2023年11月07日

史上初の連邦政府によるメディケア薬価交渉-第1弾10薬の価格公表は来年9月の予定-

保険研究部 主任研究員・気候変動リサーチセンター兼任 磯部 広貴

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1――はじめに

2022年8月、バイデン政権はインフレ削減法(Inflation Reduction Act of 2022)を成立させ、同法の中で65歳以上高齢者と障害者を対象とする公的医療保険メディケアの薬価に関する交渉権限を連邦政府、具体的には保健福祉省に付与した。

同法に関するわが国の報道は支出面における再生可能エネルギー推進など気候変動対策が中心であるが、上述のメディケア薬価交渉には今後10年間で960億ドル1の収入(連邦支出削減効果)が見込まれている。

連邦政府が自ら製薬会社と薬価交渉を行うのは史上初の試みであり、諸外国より高額な薬価を長く負担2してきた米国が遂に腰を上げたとも言える。これは国家財政の改善のみならず、高齢者を中心とするメディケア加入者の自己負担を軽減し生活を守るための取組みでもある。

この保険・年金フォーカスでは、外来処方薬に関するメディケアからの給付内容を紐解いた上で、インフレ削減法が認めた連邦政府と製薬会社との交渉について現状をお伝えしたい。
 
1 Committee for a Responsible Federal Budget “CBO Scores IRA with $238 Billion of Deficit Reduction” (2022.9.7)
2 RAND Corporation “International Prescription Drug Price Comparisons”によれば、 2018年の処方薬についてOECD加盟32か国平均を100とした場合に米国は256。日本を100とした場合は209であった。

2――メディケア・パートDとは

2――メディケア・パートDとは

米国には国民皆保険はないものの、65歳以上高齢者と障害者を対象とするメディケアと低所得層を対象とするメディケイドの2つの公的医療保険が存在する。

1965年の社会保障法成立で発足したメディケアには、入院医療などを給付対象とするパートAと医師による治療などを給付対象とするパートB3がある。パートAとパートBを合わせてオリジナル・メディケアとも呼ばれる。

1997年、オリジナル・メディケアの給付を内包し連邦政府と契約を締結した民間医療保険会社が運営するパートCが導入された。オリジナル・メディケアに付加された給付内容や保険料の水準は区々であるが、既に民間医療保険では外来処方薬への給付が一般化していたため、これを含むプランが多く出た。

そして2003年、外来処方薬へ公的給付を行うパートDが導入された。加入は任意であり、外来処方薬給付(パートD)を含むパートCプランに加入するか、パートD単独(Stand-alone)プランに加入するかのいずれかによる。パートCプランと同じく後者も連邦政府と契約を締結した民間医療保険会社のプランであることが必要であるため、公的制度ながらも加入者の窓口は民間医療保険会社となる。

全米を対象とするパートD単独(Stand-alone)プラン(16契約)の2023年平均保険料(月額)は43ドル4と見積もられている。また、低所得者には補助制度がある。

一方の給付内容については加入者の負担を減少させる取り組み5が進められており、2024年は図表1の通り予定されている。
【図表1: 2024年のメディケア・パートDにおける加入者負担】
2023年3月時点でメディケア加入者66百万人弱のうち、パートDには51百万人強6が加入している。
 
3 パートBでは院内処方薬への保険給付が認められているが、インフレ削減法に基づく製薬会社との交渉対象となるのは2028年以降である。
4 Kaiser Family Foundation “Medicare Part D: A First Look at Medicare Drug Plans in 2023” (2022.11.10)
5 インフレ削減法に基づき、2023年よりインスリンに関する加入者負担の上限が月額35ドルとなった。また、2023年までは自己負担額に上限は設けられていなかった。
6 Center for Medicare Advocacy “Medicare Enrollment Numbers” (2023.6.29)

3――第1弾対象医薬品の公表

3――第1弾対象医薬品の公表

連邦政府は価格交渉後の処方薬を2026年に第1弾として10導入し,その後は2027年に15、2028年に15、2029年に20追加していく計画7である。

2023年8月、バイデン政権は2026年からの価格引き下げ(25%以上)に向けて10月より交渉に入る10の処方薬を公表した。具体的には図表2の通りである。
【図表2:2023年8月に交渉対象と公表された10薬品】
公表時のステートメント8では、これら10の処方薬のために高齢者は2022年に計34億ドルの自己負担を被ったと指摘しつつ、大手製薬会社は利益を研究開発よりも自社株買いや配当に振り向け、米国民10人のうち3人がコストのために医薬品購入に苦慮していると非難している。

製薬会社が連邦政府との交渉に応じない場合には実質的に厳しい罰則9が科される。このため製薬業界は上述の10薬品公表前から不当に安い薬価を強要するものとしてインフレ削減法を違憲とする訴訟を複数提起してきた。訴訟は継続しつつも、既に図表2記載の全社が交渉のテーブルについた10と報じられている。

交渉の行方は未だ見通せないところながら、2026年1月から適用される薬価は来年9月に公表される予定である。
 
7 2028年以降はパートBより給付される院内処方薬も含まれる。
8 The White House “FACT SHEET: Biden-⁠Harris Administration Announces First Ten Drugs Selected for Medicare Price Negotiation” (2023.8.29)
9 交渉を拒絶する製薬会社は連邦政府の医療プログラムから撤退せねばならない。撤退はしないが交渉を行わない場合、その期間に応じて売上に対し最大19倍の課税が行われる。
10 The White House “Biden-⁠Harris Administration Takes Major Step Forward in Lowering Health Care Costs; Announces Manufacturers Participating in Drug Price Negotiation Program” (2023.10.3)

4――おわりに

4――おわりに

連邦政府による史上初のメディケア薬価交渉がバイデン政権の目論見通りに成功した場合、民間医療保険会社も同様に製薬業界へ値下げを迫るものと予想される。製薬業界にとっては世界で最も高額の薬価を支払ってきた米国からの収益が減退することを意味し、その国際戦略の変化や研究開発の縮小など多大なインパクトを与えることは必至である。

一方、成功に至らなかった場合はインフレ削減法に基づく諸施策の財源が縮減されることを意味し、気候変動対策など医療以外の分野にも影響が及びうる。

いずれにせよ今後の動向について保険・年金フォーカスで報じていきたい。
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保険研究部   主任研究員・気候変動リサーチセンター兼任

磯部 広貴 (いそべ ひろたか)

研究・専門分野
内外生命保険会社経営・制度(販売チャネルなど)

経歴
  • 【職歴】
    1990年 日本生命保険相互会社に入社。
    通算して10年間、米国3都市(ニューヨーク、アトランタ、ロサンゼルス)に駐在し、現地の民間医療保険に従事。
    日本生命では法人営業が長く、官公庁、IT企業、リース会社、電力会社、総合型年金基金など幅広く担当。
    2015年から2年間、公益財団法人国際金融情報センターにて欧州部長兼アフリカ部長。
    資産運用会社における機関投資家向け商品提案、生命保険の銀行窓版推進の経験も持つ。

    【加入団体等】
    日本FP協会(CFP)
    生命保険経営学会
    一般社団法人アフリカ協会
    2006年 保険毎日新聞社より「アメリカの民間医療保険」を出版

(2023年11月07日「保険・年金フォーカス」)

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