2023年08月25日

全世代社会保障法の成立で何が変わるのか(下)-役割と責任が拡大する都道府県への期待と不安

保険研究部 上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任 三原 岳

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3|医療費適正化計画を巡る議論(1)~特定健診でマクロの医療費を抑制できる?~
まず、実施から10年以上も経つにもかかわらず、特定健康診査・保健指導がマクロの医療費抑制に繋がったという明確なエビデンスが示されていない点を指摘できる4。当時は「生活習慣病の境界域段階で留めることができれば、通院患者を減らすことができ、さらには重症化や合併症の発症を抑え、入院患者を減らすことができる」5と説明されていたが、当初の目論見通りに進んでいるとは言えない。

これは元々、制度創設時の経緯が影響している。現行制度の導入を本格的に検討していた2005~2006年頃は「郵政解散」が終わった後、小泉純一郎政権の求心力が最も高まった時期であり、郵政民営化など積み残されていた「構造改革」が一気に決着したタイミングだった6

医療制度改革に関しても、「一国の経済の規模と何らかの関係を持たざるを得ない」「医療給付の伸びについては何らかの管理目標が必要」「中期的な数値目標を設定した上で、国全体の医療政策にPDCAサイクルをきちんと導入するべき」7といった形で、医療費をGDPなどに連動させることで、医療費の増加に上限を設ける意見が経済財政諮問会議で強まった。

これに対し、厚生労働省は「具体的な政策の裏付けなしに、あらかじめ医療費の規模を決めるのではなく、実際に医療に当たっております医師や看護師等の方々、またそれらを都道府県とよく相談しながら具体的な方策を固め、その効果を積み上げていくしかない」と反対し続けた8

しかし、小泉首相が「毎年の経済成長率、税収で考えるのではなくて、何年かを見て、何らかの一つの管理目標が立たないと、保険制度が成り立たなくなってしまうから、これから社会保障関係の費用は増えるばかりだし、その辺はやはり考える必要がある」と指示9。この流れに抗し切れなかった厚生労働省は何かしら改革策を示す必要に迫られ、特定健康診査・保健指導のアイデアが浮上した。

実際、当時の幹部は後年の座談会で、「対抗するための武器、アイデアとしては、あれ(筆者注:特定健康診査・保健指導を指す)しかなかった」「反対するだけではしんどいし、対策を持っていなければいけません」と振り返っている10

つまり、健康づくりを通じてマクロの医療費を減らせる目算が十分に立っていなかったにもかかわらず、経済財政諮問会議で盛り上がっていたマクロの医療費総額管理論を退ける代替策として、医療費適正化の手段として、特定健康診査・保健指導が位置付けられたと言える。

このため、上記の事情を知る有識者の間では、制度スタート時から「医療費総額管理論を退け、従来の腰だめ的な医療費適正化対策で対応せざるを得ないことをカモフラージュする必要があった」11、「医療費適正化のアリバイ作りとして、一般受けのいいファンファーレもつけて強調されることになった。医療費総額管理を回避するため、的外れな回答が提出されたのかもしれない」12といった厳しい意見が出ていた。

筆者の意見としても、特定健康診査・保健指導など健康づくりの必要性は否定しないものの、「健康づくりの推進→平均在院日数の削減→医療費適正化の実現」という経路には明らかな無理があると考えている。
 
4 なお、ここでは詳しく触れないが、健康づくりを医療費抑制の手段として過度に期待する点について、筆者は様々な面で違和感を抱いている。まず、健康づくりの必要性が喧伝され過ぎると、健康の自己責任論が必要以上に高まり、先天的な病気や障害のある人が「健康になれなかった人」と見なされるリスクがある。さらに、疾病の中心が感染症から慢性疾患に変わっている中、健康と不健康の線引きは曖昧になっており、「特定健康診査・保健指導の基準をクリアした人は健康」「それ以外は不健康」と機械的に考える方法は時代に逆行するようにも映る。このほか、健康づくりの必要性をQOL(生活の質)の向上など本人の利益ではなく、医療費適正化という全体の目的に置いている論理構造についても問題含みと考えている。多くの人が「健康でありたい」と願うのは個人の幸せのためであり、誰一人として「医療費を減らすために健康でありたい」と考えないのではないか。健康づくりの両面性に関しては、様々な研究や文献の蓄積が見られるが、2018年9月28日拙稿「健康とは何か、誰のための健康づくりなのか」などを参照。
5 土佐和男編著(2008)『高齢者の医療の確保に関する法律の解説』法研p50。
6 小泉政権の政策動向に関しては、既に様々な書籍が刊行されているが、ここでは医療費適正化に一定程度の紙幅を割いた書籍として、内山融(2007)『小泉政権』中公新書p75-80、、大田弘子(2006)『経済財政諮問会議の闘い』pp151-165、清水真人(2005)『官邸主導』pp263-265などを参照。
7 2005年11月14日、経済財政諮問会議議事録における民間議員、吉川洋東大大学院教授の発言。肩書は全て当時。
8 2005年11月22日、経済財政諮問会議議事録における川崎二郎厚生労働相の発言。
9 2005年10月27日、経済財政諮問会議議事録における小泉首相の発言。
10 2021年11月、『医療と社会』Vol.31 No。2における厚生労働省保険局長だった水田邦雄氏の発言。
11 堤修三(2007)『社会保障改革の立法政策的批判』社会保険研究所p55。
12 田近栄治(2009)「医療制度の改革」田近栄治・尾形裕也編著『次世代医療制度改革』ミネルヴァ書房p24。
4医療費適正化計画の論点(2)~地域医療構想は抑制の手段なのか?~
第2に、地域医療構想の曖昧な位置付けを指摘せざるを得ない。一般的に都道府県別の1人当たり医療費は1人当たり病床数と強い相関関係を持つとされている13ため、病床数を減らせば医療費を抑制できる可能性が高まる。いわゆる医療経済学の「医師需要誘発仮説」であり、先に触れた地域医療構想も同じ認識に立っていることは間違いないし、先に触れた通り、地域医療構想を含めた医療提供体制改革は特定健康診査・保健指導と並び、医療費適正化計画の柱の一つになっている。

しかし、地域医療構想は表向き、医療費適正化策として位置付けられていない。この分かりにくい状況には一種、政治的な判断が影響している。

地域医療構想の制度化に際して、日本医師会(以下、日医)は病床削減のための施策と位置付けないように繰り返し牽制していた14。その結果、筆者の集計では、2017年3月までに出揃った各都道府県の地域医療構想で、医療費適正化に言及していたのは10都府県にとどまっており、医療費適正化計画における国の制度的な整理と、実際の都道府県の運用は噛み合っているとは言えない。

こうした事情の下、これまでの医療費適正化計画では、費用抑制の効果が示されているとは言えない特定健康診査・保健指導に力点が置かれてきた事情があった。
 
13 病床数と医療費の相関関係を実証した研究は多いが、印南一路編著(2016)『再考・医療費適正化』有斐閣、地域差研究会編(2001)『医療費の地域差』東洋経済新報社を参照。
14 ここでは詳しく触れないが、地域医療構想の制度化に際して、厚生労働省は当初、急性期病床を絞り込むための登録制度や認定制度を検討したが、日医が強く反対。結局、現在のように都道府県を中心とする合意形成に力点が置かれた。その後も、2019年4月の日本医学会総会で、日医の中川俊男副会長が「医療費削減の仕組みを徹底的に削除したつもりだ。その結果、(筆者注:地域医療構想は)医療機関の自主的な取り組みで進める仕組みになった」と強調していた。『病院』74巻8号、2019年4月29日『m3.com』配信記事などを参照。
5財務省の指摘
こうした中、財務省は2020年10月の財政制度等審議会(財務相の諮問機関、以下は「財政審」と表記)で医療費適正化計画の見直しを求める資料を提出した15。ここでは、「医療費適正化に関して達成すべき目標はあくまで個別の施策について設けることとされており、『医療費の見込み』は見通しに過ぎず、達成すべき『目標』でない」「地域医療構想の推進や『医療の効率的な提供』よりも『住民の健康の保持の推進』が重視されている」などの意見が示された。

その上で、▽医療費の予想を毎年度のPDCA管理に馴染む形に修正、▽都道府県医療費適正化計画の施策の優先順位の見直し、▽医療費に関する都道府県や保険者協議会のPDCAサイクルへの関与強化――などの見直しが提起された。つまり、施策の優先順位変更とか、都道府県の役割の明確化などの制度改正を通じて、医療費適正化計画の強化を訴えたわけだ。
 
15 2020年10月8日、財政審財政制度分科会資料を参照。
6|医療保険部会「議論の整理」の内容
今回の制度改正では、こうした指摘を踏まえつつ、2024年度からスタートする新たな医療費適正化計画の実効性を高めることが意識された。

基本的な方向性については、社会保障審議会(厚生労働相の諮問機関)医療保険部会が2022年12月に示した「議論の整理」で示されている。ここでは、▽患者個人に対する通知、医学的な妥当性や経済性などを踏まえた医薬品の使用方針である「フォーミュラリ」を地域ごとに推進、▽後発医薬品の安定的な供給を基本としつつ、新たな数値目標の設定、▽重複投薬・多剤投与の適正化に向けて、2023年1月からモデル事業が始まった「電子処方箋」の活用推進――などを列挙。特定健康診査・保健指導についても、アウトカム評価の導入やICT(情報技術) の活用などよる実施率の向上に取り組む方針が規定された。

さらに、医療・介護の効果的・効率的な提供に加えて、▽急性気道感染症に対する抗菌薬処方など効果が乏しいとされている医療の適正化、▽白内障手術など資源投入量に地域差が見られる医療の適正化――も医療費適正化計画に位置付ける方針が盛り込まれた。2022年度診療報酬改定で導入された「リフィル処方箋」(一定の条件の下、繰り返し使える処方箋)の推進も施策の一つに位置付けられた。

このほか、計画期間中の医療費の見込みについて、年度別・制度区分別の推計や、報酬改定・制度改正の影響を反映した随時改定などの精緻化を図る必要性が示された。

医療費適正化計画を策定する都道府県の役割に関しても、幾つかの言及があった。具体的には、高齢期の医療費適正化に中心的な役割を果たすことを明確にする点とか、実際の医療費が予想を著しく上回った場合には「都道府県が要因を分析→要因の解消に向けて関係者と連携しつつ、必要な対応を講じるように努める」という流れを明確にする必要性なども示された。

データを使った健康づくりを目指す「データヘルス」の関係でも、データを拡充させる方針に加えて、保険者が策定している「データヘルス計画」や特定健康診査・保健指導の計画など、医療費適正化計画に関連する他の計画との整合性を図る重要性も言及された。医療機関から請求されるレセプト(支払明細書)を審査する社会保険診療報酬支払基金、国民健康保険連合会の役割として、医療費適正化に繋がるレセプト分析を明記する考えも打ち出された。なお、これらの取り組みの主な舞台となる保険者協議会の機能強化に関しては後述する。
7制度改正の内容
その後、2023年7月に示された国の基本方針では、「議論の整理」を踏まえた内容として、幾つかの制度改正が実施された。基本的には「議論の整理」と重複しているため、これまでに触れていない点を重点的に挙げると、住民の健康増進に関して、「高齢者の心身機能の低下等に起因した疾病予防・介護予防の推進」が追記された。

さらに、「一体的実施」と呼ばれる施策についても、俯瞰できる立場の都道府県が推進目標を定める必要性が言及された。ここで言う一体的実施とは、後期高齢者医療制度を運営している都道府県単位の広域連合(構成者は市町村)と、市町村が一体的に健康づくりに取り組む事業を指しており、2020年度からスタートしている。これを医療費適正化計画の枠組みの下、都道府県がバックアップする方向性が示されたと言える。

医療現場で品薄になっている後発医薬品に関しては、従来の数量ベースの割合ではなく、金額ベースの観点も踏まえつつ、国が新たな数値目標を検討すると規定。これを踏まえて、都道府県が2024年度中に、医療費適正化計画における新たな数値目標を定めるという方向性も示された。さらに、一部の都道府県では、数量ベースのシェアが第3期目標の80%に達していないため、「当面の目標」として、可能な限り早期に80%以上に到達するという方向性が示された。

このほか、遺伝子組換技術などを用いた「バイオ後続品」(バイオシミラー)の数値目標を設定する必要性が提起された。バイオシミラーは先発薬とほぼ同じ有効性や安全性を有しているのに安価であるとされており、厚生労働省は既に2029年度の目標として、「バイオ後続品に数量ベースで80%以上置き換わった成分数が全体の成分数の60%以上に到達」とする目標を設定している。基本方針では、この目標に言及しつつ、使用拡大の方向性が示された。

医療提供体制の部分では、▽効果が乏しいエビデンスがある医療の適正化、▽医療資源の投入量に地域差が見られる医療の適正化、▽リフィル処方箋の拡大――に関して、患者や医療機関、薬局に対する普及啓発や訪問指導の実施、電子処方箋の利用促進、重複投薬の是正などについて、都道府県が数値目標を設定する必要性が提示された。

市町村を中心に介護保険財源の枠組みで実施されている「在宅医療・介護連携推進事業」16についても、都道府県による市町村支援、広域調整などについて数値目標を設定することが考えられるとされた。今後、増加が予想される高齢者の大腿骨骨折対策として、早期受診や退院後のフォローアップ、悪化防止などの施策と目標が必要という考えも打ち出された。

医療費見込みについては、従来の計画と同様、「入院」「入院外・歯科」に分けて算出する方針が踏襲されたが、計画期間中の制度区分別医療費と、計画最終年度における国民健康保険と後期高齢者医療制度の1人当たり保険料の機械的な試算も公表する方針も掲げられた。

具体的なイメージは基本方針の参考資料に示されており、表1の通りである。これを見ると分かる通り、医療費の予想は「全体」「市町村国民健康保険」「後期高齢者医療」「被用者保険等」に制度別で区分けされており、2024年度から2029年度時点まで各年度の見通しを記入することになっている17。さらに、医療費適正化に向けた施策を実施しなかった場合の試算を記入するように求めるとともに、国民健康保険と後期高齢者医療については、1人当たり保険料の機械的な試算を示す考えも示されている18

ただし、実際の計画における記載とか、1人当たり保険料の機械的な試算に至る計算式は都道府県の判断で変更可能とされている。
表1:第4期医療費適正化計画における医療費見込み、保険料試算の記載イメージ
 
16 市町村が地域の医師会と協力しつつ、医療・介護事業者に対する研修や住民向け啓発などを実施する事業。2015年度制度改正で創設された。介護保険20年を期した拙稿コラムの第12回を参照。
17 医療費見込みの記載イメージでは、医師など特定の職業を対象とした「国民健康保険組合」と、自治体が運営する「市町村国民健康保険」が分けられており、前者は「被用者保険等」に組み込まれている。しかし、医療制度全体で見ると、国民健康保険組合の医療費や加入者は小さいため、特に区分けする必要がない場合、本稿では煩雑さを避けるため、自治体運営の後者を「国民健康保険」と表記している。さらに、一部の引用では「国保」と表記する。
18 厚生労働省の参考資料では、被用者保険等については、加入者が都道府県をまたいで所在するため、保険料を試算しないとされている。
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保険研究部   上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任

三原 岳 (みはら たかし)

研究・専門分野
医療・介護・福祉、政策過程論

経歴
  • プロフィール
    【職歴】
     1995年4月~ 時事通信社
     2011年4月~ 東京財団研究員
     2017年10月~ ニッセイ基礎研究所
     2023年7月から現職

    【加入団体等】
    ・社会政策学会
    ・日本財政学会
    ・日本地方財政学会
    ・自治体学会
    ・日本ケアマネジメント学会

    【講演等】
    ・経団連、経済同友会、日本商工会議所、財政制度等審議会、日本医師会、連合など多数
    ・藤田医科大学を中心とする厚生労働省の市町村人材育成プログラムの講師(2020年度~)

    【主な著書・寄稿など】
    ・『必携自治体職員ハンドブック』公職研(2021年5月、共著)
    ・『地域医療は再生するか』医薬経済社(2020年11月)
    ・『医薬経済』に『現場が望む社会保障制度』を連載中(毎月)
    ・「障害者政策の変容と差別解消法の意義」「合理的配慮の考え方と決定過程」日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク編『トピック別 聴覚障害学生支援ガイド』(2017年3月、共著)
    ・「介護報酬複雑化の過程と問題点」『社会政策』(通巻第20号、2015年7月)ほか多数

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