶数は増加していく。

他方、この状況は中絶禁止派の活動を燃え上がらせるものであった。中絶禁止派がとりうる策は法的手段と社会運動に大別される。主な法的手段としては憲法改正、連邦最高裁でロー判決を破棄させるべく実質的に中絶へのアクセスを阻害する州法を作ることが挙げられる。社会運動はときに論争の域を超え、剝き出しの暴力となった。

この章の第1項では法的手段と社会活動をあえて混在させ主な動きを時系列で示す。第2項では中絶禁止活動の中でキリスト教保守派が政治勢力として形成されていった点に言及したい。
1)主な動き
(1) 1973年:全米生命の権利委員会(NLRC)の活動展開
既に述べた通り各州の中絶禁止法制定にキリスト教勢力の影響はみられなかったが、カトリック教会は1960年代には中絶禁止の活動を開始しており、1968年、全米生命の権利委員会(NLRC)を設立した。ロー判決の出た1973年には無宗派の団体となり、中絶禁止に向けた活動を展開していった。

(2) 1977年:メディケイドにハイド修正条項導入
米国にはメディケイドと呼ばれる低所得者向け医療保障制度があり、財源は連邦政府と各州が担いつつ具体運営は各州に委ねられている。1977年、共和党下院議員ヘンリー・ハイドの提案により、以下の例外19を除いて連邦政府から中絶に関する費用の支出を禁じることが議会で承認された。中絶禁止派の勝利と言える。尚、これより前に連邦最高裁は3つの州がメディケイドより中絶に関する費用を支出しないことを認めていた。

・妊婦に生命の危険がある場合
・強姦または近親相関による場合(速やかに公的機関に報告された場合に限る)
・妊娠を継続すると妊婦に重篤かつ長期の健康上の害が生じる場合
 
19 1981年から1993年の間は「妊婦に生命の危険がある場合」のみとなった。1994年以降は、速やかな報告義務を免除した上で「強姦と近親相関」が復活し、例外は二項目で現在に至っている(2022年7月20日時点)。
(3)1983年:ハッチ憲法修正案否決
上院議員オリン・ハッチより、中絶の権利は憲法で保障されたものではなく、各州と議会が権限を持つとの憲法修正案が提出されていたものの否決に終わった。中絶禁止派による憲法修正の試みはこれまでも頓挫してきたが、中絶禁止を信条とするレーガン大統領時代になってからの否決は中絶禁止派を特に失望させたとみられる。

(4) 1987年:オペレーション・レスキュー発足
中絶禁止派による中絶を行うクリニックなど20への脅迫やいやがらせ、放火などの暴力行為は1970年代からも発生していたが、特に1984年から1985年にかけて増加した。1980年代後半に暴力行為は減少に向かう一方、メディアの注目を集めたのが1987年に発足したオペレーション・レスキューである。クリニックの周囲を大勢で横たわり患者を入れないようにする戦術を取り、他の団体にも大きな影響を与えた。リーダーのランドール・テリーはキリスト教原理主義者21であり、この頃から中絶禁止派の主流はカトリックではなく福音派になったと言われるようになった。
 
20 ロー判決の法廷意見を書いたブラックマン判事には多数の脅迫状などが届いたと言われている。
21 ランドール・テリーは2006年にカトリックに改宗した。
(5) 1989年:ウェブスター判決22
妊娠20週以降の場合、胎児が外部で生存可能な状態で中絶が行われないよう、生存可能性の検査を定めたミズーリ州法に対し、連邦最高裁は賛成5名反対4名で合憲とした。この中で、相対多数意見はロー判決が示した3段階(三半期)基準を放棄すべきと明記したものの、ロー判決の破棄には至らなかった。中絶規制という点では実質的に判例変更と言える内容であった一方で、ロー判決破棄に期待を抱いていた中絶禁止派を落胆させる結果となった。また、判決以前からメディアの注目を集めたことから、中絶の権利を守ろうとする中絶支持派の活動を活性化した側面もあったとされる。
 
22 Webster v. Reproductive Health Services, 492 U.S. 490 (1989)
(6) 1992年:ケイシー判決23
ペンシルバニア州法が定める中絶に対する5つの条件のうち、既婚女性の夫への通知義務のみを違憲とし、他を合憲とした判決であった。判事の判断は分かれ、相対多数意見は3段階(三半期)基準ではなく胎児の外部での生存可能性に焦点を当て、また、規制を不当な負担があるかで分析することを示しつつも、ロー判決は賛成5名反対4名で維持された。ウェブスター判決の流れからロー判決破棄を期待していた中絶禁止派をまたも落胆させた。尚、同年の大統領選挙で中絶を支持する民主党のクリントン候補が共和党で現職のブッシュ大統領に勝利した。
 
23 Planned Parenthood of Southeastern Pa. v. Casey, 505 U.S. 833 (1992)
(7) 1994年:クリニック入室保護法発効
中絶禁止派の不満が蓄積し暴力行為が増加する中、ついに1993年、フロリダ州にて中絶医師が中絶禁止派によってクリニック前で射殺されるという事件が発生した。中絶禁止派から殺人を含めた暴力を正当化する発言が続く中、クリニックへの脅迫や暴行を抑止するため、1994年、連邦法としてクリニック入室保護法が発効した。

(8) 2000年:ステンバーグ判決
胎児の体の一部を産道に出させた後、残りを切断・破壊するなどして娩出させる中絶を禁じる部分的出産中絶禁止法案が90年代に二度、連邦議会で可決されたもののクリントン大統領が拒否権を行使した。中絶禁止派にとっては中絶の残虐性を世にアピールすることができ、一方の中絶支持派にとっては、これが禁止されれば他の中絶手法にも拡大されることが懸念される内容であった。いくつかの州では同様の法案が成立し、ネブラスカ州法の合憲性が争われたのがステンバーグ判決である。連邦最高裁は賛成5名反対4名で違憲とし、州は妊婦の健康に配慮した例外規定24を含まない法案、ならびに他の中絶手法に拡大されないことが明確でない25法案を通過させることはできないと判示した。
 
24 妊婦の健康に配慮する例外規定がある限り実質的には医師の判断で中絶が行えるため、中絶禁止派としては入れたくない規定であった。
25 ネブラスカ州法は拡張引出法(Dilation & Extraction)よりも広く行われている拡張排出法(Dilation & Evacuation)にも適用される可能性があり、この場合、ケイシー判決が禁じた不当な負担を課すものと判断された。
(9) 2007年:ゴンザレス判決
共和党のブッシュ政権となり、2003年、部分的出産中絶禁止法が連邦法として成立した。その合憲性が連邦最高裁で争われたのがゴンザレス判決であった。規制の対象となる中絶手法がステンバーグ判決の下されたネブラスカ州法より明確化されたとしつつ、妊婦の健康に配慮した例外規定を含まないまま合憲とされた。賛成5名反対4名であり、単に連邦最高裁の判事構成の変化26が反映されただけとの批判もあった。
 
26 ステンバーグ判決でネブラスカ州法を違憲とする多数意見に与したオコナー判事の退任後、任命された保守派のアリト判事はゴンザレス判決で合憲の立場を取った
(10) 2009年:中絶医師ジョージ・ティラー射殺
この年の5月、妊娠後期の中絶を手掛けるジョージ・ティラー医師がカンサス州で中絶禁止派によって射殺された。ティラー医師は80年代から90年代にかけてクリニックの爆破、オペレーション・レスキューによる封鎖、銃撃の被害を受けていた。特に2005年からは保守系テレビネットワークのフォックスニュースによって「赤ん坊殺しのティラー」(Tiller the baby killer)と誹謗する特集を組まれており、全米で最も知られた中絶医師であった。中絶禁止派に殺害された医療関係者はティラー医師で8人目と言われている。

(11) 2016年:ヘラーステット判決27
テキサス州法の定めた中絶に関する2つの要件、中絶を行う医師は中絶の施設から30マイル以内の病院に妊婦を入院させることができること、中絶の施設は外来手術センターの最低基準を充足せねばならないことの合憲性が問われた。連邦最高裁は賛成5名反対3名28で違憲とした。そのような要件は不当な負担を課すものであり、また、女性の健康をより保護するものではないとの理由である。中絶支持派の勝利と言えた。
 
27 Whole Woman’s Health v. Hellerstedt, 579 U.S. ___ (2016)
28 スカリア判事の死去により1名欠員の状態であった。
(12) 2019年:Title X29クリニックからの中絶紹介を規制
Title Xはニクソン政権時代の1970年に導入され、低所得者や無保険者向けに避妊のカウンセリングと実施、乳がんと子宮頸がんの検査、性感染症の検査と治療、妊娠の診断とカウンセリングなどのサービスを連邦予算で補助するプログラムである。かねてより中絶はサービス対象外であるものの、トランプ政権は2019年、中絶を紹介するクリニックへは連邦予算を支出しないと発表した。これを受け2019年6月からクリニックの3分の1がTitle Xプログラムから去った30
 
29 Xはローマ数字の10を意味し、Public Health Service Actの第10章で規定されたため「タイトル・テン」と呼ばれる。
30 サービス受給者は2018年の390万人から2020年には150万人まで激減したが、新型コロナウィルス感染防止のため対面サービスが避けられた影響もある。尚、バイデン大統領は就任後の2021年に法改正を行い、クリニックの数はほぼ回復したと報じられている。
(13) 2019年:胎児の心拍基準など妊娠時期で中絶を制限する州法が9州で成立
9州で妊娠の時期に応じ中絶を制限する州法が成立した。そのうち5州は、胎児の心拍を検知できる段階(概ね妊娠6週間)以降の中絶を禁止するものであった。但しこれら州法は訴訟を提起されており、効力は発生していない。中絶手法や胎児の状況などに応じて中絶を制限するものまで含めると、12の州で25の州法がこの年に成立した。また、8つの州が連邦最高裁でロー判決が破棄されると同時に手続きが進む州法(trigger bans)を持つようになった。
2)キリスト教保守派の政治勢力化
これまで述べた中絶禁止派による反撃はキリスト教保守派が中心となって行われたものであるが、むしろ中絶論争がキリスト教保守派の政治勢力化に寄与したという側面もある。

カトリックは1960年代31から中絶禁止の姿勢を明確に主張するようになり、ロー判決以降、活動を展開していく。

プロテスタントの中では特に福音派が中絶禁止活動を推し進めた。福音派は全米人口の3から4分の1を占めると言われているが、聖書の権威と個人的な回心を重要視する他には特段の定義はない32。かつては政治に無関心とされた福音派が70年代後半から急速に政治勢力化した背景には、それ以前から福音派が尊重する伝統的価値観を揺るがす世相であったこと、カーターにレーガンと福音派の大統領が続いた33こと、有力なテレビ伝道師たちの登場などがあった。その中で必ず議題となったのが中絶問題であり、カトリックとの共闘も辞さなかった。

中絶禁止運動は、カトリックや福音派が政治勢力として結束するための闘いの場として機能したとも言える。その引き金が1973年のロー判決であった。

但しカトリック内にも保守派とリベラル派があるなど、カトリックや福音派であれば全員が中絶禁止派というわけではない34点に注意を要する。
 
31 1962年から1965年にかけて第2バチカン公会議が開催され、その中で定められた4憲章の一つ「現代世界憲章」において「生命は受胎されたときから最高の配慮をもって守らなければならない。人工中絶や赤子殺しはもっとも恐ろしい犯罪である」と記された。
32 蓮見博昭「宗教に揺れるアメリカ」(2002年)113-114頁では「政教関係をみていく場合には、(広義の)福音派を、(1)キリスト教原理主義者(ファンダメンタリスト。急進派)、(2)狭義の福音派(穏健派。一時、「新福音派」[Neo-evangelicals]と呼ばれたこともある)、(3)ペンテコステ派(Pentecostals、カリスマ派ともいう)の三つに分類することが、最も適当だと考えられる。」としている。
33 福音派は牧師の経験もあった民主党のカーター大統領を誕生させることに貢献した。しかしカーター大統領のリベラルな政治姿勢が福音派を失望させ、共和党のレーガン大統領支持に転向する過程で勢いを増したと言われる。
34 中絶支持の政策を打ち出すバイデン大統領はカトリックである。
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保険研究部   主任研究員・気候変動リサーチセンター兼任

磯部 広貴 (いそべ ひろたか)

研究・専門分野
内外生命保険会社経営・制度(販売チャネルなど)

経歴
  • 【職歴】
    1990年 日本生命保険相互会社に入社。
    通算して10年間、米国3都市(ニューヨーク、アトランタ、ロサンゼルス)に駐在し、現地の民間医療保険に従事。
    日本生命では法人営業が長く、官公庁、IT企業、リース会社、電力会社、総合型年金基金など幅広く担当。
    2015年から2年間、公益財団法人国際金融情報センターにて欧州部長兼アフリカ部長。
    資産運用会社における機関投資家向け商品提案、生命保険の銀行窓版推進の経験も持つ。

    【加入団体等】
    日本FP協会(CFP)
    生命保険経営学会
    一般社団法人アフリカ協会
    2006年 保険毎日新聞社より「アメリカの民間医療保険」を出版

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