2023年09月12日

気候変動と蚊媒介感染症-極端な気象は、感染症にどのような変化をもたらすのか?

保険研究部 主席研究員 兼 気候変動リサーチセンター チーフ気候変動アナリスト 兼 ヘルスケアリサーチセンター 主席研究員 篠原 拓也

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1――はじめに

気候変動問題への取り組みが世界中で進められている。地球温暖化が進むことで、ハリケーン、豪雨、海面水位上昇、山林火災、干ばつなど、様々な形で、極端な気象があらわれつつある。台風により線状降水帯が発生して大規模な水害が起こり、橋梁や建物などの構造物が被害を受けた。乾燥が続くなかで山林火災が発生して、市街地に延焼が及んだ。火災やそれに伴う大気汚染により、生態系に深刻な被害が生じた。といったニュースが、連日のように世界各地で報じられている。

気候変動は、人間の生命や健康にも、さまざまな形で影響を与える。台風や豪雨で発生する土砂災害による人身被害や、熱中症による死亡や体調不良は、気候変動との関連がわかりやすい。それとともに、もう1つ危惧されているのが、気候変動に伴う感染症の蔓延であろう。温暖化に伴い、日本を含む温帯の地域で、蚊が媒介する熱帯性の感染症が蔓延して、従来は考えられなかったような人的被害をもたらす、といった懸念である。

昨年、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)のWG2(第2作業部会)が公表した第6次評価報告書(以下、「IPCC報告書」と呼称)では、気候変動と感染症の関係について、これまでのさまざまな研究の結果がまとめられている。それらの研究内容をもとに、気候変動が感染症の変化を通じて、生命や健康に与える影響を見ていくこととしたい。

2――感染症

2――感染症

まず、感染症について、簡単に見ていこう。ひと口に感染症と言っても、さまざまな種類がある。感染原因となる微生物と、感染の由来別に、感染症を分類してみよう。
1感染症には原因微生物がいる
一般に、感染症としてとらえられる病気には、それぞれの病気を引き起こす原因微生物がいる。原因微生物として、寄生虫、真菌、細菌、ウイルス、プリオン、の5つが挙げられる。

このうち、寄生虫、真菌、細菌には、細胞があり、細胞のなかにDNAとRNAの両方を持っている。このため細胞分裂による自己複製が可能で、なにかの生物に付着していない状態でも、栄養があるなどの条件が整えば増殖することが可能だ。寄生虫と真菌は真核生物、細菌は原核生物である1。なお、寄生虫には、多細胞生物の蠕(ぜん)虫と、単細胞生物の原虫がある。

一方、ウイルスはDNAとRNAのどちらか片方しか持っていない。自己複製はできず、なんらかの細胞にとりついて増殖する。このため、生物学的な分類では、生物には含まれない。

また、プリオンは、DNAやRNAを含まないタンパク質からなる。このため、自己複製はできず、ウイルスと同様、生物学的な分類では生物には含まれない。細菌やウイルスとは別の形で増殖する2

気候変動は、感染症にどのように影響するのか? この問題は、気候変動が感染症の原因微生物にどのような変化をもたらすのか、ということと深く関連していると言えるだろう。
図表1. 感染原因となる微生物
 
1 真核生物は「核を持ち、細胞分裂の際に染色体構造を生じる生物。細菌・古細菌以外のすべての生物。真生核生物。」 原核生物は「構造的に区別できる核を持たない細胞から成る生物。細菌と古細菌に分類される。前核生物。原生核生物。」(「広辞苑 第七版」(岩波書店)より)
2 正常プリオンタンパク質に、異常プリオンタンパク質が接近して、二量体を形成する。これにより、正常プリオンタンパク質が、異常プリオンタンパク質に構造転移して、異常プリオンが増加する。
3 クロイツフェルト・ヤコブ病の名は、1920、21年に症例報告をおこなった二人のドイツ人神経学者ハンス・ゲルハルト・クロイツフェルトとアルフォンス・マリア・ヤコブに因む。ただし、クロイツフェルトが報告した症例は今日理解されている症状と相違があるため、実際は別の疾患の患者であった可能性が高いと現在では考えられている。このため病名を「ヤコブ病」と改めるべきとの主張もなされている。
2|感染の由来には、環境、動物、ヒトがある
感染は、どこに由来するのか。これには、大きく分けて、環境からの感染、動物からの感染、ヒトからの感染の経路がありうる。いくつかの例を、次表のとおりまとめた。

気候変動と感染症の関係を考える際は、気候変動がこうした感染の経路にどのような影響を与えるかも、大きなポイントとなるものと見られる。
図表2. 感染の由来
3|「蚊は世界で最も多くの人の命を奪う生き物」
世界保健機関(WHO)は、2014年に、人間の命を奪う生物のリストを公表している。年間死者数で、ライオン(100人)、ワニ(1000人)、ヘビ(50000人)をはるかに上回って人間(475000人)がいる。だが、その人間をおさえて首位に君臨しているのは蚊で、年間725000人もの人々の命を奪っているという。感染症のなかでも、蚊のベクター媒介は大きな要素を占めている。WHOは、「蚊は世界で最も多くの人の命を奪う生き物」としている。次章では、蚊のベクター媒介感染症について、気候変動の影響をみていく。
図表3. 人間の命を奪う生物

3――IPCC報告書

3――IPCC報告書

気候変動が、蚊が媒介する感染症に与える影響については、現在、各国の研究者がさまざまな角度から調査・研究を行っている状況だ。

蚊を媒介生物とする感染症には、マラリア、デング熱、ジカ熱、日本脳炎などさまざまなものがある。このうち、マラリアは原虫疾患、デング熱、ジカ熱、日本脳炎などは、ウイルス疾患だ。IPCC報告書では、蚊媒介疾患における蚊の媒介能力が増加していることと、世界の平均気温が上昇していることにより、より広い地域が伝播に適していることを示す証拠が増加している(非常に高い確信度)としている。IPCCの報告書を手がかりに、その影響について見ていこう。
(1) マラリア
マラリアは、主にアフリカで大きな疾病負担をもたらしている。2004~13年にコートジボワール北部の都市コルホゴで行われた疫学調査によると、前月の平均降水量が1センチ高いと1%、前2か月の平均降水量が1センチ高いと1.2%、マラリアの発生が増えた。一方、当月の平均気温が1℃高いと3.5%、前月の平均気温が1℃高いと4.2%、前2か月の平均気温が1℃高いと2.1%、マラリアの発生が減ったという。気温が上昇すると、マラリアを媒介するハマダラカの幼生の活動が落ちるためと論じられている。4

また、これまでマラリアが発生していなかった地域での発生も起こり始めている。エチオピアのデブレゼイトで1994~2004年、コロンビアのアンティオキアで1990~2006年にかけて、それぞれ行われた標高別の累積患者発生分布の調査によると、いずれも、温暖化につれて標高の高い場所でマラリアが増加することを示す証拠が見出されたという。5

アメリカでは、2023年6月にフロリダ州で4例、テキサス州で1例のマラリア感染を確認した。これは、2003年にフロリダ州で8例の感染が確認されて以来20年ぶりだという。6 IPCC報告書によると、ヨーロッパなど、かつて根絶された地域でも、局地的なマラリアの流行が発生しているが、再定着のリスクは低いと考えられているとのことだ。
 
4 M’Bra, R.K., et al., 2018: Impact of climate variability on the transmission risk of malaria in northern Cote d’Ivoire. PLoS ONE, 13(6), e182304, doi:10.1371/journal.pone.0182304.
5 Siraj, A., et al., 2014: Altitudinal changes in malaria incidence in highlands of Ethiopia and Colombia. Science, 343(6175), 1154–1158, doi:10.1126/science.1244325.
6 “Rare Malaria Outbreaks Hit South Amid Scorching Temperatures—Here's Why Climate Change Could Make Them More Common”Simone Melvin (Forbes, June 27, 2023)
(2) デング熱
IPCC報告書は、デング熱の伝播は、気温、相対湿度、降水量などの気候および気象変数と関連している(確信度は高い)、としている。デング熱を引き起こすデングウイルスは、主にネッタイシマカによって伝播する。デング熱は、ベクター媒介のなかで、マラリアに次ぐ疾病負担となっている。2010年には、世界全体で9600万人の感染数と見積もられており、そのうちの7割がアジアで発生していると見られている。特に、インドは世界全体の感染数の34%を占めている。人口の増加が要因として考えられている。7

1950年以降、デング熱の感染は世界的に拡大しつつある。ヨルダン8、ブラジル9、コロンビア10などで感染リスクが生じている。気候変動によりネッタイシマカの生息範囲が拡大したことと、航空のグローバル化、都市化、有効でない対策などが、その背景にあるとされる。

エルニーニョ南方振動(ENSO)における東太平洋の熱帯域の大気や海洋の変化が、コロンビアでのデング熱発生に関係しているとの研究報告もある。11 ENSO指数を予測因子として用いて、1998~2010年のエクアドルでのデング熱の変動予測に成功したとの研究もある。12 なお、台湾で1998~2015年に発生した症例をもとにした調査によると、気候のエクスポージャーとデング熱発生率の増加の間で観察されたタイムラグは、気温変化と発生率の上昇の間が10~15週であった。このタイムラグは、通常の降水があると、10週から20週程度伸びるという。13
 
7 Bhatt, S., et al., 2013: The global distribution and burden of dengue. Nature, 496(7446), 504–507, doi:10.1038/nature12060.
8 Obaidat, M.M. and A.A. Roess, 2018: First report on seroprevalence and risk factors of dengue virus in Jordan. Trans. R. Soc. Trop. Med. Hyg., 112(6), 279–284, doi:10.1093/trstmh/try055.
9 Duarte, J.L., F.A. Diaz-Quijano, A.C. Batista and L.L. Giatti, 2019: Climatic variables associated with dengue incidence in a city of the Western Brazilian Amazon region. Rev. Soc. Bras. Med. Trop., 52, e20180429, doi:10.1590/0037-8682-0429-2018.
10 Pena-Garcia, V. H., O. Triana-Chavez and S. Arboleda-Sanchez, 2017: Estimating effects of temperature on dengue transmission in Colombian cities. Ann. Glob. Health, 83(3), 509–518, doi:10.1016/j.aogh.2017.10.011.
11 Quintero-Herrera, L.L., et al., 2015 Potential impact of climatic variability on the epidemiology of dengue in Risaralda, Colombia, 2010–2011. J. Infect. Public Health, 8(3), 291–297, doi10.1016j.jiph.2014.11.005.
12 Petrova, D., et al., 2019: Sensitivity of large dengue epidemics in Ecuador to longlead predictions of El Nino. Clim. Serv., 15, doi:10.1016/j.cliser.2019.02.003.
13 Chuang, T.W., L.F. Chaves and P.J. Chen, 2017: Effects of local and regional climatic fluctuations on dengue outbreaks in southern Taiwan. PLoS ONE, 12(6), e178698, doi:10.1371/journal.pone.0178698.
(3) チクングニア熱
「チクングニア」とは、アフリカの現地語で痛みによって「かがんで歩く」という言葉に由来しているという。14 チクングニア熱は、ネッタイシマカやヒトスジシマカを媒介してチクングニアウイルスが運ばれて感染する。アフリカや南アジア・東南アジアが感染の中心だが、近年は欧米にも感染地域が拡大している。アメリカ大陸地域では、2013年12月にカリブ海のフランス領サン・マルタン(セント・マーチン島北部)で初めてウイルスが確認された。その後45ヵ国に感染が拡大し、2016年7月時点で296人の感染死亡が確認された。290万人以上の感染疑いがあるという。15 欧州では、ビッグデータを用いた調査により、2017年夏季にフランス、イタリア、スペインなど、幅広い地域で感染が拡大したことが確認された。背景として、航空旅客による流入が挙げられている。16
 
14 「チクングニア熱(Chikungunya Fever)とは」(厚生労働省 成田空港検疫所ホームページ)より。
15 Yactayo, S., et al., 2016: Epidemiology of Chikungunya in the Americas. J. Infect. Dis., 214(suppl 5), S441–S445, doi:10.1093/infdis/jiw390.
16 Rocklov, J., et al., 2019: Using big data to monitor the introduction and spread of Chikungunya, Europe, 2017. Emerg. Infect. Dis., 25(6), 1041–1049, doi:10.3201/eid2506.180138.
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保険研究部   主席研究員 兼 気候変動リサーチセンター チーフ気候変動アナリスト 兼 ヘルスケアリサーチセンター 主席研究員

篠原 拓也 (しのはら たくや)

研究・専門分野
保険商品・計理、共済計理人・コンサルティング業務

経歴
  • 【職歴】
     1992年 日本生命保険相互会社入社
     2014年 ニッセイ基礎研究所へ

    【加入団体等】
     ・日本アクチュアリー会 正会員

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