2024年10月21日

日本はどんなリスクを取るべきか~デジタル・リアルの勝ち筋

総合政策研究部 専務理事 エグゼクティブ・フェロー・経済研究部 兼任 矢嶋 康次

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1――30年ぶりのチャンスと残された選択肢

どの世界でもそうだが、チャンスは何回もない。日本は30年ぶりの復活のチャンスを迎えている(図表1)。株価水準や企業の賃上げなどこれまであり得なかった動きがでている。もうこのままでいいと思っている人は、今の生活を守るのがベストなやり方だ。ただ国家戦略、企業がゴーイング・コンサーンを前提とするには、このチャンスを活かし、将来拡大しつづけるとの期待を作ることが必要になる。ただ不幸なことに経済低迷が長かったため、日本にはそれほど多くの選択肢は残されていない。
(図表1)民間主要企業における春闘賃上げ状況の推移

2――国策半導体に対する強い批判は正当か?

2――国策半導体に対する強い批判は正当か?

政府が進める各種産業政策への批判は強い。特に過去大失敗をしてきた半導体に政府主導の支援を再び行う事には、強い批判がある。たしかにこの分野は技術的で国民からはわかりくい。もっとわかりやすい説明や情報発信の改善は最低限必要だ。

その上で、筆者は国産の半導体はなんとしても手に入れるべきだと思っている。日本復活の肝は、日本で生産して貿易黒字を作りだし、日本に雇用と利益を還元することだと思っている。そのためにやらなければいけないことは多い。少なくとも、デジタル・リアルの世界を作り出し、日本の製造業を復権させることが不可欠であり、その重要なパーツが「半導体」である。

デフレの住民となって長いときを過ごした我々は「やらないリスク」を忘れてしまっている。どんな投資でも失敗のリスクは必ずある。だから現在進行形の半導体事業のリスクはどんどん減らす努力はいる。しかし、近未来に日本が半導体を手にしないと、産業のコメといわれ2030年には年間1兆ドルまで拡大する市場で、日本は世界から除外される(図表2)。それだけでなく、産業において不可欠な半導体を割高な価格で、ずっと買い続けることになる。それは競争力が勝負の産業で致命傷となる。この先日本は世界で勝てない。
(図表2)世界の半導体市場(予測)

3――「デジタル・リアルの実現」という日本の勝ち筋

3――「デジタル・リアルの実現」という日本の勝ち筋

日本には、追い風が2つ吹いている。その1つは、価値判断基準の変化だ。日本は「成長センター」となる潜在能力を秘めるASEAN(東南アジア諸国連合)からの信頼が高い。これまで日本の製品は、韓国や中国などの製品より値段が高く、売れない時が続いて来た。しかし、経済安保が世界の趨勢となる中、信頼性の高さが製品購入時の重要な判断基準になり始めている。信頼性が高く、高品質な日本の製品にとって、この変化は大きなプラスである。

もう1つは、デジタルとリアルの融合の流れだ。日本はデジタル化で、米国や中国から大きく引き離されて来た。しかし、これからはリアルな製造の現場に、デジタルが組み込まれるシーンが増えて行く。身の回りにある、あらゆる製造物がIOTでネットに接続し、リアルタイムで収集されたデータがAIに分析され、経験や想像で補われていた部分がデジタルで管理されるようになる。それは製造物だけでなく、サービスや商習慣もデジタル化していく。

世界を見回した時、製造業をフルラインナップで有している国は、日本のほかにあまりない。日本の高いサービス品質と日本式の安心安全の作り方・社会体制は、デジタル・リアルの世界においても大いに生きる。これまで完全デジタルの世界では完敗してきた日本も、リアルと接続するデジタル・リアルの世界では復活できる。それが競争力となり輸出を増やして、日本や日本企業の勝ち筋となる。経済安保の中核には、製造業や基幹インフラがあり、日本の製造業には復権の追い風になる。稼げる国になれば「貿易立国」の復活が果たせる。その時、国内の設備投資が増えて雇用と利益が生まれ、それがさらに競争力を生み出し、貿易立国を強化する。そうした好循環を生むことにつながる。

これを実現するのに不可欠なのがエネルギーだ。電気のないところにデジタル化は起きない。

日本の電力需要は2007年をピークに省力化などが進み低下してきた。しかし、この先データセンターとAIの需要で電力需要が跳ね上がり、急増する(図表3)。これまでとは前提が変わり日本のエネルギー基本計画は将来の需要増に対応せざるをえなくなった。この需要増は再生可能エネルギーを倍のスピードで入れて、可能な原子炉を再稼働しても、まだ需要予測に至らない。一つの社会的選択として作れる電力量に経済水準を落とすこともあり得る。しかし、その選択をしないなら、原発の再稼働やリプレース、再生エネのさらなる拡大などの選択を今すぐ実行しないと近未来の需要に間に合わない。2024年9月に行われた自民党総裁選で有力候補も原発に対して消極的な意見を変えてきたのは、この現実に対応する政権与党としての責任である。
(図表3)我が国の需要電力量の見通し
米国などは大規模な産業政策を開始している。経済安保の高まりで中国からの資本が日本に向かっている。しかし、米国は豊富なエネルギーや世界有数の需要で世界から企業を誘致し始めている。その対象は日本企業も含まれる。日本らしい産業政策を今すぐ動かさなければ、日本企業ですら、米国に立地を始めてしまう。

いま日本にある産業や技術、質の高いサービス業の状況を考えると、このデジタル・リアルの戦略しかないと筆者は考える。失敗するリスクを並べるのは簡単である。この戦略がダメなら他の戦略を早急に提示する必要がある。メリデメだけ並べて机上の空論を楽しむ時間的余裕は、残念ながら今の日本には残されていない。

4――まだまだ投資が少ない民間企業

4――まだまだ投資が少ない民間企業

政府の役割は明らかに変わった。米国でも日本の1970-80年代の産業政策を、研究し尽くしていると言われている。繰り返しになるが、政府の役割は大きくなった。国家に主導された産業が市場支配力を高める状況では、他の国も産業支援に力を入れざるを得ない。軍事と民生の壁が薄くなり、イノベーションが国力を左右する時代、政府が主導しなければならない分野は増えている。

ただ、投資やイノベーションを起こすのは、民間であるという大前提は変わっていない。足元、設備投資は増勢の傾向にあるが、昨年の後半から頭打ちの懸念も少し見え始めている。これだけの高水準の利益を出しながら、なぜもっと投資がでてこないのか、まだまだコストをかけて投資を行うリスクがやらないリスクより重きが置かれているとしか思えない(図表4)。

企業は生産性(付加価値/投入量)を上げることが至上命題である。デフレ下では分母のコスト・カットが優先されたが、インフレ下では付加価値創出をしない限り、生産性の向上は実現できない。そのためには、新たなアイデア等を生み出す人への投資、賃上げなどの処遇改善、新しい製品の開発、製造するための設備投資が必要になる。新しく生み出されたものが消費者に受ければ、売上高でみる生産性は伸ばすことができる。

インフレ下では、いま設備投資をすれば10億円、来年になればインフレで10億円を優に超えるし、人手不足で工場を作れないことも起こり得る。コストという新たなリスクを取って、設備投資などをしない限り、生産性は上がらない。

人手不足は10年経っても20年経っても課題であり続ける。今のうちに設備投資を行って、資本装備率を上げない限り企業の存続は難しい。動かない、やらない企業は、これから淘汰される。
(図表4)設備投資とキャッシュフローの関係

5――NISAでリスクを取り始めた個人、リスクに見合うリターンを国内で作る

5――NISAでリスクを取り始めた個人、リスクに見合うリターンを国内で作る

NISA拡大の政策は賛成だ。個人の資産選択の幅を広げ、賃金に大きく依存した収入ルートを拡大できるはずである。個人は毎月1兆円以上を海外資産に投資している。この規模はどんどん拡大している。デフレでは、目減りしない預金はキングであったが、インフレになった瞬間に大きく目減りし始める。

個人は資産運用というリスクを取り始めている。ただ、そのリターンの源泉は、日本ではなく米国を中心とした海外である。やはり国内で企業が稼ぎ、そこに国内外の投資が起こり、そのリターンを日本人が享受できるルートが必要だ。そうでなければNISA拡大は、将来的に個人マネーのキャピタル・フライトを助長しただけの最悪の政策に終わってしまう。

環境の変化や危機に気付づいていながら、いつか何とかなると楽観しているうちに重大な事態に陥るという「ゆでガエル議論」が盛り上がった。名目経済も30年ぶりに拡大し、何かを動かすコストはデフレの状況よりは各段に小さくなっている。少しずつ日本の「変化」への期待は高まっている。なんとしても30年ぶりの日本の復活のチャンスを活かしたい。そのためには、国も企業も個人も「やらないリスク」をもっと意識し、選択することを先送りしないことである。

 
このレポートは、「FACTA」2024年10月号の内容を加筆修正したものです
 
 

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(2024年10月21日「基礎研レポート」)

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総合政策研究部   専務理事 エグゼクティブ・フェロー・経済研究部 兼任

矢嶋 康次 (やじま やすひで)

研究・専門分野
金融財政政策、日本経済 

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