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ティッピングポイントのモデル化-気候変動のレジームシフトをどのようにモデル化するか?

保険研究部 主席研究員 兼 気候変動リサーチセンター チーフ気候変動アナリスト 兼 ヘルスケアリサーチセンター 主席研究員 篠原 拓也
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3――ティッピングポイントの数理モデル化
1|数理モデル化は特定の気候関連事象に限定したうえで地域を絞って行われる
ティッピングポイントにはさまざまなものがある。ティッピングポイント相互の関連性や、ティッピングポイント到達時の可逆性の有無・程度を見積もることは簡単ではない。モデル化したとしても、一部のティッピングポイントの動態が完全にはモデルに反映されていない可能性があり、また閾値の不確実性や、そもそもティッピングポイントが存在することの不確実性も残る。
そのため、地球規模の空間スケールと地質学的な長期の時間スケールにおいて、精度の高いティッピングポイントを数理モデル化することは極めて困難(ほぼ不可能)となる。
そこで、特定の気候関連事象に限定したうえで、地域を絞って、ティッピングポイントを数理モデル化することが試みられている。SOA報告書では、山火事による住宅保険への影響、暑熱関連疾病率の生命保険・健康保険への影響が取り上げられている。5
5 山火事はカリフォルニア州サンディエゴ郡での山火事、暑熱はワシントン州シアトルでの熱波による暑熱関連疾病率が取り上げられている。
6 動的な現象で、状態を決める物理量が、時間とともに変わらないもの。例えば、流体の流れの速さ、電流の強さが時間的に一定に保たれている状態。(「広辞苑 第七版」(岩波書店)より。)
7 “A stepwise approach for identifying climate change induced socio-economic tipping points”Kees C.H. van Ginkel, Marjolijn Haasnoot, W.J. Wouter Botzen (Climate Risk Management, 37, 100445. https://doi.org/10.1016/j.crm.2022.100445)
8 不確実要素(X)、応答・政策の手段(L)、モデル(R)、実績測定(M)をもとに、シナリオ設定の評価を行うフレームワーク。
SOA報告書では、レジームシフトを特定するために、さまざまなパラメトリックおよびノンパラメトリックな統計解析手法9を適用することが示されている。山火事については3つ、暑熱については1つの指標が示されている。10
レジームシフトを特定するための統計手法として、自己相関の変化、分散の変化、平均の変化を観測することが掲げられている。これらの3つの統計量が選択された理由として、実装が簡単であること、IPCCの報告書や前節のオランダの研究者らが示した報告書で概説されている基準に対応していること、レジームシフトに関する文献で広く採用されていることが挙げられている。3つの基準すべてが、同時にレジームシフトを特定した場合、過去の観測に対する評価であれば「有意なレジームシフトが発生した」、将来の気候予測モデルであれば「レジームシフトが発生すると有意に予測される」 と結論づけることができる。
9 母集団について、何らかの分布に従っているとの前提を置いた手法をパラメトリック、何らかの分布に従っているとの前提を置かない手法をノンパラメトリックと呼ぶ。
10 山火事については、キーチ=バイラム干ばつ指数(KBDI)が600を超える年間平均日数、標準降水-蒸発指数(SPEI)が-1を下回る年間平均日数(いずれも干ばつの指標)、山火事による過去の焼失面積と予測総面積の3つの指標。暑熱については、湿球黒球温度(WBGT)の日最大値の指標が掲げられている。
SOA報告書では、このレジ―ムシフトの特定を通じて、「料率誘導型ティッピングポイント」が明らかになったとされている。これは、気候変動リスクの増大に応じて、保険料率が引き上げられることにより、保険SETPが生じることをいう。特に、ある地域全体が大幅な保険料率引き上げの対象となるような広範囲に渡る変化に対しては、保険料を支払えない個人が同時に多発することことがあり得る。このため、段階的な適応努力では不十分となる。
代替となる適応策がない場合、適応限界または不適応の状態に陥る。これは、保障カバーが得られなくなるような社会経済システムの閾値となる。例えば、従来の洪水緩和策が社会的抵抗や経済的制約などに直面するシナリオでは、住民や企業は脆弱な地域からの移住を選択せざるを得なくなる可能性がある。
暑熱については、モデル化を通じて、熱中症関連の罹患率・入院率や死亡率の急上昇、屋外労働災害の急増などが予測される。数理モデルに、その原因となるエアコン使用率の低さや、停電を引き起こす電力供給の不安定さを織り込むことも考えられる。
なお、暑熱に対応する健康保険・死亡保険として、パラメトリック保険11や企業向け保険を創設することが例示されている。特に、暑熱に対して脆弱と見られる高齢者や子どもに対して対して、保障カバーが漏れることがないようにする取り組みも重要とされている。
11 ある指標 (パラメーター) が、契約時に設定した条件を満たした場合に、一定額の保険金を支払う保険。
4――おわりに (私見)
現在、気候変動問題ではティッピングポイントの研究自体が進行中であり、波及経路や閾値水準などについて、さまざまな実証研究が進められている。ティッピングポイントの数理モデル化についても、さまざまな試行錯誤が行われることとなろう。
そのモデル化が進めば、保険SETPの発現が事前に予測できるようになる可能性がある。気候変動リスクは、影響が長期に渡り広範に及びやすいことを踏まえれば、予測を有効に活用することで、早期の段階からリスクの緩和や適応が可能となることが期待される。
今後も、気候変動問題やその数理モデル化に関する研究は進められるものと思われる。引き続き、気候変動問題の科学者・研究者が発するメッセージに注目していくこととしたい。
(参考資料)
“Climate Change 2021 – The Physical Science Basis”(IPCC WG1, 2021)
“The Ocean and Cryosphere in a Changing Climate”(IPCC, 2019)
「絵でわかる地球温暖化」渡部雅浩著(講談社, 2018年)
“Tipping Points in Climate-Related Insurance Modeling”(SOA Research Institute, Aug. 2024)
「広辞苑 第七版」(岩波書店)
“A stepwise approach for identifying climate change induced socio-economic tipping points”Kees C.H. van Ginkel, Marjolijn Haasnoot, W.J. Wouter Botzen (Climate Risk Management, 37, 100445. https://doi.org/10.1016/j.crm.2022.100445)
「特集 ティッピングポイントを考える - 第1回ティッピングポイントとは?」早川光俊(地球環境市民会議, CASAレター, No.107, 2020.9)
(2024年11月12日「基礎研レター」)
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保険研究部 主席研究員 兼 気候変動リサーチセンター チーフ気候変動アナリスト 兼 ヘルスケアリサーチセンター 主席研究員
篠原 拓也 (しのはら たくや)
研究・専門分野
保険商品・計理、共済計理人・コンサルティング業務
03-3512-1823
- 【職歴】
1992年 日本生命保険相互会社入社
2014年 ニッセイ基礎研究所へ
【加入団体等】
・日本アクチュアリー会 正会員
篠原 拓也のレポート
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