2025年01月21日

気候変動 保険活用への影響-保険の“3つのA”はどのような影響を受けるか?

保険研究部 主席研究員 兼 気候変動リサーチセンター チーフ気候変動アナリスト 兼 ヘルスケアリサーチセンター 主席研究員 篠原 拓也

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1――はじめに

気候変動問題が世界中で議論されている。地球温暖化は、ハリケーン、豪雨、海面水位上昇、大規模な干ばつなど、様々な形で地球環境に影響を及ぼしつつある。こうした気候変動リスクへの対応として、洪水保険や火災保険等の活用が考えられる。ただし、気象災害の頻発化、激甚化を受けて、保険の“3つのA” ― アベイラビリティ(Availability)、アフォーダビリティ(Affordability)、アデカシー(Adequacy)に、さまざまな影響が及びつつある。その結果、アメリカでは、リスク対応としての保険活用が制限される事態が増えてきている。気候変動リスクが大きい地域ほど、こうした制限にかかりやすいことから、保険活用の可否によって、リスク格差が拡大する状況も生じている。

アメリカのアクチュアリー会(SOA)は、この問題について議論を進めている。2024年10月には、論点や議論の方向性をまとめたレポート(以下、単に「レポート」と呼称)1が発行されている。本稿では、その内容を見ながら、気候変動問題が保険活用に与える影響について考えてみることとしたい。
 
1 “Availability, Affordability, and Adequacy of Insurance in Areas Impacted by Climate-related Risks”Peter J Sousounis著(SOA Research Institute, Oct 2024)

2――保険の“3つのA”

2――保険の“3つのA”

まず、保険が提供する保障を評価する上で重要な要素となる、“3つのA”から見ていこう。
1|保険は利用可能性、負担可能性、保障十分性の3つが重要
一般に、人間社会のリスク管理に保険を役立てるためには、次の3つが機能することが重要とされている。

(1) Availability ― 利用可能性
保険サービスが利用可能であるかどうかを指す。例えば、保険商品が市場に存在するか、その地域で保険加入ができるか、必要な保険へのアクセスが法令や社会制度で担保されているか、といったことを指す。

気候変動問題で言えば、気象災害に対応する火災保険や洪水保険、農業生産への影響を補償する農業保険、熱中症などの病気への備えとなる医療保険などが、利用可能かどうかが問題となる。

(2) Affordability ― 負担可能性
保険料が経済的に支払える範囲内にあるかどうかを指す。例えば、保険料が個人や企業の予算内であるかどうか、個人の収入に対する保険料の割合が過度に高くないか、政府等の補助金や保険料の割引制度があるかどうか、といったことを指す。

気候変動問題で言えば、加入したい火災保険や洪水保険などの保険料が手頃な水準で経済的に支払い可能かどうかが問われる。

(3) Adequacy ― 保障十分性
保険が提供する保障の内容が被保険者のニーズに対して十分かどうかを指す。例えば、保険金の支払額が災害による損害や病気・ケガによる医療費を十分にカバーするか、保障範囲は想定されるリスクに対して適切か、保険契約条件(免責額、支払限度額等)が妥当か、といったことが該当する。

気候変動問題で言えば、住宅保険の風水災補償で洪水時の浸水被害は保険金で十分にカバーできるか、補償の対象外となる災害が多くはないかといった点がこれに相当する。

これらの要素がバランスよく機能することで、保険制度が効果的に社会のリスク管理をサポートすることとなる。2
 
2 「保険のAvailability, Affordability, Adequacyの違いを教えて」との問いに対するChatGPTの回答をベースに、筆者がまとめた。
2|気候変動問題の課題では、保険業界が気づいているものと気づいていないものがある
人々が生活の中で抱えるリスクは、短期や中期のものが多い。例えば、目先のインフレの動向、病気やケガにより就業不能となる恐れなどだ。これに対して、気候変動問題では、今世紀末までや来世紀以降までをも含む、長期的なリスク対応が必要とされることが一般的だ。気候変動の科学者は、今世紀末や来世紀中頃までといった長い時間軸で気候シナリオを設定して、温暖化の影響や、適応策・緩和策の有効性などを検討している。

保険業界も、気候変動に関するさまざまな長期のリスクを検討している。ただし、遠い将来におけるリスク発現の可能性や、発現した場合の影響度の予測は、大きな不確実性を伴う。レポートでは、保険会社が気づいている課題と、気づいていないかもしれない課題に分けて、議論が紹介されている。

(1) 保険業界が気づいている気候変動に起因する課題
保険会社は、異常気象が発生する確率をよく理解し、今年の保険料の設定に使用した大災害モデルは来年や再来年に有効であるかどうか、といった点の検討を進めている。その際、保険料率が過去の長期平均を反映していて、将来の見通しにはあまり役立たないかもしれないことを危惧している。

(2) 保険業界が気づいていないかもしれない課題
気候変動問題に関するリスクには、適切な保険手段が存在せず、それを提供する組織も存在しないという利用可能性についての根本的な懸念がある。その最たる例が洪水であり、アメリカでは、基本的に民間保険だけではカバーされていない。アメリカでは、保険会社や気候変動を懸念する人々の大半は、最大の経済的損失として洪水を挙げている。ただし、人々の間のリスクの認識は一様ではない。今日の気候変動の中で、保険の価格設定や提供にどのように対処するかという問題を解決しようとする保険業界で働く人々と、実際に極端な現象によって被害や大きな影響を受けている住民との間にはある種の断絶が存在しているとされる。

保険業界が抱えているもう一つの課題は、将来どれだけ気候変動問題が悪化するかを完全には把握できないことである。保険会社は気象災害について、大規模災害モデルを構築して予測を行うことが一般的だ。そのモデルの中に、適切な気候変動の要素が組み込まれていない場合、そのことが重大な未知の問題となる恐れがある。3
 
3 米国とカナダの規制当局は、保険会社のための気候ストレステストをまだ最終決定していない。保険会社がどのように  高額の保険料を設定できるか、新規制がどれだけ厳格化されるか等は不明となっている。

3――アメリカにおける“3つのA”への影響

3――アメリカにおける“3つのA”への影響

次に、レポートをもとに、アメリカでの“3つのA”への影響を見ていく。
1|負担可能性の点で、住宅所有者の懸念が高まっている
インフレ率と比較した場合、保険料率は大幅に上昇しており、住宅所有者の懸念が高まっている。消費者が支払う金額と、保険会社が必要と考える金額との間には大きなギャップがある。4 2019年から2024年の間に、住宅保険の保険料が50%以上上昇した州もあり、全米平均でも37.8%の上昇となっている。
図表1. アメリカ各州の住宅保険の保険料上昇率 (上位10州)ランキング (2019年から2024年にかけて)
保険会社にとっては、保険が利用可能な地域で保険料を引き上げて、その高料分を、本来であれば保険に加入できないと判断される地域での保険引受に充てることで、リスク調整を行うことが考えられる。この調整は、もし実現可能ならば、消費者の間の経済的な格差を縮小する効果を生むものとなる。ただし、本来のリスクを超える保険料を支払う契約者と、リスクより過少な保険料で保障を受ける契約者の間で、不公平が生じているとみることもできる。保険会社は、リスク区分とそれに応じた保険料率の設定を、いかに公平・公正なものとし、契約者にとって納得感のあるものにするか、という困難な問題に直面することとなる。
 
4 消費者がリスクを軽減し、その軽減を保険会社が個々の住宅所有者または地域全体、さらにはより大きな地域で展開することによって、価格の手頃さを向上させることができる。保険会社が消費者のリスク軽減行動に対して一定の割引を行うことが、不可避と見られた保険料上昇と相殺されることにより、価格の手頃さをもたらすためだ。なお究極的には、消費者の観点から最も望ましい状況は、保険を必要としないところまでリスクを軽減することであるが、それは保険業界にとって最善の最終目標ではない。
2|保険会社の撤退事例が発生しており当局が確認中
利用可能性にも地域間のギャップがある。具体的には、規制や消費者の保険料負担可能限度が異なるために、保険会社が必要と考える保険料を確保できない地域がいくつかある。こうした地域からは、保険会社は撤退せざるを得ない状況となっている。
図表2. 保険会社の撤退の例
上記図表以外の州でも、知られていない事例がある可能性が高いとみられている。全米保険監督官協会 (NAIC) と州当局は、保険会社の撤退事案と、それがどこで起こっているかについてデータを収集している。ただし、それらのデータとその分析結果は現在のところ一般向けには利用可能とされていない模様である5
 
5 NAICは、保険セクターに対する気候関連の金融リスクをよりよく理解するための共同作業の一環として、2024年後半に米国財務省の連邦保険局 (FIO) とデータを共有する予定としている。
3|米国財務省は保険の“3つのA”について調査を開始
米国財務省は、住宅保険等に関して、連邦や州の規制当局と協力して、保険コストの上昇と保険適用範囲の減少を調査している。通常、住宅保険では、保険の利用可能性と負担可能性の問題が、不動産価格に影響を与える。ある研究6によると、指定された火災危険度の高い地域で山林火災リスクの開示義務のある住宅は、開示義務のない住宅よりも平均4.3%低い価格で販売されていたとされる。住宅価格の下落は、銀行等の住宅ローン保険料率や融資実務に影響を及ぼす。

さらに、利用可能性の問題が深刻化すれば、住民が居住している地域を離れざるを得なくなる事態も生じる。これは、コミュニティの課税ベースを損なうことを意味し、公共サービスの低下にもつながる。最終的には、コミュニティ間の社会的不平等を悪化させる恐れがある。
図表3. Treasury’s Housing Agendaの住宅保険関連の記載 (抜粋)
 
6 “Risk Disclosure and Home Prices: Evidence from California Wildfire Hazard Zones” Lala Ma, Margaret Walls, Matthew Wibbenmeyer, Connor Lennon (Resources for the Future, Working Paper 23-26, June 2023)

(2025年01月21日「基礎研レター」)

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保険研究部   主席研究員 兼 気候変動リサーチセンター チーフ気候変動アナリスト 兼 ヘルスケアリサーチセンター 主席研究員

篠原 拓也 (しのはら たくや)

研究・専門分野
保険商品・計理、共済計理人・コンサルティング業務

経歴
  • 【職歴】
     1992年 日本生命保険相互会社入社
     2014年 ニッセイ基礎研究所へ

    【加入団体等】
     ・日本アクチュアリー会 正会員

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