コラム
2024年02月09日

43年待ちのコロッケ×タイムカプセル的消費-消費の交差点(3)

生活研究部 研究員 廣瀨 涼

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本コラムのポイント

1――ただいま5年半待ち!日本一予約殺到のコロッケ

まだあれは、筆者が大学生だった2011年の話である。フジテレビ系列の『笑っていいとも!』のとあるコーナーで映しだされた「ただいま5年半待ち!日本一予約殺到のコロッケ」というテロップが鮮明に記憶に残っている。その正体は、兵庫県にある精肉店「旭屋」がネット通販のみで販売している神戸ビーフ最高級A5ランクの肉がゴロゴロ入った「極み」と呼ばれるコロッケだった。とはいえ、たかがコロッケに5年半待ちとは正気の沙汰とは思えない。5年半待ちというと、実際に予約してから手元に届くのは2017年前後になるわけで、当時の筆者は、「それだけ待っておいしくなかったらショックだろうな」「住所やメールアドレスや電話番号を変更した場合予約内容は変更できるのだろうか」「そもそも買ったことすら覚えてなくていきなりコロッケが届いたら驚くだろうな」と、その人気に対して少し斜に構え、ポジティブな現象として捉える事が出来なかった。もし当時買っていれば7年前に食べることができたわけで、長い人生をみれば5年半という歳月は一瞬に過ぎなかったのかもしれない。

そして先日あるニュースサイトで「待ち時間38年!「何年でも待つ」という声が相次ぐ「神戸牛コロッケ」」という見出しが目に入ってきた。まさかと思い、サイトを開くと旭屋の「極み」の話題であった。その後公式サイトの注文ページを確認したところ実際は43年待ちとのことで、今注文すると届くのは2067年になる見込みである。過去の自分がとんだ失態を犯した気がした。もし私がそのコロッケを知った当時購入していれば自身が27歳の時には食すことができたのに、今注文しても届くときは自分は80歳になっており、高齢で味覚が変化しおいしく食べられない、あるいはそもそも食べられる状態にない可能性もあるわけで、猛省しきりである。

実は、このような、長期間待つお取り寄せグルメは「極み」以外にも多数存在する。例えば2024年1月現在「北鎌倉 天使のパン・ケーキGateau d'ange」のパンやケーキなどは19年以上待ち、香川県の「たれ屋」が販売するクロワッサン餃子は1年程度、愛知県の「グリル れんが亭」のデミグラスハンバーグは1年以上待ちと、それぞれのホームページに記載されている。

2――なぜ何十年もコロッケを待つことができるのだろうか

これらの商品の特徴は、自身が購買行動を行った際に充足する欲求と、実際に消費(食べる)時に充足する欲求の性質が異なる事である。購入した際は、それほどまでにおいしいモノならば是非食べてみたい、という商品の使用価値(ここでいう味やお腹を満たすこと)そのものに対する評価というよりも、「その話題に乗っかりたい」「何年も待って手に入れるというネタ性(エンターテインメント性)が面白い」「待ち期間がこれ以上長くなったら損1をする」といった、その商品が保有している「社会的文脈=情報そのもの」を消費することの方への関心が強いのではないだろうか2。食べたことがなく実際に口に合うかもわからないモノを、それなりの金額を支払って何年も届くのを待つことができるのは、ある意味予約が完了した際に、(1)その社会的文脈の当事者になれたことと、(2)自身が予約した以降にその商品を予約するであろう消費者や待ち期間がネックで購買を躊躇した人々に対する優越感、(3)予約してから届くまでの間の「○○年待ちの商品を待っている状態」と、実際に届いた際の「○○年待ち続けた商品を食べてみた」というストーリーがそれぞれ自身に自動付与されることによって、その消費への欲求(購入した動機)が充足されるからであろう。

この時自身の欲求を充足しているのはあくまでもこれらの情報(社会的文脈)なのであり、消費した際に得られたこれらの情報に満足しているからこそ、何年もその商品を待つことができるし、予約した事すら忘れてしまってもいいのである3
 
1 実際に損失があるわけではないが、未来の自分が購入する際に待ち期間が伸びていた際に「あの時予約しておけばよかった」という機会損失による消費の失敗が生まれる可能性もある。
2 帰りがけによったスーパーで販売していたコロッケには見向きもしなかったのに、その夜見たテレビ番組で観た38年待ちのコロッケに興味を持ったのならば、それは潜在的にコロッケが食べたかったわけではなく、38年という情報が興味へのトリガーとなっている。どちらのコロッケも食べたことがなければ過去の購買経験での評価をすることはできないため、興味のトリガーとなった情報すなわち社会においてそのコロッケに需要が高まっていること自体がコロッケが欲しくなっている要因なのである。この欲求はスーパーで売っているコロッケ(使用価値=食べること)では満たすことができず、38年待ちのコロッケが持つ社会的コンテクストのみで充足される。おいしさももちろん必要ではあるがこのコロッケの価値を高めているのは38年待ちという情報そのものなのである。
3 実際に心待ちにしている期間がそこまでなかったとしても、「○○年待った」という過ぎた歳月は商品到着時に再認識されるため、「○○年も待ったんだからおいしいに決まってる」といったように、その歳月が消費者側の負担として過剰に捉えられる。(ただ時が過ぎただけなのにあたかもずっと待っていたかのように捉えがち)

3――バンドワゴン効果

このように、他の消費者が良いと評価している、他の消費者の中で話題になっているという事そのものが購買動機になることを「バンドワゴン効果4」といい、1950年にアメリカの経済学者ハーヴェイ・ライベンシュタインよって提唱された。他人の評価がその商品に対する社会的な価値を証明しているのであり、行列ができているという事が消費欲求を掻き立てるラーメン屋や、近所にある気に留めてもいなかった定食屋をメディアが取り上げたことがきっかけで興味を持った、という経験があるのは筆者だけではないだろう。「極み」コロッケの待ち期間も行列と本質は同じであり、実際に待ち時間が長くなれば長くなるほど、自身がその商品を購入したことを肯定する要因となるわけだ。しかし、本来ならば自身よりも以前に届いた消費者たちの評価が、自身の購買動機や消費を肯定してくれるもの(情報)であるはずなのに、まだ実際に食べていない予約者たちの数(本文で言う43年待ちという情報)の方が社会的文脈におけるその商品の価値を評価する指標となっている点が面白いところである。

また、行列と異なるのは実際に店頭で待つという、能動的な行為を伴わないことだ。待つことに対する消費者への負担がないため「購買時(予約時)」においては体感するストレスがなく、購買過程が記憶に残りにくいため、正に商品が忘れたころにやってくるわけだ5
 
4 パレードの先頭を行く楽隊車のこと。パレードでは楽隊車の後を行列がついてくることから意味が転じ、バンドワゴン効果という言葉が生まれた。
5 行列ができる店においては、偶然空いているタイミングもあるため、そのようなタイミングで入店できればその商品の期待値が実態を下回った際に、わざわざ「並んで待った」というコストが発生せず、待ったことによる自己の正当化(=あんだけ並んだんだから不味いはずがない、まずいと感じるのは気のせいである)を行う必要がないため「なぜこの味で行列ができるのだろうか」とその商品の評判を疑うことができるが、本コラムで取りあげている「長待ちお取り寄せグルメ」は、今後いつ予約をしようがその待ち期間が短くなることはほとんどない。仮に自身の口に合わなかったとしても、○○年待ちという数字が社会的証明となっているが故にマジョリティの感覚ではなく自身の感覚を疑う消費者が存在してもなんらおかしくはない。

4――従来のご褒美消費と性質が異なる

働くこと・勉強すること(強いては生活すること)に対するモチベーションの維持や自身の抱える不安を解消する手段として、自身を労う、自身の活力になるような現在志向の消費が熱心に行われている。少し高めのコンビニのスイーツや食玩やカプセルトイの購入といった「プチ贅沢」と呼ばれる類のモノから、推し活のような自身の精神的充足につながるようなエンターテインメントの消費は「ご褒美消費」として広く我々の生活に根付いている。このご褒美消費は、消費と欲求の充足が同時に起きるモノのみならず、何かの発売日、コンサートなどのイベントの日や計画している旅行など、未来にある、ある一点を心待ちにすることがモチベーションとなり6、生きる糧になるタイプのモノもある。その日の自分を労うためにせよ、生きていくための活力にせよ、現在志向によるご褒美消費の本質は、ニンジンがぶら下がっている状態ともいえるだろう。

同じ長待ちでもプレミアムモデルのプラモデルや車など完全受注の商品は注文から1年以上待つこともざらだ。例えば2022年7月に販売を開始した日産自動車の「フェアレディZ(RZ34)」は、発売からわずか一カ月未満で受注が一時停止となり、納期が4年ほどの見込みとなっているようだが、車のように趣味としての側面が大きい商品に関しては、同じ「待つ」でもコロッケと性質は異なる。その製品の納期やイベントの開催日がどれだけ先のことであっても、前述した通り、趣味や自分のモチベーションにつながるような精神的充足を求めた消費は現在志向な消費活動であり、目標となる期日は常に意識されることとなる。どれだけ先の納期であろうと、車雑誌を眺めたり、SNSで他の車好きのユーザーの投稿を見ながら、自身の車が納車されたら、その車をどうチューニングしようか、その車でどこに行こうか、と未来に思いを馳せることそのものが、まだ手元にないその車との接点であり、その接点が日々のモチベーションになるわけである。
図1 「ご褒美消費」の消費構造
一方で、「極み」を始めとした長待ちお取り寄せグルメは、忘れたころに過去の自分が興味をもったモノが届くというサプライズ性の方が強い消費活動である。買ったときはあと43年でコロッケが届くと心待ちにするかもしれないが、その日が来るまで指折り数えて届くことを待つ者はそうはいないだろう。注文した瞬間にその興味はピークを迎え、実際に届いた時には届いたことによる興奮はあるかもしれないが、注文した時と同じだけの興味関心がその商品にあるかといえば、甚だ疑問である。また、長待ちグルメを待っている間、趣味などの生きがいの製品の納期を待つ事とは異なり、その商品が想起される機会は少なく、生きていく上でのモチベーションになる消費者の存在は稀である。

このような長待ちお取り寄せグルメは、長い待ち時間が発生することを知ったうえで購入されるため、そもそも「今の自分」を満たすのではなく「未来の自分」を満たすことが前提で購買がされている。仮に届いた時に予約していたことを完全に忘れていたり、興味が薄れていたとしても、その届いた購入品は過去の自分が充足した消費欲求の結果であり、それは過去の自分からの「タイムカプセル」や「セルフサプライズ」のような位置づけになり得るのではないだろうか。常に意識していないからこそ、届いた時の喜びや驚きはより大きいものになるかもしれない。
図2 「長待ちお取り寄せグルメ」の消費構造
その様な意味で「タイムカプセル的消費」や「セルフサプライズ的消費」は、従来のご褒美消費の「普段頑張っているから自分を甘やかそう」「これを買ったから明日から頑張ろう」といった現在志向の動機付けではなく、結果的に今生まれた衝動(消費欲求)を満たしたいという現在志向であるモノの、「過去の自分から未来の自分へのプレゼント」「きっと未来の自分はこれが届いたら喜ぶだろうな」という、今の自分が未来にいる自分のことを想って購入される言わば未来の自分への投資であり、自分で自分を甘やかすというセルフケアの新しい形であるという見方もできるのではないだろうか。
 
6 「○○のイベントまで死ねない」という常套句は、その日や発売日を心待ちにする言葉としてオタク界隈でよく使われている。
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廣瀨 涼 (ひろせ りょう)

研究・専門分野
消費文化、マーケティング、ブランド論、サブカルチャー、テーマパーク、ノスタルジア

経歴
  • 【経歴】
    2019年 大学院博士課程を経て、
         ニッセイ基礎研究所入社

    ・令和6年度 東京都生活文化スポーツ局都民安全推進部若年支援課広報関連審査委員

    【加入団体等】
    ・経済社会学会
    ・コンテンツ文化史学会
    ・余暇ツーリズム学会
    ・コンテンツ教育学会
    ・総合観光学会

(2024年02月09日「研究員の眼」)

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