2022年08月31日

ESGと企業価値

金融研究部 企業年金調査室長 年金総合リサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任 梅内 俊樹

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1――ESG投資の変遷と企業価値向上の可能性

2006年に責任投資原則(PRI)でESG投資という概念が発表される以前は、1920年代に米国ではじまった社会的責任投資(SRI)が非財務情報を活用する投資として広く知られてきた。当初は、宗教観や倫理観に反するような企業を排除するネガティブ・スクリーニングが主流だったが、環境問題や企業の非倫理的な行動に対する問題意識が高まる中で、非財務情報を活用する投資の考え方にも変化が生じた。その後2000年には、「企業や団体が責任ある創造的なリーダーシップを発揮することによって、社会の良き一員として行動し、社会の持続可能な成長を実現するための世界的な枠組み」として、人権・労働・環境・腐敗防止の 4 分野に関わる原則を掲げる国連グローバル・コンパクト(UNGC)が設立され、これを契機として、PRI策定に向けた議論が加速したとされる。今となっては、ESG投資の趣旨が社会的責任投資と異なることは広く認知されつつある。しかし、ESG投資が生まれる経緯を踏まえると、PRI発表後しばらくは、ESG投資が正確に理解されていなかった面もあろう。
図表1 ESG投資戦略別残高(10億ドル) それを裏付けるものとして、The Global Sustainable Investment Alliance(GSIA)が公表するESG投資戦略ごとの残高推移がある。これによると、2012年においてはネガティブ・スクリーニングが7通りの投資戦略の中で最も残高が多く、全体の3分の1強を占めていた(図表1:青色)。つまり、PRI発表後しばらくは、ESG投資と言えばネガティブ・スクリーニングであり、ESGの観点で好ましくない企業を排除する投資が中心であったことになる。ESG投資に利用できる情報が限られていたという事情もあったと思われるが、ESGが主に座礁資産化など、企業や事業のリスクを測る尺度として活用されていたことが窺える。

しかし最近では、2020年の残高が最も多い戦略がESGインテグレーションとなっていることからも分かるように、ESGに対する見方は変化しつつあるようだ(図表1:灰色)。というのも、ESGインテグレーションは、財務情報に加えて、ESGに係る取り組みを非財務情報として組み込み、企業の将来的な企業価値向上の可能性を評価する投資であるためだ。従来、主にリスクとして捉えられていたESGが、ビジネス機会や収益機会として捉えられるようになった可能性を示唆する変化である。このことは、生命保険協会の「企業価値向上に向けた取り組みに関するアンケート集計結果(2019年)」の気候変動に対する意識についての設問で、「リスクとともに、ビジネス機会がある」との回答が、投資家の77.8%、企業の69.7%を占め、「リスクはあるが、ビジネス機会はない」との回答(それぞれ11.1%、19.9%)を大きく上回っていることからも確認される。

企業価値評価において最もオーソドックスなDCF法によれば、将来のキャッシュフローを資本コストで現在価値に割引いて企業価値は算出される。その際、企業や事業のリスクは資本コストに反映され、企業価値評価に影響を及ぼすことになる。一般的に、リスクを反映する資本コストとともに、収益を反映する将来のキャッシュフローも企業価値評価に影響を与える。その意味では、将来キャッシュフローに寄与し得る収益機会としてESGが捉えられるようになったことは、企業の経営戦略のあり方や投資家の企業価値評価におけるESGの位置付けを大きく高める変化と考えられる。2020年にESGインテグレーションの残高が他を大きく凌駕していることは、こうした変化を象徴する事実として受け止められる。

最近ではESGが企業財務に好影響を及ぼすとの調査も増えている。2015年から2000年に発表された論文を対象としたESG活動と企業パフォーマンスの関係についてのサーベイ調査によれば、ESGへの取り組みが企業財務を改善させると結論付けられる論文が全体の6割弱を占める。今後、必要とされるESG情報の適切な開示が進むことによって、更には、建設的な対話を通じて企業と投資家の意思疎通が進むことによって、ESGが企業価値に及ぼす影響は着実に高まっていくものと想定される。ESGが企業価値に影響を及ぼす経路は複雑であり、ESG情報を企業価値評価に落とし込むことは容易ではないが、ESG投資や企業価値評価を取り巻く環境がどのように改善されていくのか、今後の行方が注目される。

2――ステークホルダー資本主義における価値の考え方

2――ステークホルダー資本主義における価値の考え方

2019年8月に、米国の主要企業のCEOで構成される経済団体「ビジネス・ラウンドテーブル」は、あらゆるステークホルダーに価値を提供することにコミットする声明を発表した。従来の株主利益を最大化する株主資本主義を大きく修正する考え方で、その後、「ステークホルダー資本主義」として注目されている。顧客や従業員、サプライヤー、地域社会などにも価値を提供するという点では、環境や社会への配慮や経営を管理する健全な体制によって、持続的な発展を目指すESG経営と方向性は一致する。しかし、あらゆるステークホルダーに価値を提供することは、株主価値の減価をもたらしかねないという点で、従来の企業価値向上の考え方と相容れない面もある。例えば、従業員やサプライヤーに対して支払う報酬や対価を引き上げることは、株主以外のステークスホルダーに対する価値の提供と捉えられるが、短期的には株主利益の減少をもたらすことになる。このため、株主と株主以外のステークホルダーに提供する価値をどのように捉えるべきか整理が必要と言える。この点について、経済産業省の「サステナブルな企業価値創造のための長期経営・長期投資に資する対話研究会」では、次のような考え方を示している。

<株主と株主以外の「価値」についての考え方(経産省資料より筆者作成)>
  • 企業の最終利益は株主に帰属するが、企業が事業を行う上では、ステークホルダーとの関わり合いが不可欠
  • 企業が持続的に事業活動を行うためには、ステークホルダーの抱える問題を解決することで各ステークホルダーに価値を提供し、その対価として持続的に利益を得ていくことが重要
  • したがって、企業が創造すべき「価値」は、長期の時間軸を前提に、競争優位性のある事業活動によってステークホルダーの抱える問題を解決しながら持続的に利益を得て、中長期的な企業価値を高め、株主に対して還元する価値も最大化するという「循環的」な捉え方をすることが重要

つまり、あらゆるステークホルダーに価値を提供することは、例えば、従業員に対する不適正な賃金や部品調達コスト抑制のための下請けの締め付け、あるいは、住民や自治体の反対を招くような無理な工場建設の計画によって、レピュテーションやサステナビリティが損なわれることがないようにすることは勿論のこと、生産性や収益性、成長性の改善に資するようなWIN-WINの関係をあらゆるステークホルダーと構築することと解釈できる。岸田政権が新しい資本主義で重点項目として取り上げる「人への投資」はまさに、ステークホルダー資本主義において従業員向けに提供する価値に相当すると言える。

価値配分のバランスは企業の裁量次第という点を踏まえる必要はあるが、企業が目指すべきは、環境や社会にも配慮した持続性のある企業価値の向上であるという点では、ESG経営と大きく変わることはない。株主に対する十分な説明責任を果たしつつ、中長期的に持続性のある企業価値創造に向けた企業の取り組みが、社会や環境のサステナビリティが高まる好循環が確立されることが期待される。
 
 

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金融研究部   企業年金調査室長 年金総合リサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任

梅内 俊樹 (うめうち としき)

研究・専門分野
企業年金、年金運用、リスク管理

経歴
  • 【職歴】
     1988年 日本生命保険相互会社入社
     1995年 ニッセイアセットマネジメント(旧ニッセイ投信)出向
     2005年 一橋大学国際企業戦略研究科修了
     2009年 ニッセイ基礎研究所
     2011年 年金総合リサーチセンター 兼務
     2013年7月より現職
     2018年 ジェロントロジー推進室 兼務
     2021年 ESG推進室 兼務

(2022年08月31日「基礎研レター」)

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