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2025年05月09日

ESGからサステナビリティへ~ESGは目的達成のための手段である~

金融研究部 常務取締役 研究理事 兼 年金総合リサーチセンター長 兼 サステナビリティ投資推進室長 德島 勝幸

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1――ESGに対する意識の変化

人の世の常なのかもしれないが、何事もブームによる熱狂とその後の反動での冷却が不可避であるように思えてならない。最近の様々な報道を見ても、特定の事件や事故について大きく盛り上がり注目を集めると、直前に一世を風靡していた話題がすぐに忘れ去られてしまい、気が付くと話題が入れ替わっている状況である。直前で人口に膾炙し話題に上っていた事件や事故の顛末がどうなったのかは、意識して調べないと、そのまま忘れ去られてしまう結果になることが少なくない(幸いにして、近年ではインターネットの発展によって少し手間を掛ければ、過去の事象のその後を調べることは容易になっている)。ある種の陰謀論としての見方からは、世間の注目を集めたくない政治的なイベントや不祥事に対して話題を集め易い騒動をぶつけることで世論を誤魔化しているのではないか、と言われることもあるが、意図的ではないにせよ「人の噂も七十五日」と言われるように話題の寿命は短いものであり、持て囃された物事が一過性のブームに終わってしまうことも少なくない。

ここ数年のESGを巡る世間の動向についても、やや盛り上がり過ぎたと思われる中で先鋭的な動きが目立った後、むしろ反動的な見方や取扱い方が増えて来たように感じるようになっている。特に、ESGに関する教条主義的な思想や行動の目立つ欧州とは異なり、一般的に実利を優先する米国においては、共和党が必ずしもESGに対して全面的な肯定でない立場を採っており、是々非々での対応が主張されて来ている。特に、2025年になってトランプ大統領が復帰したことから、従来の民主党バイデン政権下での様々な取り組みが、改めて見直される方向になっている。

これらの動きの背景にあって見落としてはならないのが、「何のためにESGに取り組むか」という基本的な思想ではなかろうか。E(環境)S(社会)G(ガバナンス)と総称する中でも、企業にとって求められるのはESGを意識した経営であり、投資家にとって必要なのはESGを意識した投資であり、各々の取り組みの方向性は若干異なるものである。企業の多くは投資家や世の中、直接的にはステークホルダーから求められるために、ESGに注力すると考えているのだろう。ところが、人間の行う行動の常として、手段を目的化してしまいがちである。ESGによって目指すべき本来の目的を忘れて、ESGに取り組むこと自体が目的化してしまう可能性に、十分、留意すべきである。トランプ米大統領はDEI(Diversity, Equity & Inclusion)を推奨する動きに対して見直しを求めているが、本来は適材適所の観点から様々な人材を登用すべきということが根本にあり、DEIそのものを目的とすべきではなかったと考えているようである。DEIは確認やチェックとして用いられることがあっても、DEIそのもののために人材配置や採用が行われるものとは考えられないのである。欧米のトレンドを見ていると、暫く前までは一方向に大きく振れ過ぎていたように思えるし、現在観察されている反動は決して小さくはないように見える。

筆者はESG経営やESG投資に取り組む際に、「形だけのESG」に陥らないよう当初から警鐘を鳴らすよう努めて来た。ESGに取り組むこと自体は、ESGの本来の目的に向かうものであれば、否定されるべきものではない。しかし、地球温暖化などの環境変化をあまりにも強く意識するために、自動車や飛行機といった文明の利器を完全に捨て去ってしまうのであれば、文明は後退し石器時代に戻れと言った過激な主張と同様になってしまう。アメリカに暮らすアーミッシュと呼ばれる人たちは、宗教的な信念から、内燃機関や電気の利用を拒否し馬車やランプでの生活を営んでいるが、スマホの活用やキャッシュレスの利用といった最近の都市生活とは両立できなくなっている。

地球環境を大切にすることが必要だという思想には、誰も異論がないだろう。しかし、限度や程度を意識する必要があるのではないか。ある程度の利便性を諦めることは可能だが、全面的な利便性の放棄は文明を維持する観点から否定されるしかない。ガソリンを燃やして駆動する自動車を捨て、電気を利用して走る自動車に切り替えても、その電気をどうやって得ているかを考えるべきである。燃料電池車は水素を燃焼して走るからクリーンだと言っても、その水素を生成する過程で温室効果ガスを大量に排出していては意味がないし、ましてや水を電気分解して水素を生成しているなら、その電気を産み出す源は何かをよくよく考えるべきである。電源構成のかなりが再生可能エネルギーに置き換わりつつあるとは言え、原子力が完全にクリーンであるとは言い難いし、まだまだ天然ガス等の化石エネルギーへの依存をなくすことは出来ていない。

夏になったら花火を上げたり、花火大会を見に行ったりするのは日本の多くの人々にとって欠かすことの出来ない楽しみであるが、花火を燃やして二酸化炭素を放出することや花火大会の会場まで交通機関を利用して電気なり化石燃料を使用して出かけることは、完全なESGを追求すると否定されてしまう。そんな楽しみのないESGなんて願い下げだと思うのが一般的であり、ESGに関しても取り組みの限度が自然と各人や社会の中には、存在するのである。

結局のところ、ESGへの取り組みについては、現代文明と折り合う発想が必要であり、自動車の駆動といった一部分のみを見るだけではなく、エネルギー源と最終的な廃棄処理までを含めて考慮しなければ、適切な発想とはならない。端的な問題が、太陽光発電パネルにおいて現れる。風力にせよ、太陽光にせよ、再生可能エネルギーの多くは天候や気象に左右され安定的な供給が難しいという弱点を有しているだけでなく、発電に要する設備の維持や最終的な設備の廃棄局面まで考えて議論しなければならない。風力発電機の作動で低周波が発生して、周辺住民の生活に悪影響を及ぼすのでは意味がない。風車の羽根が折れて周囲に損害を与えるようでは、クリーンであっても危ないものなのである。また、太陽光発電パネルから希金属が外部に流出したり、パネルが劣化して火災が発生したり、使用済みパネルの処理が進まなかったり、といった事象は目的を見失った本末転倒の結果と言うべきである。

特に日本においては、これまでに原子力発電によって生じた放射性廃棄物の処理や原子力発電所そのものの廃炉といった深刻な問題の発生を経験しており、単なる発電過程のクリーンさのみを考えることが無意味であることを痛感している。ESGに関しても、特定の局面だけを切り出して強調するのではなく、一気通貫して全体として考えるべきであることを容易に理解できるのではないだろうか。

2――それでもESGは重要な課題である

2――それでもESGは重要な課題である

ESGに関して全体的に周囲にあることも含めて考えるべきだというのは、至極当然のことであろう。そもそも国連がESG概念を提唱したのは、MDGs(Millennium Development Goals)を実現するための手段としてであった。したがって、その後にMDGsの発展形として提唱されたSDGs(Sustainable Development Goals)を達成するためのものとして、ESGは考えられるべきものである。つまり、SDGsが字義通りの目標(Goal)なのであって、その目標には持続可能(Sustainable)という重要な修飾語が明記されている。つまり、ESGを通じて実現を目指すのは、SDGsに掲げられている17の目標であり、将来にわたって人類の文明を成長させ維持するための行動がESGなのである。

結局のところ、サステナブルでないESG行動は、目的実現の観点からは誤った取り組みであるということができる。国際的にみても、ESG経営やESG投資といった概念から、サステナビリティを意識した情報開示や経営・投資の取り組みが重視される方向への変化が顕著であり、それは本来の趣旨や在り方に沿った変化であるものと考えられる。

重要なのは、サステナビリティを意識したESG経営やESG投資であり、名ばかりのESGに堕することなく、しっかりした揺らぎのない観点からESGに取り組むことがサステナビリティに繋がる行動になる。しかし、環境を考えた経営や投資が否定されるものではない。例えば、不動産業界においても、ZEB(Net Zero Energy Building)やZEH(Net Zero Energy House)などといった概念に基づく物件は環境に対する貢献が大きく、サステナビリティに直結しているものと考えて良く、不動産を開発する際においても、環境への配慮を忘れないことが引続き求められるだろう。一方で、森林を伐採して闇雲に太陽光発電パネルを設置するような行為は、明らかにサステナビリティの観点から不適切とされる可能性が高い。また、新築住宅に太陽光発電パネルの設置を義務化することは、屋根の重量が増すことで生じる堅牢性の問題や将来の太陽光発電パネルの不具合や廃棄といった様々な問題についても含めて全体的に考慮する必要があるのではないか。繰り返しになるが、重要なのは、一局面のみを見るのではなく、最終的な局面まで含めた総合的な把握と認識である。

これから世の中でESGという表現がもし目立たなくなったとしても、根本的には、サステナビリティを意識した社会を目指すという観点での取り組みは継続して求められるだろう。決して「ESGを意識しなくて良くなった」のではないし、「ESGは時代遅れである」でもない。表現は今後も変わって行くかもしれないが、ESGに取り組むことはサステナビリティを維持・確保するという観点から根強く残り続けるものと考えられる。

ESGについて、企業側がどこまで取り組んだら良いのかはっきりしないという声も聞かれる。それは間違った問いではなく、実際のところ、どこまで取り組んだらよいかという「正解」は誰も持ち合わせていない。企業側が自ら率先して収益性を無視してESGに取り組みたいと考えているかどうかは微妙である。むしろ投資家や市場から求められて取り組んでいるものと解するのが自然ではなかろうか。投資家から求められるところまでESG経営を推進するというのが一つの答えではあるが、その要請される水準すら社会の変化に応じて変わって行くだろうし、投資家自身も、絶対にここまでといった基準を予め持ち合わせているものではない。

投資家も、ESGに取り組むことによって企業が利益を毀損させることまでは求めていない。ESGは、あくまでも中長期的な観点から利益を維持確保するための取り組みであり、企業がどこまで取り組むべきかを判断するには、エンゲージメントにおいて企業と投資家が適切なコミュニケーションによって意見交換する中で、手がかりを見出して判断して行くしかないものと考えられる。

本資料記載のデータは各種の情報源から入手・加工したものであり、その正確性と完全性を保証するものではありません。
また、本資料は情報提供が目的であり、記載の意見や予測は、いかなる契約の締結や解約を勧誘するものではありません。

(2025年05月09日「基礎研レター」)

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金融研究部   常務取締役 研究理事 兼 年金総合リサーチセンター長 兼 サステナビリティ投資推進室長

德島 勝幸 (とくしま かつゆき)

研究・専門分野
債券・クレジット・ALM

経歴
  • 【職歴】
     ・1986年 日本生命保険相互会社入社
     ・1991年 ペンシルバニア大学ウォートンスクールMBA
     ・2004年 ニッセイアセットマネジメント株式会社に出向
     ・2008年 ニッセイ基礎研究所へ
     ・2025年4月より現職

    【加入団体等】
     ・日本証券アナリスト協会検定会員
     ・日本ファイナンス学会
     ・証券経済学会
     ・日本金融学会
     ・日本経営財務研究学会

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