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女性の就労の「壁」は年収だけなのか
生活研究部 准主任研究員・ジェロントロジー推進室兼任 坊 美生子
「103万円の壁」の引き上げは、立場によって影響が異なるため、賛否両論が出るのは当然だが、現在のように議論が紛糾している要因の一つは、この法改正をそもそも誰のため、何のためにするのか、政府与党が明確にしていないからではないだろうか。「年収の壁」を意識して就業調整する主婦たちの働く時間を増やし、人手不足を緩和したり、女性の所得を向上したりするためなのか。あるいは、国民の手取りを増やすことで個人消費を上向かせるためなのか。はたまた、低所得世帯に最低限の生活を保障するためなのか――。11月末に石破総理が国会で行った所信表明演説でも、終盤で「2025年度税制改正の中で議論し引き上げる」と法改正を明言したものの、その狙いについては述べられていない2。「壁」を動かせば、メリットもデメリットも生じるであろうが、目的と優先順位がはっきりしないために、巨額の税収減という目前の危機に対する関心が、日に日に高まっているようにも映る。
そこで、「年収の壁」の引き上げの目的が、女性の就労時間を増やすことだと仮定して、本稿ではその効果について、筆者の考えを述べたい。結論から言うと、「年収の壁」は女性の就労を妨げる壁の一つだと考えられるが、壁はそれだけではない。もっと大きな壁、根本的要因は、男女役割分業にあると筆者は考えている。従って、女性の就労時間を増やそうとするなら、年収の壁をスライドするだけでは効果は限られるのであり、男女役割分業の見直しを社会全体で進めなければ、根本的な解決にはならないだろう。
確かに、税負担が生じる年収基準を103万円から、国民民主党が主張する178万円まで引き上げれば、一部の主婦は、次の壁である「106万円」や「130万円」の年収に接近するまで、働く時間を増やすと予想される。社会保険の壁と違って、年収が「103万円」を超えても手取りの逆転現象は起きないので、理屈の上では「103万円の壁」はないはずだが、東京大学の近藤絢子教授らの調査によって、既婚女性の給与年収は「103万円」や「130万円」の目前の階級に突出して多く分布していることが判明した3。これには、夫の勤務先で配偶者手当等が支給される条件と関係している可能性もある。いずれにせよ、一部の既婚女性たちが「103万円の壁」や「130万円の壁」を意識して就業調整していることは明らかである4。
しかし、上述したように、これよりも大きな主婦の就労の「壁」は、男女役割分業にある。つまりに、家事育児などの負担が夫婦のうち妻に偏っていることが、妻が職場で就労時間を増やす障壁になっていると考えられる。
連合が2022年、非正規雇用で働く女性を対象に行ったインターネット調査によると、有配偶女性(n=500)では、「今の就業形態を選んだ理由」(複数回答)という問いに対し、「就業調整(年収や労働時間の調整)をしたいから」という回答は5位で、15.8%だった(図表1)。それに比べて、2位の「家事に時間が必要だから」は33.8%、4位の「育児や介護に時間が必要だから」は24%と、より割合が大きかった。また3位の「通勤時間が短いから」(30.2%)という回答も、家庭の仕事との調整という意味合いが含まれると考えられる。つまり、主婦の働き方に対しては、家事育児や介護という家庭の仕事の制約の方が、就業調整という制約よりも大きいと言える。
それでは、もし主婦の家事育児負担が軽減されたら、働き方への意識はどう変わるだろうか。主婦層に特化した人材サービス会社が運営する調査機関「しゅふJOB総研」が今年9月、主婦(主夫)ら460人を対象に行ったインターネット調査によると、「いま最も望ましいと思う雇用形態」は、パートなどの「短時間非正規社員」が35.4%となってトップだった6。これに対し、「仕事に専念できるなら、最も望ましい雇用形態」を尋ねたところ、トップは「フルタイム正社員」の43.3%となり、順位が入れ替わり、割合も大幅に上昇した。つまり、時間の制約があって今は短時間の非正規雇用を希望しているが、もし制約がなくなり、自分が働きたいだけ働けるなら、正社員を選択する主婦(主夫)が増える可能性があるということだ。同社の求人サイトに登録する。
さらに付け加えるなら、女性の就労の壁を巡るより本質的な問題は、日本では約30年前から共働き世帯が多数派となっているにも関わらず、夫が妻を養うことを前提とした税・社会保障制度が温存されていることにある8。配偶者控除や、「106万円」、「130万円」以下の年収で働く人への社会保険料免除、民間企業の配偶者手当などは、妻が被扶養であることにインセンティブを与えるものであり、男女の賃金格差を助長していると言える。
個人の立場から見ると、配偶者控除や扶養などは、既に生活設計に組み込まれているため、急激な制度変更は難しいが、人手不足解消やジェンダーギャップ解消のためには、中期的に見直していくべきだろう。女性の就労時間を増やし、年収水準を上げることは、女性自身の老後の暮らしを守るためにも大変重要だ9。
公的年金に関して言えば、非常にゆっくりとしたペースだが、働く女性の増加という時代変化に合わせて、方向転換しつつある。例えば、夫と死別した妻に給付される遺族厚生年金を巡り、現行制度では妻が30歳未満の場合のみ5年間の有期給付(30歳以上であれば終身)とされているルールを、段階的に有期給付とする年齢下限を引き上げていくことが、現在、厚生労働省の審議会で検討されている。この動向と同じように、今回の「103万円の壁」の引き上げについても、単に「103万円を超えて働く人を増やすため」ということではなく、ジェンダー平等や女性の所得向上、それらによる経済成長を目指した、税・社会保障制度の一体的改革を加速するための一歩だと位置付けられることを期待したい。
政府は、「年収の壁」を103万円から178万円まで引き上げると、国と地方を合わせて7~8兆円の税収減になると試算している10。この「税収マイナス7~8兆円」が、単に、国民民主党の国会での協力を得るためという“少数与党の政権運営コスト”とならないように、この改正によってどういった社会を目指すのか、旗印を示してほしい。
1 日本経済新聞朝刊(2024年12月3日)。
2 読売新聞朝刊「石破首相の所信表明演説全文」(2024年11月30日)。
3 近藤絢子、深井大洋(2023)「市町村税務データを用いた既婚女性の就労調整の分析」RIETI Discussion Paper Series 23-J-049
4 ただし、非課税枠や社会保険料の強制加入の年収額を上方にスライドするだけでは、主婦たちの就業調整の基準がスライドするだけなので、壁自体は残ると考えられる。
5 調査対象は、ビースタイルの求人サイトなどに登録している主婦(主夫)。
6 男女役割分業の見直し」は、パートの主婦の就労時間を増やすだけではなく、正社員女性が、管理職などのより高いポジションを目指す上でも重要な課題だと考えられる。
7 男女役割分業の見直し」は、パートの主婦の就労時間を増やすだけではなく、正社員女性が、管理職などのより高いポジションを目指す上でも重要な課題だと考えられる。
8 例えば、2025年度から改正が検討されているが、現在の公的年金制度では、妻が夫と死別した場合には、妻の年齢に関係なく遺族厚生年金が給付されるのに、夫が妻と死別した場合には、夫が55歳未満だと、遺族厚生年金が給付されない。こういったルールからも公的年金は「夫が妻を養うことを前提としていると言える。
9 坊美生子(2024)「超高齢社会とジェンダー~男女役割分業の限界~」(研究員の眼)
10 首相官邸HP「内閣官房長官記者会見」(令和6年10月31日(木)午前)。
(2024年12月09日「研究員の眼」)
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03-3512-1821
- 【職歴】
2002年 読売新聞大阪本社入社
2017年 ニッセイ基礎研究所入社
【委員活動】
2023年度~ 「次世代自動車産業研究会」幹事
2023年度 日本民間放送連盟賞近畿地区審査会審査員
坊 美生子のレポート
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