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ティッピングポイントのモデル化-気候変動のレジームシフトをどのようにモデル化するか?

保険研究部 主席研究員 兼 気候変動リサーチセンター チーフ気候変動アナリスト 兼 ヘルスケアリサーチセンター 主席研究員 篠原 拓也
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1――はじめに
気候変動問題の中心には、人為的な温室効果ガスの排出に伴う地球温暖化がある。2015年の国連気候変動枠組条約締約国会議(COP21)で採択され、2016年に発効した「パリ協定」では、世界全体の平均気温の上昇を産業革命以前に比べて2℃より十分低く保つとともに、1.5℃に抑える努力を追求することが示された。この2℃や1.5℃といった上昇幅の背景には、ティッピングポイント(転換点)という考え方がある。ティッピングポイントには、物理的なものばかりではなく、社会経済的なものもある。
アメリカのアクチュアリー会(SOA)では、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の第6次評価報告書(AR6)などを参考に、ティッピングポイントを数理的にモデル化して、保険会社の保険料設定やリスク管理に取り入れようとする取り組みも始まっている。本稿では、こうしたティッピングポイントや、そのモデル化の取り組みについて、見ていくこととしたい。
2――ティッピングポイントとは
1|気候変動問題の波及経路は複雑
一般に、気候変動問題の波及経路は複雑だ。さまざまな要因が連鎖的に波及したり、要因間で波及が循環するうちに勢いが増幅したりすることがある。波及が非線形的に起こることもある。
(1) 連鎖的 (カスケード)
波及は、1つの要因が次の要因に影響し、更にその次の要因の発現につながる、といった連鎖的な構造を持っている。ドミノ倒しのような波及だ。このような構造では、一旦走り出してしまうと、次々に波及が進んでしまう。
(2) 循環増幅的 (フィードバック)
波及には、正のフィードバック効果もある。いくつかの要因の間を循環するうちに、波及の勢いが増幅していくというものだ。雪だるま式の増大と言うこともできる。転がり出した雪だるまがなかなか止められないのと同様、加速した気候変動の波及を止めるのは難しいものと考えられる。
(3) 非線形的 (ノン・リニア)
波及は、非線形的に進む。例えば、気温が2度上昇した場合には、1度上昇した場合に比べて、台風などの極端な気象の発生の可能性が2倍ではなく、それを超えて高まる。この非線形性は、非常に小さな出来事が予想もつかない大きな出来事につながる、という「バタフライ効果」にも通じる1。
1 そもそもバタフライ効果という言葉は、気象の数値予報から生じた。1972年に気象学者のエドワード・ローレンツ氏が行った『ブラジルでの蝶の羽ばたきはテキサスでトルネードを引き起こすか』というタイトルの講演に由来している。蝶の羽ばたきのような初期条件のわずかな違いが、遠く離れた場所での竜巻の発生につながるかもしれない。そのため、計測の精度をどれだけ向上させても、気象を正確に予測することは困難、という趣旨だ。
これらの波及が生じる原因の1つとして、ティッピングポイントが挙げられる。ティッピングポイントに達すると、突然の変化が起こったり、不可逆的な変化があらわれたりする。IPCCが2019年に公表した「海洋・雪氷圏特別報告書」2では、「地球または地域の気候が 1 つの安定状態から別の安定状態に変化する際の重要な閾値(しきいち)を指します。ティッピングポイントは、影響について言及するときにも使用されます。この用語は、自然または人間のシステムで影響の転換点が(まもなく) 到達することを意味する場合があります。」として、IPCCの報告書として初めて「ティッピング・ポイント」という表現を用いている。
IPCCのAR6では、15個のティッピングポイントの要素が示されている。そこでは、モンスーンや植生から、海氷、氷床、海洋酸性化など、さまざまな要素が挙げられている。各要素について、突然の気候変動の可能性や不可逆性の評価が示されている。
2 “The Ocean and Cryosphere in a Changing Climate”(IPCC, 2019) 正確な日本語の名称は、「変化する気候下での海洋・雪氷圏に関するIPCC特別報告書」。
前節のティッピングポイントは、主に物理学的なものや生態系に関するものであった。かつては、政治家や経済学者は、物理的なティッピングポイントが存在する可能性は低く、実証的な証拠もないと考えてきた。しかし、その可能性を裏付ける実証的な証拠が増えるにつれ、国家や産業部門の炭素排出予算を定めるうえで、ティッピングポイントへの注目が高まっていったという3。
ティッピングポイントには、社会経済的ティッピングポイント(socio-economic tipping point, SETP)と呼ばれるものがある。SETPは、社会経済システムが急激かつ根本的な変化を起こすことを指す。例えば、海面水位上昇により高潮・洪水の脅威が増すことで沿岸地域の住宅価格が急落することや、温暖化により雪線高度が上昇して低標高のスキー場が経営破綻することなどが挙げられる。
3 2023年にドバイ(アラブ首長国連邦の首都)で開催されたCOP28(国連気候変動枠組条約第28回締約国会議)では、ティッピングポイントへの到達の危機と化石燃料産業の命運が対立する格好となったとされる。
アメリカのアクチュアリー会研究機関が2024年8月に公表した報告書4(以下、「SOA報告書」)では、SETPの事例として、保険のティッピングポイント(保険SETP)が取り上げられている。これは、物理的リスクと移行リスクの両方から生じうるもので、消費者の嗜好、政策、技術進歩の変化を正確に評価することが困難となり、保険会社が市場から撤退する可能性を指す。
小規模な保険SETPは、保険会社が撤退した地域で、保険や金融市場を不安定にする可能性がある。一方、大規模な保険SETPは、大規模気象災害に伴う保険金支払いの増加等により保険会社が破綻し、民間保険が利用できなくなることで、個人、企業、地域社会が適切な保障カバーを得られないまま、重大なリスクにさらされる可能性をいう。これは経済の不安定化や保険適用の不平等化を招く場合もある。さらに、保障カバーの確保が困難となることが、気候関連災害後の地域住民の復興努力を妨げることとなり、被災地域の社会経済面の悪影響を長期化させる恐れもある。
4 “Tipping Points in Climate-Related Insurance Modeling”(SOA Research Institute, Aug. 2024)
(2024年11月12日「基礎研レター」)
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保険研究部 主席研究員 兼 気候変動リサーチセンター チーフ気候変動アナリスト 兼 ヘルスケアリサーチセンター 主席研究員
篠原 拓也 (しのはら たくや)
研究・専門分野
保険商品・計理、共済計理人・コンサルティング業務
03-3512-1823
- 【職歴】
1992年 日本生命保険相互会社入社
2014年 ニッセイ基礎研究所へ
【加入団体等】
・日本アクチュアリー会 正会員
篠原 拓也のレポート
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