2023年11月29日

改正ベトナム保険事業法(5)-生命保険・医療保険(その1)

保険研究部 専務取締役 研究理事 兼 ヘルスケアリサーチセンター長 松澤 登

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1――はじめに

今回もベトナムにおいて大改正(2023年1月より施行)された保険事業法(Law on Insurance Business)の続き(5回目)を解説したい。

2023年保険事業法の英語版はベトナムの国会あるいは監督官庁である財務省としては出していないので、本稿は翻訳ソフトを使用してベトナム語を英語および日本語に翻訳したものをベースとしている。したがって正確に翻訳できていない可能性がある。これはこれまでと同様である。

本稿ではシリーズ5回目として保険事業法第2章保険契約(Insurance policy)の第2節生命保険契約・医療保険契約の最初の部分(33条~38条)について述べることとする。

今回の解説部分は日本では原則保険法の取り扱う分野であり、ベトナム保険事業法と日本の保険法(一部は保険業法)を比較しながら論じていきたい。なお、以降ではベトナム保険事業法を単に保険事業法と記載し、日本の保険法を単に保険法と記載するのでご留意願いたい。また、保険事業法の本稿で取り扱う該当部分と保険法のそれに対応する部分は保険会社と外国保険事業者の国内支店が対象となる条文だが、保険会社と外国保険事業者の国内支店を併せて保険企業等と呼称する。

2――生命保険契約・医療保険契約の保障対象等(33条~34条)

2――生命保険契約・医療保険契約の保障対象等(33条~34条)

1|生命保険契約・医療保険契約の保障対象(33条)
保険事業法33条は、生命保険契約・医療保険契約が保障の対象とするものについて規定する。内容は以下の通りである。

(1) 生命保険契約の保障目的は余命(life expectancy)と人の生命である(同条1項)。
―この条文は保険法2条8号の「保険契約のうち、保険者が人の生存又は死亡に関し一定の保険給付を行うことを約するもの」と同一趣旨であると考えられる。

(2) 医療保険契約の保障対象は人の健康である(同条2項)。
―保険法2条7号・9号では、医療保険を傷害疾病損害保険と傷害疾病定額保険に分け、前者を「損害保険契約のうち、保険者が人の傷害疾病によって生ずることのある損害(当該傷害疾病が生じた者が受けるものに限る。)をてん補する」契約とし、後者を「保険契約のうち、保険者が人の傷害疾病に基づき一定の保険給付を行う」契約とする。保険事業法では「健康」としているものが、保険法では「傷害疾病」としていると見ることができる。条文上の表現が表(健康)と裏(傷害疾病)となっており、実質的には同じものを定義していると考える。
2|生命保険契約・医療保険契約で保障可能な利益(34条)
保険事業法34条は、生命保険契約・医療保険契約において、被保険者と保険契約者との関係を限定する(いわゆる親族主義)。保険法では死亡保障について被保険者の同意を要求するだけで、保険契約者と被保険者の関係を規律している規定は原則存在しない。すなわちモラルリスク対応のため同意主義のみを取り、保険契約者と被保険者の関係性は問題としない。なお、上述の傷害疾病損害保険の定義中では「(当該傷害疾病が生じた者が受けるものに限る。)」としており、これは被保険者と保険金受取人を同一人物とすべきと規定する唯一の例外である。

このような例外を除けば、これらの保険契約者(または保険金受取人)と被保険者の関係を規定する条文は保険法には存在しないことから、保険事業法が親族主義をとっていることは特徴的である。ただし、保険事業法は被保険者同意(39条)も要求しているため、純粋な親族主義ではない。条文は以下の通りである。

(1) 保険契約者は以下について保障を受ける権利を有する(同条1項)。
a) 保険契約者自身
b) 保険契約者の配偶者、父、母、子
c) 保険契約者の兄弟、保険契約者と養育関係にある者
d) 保険契約者と経済的関係または雇用関係にある者
e) 医療保険であって、被保険者が書面で保険加入に同意した者

(2) 保険契約者は保険加入時に補償を受ける権利を有していなければならない(同条2項)。
―2項について補足すると、第1項で列挙される関係性が加入時になければならないとしているため、保険加入後にこれらの関係がなくなったとしても保険契約が当然には無効にはならないとしているものと考えられる。

3――保険契約加入時の取扱い(35条~37条)

3――保険契約加入時の取扱い(35条~37条)

1|保険契約加入時の考慮期間(35条)
保険事業法35条は、保険契約加入時の考慮期間、すなわちいわゆるクーリングオフ制度を定めている。条文は以下の通りである。

10年間以上の保険期間である保険契約については、保険証券受領後21日以内において、保険契約者は保険契約の加入を拒否する権利を有する。保険契約者が加入を拒否した場合には、保険契約は解除され、既に支払った保険料については、保険契約に定められた合理的なコストを控除した後の金額の還付を受けることができる。この場合、保険企業等は保険事故が発生しても保険金を支払う必要がない。
―日本では保険契約のクーリングオフ制度は保険業法に規定がある(309条)。日本とベトナムの相違は、(1)ベトナムの方が解除期間は長い。保険業法の原則的なケースでは契約申し込みから8日間であるが、ベトナムでは保険証券受領後21日間である。(2)ベトナムでは保険企業等に要したコストを保険料から控除することができるが、日本では保険料全額を返還しなければならない。(3)ベトナムでは制度の対象が10年以上の生命保険契約・医療保険契約等に限定されているが、日本では1年を超える保険契約に適用される。なお、日本では保険代理店の窓口で加入した場合や、医的診断を受けた場合にはクーリングオフ制度の適用がないなど細かい例外規定がある。
2|生命保険の暫定保険(36条)
保険事業法36条は、生命保険契約の暫定保険という特有の規定を定めている。具体的に条文は以下の通りである。

保険企業等は保険契約の申込と第一回保険料相当額を受領したときから保険契約者に暫定保険を提供するものとする。保険期間、保険金および暫定条件について保険企業等と保険契約者の間で合意されなければならない。暫定保険は保険企業等が申し込みのあった生命保険契約が成立、不成立、あるいはその他の合意がなされたときに終了する。
―日本の生命保険会社の実務としては、契約日とは別に、責任開始日という補償責任が開始する日を遡らせる制度がある。これは保険の申込が行われ、(1)告知および(2)第一回保険料相当額の支払の両方が履行された場合であって、その後、保険契約が成立すべきものであったときには、契約成立日(≒契約日)以前に発生した保険事故であっても(1)(2)が両方履行された時以降のものは保障するというものである。保険事業法36条の制度はこの責任開始日の制度に近い。ただし、暫定保険という形態をとっているので、最終的に申し込んだ生命保険契約が不成立となったとしても、合意した暫定保険の保険金は支払われると思われ、そうだとすると日本の制度とは大きな相違点がある。
3|保険料の支払(37条)
保険事業法37条は保険料の支払いについて規定する。条文は以下の通りである。

(1) 保険契約者は保険契約の期間と形態に則って、一回かそれ以上の保険料を支払うことができる(1項)。
―保険料の払い方を定めることを要求するもので、説明は省略する。

(2) 保険料が定期的に払われるものであって、保険契約者が一回以上の保険料を支払ったが、それ以降の保険料を支払うことができないときには、60日間の猶予が与えられる(2項)。
―日本の生命保険会社の実務としては、月払い契約のケースで、当月分の保険料の支払いがない場合は、翌月末をもって保険契約が失効することになっている。この点、保険事業法でいう猶予期間が払込当月分を含むかどうかで日本との相違が出てくる。たとえば当月分の保険料の未払いが確定したとき(=支払期月の翌月1日)を起点として60日であれば、日本の倍の猶予期間があることになる。この点、条文に手がかりがないため、結論を留保しておく。

(3) 保険料未払いのため契約が一方的に終了(=失効)したとき(保険事業法26条1項)、失効時より2年以内に、未払い保険料を全額支払ったときには保険契約が失効しているという状態を解消することを合意できる(3項)。
―これは日本の保険企業等の約款上の制度である「復活」に該当する制度である。日本の実務では失効時より3年以内に復活の申込、および告知を行い、失効中の保険料も含めて支払いを行ったときには、告知事項に問題がなければ失効した保険契約の効力を復活させることができる。保険事業法でも失効後2年以内ではあるが、ほぼ同様の制度となっている。

(4) 保険契約者が保険料を支払わない場合であっても、保険会社は保険契約者の同意になしに恣意的に解約返戻金から保険料相当額を控除することはできず、また保険料の支払いを求めて保険契約者を訴えることはできない。この規定は団体保険には適用されない(4項)。
―日本の貯蓄性商品の約款においては自動振替貸付という制度があり、未払い保険料相当分を解約返戻金の範囲内で自動的に振り替える実務となっている1。ベトナムではこのような行為は保険契約者の同意が必要とされる2。また、本稿では未払い保険料を保険契約者に請求する訴えができないとしている。日本ではこのような条文はないものの、学説上、未払い保険料を請求して法的手段に訴えることはできないとするのが通説である。
 
1 昨今は日本でも貯蓄性商品であっても自動振替を行わないとする会社もあるようである。
2 約款上で同意をしたと言えるのかは明確ではない。

4――保険金支払いと第三者(38条)

4――保険金支払いと第三者(38条)

保険事業法38条は、被保険者に傷害等を加えた第三者との関係を規定している。具体的には以下の通りである。

死亡、障害または疾病が第三者の直接・間接的な行為で生じた場合、保険企業等は第三者が保険金受取人に補償金を支払うことを求める権利を有せず、保険契約上の保険金支払い義務を負う。ただし、この場合であっても第三者は被保険者に賠償義務を負う。
―日本の生命保険では、第三者の被保険者または保険金受取人に対する損害賠償義務と、保険企業等の保険金支払い義務とは互いに独立していると考えるのが実務である。第三者が被保険者等に損害賠償をしたとしても保険金は満額払う必要があり、また、保険企業等が被保険者に保険金を支払ったとしても、第三者に対して被保険者が有していた損害賠償請求権を保険企業等は行使できないこととされている。すなわち、ベトナムと日本では同様の結論となるということになる。

5――おわりに

5――おわりに

今回の範囲で見られたベトナム保険事業法の特徴は以下の3点である。

まず、保険契約者と被保険者の関係に親族関係があるか、雇用関係や経済関係(たとえばローンなどの信用保険が挙げられよう)があることを求めている。日本では保険企業等の実務で保険契約者(あるいは保険金受取人)と被保険者との関係に、生命保険契約に加入する合理性があるかを確認するが、ベトナムでは法定されている点に特色がみられる。

また、クーリングオフが日本に比べて長い期間にわたって行使が可能である。ただし、クーリングオフ制度の適用のある保険契約が限定されていたり、合理的なコストを控除できたりするなど、日本とベトナムどちらがより消費者有利であるかは即断することはできない。

さらに、生命保険には生命保険加入にあたって暫定保険制度という特殊な保険を締結する義務がある。日本の責任開始日まで遡及する制度と類似するが、生命保険契約不成立の場合も保障があるなど独特の制度となっているのも特徴的である。
 
次回は生命保険・医療保険の2回目を解説する。
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保険研究部   専務取締役 研究理事 兼 ヘルスケアリサーチセンター長

松澤 登 (まつざわ のぼる)

研究・専門分野
保険業法・保険法|企業法務

経歴
  • 【職歴】
     1985年 日本生命保険相互会社入社
     2014年 ニッセイ基礎研究所 内部監査室長兼システム部長
     2015年4月 生活研究部部長兼システム部長
     2018年4月 取締役保険研究部研究理事
     2021年4月 常務取締役保険研究部研究理事
     2024年4月より現職

    【加入団体等】
     東京大学法学部(学士)、ハーバードロースクール(LLM:修士)
     東京大学経済学部非常勤講師(2022年度・2023年度)
     大阪経済大学非常勤講師(2018年度~2022年度)
     金融審議会専門委員(2004年7月~2008年7月)
     日本保険学会理事、生命保険経営学会常務理事 等

    【著書】
     『はじめて学ぶ少額短期保険』
      出版社:保険毎日新聞社
      発行年月:2024年02月

     『Q&Aで読み解く保険業法』
      出版社:保険毎日新聞社
      発行年月:2022年07月

     『はじめて学ぶ生命保険』
      出版社:保険毎日新聞社
      発行年月:2021年05月

(2023年11月29日「保険・年金フォーカス」)

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