コラム
2025年03月31日

温室効果ガスの削減目標SBTが注目される理由~企業がSBTに参加し、GHG排出量を削減するメリット~

総合政策研究部 研究員 土居 優

文字サイズ

1――はじめに

パリ協定では気温上昇を2℃未満に抑え(以下、2℃目標)、可能な限り1.5℃までに制限すること(以下、1.5℃目標)を目標としている1。しかし、気候変動に関する政府間パネル(以下IPCC)2の報告などにより、1.5℃目標の重要性が強調されるようになった。この目標を達成するためには、温室効果ガス(Greenhouse Gas 以下GHG)を削減・吸収し、2050年までにネットゼロ3を実現することが求められている。日本政府もネットゼロの実現に向けて、2025年2月に閣議決定された第7次エネルギー計画では、2035年度までに60%、2040年度までに73%削減する方針が示された。また、サプライチェーンからの脱炭素要請や国内外の法制度の改正、規制の整備が進む中、企業も従来以上に脱炭素への対応が求められている。

こうした背景から、SBTi(Science Based Targets Initiative)が運用する削減目標SBT(Science Based Targets)が注目されている4。本稿では、ネットゼロに向けた潮流とSBTが注目される理由を整理した上で、企業がSBTに参加し、GHG排出量の削減に取り組むメリットについて考察する。  
 
1 パリ協定では、世界全体の平均気温の上昇を産業革命前より2℃を十分に下回る水準に抑え、1.5℃までに制限するための努力を継続することを目標に掲げている。
2 気候変動に関する政府間パネル(Intergovernmental Panel on Climate Change)とは、1988年に世界気象機関(WMO)と国連環境計画(UNEP)によって設立された政府間組織。各国の気候変動の政策に対し、科学的基礎となる情報を提供するため、世界の科学者が協力し、論文に基づく報告書を定期的に作成・公開している。
3 ネットゼロはGHG排出量から吸収量を差し引いた合計がゼロとなること。カーボンニュートラルとほぼ同義的な意味で使用されることが多い。(経済産業省 資源エネルギー庁「日本のエネルギー 2022年度版 「エネルギーの今を知る10の質問」」https://www.enecho.meti.go.jp/about/pamphlet/energy2022/003/#section1)
4 土居 優 ニッセイ基礎研究所「温室効果ガスの削減目標であるSBTとその目標設定について」(2025年2月27日)

2――2℃から1.5℃への目標の変化とネットゼロへの挑戦

パリ協定の採択後、2020年以降の気候変動対策について各国が目標の再設定や強化を行い、ネットゼロの考え方に注目が集まるようになった5。パリ協定には「ネットゼロ」という言葉は明記されていないが、第4条において今世紀後半にGHGの人為的な発生源による排出量と吸収源による除去量との間の均衡を達成する6ことが示されている。当初は主に2℃目標が意識される傾向にあったが、2018年にIPCCが発表した「1.5℃特別報告書7」において2℃および1.5℃の気温上昇が与える影響が比較された。その中で、2℃の上昇が極端な気象(気候)現象8、海面上昇、生態系の崩壊などのリスクを大幅に高めることが指摘された。そのため、1.5℃目標の達成には2050年前後のネットゼロの実現が重要であることが明示された。さらに、2021年の第26回気候変動枠組条約締約国会議(COP26)9のグラスゴー気候合意10で1.5℃目標が明確に掲げられ、この達成に向けて今世紀半ば頃までのネットゼロ実現が求められることとなった。
 
5 佐藤みず紀 朝日新聞SDGs ACTION!「ネットゼロとは? 実現に向けた方法や取り組み、企業事例を紹介」(2023年6月22日) https://www.asahi.com/sdgs/article/14937445#null
6 環境省「PARIS AGREEMENT(仮訳文)」https://www.env.go.jp/earth/ondanka/cop/attach/paris_agr20160422.pdf
7 1.5℃特別報告書とは、2040年頃に世界の平均気温が産業革命前に比べて1.5℃上昇した場合の影響と、それを抑制するために必要な対策について科学的に評価したもの。
8 極端な気象(Extreme Weather (Climate) Event)現象とは、特定地域における気象現象の確率分布からみて稀な現象。
9 第26回気候変動枠組条約締約国会議(Conference of the Parties26)は、英国スコットランドのグラスゴーで開催された気候変動に関する国際会議。
10 グラスゴー気候合意は、世界の平均気温の上昇を1.5℃未満に抑えるための削減許可を各国も求める合意のこと。

3――SBTが企業の削減目標として注目される理由

図表1 SBTに参加している国別企業数(上位10か国) 1|パリ協定との整合性とGHG排出量の削減範囲
SBTはパリ協定と整合した削減目標であり、GHG排出量の削減範囲はScope1(直接排出)、Scope2(エネルギー使用による間接排出)、Scope3(サプライチェーン全体の排出)に及び、包括的に排出削減を促進できる点が特徴である。そのため、国際的にも信頼性の高い削減目標とされ、世界各国でSBTに参加する企業が増加している(図表1)。
図表2 ネットゼロ基準のイメージ 2|ネットゼロ基準が策定された背景とその概要
IPCCはネットゼロを「特定期間に人為的に排出されたCO₂と人為的に大気中から除去したCO₂の均衡がとれた状態」と定義している11。しかし、ネットゼロの定義はあるものの、企業ごとに排出量の算定方法や削減手法に違いがあったため、共通の基準が求められていた。SBTiはネットゼロ目標を設定する上で、科学的根拠に基づく枠組みが必要であると指摘している。そうでなければパリ協定と整合しないビジネスモデルへの投資リスクが生じるためである12。このような認識の下で、SBTiは企業間で共通の基準で目標設定を行えるようなネットゼロ基準(SBTi Corporate Net-Zero Standard)を策定した(図表2)。

この基準では、2050年またはそれ以前にGHG排出量の実質ゼロを目指している。そのため、短期目標(Near-term SBT)13と長期目標(Long-term SBT)14を設定し、段階的に排出量の大幅な削減を進めている。また、残余排出量については炭素除去で補うニュートラル化(Neutralization)15で対応する仕組みを採用している。具体的に、企業はGHG排出量を約90%削減し、残りの約10%を高品質な炭素除去技術や炭素クレジットを活用して相殺すること16でネットゼロを実現する。こうした仕組みは、企業が排出削減を主体的に進め、炭素除去への過度な依存を避けることを促す狙いがあると考えられる。さらに、ネットゼロ基準は自社に関連するバリューチェーン外のGHG排出量の削減を促進するBeyond Value Chain Mitigation(BVCM)17も採用しており、企業が社会全体のネットゼロ実現に貢献することの重要性を強調している。
 
11 IPCC「IPCC Sixth Assessment Report WG1」https://www.ipcc.ch/report/ar6/wg1/
12 SBTi 「企業ネットゼロ基準 VERSION1.0」 CDPジャパン、みずほリサーチ&テクノロジーズ株式会社和訳
13 短期目標(Near-term SBT)は5~10年以内にScope1、2は4.2%/年、Scope3は2.5%/年のペースでGHG排出量を削減する目標。SBTから認定を受ける際の必須要件となっている。
14 長期目標(Long-term SBT)は2050年までに90%のGHG排出量の削減を目指す目標。長期目標は毎年の削減幅は定められていない。
15 ニュートラル化(Neutralization)は、短期目標と長期目標では削減しきれなかった残余排出量(5~10%)をクレジットなどの活用で炭素除去を行うこと。
16 短期目標、長期目標ではグロスでの削減を求めており、クレジットの購入を削減貢献量として認めていない。
17 Beyond Value Chain Mitigation(BVCM)は自社のバリューチェーン外で削減目標を超えて実施する気候変動対策のための投資や緩和行動のこと。カーボンクレジットの購入、炭素除去技術への投資などが挙げられる。

4――SBTに参加し、GHG排出量の削減に取り組むメリット

図表3 脱炭素に関し、取引先から要請を受けている内容 1|取引先や投資家からの要請対応や企業評価の向上
東京商工会議所が実施した「中小企業の省エネ・脱炭素に関する調査結果」によると、全体の74.3%の企業は取引先企業から脱炭素に関する要請は受けていない一方、残りの25.7%の企業は何らかの要請を受けていることが確認されている(図表3)。要請内容はGHG排出量の把握・測定、具体的な削減目標設定・進捗報告、環境関連の認定制度の取得など多岐にわたり、サプライチェーン全体で脱炭素対応の重要性が増している。このような背景から、取引先の要請に応えるため、企業のSBT参加が進み、排出量の削減に取り組む動きが加速している。
図表4 日本のサステナブル投資残高の推移 またSBTヘの参加は、要請への対応だけでなく、自社の環境配慮姿勢を示す機会にもなる。その結果、取引先との関係強化や評価向上につながり、新たなビジネスチャンスの創出も期待できる。また、近年は金融機関などの投資家も、脱炭素に取り組む企業への関心を高めている(図表4)。
図表5 脱炭素化の取組状況 2|自社のGHG排出量の把握とエネルギーコストの削減
近年、取引先からの脱炭素に関する要請は増加傾向にあるが、中小企業の取り組みはどうなっているのか。帝国データバンクが実施した「中小企業の実態把握に関する調査研究報告書」によれば2023年時点で約87.9%(段階0と段階1の合計)の企業が自社のCO₂排出量(Scope1、2)を把握できていないことが明らかになっている(図表5)。

SBTへの参加は、自社のGHG排出量を正確に把握する契機になる。排出量の現状を数値化することで、削減の余地がある部門や業務プロセスを特定しやすくなり、より効果的な削減計画を策定できる。さらに、排出量の削減の取り組みを進める中で、省エネ技術の導入や業務の効率化が進み、結果としてエネルギーコストの削減にも寄与する可能性もある。
図表6 直接排出と間接排出を区別した報告のイメージ 3|法制度の改正や規制への対応
企業のGHG排出量の削減に向けた取り組みに対応する形で、政府も法制度の改正や規制の整備を進めている。

日本では、企業に対してGHG排出量の報告や削減を求める法律として、地球温暖化対策推進法(温対法)18があり、この法律に基づき温室効果ガス排出量算定・報告・公表制度19が改定される予定である。これまで企業は「エネルギーの使用に伴い排出されるCO₂排出量」を報告していたが、改定後は「燃料の使用に伴う排出量」と「他人から供給された電気の使用に伴う排出量」に報告区分が変更される20(図表6)。これに伴い、区分に応じてエネルギー事業者からの詳細なデータ収集と管理を行い、報告する必要がある。
またGHG排出量や削減目標、その進捗状況の開示は、大手企業を中心に、気候変動財務情報開示タスクフォース(TCFD)21の要請に基づき、サステナビリティレポートや統合報告書を通じて進められてきたが、2023年3月期の有価証券報告書から、非財務情報に関する項目として「サステナビリティに関する記載欄」が新設され、「指標及び目標」として、GHG排出量の削減目標や実績値などの開示が求められるようになった22。現在、これらの開示は任意であるが、2026年以降はサステナビリティ開示基準(SSBJ基準)23に基づき、金融庁により段階的に義務化される予定である。具体的には、2027年3月期から時価総額3兆円以上の上場企業を中心に、GHG排出量(Scope1、2、場合によってはScope3)の開示義務が適用される見通しである(図表7)。

こうした法制度や規制に対応するためにSBTに参加し、早期にGHG排出量の可視化や開示準備に取り掛かることは、重要な戦略になると考えられる。
図表7 サステナビリティ情報開示基準導入のロードマップ
 
18 地球温暖化対策推進法とは地球温暖化対策の推進に関する法律。企業のGHG排出量の報告・開示を義務付ける法律で、年間排出量3,000-CO₂以上の事業者は都道府県知事への排出量報告義務がある。
19 温室効果ガス排出量算定・報告・公表制度(SHK制度)とは、GHGを相当程度多く排出する者(特定排出者)に、GHGの排出量を算定し国に報告することを義務付け、国が報告された情報を集計・公表する制度。
20 環境省「温室効果ガス算定排出量等の報告等に関する命令の一部を改正する命令」等の公布について2025年3月3日
21 気候変動財務情報開示タスクフォース(Task Force on Climate-related Financial Disclosures)は金融安定理事会(FSB: Financial Stability Board)が2015年に設立した国際的イニシアチブで、企業が気候変動に関連する財務リスクと機会を適切に開示するためのフレームワークを提供していた。2023年10月に解散し、2024年より国際会計基準 (IFRS:International Financial Reporting Standards)が企業の気候関連開示の進捗状況の監視を引き継ぐことになった。
22 2023年1月に改正された「企業内容等の開示に関する内閣府令」において、有価証券報告書等にサステナビリティに関する考えた方及び取組の記載欄が新設された。金融庁「「記述情報の開示の好事例集2024(第3弾)」の公表(サステナビリティに関する考え方及び取組の開示③)」https://www.fsa.go.jp/news/r6/singi/20241227.html
23 日本におけるサステナビリティ開示基準(SSBJ基準)とは、国際サステナビリティ基準審議会(ISSB)が公表したIFRSサステナビリティ開示基準(IFRS S1・S2)をベースにサステナビリティ基準委員会(Sustainability Standards Board of Japan SSBJ)が日本に合わせて調整し開発した基準のこと。

5――おわりに

1.5℃目標の達成には2050年のネットゼロの実現が必要であり、日本もこれに向けた新たな削減目標を設定している。企業に対してもこれまで以上に脱炭素への対応が求められている。SBTは、パリ協定と整合した削減目標であり、Scope1~3を対象とするなど国際的に信頼性が高い。また、SBTは2050年までにGHG排出量を実質ゼロにするネットゼロ基準にも対応しており、注目を集めている。

現在、企業間でも脱炭素対応の要請が広がっており、まず、自社のGHG排出量を正確に把握することが重要になっている。しかし、多くの企業で自社のGHG排出量を十分に把握できていないことが課題である。GHG排出量を可視化し、目標設定を行った上で効率的に削減を進めることで、エネルギーコストの低減につながる可能性も高い。また、今後予定される法制度の改正や規制などに対応するためにも、事前の準備が重要である。

SBTに参加することは、GHG排出量の目標設定や削減のための取り組みに相応のコストや労力が伴う。しかし、国際的な脱炭素の動向に対応するためにも、できるだけ早期に対応を進めることが重要である。企業が積極的にGHG排出量の削減に取り組むことで、脱炭素社会の実現が一層加速することが期待される。

本資料記載のデータは各種の情報源から入手・加工したものであり、その正確性と完全性を保証するものではありません。
また、本資料は情報提供が目的であり、記載の意見や予測は、いかなる契約の締結や解約を勧誘するものではありません。

(2025年03月31日「研究員の眼」)

Xでシェアする Facebookでシェアする

総合政策研究部   研究員

土居 優 (どい すぐる)

研究・専門分野
日本経済、サステナビリティ

経歴
  • 【職歴】
     2016年 日本生命保険相互会社入社
         (資産運用部門にて資金繰り、クレジット審査、ベンチャー投資業務に従事)
     2024年 ニッセイ基礎研究所へ

週間アクセスランキング

ピックアップ

レポート紹介

【温室効果ガスの削減目標SBTが注目される理由~企業がSBTに参加し、GHG排出量を削減するメリット~】【シンクタンク】ニッセイ基礎研究所は、保険・年金・社会保障、経済・金融・不動産、暮らし・高齢社会、経営・ビジネスなどの各専門領域の研究員を抱え、様々な情報提供を行っています。

温室効果ガスの削減目標SBTが注目される理由~企業がSBTに参加し、GHG排出量を削減するメリット~のレポート Topへ