2023年11月30日

メディケイドとCHIP:米国の医療セーフティネット-コロナ後の通常運営で加入者は減少中-

保険研究部 主任研究員・気候変動リサーチセンター兼任 磯部 広貴

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4――CHIP(州児童医療保険プログラム)導入

メディケアが高齢者と障害者、メディケイドが低所得者をカバーするようになったものの、米国民全般に幅広く医療保障を提供するニーズが薄れていったわけではない。

1990年代には低調な経済と民間医療保険料の上昇を受けて無保険者が増えていく中15、医療保険制度改革を公約に掲げた民主党のビル・クリントン氏が1993年、大統領に就任した。
 
15 1991年、民主党のハリス・ウォフォード氏はソ連に対抗する軍事費の必要がなくなった今、国民医療保険を最優先で検討すべきと訴えてペンシルバニア州の上院議員特別選挙において逆転勝利を飾った。この選挙は全米の注目を集め、多くの米国民に医療保障制度改革の必要性を喚起した。
1)クリントン改革の頓挫
クリントン大統領は就任した同年1月のうちに医療保険制度改革に向けたタスク・フォースを立ち上げ妻のヒラリー氏を座長に任命した。新たなるファーストレディー像を示したことで話題を呼んだものの、改革案の作成には当初想定の100日を超える時間を要し公表されたのは同年9月であった。

各州内で最低1つ以上の医療保険組合16を設立の上、各組合が民間保険会社と契約し企業や個人を加入させることを前提に、医療費の上昇は連邦レベルの国民健康委員会で抑制を図るなど国民皆保険を目指す意欲的な内容であったが、内容以前に非公開のタスク・フォースで作成されたことから議会の反応は芳しくなかった。11月に法案として提出された後の議論は激化し、共和党や各業界団体からの反対17のみならず、もう一方の民主党内リベラル派18もまとめられない状況を招いた。議会には複数の議員から対抗する法案が提出され、最終的には1994年9月の段階でクリントン改革は頓挫するに至った。
 
16 従業員5000人以上の企業は単独で医療保険組合を組成可能。
17 特に企業に従業員への医療保険提供を義務化する点に対し、中小企業団体を中心に強い反対の声が出た。
18 民間医療保険を前提とする改革では国民皆保険制度を実現できないとの危惧を抱かれた。また、財源の一部をメディケア・メディケイドの効率化に頼る点は両制度の給付内容悪化を招くと懸念された。
2)CHIPの導入
その約2か月後に行われた中間選挙で民主党は大敗を喫し、上下両院とも共和党が過半数を奪取した。クリントン大統領自身は1996年の選挙で再選を果たしたものの、2期目を通して上下両院で共和党が過半数を占める状況に変わりはなかった。

よって1期目に頓挫した国民皆保険のように抜本的な改革ではなく、特に医療保障ニーズが高い分野で議会との合意が可能な対策が部分的に図られるようになった。その一つ19が民主共和両党の協力で法案が提出された州児童医療保険プログラムである。Children's Health Insurance Programの頭文字からCHIP(チップ)と呼ばれる。

当時は約1,000万人の児童が無保険状態であり、その多くはメディケイドの加入資格を得るほど貧しくはない勤労家庭にあった。これらの児童を念頭に、連邦政府が助成金を支出して各州による医療サービスの提供を支援する制度がCHIPである。1997年に創設され、クリントン政権は1999年にInsure Kids Now(今、子供たちに保険を)キャンペーンを開始した。この時点で既に47州がCHIP導入済であり、2000年9月までには250万人以上の児童が加入見込みと述べられた。

CHIPは時限立法によるものであり、10年後の2007年に更新と加入資格拡大のため議会が法案を可決したものの、共和党のブッシュ大統領は修正案も含め二度にわたり署名を拒否した。一部共和党議員も賛同しての拒否権を覆す多数可決20は成立せず、最終的には2009年3月までの短期延長となり、前年の大統領選挙で勝利し同年1月に就任した民主党のオバマ大統領によって署名された。オバマ大統領は、800万人の児童が無保険状態にある中、既に700万人をカバーしているCHIPへ新たに400万人を加えて計1,100万人とすることは、全ての米国民に保障を提供するという自らの公約への手付金であると述べた。

CHIPが低所得者支援策の一つであることに変わりはないが、メディケイドから対象家庭を拡げることでさらに一歩踏み込んだ子育て支援策でもある。その後のオバマ政権による医療保障制度改革においてもCHIPは生き残り、無保険者減少に向けた諸対策の中で低所得者の子育てを支援する機能としてメディケイドとともに重要な位置を占めることになる。
 
19 他にはメディケア・アドバンテージが挙げられる。これはメディケア・パートCとも呼ばれ、従来のメディケア(病院サービスのパートAと医師サービスのパートB)の保障を代行しつつ、歯科などの保障も加えて民間医療保険会社が受託するものである。保険料は商品によって異なる。
20 大統領によって拒否権が行使された法案であっても、上下両院が3分の2以上の多数で再可決すれば発効となる。

5――オバマケアと違憲判決を受けてのメディケイド拡張

5――オバマケアと違憲判決を受けてのメディケイド拡張

2010年3月、医療保障制度改革に向けた法案(Patient Protection and Affordable Care Act、略称ACA)が成立した。厳密に国民皆保険を目指したわけではなく、複数の対策を組み合わせて保険加入を促進することで社会不安化していた無保険者の大幅な減少を進める21内容である。オバマケアとも呼ばれる。

この章では、オバマケアの中で本来メディケイドがどのように使われようとしたか、そして連邦最高裁より違憲判決を受けたことがどのような影響を与えたかをみていくこととしたい。
 
21 法案成立前年の米国議会予算局の文書(https://www.cbo.gov/sites/default/files/111th-congress-2009-2010/costestimate/41423-hr-3590-senate.pdf)では、2019 年の無保険者を 2,400 万人と見積もっている。2010 年の無保険者を 5,000 万人としていたことから 9 年かけて半減のイメージであったことが伺える。
1)無保険者減少策の一環としてのメディケイド
オバマケアの内容は複雑多岐にわたり概括することは難しいが、個人に医療保険加入を義務化し、また、企業による従業員への医療保険提供も義務化する一方で、これらを実現するための支援や体制整備を行う点が大局と言えよう。これまでと同様に主役は民間医療保険であり、その加入を拡大することが基本線である。

その一方で採り入れられたのが公的制度であるメディケイドの加入資格拡張である。一定水準までの低所得者はその義務として加入させるのではなく、公的制度によって救済する趣旨に基づく。従来FPL(連邦貧困水準)までであったメディケイドの加入資格をFPLの133%22に拡げるものであった。図表3は現時点で拡張がどのようなものであったかのイメージを持っていただくため、あえて2023年のFPL(連邦貧困水準)を基に作成した。
図表3:オバマケアによるメディケイド加入資格(年収水準)拡張
4人家族を例に円換算額で考えるならば、年収420万円が上限であったところ、オバマケアの実現によって年収560万円弱までの家庭がメディケイドに加入できることとなった。

尚、オバマケア法案には上院案と下院案があり、最終的に成立したのは上院案をベース23としたものである。採用されなかった下院案はメディケイドの加入対象を上院案より大きくFPLの150%まで拡張する一方でCHIPを廃止する内容であった。
 
22 法令では133%のところ、その後に決まった計算方法(修正調整後総所得計算)に基づき実質的にはFPLの138%となった。よって138%と記す文献もあるが、諸々加入資格に関するFPLへの掛け目は法令ベースで書かれるため、このレポートでは133%で統一する。
23 当初はそれぞれ可決済の上院案と下院案を一本化した上で再可決する予定であったが、2010年1月、マサチューセッツ州の上院議員特別選挙にて共和党が議席を獲得したため上院で共和党によるフィリバスター(議事妨害)が可能な状態に陥った。このため上院案を下院でも可決させ、その後の修正を経て予算調整法案として上下両院で再可決する手続きが取られた。予算調整法案であれば上院でフィリバスター(議事妨害)を回避し単に過半数で法案を成立させることが可能であったためである。尚、パブリック・オプション(個人が民間医療保険に加入する代わりに選択できる公的医療保険)の新設など、総じて下院案は上院案より踏み込んだ改革案であった。
2)連邦最高裁による違憲判決
法案は成立したものの、オバマケアに反対する共和党が知事を務める州から相次いで訴訟が提起された。中核とも言える個人への医療保険加入義務化(医療保険に加入しない個人からのペナルティ徴収)が合憲か否かに注目が集まっていたところ、2012年6月、連邦最高裁はこの点を合憲と判断する24一方で、メディケイドの加入資格拡張に対して判事9名のうち賛成7反対2で違憲判決を下した。

オバマケアではメディケイド加入資格拡張に伴う費用を2014年から2016年まで連邦政府がすべて負担するとしつつも、加入資格拡張に応じない州へは既存のメディケイドに関する費用拠出を停止する権限が連邦政府にあるとしていた。第3章で述べた通り、メディケイドの導入自体が各州の任意であることを踏まえ、このような権限は実質的に連邦政府が各州に加入資格拡張を強制するものとして違憲と判断されるに至った。

2012年6月の判決を受け、オバマケア全体は合憲として進められていく一方で、メディケイド加入資格拡張を行うかはあくまで各州の任意とされた。その結果、採択されたが未導入の州が1、採択されていない州が10、計11州で現在も加入資格拡張は実現していない。具体的には図表4の通りである。
図表4:メディケイド加入資格拡大の州別採択状況(2023年10月4日時点)
 
24 被告である連邦政府は、連邦議会の州際通商を規制する権限を個人への医療保険加入義務化の主な根拠に挙げて主張を展開した。これは認められなかったものの、最終的には連邦議会による課税権限の行使として賛成5反対4で合憲とされた。共和党政権による任命ながらもときにリベラルな立場を取るケネディ判事が鍵を握ると予想されていたものの、実際に賛成のリベラル派判事4名に加わったのはケネディ判事ではなくロバーツ主席判事であった。
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保険研究部   主任研究員・気候変動リサーチセンター兼任

磯部 広貴 (いそべ ひろたか)

研究・専門分野
内外生命保険会社経営・制度(販売チャネルなど)

経歴
  • 【職歴】
    1990年 日本生命保険相互会社に入社。
    通算して10年間、米国3都市(ニューヨーク、アトランタ、ロサンゼルス)に駐在し、現地の民間医療保険に従事。
    日本生命では法人営業が長く、官公庁、IT企業、リース会社、電力会社、総合型年金基金など幅広く担当。
    2015年から2年間、公益財団法人国際金融情報センターにて欧州部長兼アフリカ部長。
    資産運用会社における機関投資家向け商品提案、生命保険の銀行窓版推進の経験も持つ。

    【加入団体等】
    日本FP協会(CFP)
    生命保険経営学会
    一般社団法人アフリカ協会
    2006年 保険毎日新聞社より「アメリカの民間医療保険」を出版

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