2022年12月15日

消費したくないモノから考えるZ世代論-若者の○○離れに対する私論的考察

生活研究部 研究員 廣瀨 涼

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1――Z世代全てを包括するマーケティングアプローチはない

Z世代と一概にいっても1996年から2012年の間に生まれた層を指しており、2022年現在、上は26歳から下は10歳までの若者を指している。電子機器で言えば1996年は「たまごっち」が発売され、2012年は「iPhone5」が発売されている。17年間で市場においては大きなイノベーションが生まれ、商品やサービスは劇的に革新するわけで、それを消費する消費者自身の価値観も伴って変化すると考えるのが筋である。しかし、Z世代論においてはそのようなシンプルなことが見過ごされがちであり、筆者自身Z世代全てを包括できるようなマーケティングアプローチがあるとは考えていない。本レポートでは、Z世代が消費においてどのような普遍的な価値観を持っているのかではなく、それ以前の世代と比較した際にどのような価値観の違いを擁しているのか論じるアプローチで、Z世代の消費に対する価値観を考察していきたいと思う。
図1 1996年と2012年に発売された電子機器

2――VUCAの時代と画一化した幸福の消滅

2――VUCAの時代と画一化した幸福の消滅

昭和後期や平成初期においては高度経済成長やバブルの名残もあり、「いい大学に入り、いい企業に就職する」「結婚して盛大に結婚式を開く」といった誰もが描きやすい画一化された幸せが存在していた。親の敷いたレールは正にこれで、世間様と比較した時に型にはまった生活をできているという事自体が幸せと捉えられていたのかもしれない。このような人生のビジョンに限らず、バブル期においては高級ブランド志向やゴルフやスノボーといったレジャーが積極的に消費され、上司から勧められたものを素直に聞き入れて消費していた読者もいるのではないだろうか。ある意味で、当時の上司は画一化された幸せを送れている身近な例であり、幸せを体現する彼らそのものが、倣って消費を行う理由になっていたのである1。しかし、Z世代の中にはこのような価値観が必ずしも幸せにつながるとは考えない層も存在する。

就職の観点から見れば、バブル時代の羽振りの良さは陰りを見せ、目先の幸せだけを考慮した場合、大手企業も中小企業も若い間の給与に大きな差はなく、大手企業に入社するメリットは見出しにくくなった。中には就労環境が劣悪な企業もあり、昔の企業戦士の様に仕事や企業ブランドに誇りをもって身を粉にして働くことに対しても価値観は大きく変化した。何より、YouTubeやSNSの普及は、若者に個人事業主や転職の成功例を提示し、終身雇用制度に対して疑問を持つきっかけを与えた。ましてや、2010年代初頭にはYouTuberのヒカキンがデビューし、当時は楽観的過ぎると言われた「好きなことをして生きていく」というYouTuberの信念は、今や多くのYouTuberやインフルエンサーの成功により肯定され、就職して、結婚し、家庭を持つという画一化された幸せ以外の個人が個人の幸せ(やりたいこと)を追求することに対する価値観も広く浸透している2

また、好景気の時は確かに羽振りのいい上司を見て、自分もこの人の様になりたい、このまま続けていればこの人ぐらい稼げるようになる、といったように目の前にニンジンがぶら下げられた状態が働く上でのモチベーションとなっていた時代もあったのかもしれないが、この不景気にそこまでの魅力を部下に見せつけることができる上司側が減っているという事も、仕事に対するモチベーションが昔と違う大きな要因なのかもしれない。
図2 VUCAのそれぞれの意味
成功や達成が画一化し、イメージが描けていた時代は、なりたい姿(あるべき姿)になるために、今の自分から逆算し、あるべき姿への道筋(理想の自分になるためのプロセス、手段、資格等)をたどることができたが、不確実な時代にあるべき姿は描きにくい。2010年代に入ると、VUCAの時代と言われることも増え、未来を見通すにはあまりにも先行きが不透明で、将来の予測がますます困難になっている。そのため、画一化した「なるべき姿」も消滅していき、それぞれが幸せならばいい、それぞれの価値が尊重されればいいという、画一化と相反する多様性が強く尊重されるようになったともいえるだろう。
 
1 また打算的な見方をすれば、上司が勧めたものを消費することで「勧められたものを購入した」という事をフックにコミュニケーションが生まれ、消費は上司と良好な人間関係を築く上でのコミュニケーションツールとしての側面も持っていた(これは過去に限らず現在においても言える事ではある)。
2 YouTubeのコメントやTwitterの投稿において、そのような個人の幸せを追求した結果に対する投稿に、同じような経験をして成功した例や、幸せを追求していることに対する称賛などが溢れ、あたかも誰もが成功できる、誰もが肯定してくれるような感覚を生み出している。また、仮に失敗しても人生を失敗した人が成り上がる成功例もSNSには溢れており、自身の選択に対する肯定感、自身がするかもしれない失敗に対する肯定感など自身の境遇にあった他人の実例を探究できることも大きな要因である。ある意味自分にとって都合のいい結果や言葉を追求し、自身の自己肯定感を高めているともいえる。

3――若者の「○○離れ」に対する私論

3――若者の「○○離れ」に対する私論

このような幸福感の変化は消費に対する価値観をも変化させる。前述した通り、「あるべき論」として上司が勧めてきたものが「二つ返事」で購入されてきた時代があったのも確かである。また、モノを所有することがステータスかのようにマスメディアの広告は消費を喚起させ、必要ではないが生活を豊かにする(生活が豊かであるように見せつける)ことができるモノを人々がこぞって消費していた時代があったのも確かである。しかし、このような消費の根底には「画一化された幸せ」があり、消費によって描けた幸せのビジョンやモノやレジャーに溢れていること自体が幸せだったから成立していた消費の価値観であったともいえる。しかし、お世辞にも景気がいいとは言えない情勢や、そもそも画一化された幸せに対して魅力的であると思わないZ世代も多く、自分が必要としないものに対して消費を行う際に理由や根拠を必要としているように思われる。「ゴルフやれよ」「いい時計つけろよ」と、ある種ステータスを構築する消費を勧められても、「なんで(生活も苦しいし、欲しいものも買えないし、ステータスを構築した所で進めてくる上司の生活レベルも決して裕福にはみえなくて目標にすらできないのに、見栄を張って)欲しくもないモノを買わなくちゃいけないんだ?」という疑問が生まれても何らおかしくはない3

若者の消費に対する消極的な意識が「○○離れ」という形で揶揄されることもあるが、極論どれもタダでもらえるのならば拒む人などそんなにいないのではないだろうか。だとしたら、そのモノやそのようなサービスが拒まれているわけではなく、自分自身の生活や収入などを考慮したうえで「必要ない」「購入する事が出来ない」と判断し消費行動に移されていないだけにすぎない。お金がないから画一化された幸せに手が届かず、“酸っぱい葡萄4”の様にそれを幸せであると認めないという見方もできるかもしれないし、画一化された幸せに手が届かないから違う形で幸せを見出しているとも捉える事ができるかもしれない。どちらにせよ、自分たちが生きていく上で、その不必要な消費によって生活が困窮するくらいなら消費しない、という価値観が生まれることは当たり前と言えば当たり前だと思われる。

一方で、Z世代の市場環境はそれ以前の世代と比較すると、ネットの普及や何よりSNSがインフラ化したことで、得られる情報量が圧倒的に増加しており、それに伴って消費したいと思うコトやモノと接触する機会も増えた。今まで知らなかったことに興味をもったり、潜在的な欲求を満たしてくれる商品やサービスに遭遇できる機会も増え、自由に使えるお金は昔より減っているのに、欲しいと思うモノばかり増えていく時代なのである。また、消費した結果をSNSに投稿し、他のユーザーからの反応を得ることを目的とした消費文化が若者を中心に定着していることも否定できない。どんな些細な消費結果でもSNSに投稿されるようになり、SNSには他人の消費結果が溢れている。そのような他人の投稿(消費結果)は消費に対する疑似体験としての側面をもっている。だからこそ、そのような投稿を見て消費欲求が駆り立てられたとしても、投稿と共にタグづけられているハッシュタグを見れば同じような消費結果で溢れており、わざわざ自分で消費(購買)する必要があるか、モノを所有する必要があるか、と検討する過程も、Z世代においては消費行動の一環となっている。SNSに溢れているという事は再現性が高く、言い換えれば誰がやっても同じような結果しか出ないのである。だから様々な消費の疑似体験がSNSに溢れていて、その現象、その商品、そのエンタメなど一つ一つの消費結果は面白そうに見えるからこそ、「わざわざ」自分が消費する必要があるのか探究し、他人の投稿結果の閲覧で満足できてしまえば、消費行動に「わざわざ」移す必要がないのである。ある意味他人を顧みているからこそ、自らの消費行動を顧みて消費の必要性を判断していると言えるかもしれない。ましてやネットのブームのサイクルは早く、皆がこぞって消費している時に真似して消費しても投稿に対する反応は薄くなり、ブームが過ぎたころにやれば今更感が生まれてしまう。もちろんSNSに投稿しなければいいだけの話なのだが、SNSに投稿しないと(可視化されないと)、その消費はないモノと同じという、他人を意識して消費がされるという消費文化は深く根付いているのである。

併せてサブスクやフリーミアムなどを利用し、わざわざ手段に必要なモノを購入せずに目的を達成するという価値観を持つZ世代も増えている。高度経済成長期やバブル期の様にモノを購入する事自体から得られる幸福感、モノに溢れた生活を送ることによる幸福感よりも、モノを使用することで得られる効用そのものに重きを置いているとも言えるだろう。
 
3 もちろん全ての上司がその様にみられているわけではないだろうが、社会的に見てもバブル時のような景気の良さを伺う事は出来ず、併せて上司世代も老後の生活資金の工面に余裕がないといった話題がメディアを通して発信されており、歳を重ねれば・出世すれば裕福な生活を送れるという楽観的なイメージが抱きづらくなったのは紛れもない事実であろう。
4 イソップ寓話の一つで、狐が自分が取れなかった葡萄に対して、酸っぱくて美味しくないモノに決まっていると自己正当化した物語が転じて、自己の能力の低さを正当化や擁護するために、対象を貶めたり、価値の無いものだと主張する際に使われる。

4――「消費したくないモノ」「消費したいモノ」

4――「消費したくないモノ」「消費したいモノ」

さてここまでZ世代が消費に対して消極的な理由を(1)必要でないものをわざわざ消費したくない、(2)情報が増えたことで消費したいことが増えている、と2つの視点から考察を認めたが、「消費したくないモノ」があるのならば「消費したいモノ」があるのも事実である。例えばZ世代が価値を見出す消費として「推し活」というワードは避けては通れない。
図3 あなたには推しがいますか?もしくはヲタ活をしていますか?(N:525 単位:%)
推し活とはアイドルやキャラクターなどの「推し」、いわゆるご贔屓を愛でたり応援したりする活動のことで、若者マーケティング研究機関『SHIBUYA109 lab.が行った「Z世代のヲタ活に関する意識調査」5によれば約8割以上のZ世代が「推しがいる」と回答しているという。推し活が支持される理由は消費の動機づけが明確だからである。将来に対するビジョンが見出しにくく、且つストレスに溢れる現代社会を生き抜いていく上で、消費者の志向は現在志向になりがちである。帰り道で少し高めのコンビニのスイーツの購買、ゲームセンターで豪遊、テーマパークで非日常を経験するなど目の前にある消費を積み重ねていくことがご褒美となり、日々の活力や安寧感に繋がる。その中で、推し活とは自分の好きなモノを追求する消費そのものを指し、自身の精神的充足に直接繋がるのである。推し活をしている間はツライ日常を忘れることができる、推し活のためにしたくない仕事を続けられる、といったように消費そのものが自身を甘やかすことに繋がるのである。推し活に限らず、Z世代の消費はこのように「自分を満たすことには消費は惜しまないが、それを追求したいが故にその他の消費においては賢く消費を抑える」傾向があり、彼らの消費文化を読み解く上での重要な視点であると筆者は考える。

(2022年12月15日「基礎研レポート」)

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生活研究部   研究員

廣瀨 涼 (ひろせ りょう)

研究・専門分野
消費文化論、若者マーケティング、サブカルチャー

経歴
  • 【経歴】
    2019年 大学院博士課程を経て、
         ニッセイ基礎研究所入社

    ・令和6年度 東京都生活文化スポーツ局都民安全推進部若年支援課広報関連審査委員

    【加入団体等】
    ・経済社会学会
    ・コンテンツ文化史学会
    ・余暇ツーリズム学会
    ・コンテンツ教育学会
    ・総合観光学会

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