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- 情報・幸福・消費──SNS社会の欲望の三角形-欲望について考える(1)
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2025年09月25日
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1――欲望は他人の存在によって高次化する
想像してほしい。あなたはまるでターザンのように、生まれた時から無人島で1人孤独に生きてきたとする1。何不自由なく生活していたはずなのに、ある日その島に誰か流れ着いて、自身の知らない文明の道具を使用し、快適そうに生活しはじめたらあなたはどう思うだろうか。生まれてからそれまでの生き方が当たり前であったらその生活に不自由さを感じないだろうし、そこで生まれる欲求も「こないだ食べた実をまた食べたい」「魚をこの前よりも多く捕獲したい」といった自身の過去の幸福(経験)との比較によって、幸福(理想)は高次化していくだろう。しかし、その流れ着いた人が、テントを使用して雨風を凌いだり、火で調理したり、釣り竿で魚を釣り始めたら、あなたは「なんて便利そうなんだ」と思うだろう。その時感じる「いいな…」「欲しいな…」こそ、他人という存在があなた自身の幸福を高次化させた証拠である。
現実的には、このたとえ話のように我々が1人で生きていくことは不可能であり、それは親から始まり、兄弟、祖父母、幼稚園や小学校の血縁のない知人や、街ですれ違う赤の他人に至るまで、幼少期から誰かしらと繋がりを持ちながら生きていく。様々な人と繋がりを持つが、お父さんの方がおいしそうなアイスを食べている、お兄ちゃんだけが新しい服を買ってもらえた、といった具合に、我々は親や兄弟の存在によってすら自身の欲求を高次化させていく。この欲求の高次化という言葉、難しそうに見えるが要するに「いいな!!!」「○○ばっかりずるい!!」という感情そのものなのである。
フランスの哲学者ジャック・ラカンは「欲望は、他者の欲望である」と著書『エクリ(仏: Écrits)』で記している。人間の欲望は他人の欲望によって媒介され、その欲望を満足させるには他人がその欲望を満足させた方法によって媒介されるという意味だ。簡単に言えば、あなたの欲望は他人が抱いた欲望及びそれを満たした手段を知ってしまったことで生まれるし、そのあなたの欲望を満たすには、少なくともその欲望を知ってしまったきっかけとなった他人がその欲望を満たした方法じゃないと満たせないよ、という意味だと筆者は解釈している。ただしここで注意したいのは、この「欲望は他者の欲望である」というラカンの言葉は、単純に「他人が欲しがっているモノを自分も欲しくなる」という話にとどまらないということだ。もっと根源的に言えば、「他者が何を欲しているのか」という構造そのものを、自分の欲望の拠り所にせざるを得ない、というニュアンスが強い。要するに、自分の欲望は「他者が欲しているもの」を通じてしか位置づけられない、というわけだ。
また、フランスの哲学者であるルネ・ジラールも人間の欲望が他者を模倣することで生まれる「模倣の欲望」理論を展開している2,3。これもラカン同様に欲望は他者の影響によって形成され、自己発生的なものではないという主張で、ジラールはこの欲望構造を①欲望の対象(道具、成功、地位など)、②欲望する主体(例:自分自身)、③モデル:模倣の対象(他人)の3つからなる三角形で表した。欲望の起源が他者の欲望を真似することであるならば、欲望は対象からもたらされるものではない。従って欲望には実態がなく、満たされることがないわけだ。なんなら他人が実際に欲しいと思っているモノだけではなく、他人が欲しいと思うかもしれないモノを先回りして予測してそれを欲しいと思うという、なんともややこしい構図すら成立しうるのである。
現実的には、このたとえ話のように我々が1人で生きていくことは不可能であり、それは親から始まり、兄弟、祖父母、幼稚園や小学校の血縁のない知人や、街ですれ違う赤の他人に至るまで、幼少期から誰かしらと繋がりを持ちながら生きていく。様々な人と繋がりを持つが、お父さんの方がおいしそうなアイスを食べている、お兄ちゃんだけが新しい服を買ってもらえた、といった具合に、我々は親や兄弟の存在によってすら自身の欲求を高次化させていく。この欲求の高次化という言葉、難しそうに見えるが要するに「いいな!!!」「○○ばっかりずるい!!」という感情そのものなのである。
フランスの哲学者ジャック・ラカンは「欲望は、他者の欲望である」と著書『エクリ(仏: Écrits)』で記している。人間の欲望は他人の欲望によって媒介され、その欲望を満足させるには他人がその欲望を満足させた方法によって媒介されるという意味だ。簡単に言えば、あなたの欲望は他人が抱いた欲望及びそれを満たした手段を知ってしまったことで生まれるし、そのあなたの欲望を満たすには、少なくともその欲望を知ってしまったきっかけとなった他人がその欲望を満たした方法じゃないと満たせないよ、という意味だと筆者は解釈している。ただしここで注意したいのは、この「欲望は他者の欲望である」というラカンの言葉は、単純に「他人が欲しがっているモノを自分も欲しくなる」という話にとどまらないということだ。もっと根源的に言えば、「他者が何を欲しているのか」という構造そのものを、自分の欲望の拠り所にせざるを得ない、というニュアンスが強い。要するに、自分の欲望は「他者が欲しているもの」を通じてしか位置づけられない、というわけだ。
また、フランスの哲学者であるルネ・ジラールも人間の欲望が他者を模倣することで生まれる「模倣の欲望」理論を展開している2,3。これもラカン同様に欲望は他者の影響によって形成され、自己発生的なものではないという主張で、ジラールはこの欲望構造を①欲望の対象(道具、成功、地位など)、②欲望する主体(例:自分自身)、③モデル:模倣の対象(他人)の3つからなる三角形で表した。欲望の起源が他者の欲望を真似することであるならば、欲望は対象からもたらされるものではない。従って欲望には実態がなく、満たされることがないわけだ。なんなら他人が実際に欲しいと思っているモノだけではなく、他人が欲しいと思うかもしれないモノを先回りして予測してそれを欲しいと思うという、なんともややこしい構図すら成立しうるのである。
1 架空の話なので赤子ひとりで生きてくのはムリといった批判は受け付けません笑
2 ルネ・ジラール (著), 古田 幸男 (翻訳)(2010)『欲望の現象学〈新装版〉』法政大学出版局
3 ルーク・バージス (著), 川添 節子 (翻訳)(2023)『欲望の見つけ方: お金・恋愛・キャリア 単行本』早川書房
2――なぜSNSでみかけたハーゲンダッツが食べたくなるのか
膨大な情報が溢れる現代消費社会。2020年のデジタルデータの年間生成量は59ZB(ゼダバイト)を超え、2025年には180ZBに到達すると予想されている。私たちになじみ深いGB(ギガバイト)で換算すると、「1ZB =1兆GB」となり、180ZBが途方もない数字であるとわかるだろう。つまり我々は処理しなくてはいけない情報が昔よりも圧倒的に増えているのだ。その中で、スワイプ時代と呼ばれるように、我々は指先ひとつで何が必要な情報で、何が不必要な情報か取捨選択している。ある意味、情報収集や活用が得意な「情報強者」が得をする社会でもあり、特に消費活動においては、情報を持っていることで消費によって生まれる損を回避することに繋がる。
また情報が多いという事は、興味を持つきっかけ=消費したいと思うきっかけ も多いことを意味している。この圧倒的な情報が生み出される一番の要因は、我々消費者1人1人がSNSを通じて情報を発信するメディアとなったからだろう。日々の食事や、自身の武勇伝に至るまで個人の生活を切り売りするかのように日々生成されていく情報。この日々我々を飲み込む情報の波は、〈他人そのもの〉である。優しく言えば、他人が消費したモノが投稿される→他人が消費したモノは他人の欲望が達成されたことが可視化されたことを意味→そのような情報を見て「いいな」「わたしも欲しいな」と思うのは、その情報に惹かれたのでなく、他人の欲望、ひいてはジラールの言う欲望の対象を欲した模倣の対象(他人)を羨んでいることになるわけだ。
では、なぜそのような「情報=他人が達成した欲望」を我々は羨むのか。それは、無人島の例からもわかる通り、他人の存在が自身の幸福を高次化させるからである。その新たに生まれた「幸福=新しい自分自身の欲望」を満たすために「消費」を行う。その消費結果をSNSに投稿すると、自身の消費結果は第三者にとっての「新しい欲望=情報」化するのである。これが「人の幸福は他人(からの情報)によって規定され、高次化した幸福を満たすために、他人から得た情報を消費する」というサイクルを生んでいると筆者は考えるのである。現代では「情報」「幸福」「消費」を結んだ三角形をSNSが媒介となって成立させるのである。
また情報が多いという事は、興味を持つきっかけ=消費したいと思うきっかけ も多いことを意味している。この圧倒的な情報が生み出される一番の要因は、我々消費者1人1人がSNSを通じて情報を発信するメディアとなったからだろう。日々の食事や、自身の武勇伝に至るまで個人の生活を切り売りするかのように日々生成されていく情報。この日々我々を飲み込む情報の波は、〈他人そのもの〉である。優しく言えば、他人が消費したモノが投稿される→他人が消費したモノは他人の欲望が達成されたことが可視化されたことを意味→そのような情報を見て「いいな」「わたしも欲しいな」と思うのは、その情報に惹かれたのでなく、他人の欲望、ひいてはジラールの言う欲望の対象を欲した模倣の対象(他人)を羨んでいることになるわけだ。
では、なぜそのような「情報=他人が達成した欲望」を我々は羨むのか。それは、無人島の例からもわかる通り、他人の存在が自身の幸福を高次化させるからである。その新たに生まれた「幸福=新しい自分自身の欲望」を満たすために「消費」を行う。その消費結果をSNSに投稿すると、自身の消費結果は第三者にとっての「新しい欲望=情報」化するのである。これが「人の幸福は他人(からの情報)によって規定され、高次化した幸福を満たすために、他人から得た情報を消費する」というサイクルを生んでいると筆者は考えるのである。現代では「情報」「幸福」「消費」を結んだ三角形をSNSが媒介となって成立させるのである。
次にこの三角形の構造についてみてみよう。この三角形はいくつかの前提が揃わないと成立しない。新作のハーゲンダッツが美味しかった、という投稿を例にすると、まず、Aさんが新作のハーゲンダッツをたまたまコンビニで見つけ、それを購入したところがスタートとなる。この段階でAさんにとっては、
(1) その商品に関する投稿をしない
(2) その商品に関するポジティブな投稿をする
(3) その商品に関するネガティブな投稿をする
という3つの選択肢がある。
その投稿=情報がBさんのSNSのタイムラインに流れるのは(2)と(3)の場合だろう。Bさんは(3)のネガティブな投稿を見て、それを羨ましいとは思わないため4、Aさんの購買結果はBさんにとっての新たな達成したい幸福(自分も食べてみたい)にはならない。Bさんが「これを消費すれば自分もAさんのように幸せになれると認識」できるのは(2)の商品を買った事実(新しいものを消費した羨ましさ)とそれに関するポジティブな投稿による。
その後、Bさんは、Aさんが達成した幸福を同じように自身も達成しようか否か、検討をするだろう。そしてBさんにとっては、
(1) 実際に(Aさんの消費を模倣して)購入する
(2) 購入しない(Aさんの消費を模倣しない)
という2つの選択肢が生まれる。購入しなければAさんが達成した幸福をBさん自身は達成できず、実際に消費する=Aさんが幸福だと感じた手段をマネすることで初めてAさんと「消費を経験した」という同じシチュエーションに身を置くことができる。
そして、実際に食べてみた結果、Bさんにとっては
(1) おいしい=Aさんが感じた幸福(新しいハーゲンダッツがおいしい)をAさんが達成した手段(ハーゲンダッツを購入しておいしいと感じる)で達成
(2) おいしくない=Aさんが感じた幸福(新しいハーゲンダッツがおいしい)をAさんが達成した手段(ハーゲンダッツを購入して、食べておいしいと感じる)で達成しない
という2つの結果が待っているわけである。
BさんがAさんが幸福を実現した手段をマネをしたこと自体は事実であるが、Aさんが感じた幸福をBさんが同じように感じるには、ただ買って、食べるだけでは達成されない。実際にBさんもおいしいと感じない限り、Aさんの幸福に繋がった「ハーゲンダッツを購入して、食べておいしいと感じるという幸福への手段」を模倣できていないことになる。要するに、同じように他人の消費をマネしても、必ずしも自分が幸せになるわけではない。
そして、その消費結果を基にBさんには
(1) その商品に関する投稿をしない
(2) その商品に関するポジティブな投稿をする
(3) その商品に関するネガティブな投稿をする
という3つの選択肢がある。
そして、Aさんの投稿に対するBさんの行動と同様に、Bさんの投稿に対してCさんが行動するというように、次々行動の連鎖が生まれてくることになる。
このように情報、幸福、消費の三角形はある意味if(仮定)が重なることで成立する三角形と言える。ここまでを整理すると
「情報」=他人が幸福を実現した手段を可視化したモノ
「幸福」=他人が成し遂げた幸福を自分にとっても幸福になり得ると認識する事=羨ましいと思う事
「消費」=他人が幸福を実現した手段をマネして実際に消費し幸福になる事
と再解釈することができ、自身が消費を通して幸福になった結果が投稿されることにより、その情報は他人にとっての「幸福」=羨ましいと思うモノ、として認識されていくのである。それ故に自分にとっての「幸福」は誰かにとっての「消費」であり、自分にとっての「消費」は誰かにとっての「幸福」なのだ。自分の三角形は他人にとっての三角形の1辺になっていくのである。
4 現代消費社会においては「まずい」ということが分かっていながらもその「非合理性」楽しむような消費も行われるため、怖いもの見たさで消費されることもある
(1) その商品に関する投稿をしない
(2) その商品に関するポジティブな投稿をする
(3) その商品に関するネガティブな投稿をする
という3つの選択肢がある。
その投稿=情報がBさんのSNSのタイムラインに流れるのは(2)と(3)の場合だろう。Bさんは(3)のネガティブな投稿を見て、それを羨ましいとは思わないため4、Aさんの購買結果はBさんにとっての新たな達成したい幸福(自分も食べてみたい)にはならない。Bさんが「これを消費すれば自分もAさんのように幸せになれると認識」できるのは(2)の商品を買った事実(新しいものを消費した羨ましさ)とそれに関するポジティブな投稿による。
その後、Bさんは、Aさんが達成した幸福を同じように自身も達成しようか否か、検討をするだろう。そしてBさんにとっては、
(1) 実際に(Aさんの消費を模倣して)購入する
(2) 購入しない(Aさんの消費を模倣しない)
という2つの選択肢が生まれる。購入しなければAさんが達成した幸福をBさん自身は達成できず、実際に消費する=Aさんが幸福だと感じた手段をマネすることで初めてAさんと「消費を経験した」という同じシチュエーションに身を置くことができる。
そして、実際に食べてみた結果、Bさんにとっては
(1) おいしい=Aさんが感じた幸福(新しいハーゲンダッツがおいしい)をAさんが達成した手段(ハーゲンダッツを購入しておいしいと感じる)で達成
(2) おいしくない=Aさんが感じた幸福(新しいハーゲンダッツがおいしい)をAさんが達成した手段(ハーゲンダッツを購入して、食べておいしいと感じる)で達成しない
という2つの結果が待っているわけである。
BさんがAさんが幸福を実現した手段をマネをしたこと自体は事実であるが、Aさんが感じた幸福をBさんが同じように感じるには、ただ買って、食べるだけでは達成されない。実際にBさんもおいしいと感じない限り、Aさんの幸福に繋がった「ハーゲンダッツを購入して、食べておいしいと感じるという幸福への手段」を模倣できていないことになる。要するに、同じように他人の消費をマネしても、必ずしも自分が幸せになるわけではない。
そして、その消費結果を基にBさんには
(1) その商品に関する投稿をしない
(2) その商品に関するポジティブな投稿をする
(3) その商品に関するネガティブな投稿をする
という3つの選択肢がある。
そして、Aさんの投稿に対するBさんの行動と同様に、Bさんの投稿に対してCさんが行動するというように、次々行動の連鎖が生まれてくることになる。
このように情報、幸福、消費の三角形はある意味if(仮定)が重なることで成立する三角形と言える。ここまでを整理すると
「情報」=他人が幸福を実現した手段を可視化したモノ
「幸福」=他人が成し遂げた幸福を自分にとっても幸福になり得ると認識する事=羨ましいと思う事
「消費」=他人が幸福を実現した手段をマネして実際に消費し幸福になる事
と再解釈することができ、自身が消費を通して幸福になった結果が投稿されることにより、その情報は他人にとっての「幸福」=羨ましいと思うモノ、として認識されていくのである。それ故に自分にとっての「幸福」は誰かにとっての「消費」であり、自分にとっての「消費」は誰かにとっての「幸福」なのだ。自分の三角形は他人にとっての三角形の1辺になっていくのである。
4 現代消費社会においては「まずい」ということが分かっていながらもその「非合理性」楽しむような消費も行われるため、怖いもの見たさで消費されることもある
3――誰しもが、他の誰かの欲望を掻き立てる
これは、一見すごく抽象的な議論に見えるが、他人の投稿を見て「いいな」と思い、マネして購入して、それを投稿したモノを他の誰かが見てマネして購入していく、といった連鎖は、SNSにおける他人の消費を参照して自分も買うというサイクルそのものでもある。SNS以前から顕示的消費のように他人に見せつけるための消費は行われていたが、文字通り実際に「会う」という対面でのコミュニケーションが「羨ましい」「羨ましがらせたい」という感情を生むために必要だった。もちろん手紙で○○を買ったと記す、人づてに自慢話を聞くといった手段もあるのは確かだが、羨ましいと思ってもらう手段と範囲と対象に限りがあった。
一方でSNSは投稿者の意図の有無は関係なく、流れてくる情報のすべてが「羨ましいと思ってしまう」情報になり得るため、だからこそ、常に自分は誰かにとっての承認欲求を満たす手段となっていくのである。いつでも他人との境遇の差を意識させられ、いつでも見せびらかされていて、それでも他人を参照し間違いない選択をしたいから、受動的に「それが自分にとっても幸福になる」と益々他人の価値観を受け入れていくこととなる。
現実社会(オフライン)においては、自身の消費結果が他人の新しい幸福=羨ましさを誘発しない場合の方が本来ならば多いはずである。今筆者は森永のミルクココアを飲みながら執筆しているが、私の周囲の誰も私が何を飲んでいるかなど気にもとめていないし、私が飲んでいることが新たな需要を生み出す気配もない。しかし、SNSに一度投稿されてしまえば誰かしらにとっての「いいな」になり得る。そして、他人が買ってよかったと思うモノを自分が持っているという事実が幸福に繋がるような、他人の承認や他人の反応そのものが購買動機や満足に繋がっていく人々にとっては、この三角形は飽くことなく生み出されていく。
そのような他人の欲望に溢れているSNSにおいては、他人が他人の欲望を模範して幸福を得ていることも可視化されていく。例えばコンビニで買った最新スイーツが美味しかった、といった旨の投稿を誰かがしたとしよう。その投稿が拡散され何万もの「いいね」がついているのをみたら、あなたは多くの人がその商品を「いいな」と思っているという事を認識するはずである。この投稿者が満たした欲求=実現した幸福に何万もの人々が羨望のまなざしで見つめ、自分も消費(マネ)したいと思っている他人がたくさんいることを知るわけだ。ある意味関心の持たれる投稿は他人にとっての新しい欲望そのものであり、あなたは他人の中に新たな欲望がうまれた瞬間(きっかけ)を知ることとなる。
また、その投稿を模倣した者は、自分自身も、消費を行う事で欲望を充足した=幸福を達成したことを投稿するため、それが次々と積み重なる結果、その投稿に対する信憑性が確たるものになるわけである。これが所謂「バズっているから欲しくなる、バズっているから間違いない」と感じて消費欲求が駆り立てられる構造であると筆者は考える。
また、他人が新しい欲望を見出したことを模倣するように、その投稿に「いいね」し、その欲望を満たすためにそのスイーツを消費し、幸福感に繋げる。そんなサイクルも溢れているからこそ、SNSによって(1)他人が満たした欲望を私も満たしたい、というサイクルと、(2)他人が他人の欲望を模倣しているから自分も模倣して幸福になりたい、という2種類の形で他人を顧みた消費が生まれていると筆者は考えるのだ。このSNSで生まれる「情報」「消費」そして「幸福」というサイクルによって私たちは消費を媒介に繫がりを見出した。皆が同じようなモノを購入し、皆が同じような投稿をし、それがトレンドであると認識したり、トレンドのモノを消費していると実感することになる。
一方で、自身の満たした幸福を他人に見せびらかすことで承認欲求を満たす者もいる。「いいね」というツールがあることでわかるように、そもそもSNSは他人の羨望を引き出すことを目的としている側面もある。他人に自身の生活を切りとったものを見せつけて自慢することは決して悪い事ではないが、「羨望」は不幸を生み出すトリガーでもある。簡単にマネできるようなことならそこまでの嫉妬心は生まないが、羨ましいという感情を持った当人が、その羨ましいと思った源泉=情報(他人が達成した欲求)を達成するのが困難であればあるほど嫉妬心を生む。
逆に羨ましいと思われるものほど達成する事が困難であるため、これだけ多くの羨ましいが溢れているSNSは自分自身がそれを達成するのが困難であるという現実を日々再認識させられてしまうツールでもある。このことから筆者は、SNSは「人と比べる社会」を生み出したと考えるのだ。
一方でSNSは投稿者の意図の有無は関係なく、流れてくる情報のすべてが「羨ましいと思ってしまう」情報になり得るため、だからこそ、常に自分は誰かにとっての承認欲求を満たす手段となっていくのである。いつでも他人との境遇の差を意識させられ、いつでも見せびらかされていて、それでも他人を参照し間違いない選択をしたいから、受動的に「それが自分にとっても幸福になる」と益々他人の価値観を受け入れていくこととなる。
現実社会(オフライン)においては、自身の消費結果が他人の新しい幸福=羨ましさを誘発しない場合の方が本来ならば多いはずである。今筆者は森永のミルクココアを飲みながら執筆しているが、私の周囲の誰も私が何を飲んでいるかなど気にもとめていないし、私が飲んでいることが新たな需要を生み出す気配もない。しかし、SNSに一度投稿されてしまえば誰かしらにとっての「いいな」になり得る。そして、他人が買ってよかったと思うモノを自分が持っているという事実が幸福に繋がるような、他人の承認や他人の反応そのものが購買動機や満足に繋がっていく人々にとっては、この三角形は飽くことなく生み出されていく。
そのような他人の欲望に溢れているSNSにおいては、他人が他人の欲望を模範して幸福を得ていることも可視化されていく。例えばコンビニで買った最新スイーツが美味しかった、といった旨の投稿を誰かがしたとしよう。その投稿が拡散され何万もの「いいね」がついているのをみたら、あなたは多くの人がその商品を「いいな」と思っているという事を認識するはずである。この投稿者が満たした欲求=実現した幸福に何万もの人々が羨望のまなざしで見つめ、自分も消費(マネ)したいと思っている他人がたくさんいることを知るわけだ。ある意味関心の持たれる投稿は他人にとっての新しい欲望そのものであり、あなたは他人の中に新たな欲望がうまれた瞬間(きっかけ)を知ることとなる。
また、その投稿を模倣した者は、自分自身も、消費を行う事で欲望を充足した=幸福を達成したことを投稿するため、それが次々と積み重なる結果、その投稿に対する信憑性が確たるものになるわけである。これが所謂「バズっているから欲しくなる、バズっているから間違いない」と感じて消費欲求が駆り立てられる構造であると筆者は考える。
また、他人が新しい欲望を見出したことを模倣するように、その投稿に「いいね」し、その欲望を満たすためにそのスイーツを消費し、幸福感に繋げる。そんなサイクルも溢れているからこそ、SNSによって(1)他人が満たした欲望を私も満たしたい、というサイクルと、(2)他人が他人の欲望を模倣しているから自分も模倣して幸福になりたい、という2種類の形で他人を顧みた消費が生まれていると筆者は考えるのだ。このSNSで生まれる「情報」「消費」そして「幸福」というサイクルによって私たちは消費を媒介に繫がりを見出した。皆が同じようなモノを購入し、皆が同じような投稿をし、それがトレンドであると認識したり、トレンドのモノを消費していると実感することになる。
一方で、自身の満たした幸福を他人に見せびらかすことで承認欲求を満たす者もいる。「いいね」というツールがあることでわかるように、そもそもSNSは他人の羨望を引き出すことを目的としている側面もある。他人に自身の生活を切りとったものを見せつけて自慢することは決して悪い事ではないが、「羨望」は不幸を生み出すトリガーでもある。簡単にマネできるようなことならそこまでの嫉妬心は生まないが、羨ましいという感情を持った当人が、その羨ましいと思った源泉=情報(他人が達成した欲求)を達成するのが困難であればあるほど嫉妬心を生む。
逆に羨ましいと思われるものほど達成する事が困難であるため、これだけ多くの羨ましいが溢れているSNSは自分自身がそれを達成するのが困難であるという現実を日々再認識させられてしまうツールでもある。このことから筆者は、SNSは「人と比べる社会」を生み出したと考えるのだ。
(2025年09月25日「基礎研レター」)

03-3512-1776
経歴
- 【経歴】
2019年 大学院博士課程を経て、
ニッセイ基礎研究所入社
・公益社団法人日本マーケティング協会 第17回マーケティング大賞 選考委員
・令和6年度 東京都生活文化スポーツ局都民安全推進部若年支援課広報関連審査委員
【加入団体等】
・経済社会学会
・コンテンツ文化史学会
・余暇ツーリズム学会
・コンテンツ教育学会
・総合観光学会
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2025/09/25 | 情報・幸福・消費──SNS社会の欲望の三角形-欲望について考える(1) | 廣瀬 涼 | 基礎研レター |
2025/09/12 | 「イマーシブ」の消費文化論-今日もまたエンタメの話でも。(第7話) | 廣瀬 涼 | 基礎研レター |
2025/06/13 | 年齢制限をすり抜ける小学生たち-α世代のSNS利用のリアル | 廣瀬 涼 | 基礎研レポート |
2025/06/10 | ご当地VTuber「沢ところ」に2回目のインタビューをしてみた-今日もまたエンタメの話でも。(第6話) | 廣瀬 涼 | 研究員の眼 |
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【情報・幸福・消費──SNS社会の欲望の三角形-欲望について考える(1)】【シンクタンク】ニッセイ基礎研究所は、保険・年金・社会保障、経済・金融・不動産、暮らし・高齢社会、経営・ビジネスなどの各専門領域の研究員を抱え、様々な情報提供を行っています。
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