2024年02月19日

改正ベトナム保険事業法(8)-財産保険・ダメージ保険(その2)

保険研究部 専務取締役 研究理事 兼 ヘルスケアリサーチセンター長 松澤 登

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1――はじめに

今回もベトナムにおいて大改正(2023年1月より施行)された保険事業法(Law on Insurance Business)の続き(8回目)を解説したい。

2023年保険事業法の英語版はベトナムの国会あるいは監督官庁である財務省としては出していないので、本稿は翻訳ソフトを使用してベトナム語を英語および日本語に翻訳したものをベースとしている。したがって正確に翻訳できていない可能性がある。これはこれまでと同様である。

本稿ではシリーズ8回目として保険事業法第2章保険契約(Insurance policy)の第3節財産保険契約(Property insurance  policy)・損害保険契約(Damage insurance policy)の後半の部分(51条~56条)について述べることとする。ここで損害保険契約とあるが、日本における概念とは異なり、後述の通り、たとえば信用保険などを指しているものと考えられる。そこで損害保険契約全体と区別するため、以下ではこの類型の保険をダメージ保険契約と表記する。

今回の解説部分は日本では原則保険法(一部は保険業法)の取り扱う分野であり、ベトナム保険事業法と日本の保険法を比較しながら論じていきたい。なお、以降ではベトナム保険事業法を単に保険事業法と記載し、日本の保険法を単に保険法と記載するのでご留意願いたい。また、保険事業法の本稿で取り扱う該当部分と保険法のそれに対応する部分は保険会社と外国保険事業者の国内支店が対象となる条文だが、保険会社と外国保険事業者の国内支店を併せて保険企業等と呼称する。

2――財産保険契約・ダメージ保険契約の補償範囲・方法・査定

2――財産保険契約・ダメージ保険契約の補償範囲・方法・査定(51条~53条)

1|財産保険契約・ダメージ保険契約の補償範囲(51条)
保険事業法51条は、財産保険契約・ダメージ保険契約に関する補償範囲(金額)について規定する。内容は以下の通りである。

(1) 補償金額は、契約で別途定めない限り、損失発生時の保険対象物件の市場価値と損害の範囲を基礎として保険企業等が決定する。市場価値と損害の範囲を調査する費用は保険企業等が負担する(同条1項)。
―保険事業法47条1では財産保険契約は契約締結時の時価を保険金額として締結すると規定されている。そして、保険事業法51条は実際に支払われる保険金額は事故発生時の時価であると規定している。保険法でも支払保険金額を時価とする原則は同様で、「損害保険契約によりてん補すべき損害の額は、損害が生じた地及び時における価額によって算定する」とある(18条1項)2。また、てん補損害額の算定に必要な費用は保険事業法と同様に保険企業等の負担とされている(23条1項1号)。保険事業法と保険法は同様の規律を有している。

(2) 保険企業等の支払う補償金額は、別途定めがない限り、保険金額を超えてはならない(同条2項)。
―上述の通り、保険事業法では財産保険等を時価で契約することとされていることから、本項の具体例としては、たとえば保険対象物件が物価上昇などで契約時の時価を上回ったときであると考えられる。保険事業法51条1項が事故発生時の時価を保険金額とするとした関係で、念のため定めた規定のように思われる。保険法では該当する条文はないが、約款に本項に該当する規定が存在するのが通例である3

(3) 保険金額に加えて、保険契約において合意した、保険企業等の定めたガイドラインに従って、被保険者が損失を予防あるいは損失の拡大を防ぐための必要かつ合理的な費用について、保険企業等は保険契約者等に支払わなければならない。
―保険法は保険契約者及び被保険者に損害の発生および拡大の防止に努めなければならない(13条)としていて、このような「損害の発生および拡大の防止のために必要又は有益であった費用」は保険企業等の負担とする(23条1項2号)と定めている。保険企業等がガイドラインを定める必要があるなどの違いを除ければ保険事業法と保険法の相違はないものと思われる。なお、保険事業法によれば損害発生防止等の費用は上述(2)の保険金の上限とは別に支払われるが、保険法でも同様の立場である4
 
1 https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=77037?site=nli 参照
2 別途、約定保険金額の定めがあるとき(=評価済保険)は、その金額となる(同条2項)
3 たとえばチューリッヒ保険の家財保険約款5条5項https://www.zurich.co.jp/sfd/sfdfuyaku/ 参照。
4 萩本修「一問一答保険法」(商事法務2009年)p119参照。
2|財産保険契約・ダメージ保険契約の補償方法 (52条)
保険事業法52条は、財産保険契約・ダメージ保険契約において、補償方法を規定する。条文は以下の通りである。

(1) 保険企業等は下記a)~c)のいずれかの補償方法をとることを合意できる(同条1項)。
a) 損壊した物件の修繕
b) 損壊した物件と他の代替品との交換
c) 保険金の支払
―日本では一般的に損害保険においても金銭の支払を行うのが通例である(=c))。日本における物やサービスを給付する、いわゆる現物給付の事例としては車両保険における代車の提供やロードサービスの提供といったものがあげられる。上記b)のような物件の交換をすることは理論的には可能であるとは思われるが、筆者は日本での実例を知らない。上記a)については車両の修理費を提携修理工場に直接支払う方式をとり修繕サービスを現物保険給付としているものがありそうである。ただ、この場合も保険金を被保険者ではなく、被保険者に代わって保険企業等が工場に直接支払っているだけとも捉えることができ、上記c)に該当するとも考えられる(日本においては現物給付が認められていない生命保険において、これに類した直接支払い方式が認められている)。

(2) 保険企業等と保険契約者の間で何らの合意もないときは、金銭による支払いによる(同条2項)。
―当然の規律であると考えられ、保険法に特段の規定はない。

(3) 保険事業法52条1項のb)代替品との交換、c)保険金の支払で補償を行ったときには、保険企業等は代替品を提供し、あるいは市場での時価全額を保険金として支払った後に、損壊した物件を引き取る権利を有する。(同条3項)。
―保険法では、保険企業等が「保険の目的物の全部が滅失した場合において、保険の目的物に関して被保険者が有する所有権…について当然に被保険者に代位する」(24条)とあり、保険事業法52条3項の後半部分(時価全額を支払った場合に物件を引き取る権利を有する)と同等の規定を有する。保険法が保険事業法と違う点は、代替物の提供に関する同種の規定がないところである。
3|損害の査定(53条)
保険事業法53条は損害の査定についての規定である。

(1) 保険事故が発生したときには、保険企業等、または保険企業等から権限を与えられた個人が損害の原因と範囲を決定するための損害評価を示すものとする。損害調査の費用は保険企業等が負担する。
―保険法において、損害の査定について規定する13条は損害査定を行う主体が記載されていない。しかし損害査定負担は保険企業等であることを規定する23条1項1号の規定と合わせ読めば、主体は保険企業等であることは当然であり、保険事業法との相違はないと考えられる。ただし、保険事業法では保険補助サービスとして保険損害評価を行う者5が法律上定められており、保険事業法51条1項はこれらの独立事業者が権限を与えられて損害査定を行うことを明文で認めることに意味がある条文であるとも見うる6

(2) 保険企業等と被保険者の間で損害の原因および範囲について合意できなかった場合には、別に合意がある場合を除き、独立評価者を選任することができる。当事者間で独立評価者の選任について合意が得られなかった場合には、各当事者が裁判所又は仲裁裁判所(Arbitrator)に独立評価者の選任を求めることができる。独立評価者の結論は両当事者を拘束する。
―日本でこの規定に該当するのは、保険業法に定める損害保険業務に関する指定紛争解決機関(2条28条、30条、308条の2)であろう。この機関は裁判外での紛争処理制度、いわゆるADR (Alternative Dispute Resolution)であり、現在は日本損害保険協会に設置されている(そんぽADR)7。指定紛争解決機関では両当事者の和解を促すことや特別調停案の提示が可能である。このうち、特別調停案の提示がなされ、保険契約者(被保険者)側が当該案に同意したときには、保険企業等が訴訟を提起しない限り特別調停案を受け入れなければならない(保険業法308条の7第6項)とされている。
 
5 保険年金フォーカス「ベトナムの保険事業規制」https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=65231?pno=2&site=nli 参照。
6 日本でも独立した損害保険評価を行う会社は禁止されておらず、現に存在する。たとえばKPMG https://assets.kpmg.com/content/dam/kpmg/jp/pdf/2023/jp-damage-calculation.pdf 参照。
7 https://www.sonpo.or.jp/about/efforts/adr/index.html 参照。

3――請求権代位(54条)

3――請求権代位(54条)

保険事業法54条は請求権代理について定めている。請求権代位とは、保険企業等が保険金を被保険者に支払ったとき、被保険者が加害者に対して有している損害賠償等の請求権を、保険企業等が被保険者に代わって行使できるというものである。条文は以下の通りである。

(1) 保険事故が発生したとき、第三者が被保険者に生じた損害を補償する責任のある場合、以下のことを行わなければならない(同条1項)。
a) 保険企業等が保険金を支払った後に、被保険者は保険企業等に対して、保険企業等が支払った保険金額分について、被保険者の第三者に対する損害賠償の権利を譲渡しなければならない。
b) もし被保険者が第三者に対する損害賠償の権利を譲渡するのを拒否した場合には、保険企業等は被保険者の過失割合に従って保険金額を削減することができる。
―日本における財産保険、たとえば家財保険においては被保険者の故意・重過失による財産の損壊については保険金が支払われないが、過失割合によって保険金額を削減するという取り扱いはない。保険事業法のこの規定は請求権代位を拒否した場合には、被保険者の過失割合で保険金を削減できるとするものでベトナム特有の規定である。過失割合に応じて保険金を支払うという一種のプロ・ラタ主義の採用と言える8

(2) 保険企業等が第三者に賠償を求める権利を行使するにあたって、被保険者は保険企業等に対して必要な書類と保険契約で合意した情報を提供しなければならない。
―この規定は保険法には存在しない。ただ、保険約款には一般的に被保険者が協力すべき義務の規定がある9

(3) 保険企業等は、被保険者の親、配偶者、こどもに対して、保険企業等が被保険者に対して支払うべき補償金額を被保険者に対して支払うよう求めてはならない。ただし、これらの親族が故意に損害を発生させた場合を除く。
―日本における保険企業等が保険金を支払わない場合は、保険契約者、被保険者またはこれらの法定代理人の故意または重過失に限定されている(保険法17条および各社約款)。また、約款では同居の親族の故意による損害については保険金を支払わないとしている10。規定の仕方や免責の範囲は異なるが、結論だけ見れば日本とベトナムとでは類似の規定となっている。ただし、保険事業法では保険企業等が親などの家族に被保険者に賠償を行うよう要求する行為を禁止するという独特の構成となっていることが注目される。
 
8 日本で保険法制定時に議論されたプロ・ラタ主義とは、保険加入にあたって重過失によって告知義務違反を行ったときに、仮に正確な告知がなされたときに上昇したはずの保険料と実際の保険料との割合を踏まえて保険金額を削減支払するといったものであった。なお、この議論は、日本では告知義務違反における重過失は故意に近いものであるという理由から保険法には採用されなかった。
9 前掲注3チューリッヒ約款49条3項参照。
10 前掲注3チューリッヒ約款3条1項1号、3項2号参照。
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保険研究部   専務取締役 研究理事 兼 ヘルスケアリサーチセンター長

松澤 登 (まつざわ のぼる)

研究・専門分野
保険業法・保険法|企業法務

経歴
  • 【職歴】
     1985年 日本生命保険相互会社入社
     2014年 ニッセイ基礎研究所 内部監査室長兼システム部長
     2015年4月 生活研究部部長兼システム部長
     2018年4月 取締役保険研究部研究理事
     2021年4月 常務取締役保険研究部研究理事
     2024年4月より現職

    【加入団体等】
     東京大学法学部(学士)、ハーバードロースクール(LLM:修士)
     東京大学経済学部非常勤講師(2022年度・2023年度)
     大阪経済大学非常勤講師(2018年度~2022年度)
     金融審議会専門委員(2004年7月~2008年7月)
     日本保険学会理事、生命保険経営学会常務理事 等

    【著書】
     『はじめて学ぶ少額短期保険』
      出版社:保険毎日新聞社
      発行年月:2024年02月

     『Q&Aで読み解く保険業法』
      出版社:保険毎日新聞社
      発行年月:2022年07月

     『はじめて学ぶ生命保険』
      出版社:保険毎日新聞社
      発行年月:2021年05月

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【改正ベトナム保険事業法(8)-財産保険・ダメージ保険(その2)】【シンクタンク】ニッセイ基礎研究所は、保険・年金・社会保障、経済・金融・不動産、暮らし・高齢社会、経営・ビジネスなどの各専門領域の研究員を抱え、様々な情報提供を行っています。

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