2021年04月28日

コンテンツから見るノスタルジア消費-「ALWAYS三丁目の夕日」・「モーレツ! オトナ帝国の逆襲」・「西武園ゆうえんち」・「アメリカングラフィティ」から読み解く

生活研究部 研究員 廣瀨 涼

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1――「西武園ゆうえんち」が提供するノスタルジア

2021年5月19日に埼玉・所沢の「西武園ゆうえんち」が、開業70周年記念事業でリニューアル開業する。今回のリニューアルでは “心あたたまる幸福感に包まれる世界”がコンセプトに掲げられ、1960年代の日本が舞台に世界観が構築されている。園内には、生きた昭和の熱気を感じられる「夕日の丘商店街」と呼ばれる商店街が作られ、昔懐かしい町並みが再現されている。来園者はそこで昭和レトロな街並みや、懐かしさが口に広がるライスオムレツ、クロケット(コロッケ)といったメニューを楽しむことで、当時の日本にタイムスリップしてきたかのような気分を味わえる。まさに日本人のノスタルジア(哀愁)を刺激する施設といえるだろう。

ノスタルジア(nostalgia)という言葉は、ギリシャ語の nostos(家へ帰る)と algia(苦しんでいる状態=苦痛)に由来している。つまり、故郷へ帰りたいと切なく恋焦がれるという意味を持つ。元々17世紀後半に故国から遠く離れて、ヨーロッパのどこかの専制君主国の軍隊に所属し、戦っていたスイス人傭兵によく見られる「病気」として認識されており、抑うつ、食欲不振などの症状を指していた。この「帰郷の痛み」は 19 世紀に至るまで主に精神的な病として、発症要因や精神的、身体的諸症状の分析と処方についての研究が行われてきたが、昨今では当時のような“病気”としての意味合いで用いられることはほとんどなくなっている。

ノスタルジア研究の第一人者である社会学者フレッド・デーヴィスによれば、ノスタルジアは、「自分とは誰なのか、なにをしようとしているのか、どこへいこうとしているのか」というアイデンティティの構成、維持、再構成と深く結びついているという。人生におけるライフステージの移行期に、その変化に順応する過程の中で顕著に現れる。ノスタルジアは、変化する環境の中で自分自身のアイデンティティ自体は連続し、同一であるということを保証し、安寧を与える機能を持つのである。「思い出」と異なるのは、思い出が記憶の断片である一方で、ノスタルジアは「過去に焦がれる」という感情の揺さぶりそのものを意味しており、過去の断片的な記憶や記号が過去を美化し、あのすばらしい時代には戻れないという現実に対して哀愁を感じることなのである。例えば昨今使われる「思い出補正」という言葉がある通り、変哲もないものに思い出という付加価値が付くことで、他者には知りえない意味がうまれることも一種のノスタルジアと言えるだろう。現在では主に「良き時代への懐古」としての意味合いが強くなっている。

西武ゆうえんちでは、今回のリニューアルに際し、世界初となるゴジラの大型ライドアトラクション「ゴジラ・ザ・ライド 大怪獣頂上決戦」が稼働する。このライドアトラクションには、『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズを手掛けた映画監督山崎貴氏も携わっている。『ALWAYS 三丁目の夕日』は当に人々が共有する昭和30年代の日本に対する「懐かしさ」に訴求した作品であった。団塊世代が幼少期を過ごした昭和30年代は「もはや戦後ではない」という言葉が流行語になった通り、日本が戦後から復興して、高度経済成長を迎え、大衆消費社会が幕を開けた時期であった。この時期は東京タワーの建設、東京オリンピックの開催など日本が終戦後以降豊かさを実感しながら成長していった時代であるのは間違いないが、あの時代に生きた人々であっても、居住地によっては復興度合いや発展状況は異なる。つまり、『ALWAYS 三丁目の夕日』と言う映画はその時代を生きた人々たちが持つそれぞれの「昭和30年代」を引用し、集約させ再生産した一種のシミュラークル(虚構)なのである。言い換えると、その時代を生きた視聴者の多くがスクリーンに映し出された昭和30年代の懐かしさを引き出す記号が集約された「当時風の日本」に対してノスタルジアを感じていたといえるだろう。またこの時代以降に生まれた世代にとっては現代日本とはかけ離れた生活水準である傍ら、新幹線や東京タワーと言ったランドマークが面影を残し、そのギャップが一種のファンタジーの世界のように幻想的なモノとして受容された。『ALWAYS 三丁目の夕日』の映画公開以降「昭和レトロ」は注目を浴び、日本人がノスタルジアを感じる一つのイメージ(時代)として幅広い世代に定着した。
 

2――実現した「20世紀博」

2――実現した「20世紀博」

実は『ALWAYS 三丁目の夕日』以前に、昭和ノスタルジアに訴求した作品が存在する。2001年に公開された『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲』である。臼井儀人原作の国民的アニメの9作目の劇場映画にあたる当作品では、親世代が20世紀の象徴として、子ども世代が21世紀の象徴として描かれており、過去と未来が交錯して描き出され、ノスタルジアを誘発する作品として根強いファンを持つ作品である。主人公である野原しんのすけが住む街にテーマパーク「20 世紀博」ができる。大阪万博会場や 60-70 年代風の街並みを再現した 20 世紀博が提供するその圧倒的な懐かしさに、大人たちは夢中になった。ところがある日、街中の大人たちが忽然と姿を消し、街には子どもだけがとり残された。20 世紀博を運営する組織“イエスタデイ・ワンス・モア”が歪んだ 21 世紀を否定し、未来への夢や希望にあふれていた20 世紀的(特に 60-70 年代的)な生活でこの世を埋め尽くそうとし、懐かしさの虜となった街中の大人たちを文字通りノスタルジアの中に閉じ込めた。しんのすけは、親、そして未来を取り戻すためにその組織と戦う、というのがこの映画のあらすじである。西武園ゆうえんちの「夕日の丘商店街」が、1960年代を再現したと言う意味では当に「20世紀博」そのものであり、SNSでは「20世紀博」の実現に期待の声が上がった。
 

3――4つのノスタルジア

3――4つのノスタルジア

我々は様々なものに対して懐かしさを感じる。実際に経験したことのないものや、『三丁目の夕日』に人々が懐かしさを感じたように、個人レベルではなく群衆レベルで誘発される懐かしさも存在する。Havlena &Holak(1996)によればノスタルジアは個別の経験か集合的経験か、直接経験か間接経験かという二つの観点が存在するとし、各組み合わせからノスタルジアを以下の四つのカテゴリーに分類している(図1)。

(1) 個人的ノスタルジア(個別かつ直接経験)…個々の消費者が直接経験した事柄が喚起するノスタルジアのことである。家族と一緒にとった祝祭日のディナーなどがこの種のノスタルジアを喚起する。

(2) 対人的ノスタルジア(個別かつ間接経験)…両親や親友、年配者の経験談等を通じて喚起されるノスタルジアのことである。

(3) 文化的ノスタルジア(集合的かつ直接経験)…消費者自身が直接経験しているが、共有されたシンボルに基づくものである。皆が覚えているできごとによるノスタルジアなどがこれに該当する。

(4) 仮想経験ノスタルジア(集合的かつ間接経験)…自らの文化の歴史にかかわるものや、異文化に関するものなど、間接的で集合的な経験に基づくものである。
図1 Havlena &Holak (1996)によるノスタルジアの分類
ノスタルジアは個人の思い出から、複数人で消費し共有されるものが存在するなど「懐かしさを共有できる範囲」が異なるものであり、且つ実際にその個人が経験しているか・していないか、という経験則に基づくモノなのである。
 

4――人はなぜ「ノスタルジア」を求めるのか

4――人はなぜ「ノスタルジア」を求めるのか

そもそも人間は快楽を求めて、不快を避けようとする。快楽とは一般的に楽しさや心地よさ、感動や安らぎ、癒しを指すことが多い一方で、官能的な満足という意味でも用いられる。快楽とは「当人が望ましいと認識する感情」のことである。ここでの「望ましい」とは、社会が「望ましい」と評価することがらを指すのではなく、本人が望むところを意味する。ノスタルジアは、現在抱える“負”に対する「避難所」として自らを慰める快楽を与え、肯定的で調和的で永遠に続く楽園のように焦がれる対象となる。当時よかった一部分が数珠つなぎのように重層的に合わさり、変わることのない美しい過去として「思い出補正」され、虚構の楽園として我々を魅了し続ける。しかし、生活の豊かさや技術革新の側面からみても昭和30年代と現代の間には大きな差がある。現代消費社会を生きる我々の多くが先進であることの恩恵をうけており、当時の暮らしが現代の暮らしと比較して不自由であったということは紛れもない事実である。そういった“負”の事実は顧みられることなく、「過去に焦がれる」のがノスタルジアの実態なのである。併せて、現実におけるライフステージ移行期の変化や日々の生活における停滞感や苦痛があるから過去が美しく際立つ。これは過去から連続した自身のアイデンティティ(人生)と照らし合わせ、その当時は子どもで今のように社会的責任が少なかったり、今は亡き愛する人が存命であったりと、今とは違う確かな事実(思い出)に焦がれていると言えるのかもしれない。

一方で、豊かさだけが全てではなく昭和30年代のあの生活を渇望することもあるかもしれないが、その「豊かさだけがすべてではない」という価値観自体が、現代の豊かさを肯定しており、タイムスリップなどしえないという事実があるからこそ、我々は過去を求め、現代を蔑む。過去と現代どちらで生きるかという議論は一見不毛なモノに見えるが、我々は、過去に戻れないという絶対的な事実があるうえで、選択をするわけでもなく現代で生きることを強いられている。そのため実際に取捨選択をする機会は訪れないというある意味無責任な事実があるからこそ、「過去に戻りたい」という価値観が生まれるのである。現代に生きる我々が、仮にタイムスリップできたとしても、現在の日常や技術を捨てて、今より不自由な時代で生きていくことを望む人は少ないのではないだろうか。「過去に戻りたい」、「あの時代の生活を送りたい」という言葉の裏には、非日常となってしまった過去の日常をまた味わいたいという、トキ消費やコト消費への期待が存在しており、いわば当時の消費文化自体が消費対象として見られているのである。そのため、過去に戻れないという事実を代替するように、例えば今回の西武園ゆうえんちの昭和レトロなリニューアルや、昔懐かしい給食が食べることができる食堂、駄菓子居酒屋など、実際に懐かしさ(空間)を消費できる事に価値が見いだされている。消費者は懐かしさを消費することで束の間の疑似タイムスリップを経験し、二度と帰ることができないという感傷を慰めるのである。しかし、その空間はノスタルジックなモノを集合させ、インスタントに懐かしさを誘発させる舞台装置にしかすぎず、実態とはかけ離れた圧倒的な懐かしさを浴びることで虚構としての昭和が消費されているに過ぎない。その虚構で充足された懐かしさの裏には、マーケティングによって差し出された誰もがその空間で懐かしさを感じるという約束された結末(消費結果)が存在しており、人々は皮肉にも懐かしさを充足するはずが、二度と戻れないという現実を突きつけられ、虚構によって満たされた懐かしさに虚無感を得るのである。
 

5――ノスタルジア消費

5――ノスタルジア消費

現代消費社会においては、「快楽自体」が商品の選択・購買や使用・利用、あるいは処分といった消費者行動からもたらされている。これを「快楽消費」(Hedonic Consumption)と呼ぶ。堀内(2004)の定義に従うと快楽消費とは「消費者行動を通じて、当人にとって望ましい感情を経験する事」である。ノスタルジアも例外ではなく快楽消費の対象となっており、例えば「復刻版」商品を販売したり、昔のコンテンツがリブート、リバイバルされて作り直されることも多々ある。これは個人レベルでのノスタルジアが誘発されており、「あの頃遊んだ懐かしいおもちゃ」という個人の思い出がノスタルジアの源泉となっている。そのため、他人には見出すことができない付加価値が個人の経験によって創造されているのである。

一方、本レポートで取り上げている『三丁目の夕日』のように集合体としての人々が感じるノスタルジア=「集合的ノスタルジア」も存在する。細辻(1984)に従えば「集合的ノスタルジア」は、ある出来事に対して、社会的に「ノスタルジックなもの」としての一定の評価が得られる状況を指すという。誰もが全く同じ経験をしてはいないものの、それぞれが「懐かしさを誘発する」共通の記号を有しており、共鳴することで再生産された美しいイメージが創造されるのである。このことから筆者は、ノスタルジア消費は「快楽消費」と「記号消費」の2つの側面を擁していると考える。

快楽消費は前述した通り、快楽、安心、安寧といった精神的充足に訴求した消費を指し、自身が思い出に浸るために行われる自己満足の消費と言えるだろう。これは間々田(2007)のいう第三の消費文化に位置づけられる消費であるといえる。一方で、『三丁目の夕日』に限らず、東京オリンピック(1964年)や日本万国博覧会(1970年)のようなイベントや、過去に販売され人々が懐かしいと思うモノは、個人の記憶によって懐かしさが誘発されるのではなく、映像や写真、ロゴ、音楽といった集合的ノスタルジアとして共有される記号によって誘発されている。前述した4つのノスタルジアの分類でいう文化的ノスタルジアが当てはまる。また、メディアによって美化された過去が、仮想経験ノスタルジアとして、その時代に生まれていない世代にも反射的に懐かしさを誘発させてしまう記号として受容されていく。このように「他人と懐かしさを共有し合う出来事」や「生産されてから時間経過し、懐かしさを共有できるモノ」は、出来事や時間経過しているということ自体がノスタルジア消費としての記号として成立しており、「記号消費」の性質を持つのである。これは間々田のいう第二の消費文化に位置づけられ、記号が持つ社会的文脈を通して、他者や社会集団との関係に配慮しつつ、消費行為に優位性を示す、差異をもたらす、目立つ、帰属意識を表明するなどの意味を持たせようとしているのである。一般にレトロ市場と呼ばれているモノは、人々の間でレトロとして認知されているからこそ成立しているわけであり、いくら古くても「レトロ」として認知されていると言う付加価値を擁していない限り、ノスタルジアを誘発する記号として機能しないのである。

また、実際には時代経過を伴っていない真新しい商品であっても、色合いや素材によってレトロな演出を施すレトロ風市場も存在する。例えばブリキを使用したおもちゃや、セピアや白黒の写真は、その素材自体が「古いもの」という認識が持たれているため、ノスタルジアを誘発する要素になりうるのである。このことからレトロ(ノスタルジア)に対する普遍的なイメージがブリコラージュ(寄せ集め)され、ホンモノが存在しない偽物が再生産されているのである。
図2 ノスタルジア消費の構造
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生活研究部   研究員

廣瀨 涼 (ひろせ りょう)

研究・専門分野
消費文化、マーケティング、ブランド論、サブカルチャー、テーマパーク、ノスタルジア

経歴
  • 【経歴】
    2019年 大学院博士課程を経て、
         ニッセイ基礎研究所入社

    ・令和6年度 東京都生活文化スポーツ局都民安全推進部若年支援課広報関連審査委員

    【加入団体等】
    ・経済社会学会
    ・コンテンツ文化史学会
    ・余暇ツーリズム学会
    ・コンテンツ教育学会
    ・総合観光学会

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