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2025年09月12日

「イマーシブ」の消費文化論-今日もまたエンタメの話でも。(第7話)

生活研究部 研究員 廣瀬 涼

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3――現代消費文化における「イマーシブ」とは

現代のイマーシブコンテンツは、演出や技術によって意図的に没入状態へと導く構造を持っているが、「没入」は人工的に設計された商品へと変質しており、「没入状態にさせる」という機能の商材化は、自己の感情や体験、さらには人格の一部までもが商業主義に組み込まれることを意味している。つまり、イマーシブという概念は単なる体験価値の提示にとどまらず、人間の内面に本来属する感情が商品として扱われるいびつさを内包しており、これこそが理解の難しさを生んでいると筆者は考える。イマーシブによって設計された没入感は、体験者の感覚レベルでは自然な没入と似たように経験されるが、その成立過程はまったく異なる。自然な没入が主体の内発的な心理過程によるのに対し、人工的な没入感は、外部的な技術や演出によって誘導された体験である。この差異こそが、現代の「没入感」という語に対して違和感や戸惑いを抱かせる根本的理由である。

また、自然な没入は人それぞれに生まれる多様で個別的な体験だが、イマーシブ市場における没入感を誘発することを目的に設計された没入感においては、「同じ仕組みによって、多くの人が似たような没入を経験する」 という特徴を持っている。

フランスの哲学者ジャン・ボードリヤールの見解を踏まえれば、イマーシブ市場において得られる没入感は単なる「現実の模倣」ではない。イマーシブという仕組みが繰り返し模倣・再生産されることで、消費者は「本物なき本物」としてのイマーシブ体験を受け取り、そこで得られる没入感を商品として購入するようになる。すなわち、消費者は従来の自然な没入経験とは異なる人工的な没入感を「本物」として消費しているのである。ここで特筆すべきは、消費社会において「お金を払えば没入感を得られる」という仕組み自体がリアルな現実であるという点である。その意味において、この体験は確かに本物といえば本物なのだが、それはオリジナルを持たないオリジナル、すなわちシミュラークルとしての没入感である。自然な没入とは異なる人工的な没入感が画一的に流通し、やがて人々にとっては「人工的に没入感が誘発されること」自体が当たり前の消費対象として受容されていく。言い換えれば、イマーシブ市場においては「没入体験への期待」そのものが商材となり、シミュラークルとして消費されているのである。

つまり、 もともと没入は「内的に自然に生まれる感情」だった→しかし、イマーシブ市場においてはその状態を外部装置で「再現・模倣」される→その模倣(人工的に没入感を生み出すということ)が普及するにつれ、人々にとって「没入」とは「仕組まれたイマーシブ体験」、すなわち金銭によって購入可能な商品として理解されるようになっているのである(もちろん、世の中の全てのエンタメが人工的に感情の起伏を生み出すモノであるのだが…)。つまり、「没入=イマーシブ市場の中で体験するもの」という認識が一般的になりうるのだ4

併せて「没入する事」そのものが外部装置や演出によって「誰でも」「同じように」体験できる形にパッケージ化されたことにより、没入は「保証可能な体験」となり、企業は「没入感を提供します」と明確に商品化できるようになった。消費者は「没入したい」という欲求を満たすためにコンテンツそのものよりも「イマーシブであること」自体に価値を見出し、対価を支払う。普段は絵画そのものに興味を抱かない人であっても、イマーシブミュージアムに惹かれる理由はまさにそこにあり、自然な内発的感情が人工的に再現可能な「体験商品」として市場に出回る構造こそが、現代のイマーシブ消費を特徴づけているのである。

もし筆者の言うように、昨今のイマーシブという言葉が「媒介手段およびそれによって得られるエンタメの機会」を指しているのだとすれば、芸術や演劇、展示、都市空間、さらにはデジタルサービスに至るまで、あらゆる領域で「イマーシブ」や「没入感」という言葉が用いられているのは当然の帰結である。街頭広告にさえ「イマーシブ」が活用されるのも、広告そのものは消費者各々で受け止め方は違うが、広告と消費者を「没入感を生み出す仕組み」で媒介することで、消費者に一律に「広告を見たことで没入感を得ることができた」という体験を提供することとなり、消費者にポジティブなイメージを訴求できるからだと理解できる。すなわち、現代におけるイマーシブとは、単なる感情の形容ではなく、人工的に設計された没入感を保証する仕組み自体を商品価値として提示する言葉へと変容しており、これこそが、イマーシブという概念が大衆的に受容され、同時にマーケティング的に強力な機能を持ち続けている理由であり、その一方で人々に違和感や戸惑いを与える要因でもあるのだ。
 
4 まあ、ここで述べている「没入の認識が変わる」という表現はやや誇張を含んでいるとは思う。実際に人々の内的経験そのものが別物になるわけではないからだ。ただし、日常語として「没入」という言葉を使う際、従来なら自然発生的な集中や陶酔を指していた場面でも、あえて「没入」という言葉を選ぶことに違和感が生じる可能性はある。つまり、言葉の響きが市場化された「イマーシブ体験」と結びつきやすくなり、内発的な感覚を表す語としての純粋性がやや揺らぐかもしれない。

本資料記載のデータは各種の情報源から入手・加工したものであり、その正確性と完全性を保証するものではありません。
また、本資料は情報提供が目的であり、記載の意見や予測は、いかなる契約の締結や解約を勧誘するものではありません。

(2025年09月12日「基礎研レター」)

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生活研究部   研究員

廣瀬 涼 (ひろせ りょう)

研究・専門分野
消費文化論、若者マーケティング、サブカルチャー

経歴
  • 【経歴】
    2019年 大学院博士課程を経て、
         ニッセイ基礎研究所入社

    ・公益社団法人日本マーケティング協会 第17回マーケティング大賞 選考委員
    ・令和6年度 東京都生活文化スポーツ局都民安全推進部若年支援課広報関連審査委員

    【加入団体等】
    ・経済社会学会
    ・コンテンツ文化史学会
    ・余暇ツーリズム学会
    ・コンテンツ教育学会
    ・総合観光学会

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