2021年09月02日

デジタルユーロプロジェクト始動-予備実験の知見と今後

経済研究部 主任研究員 高山 武士

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1――予備実験から調査段階へ

7月14日にECB理事会は、デジタルユーロプロジェクトを立ち上げ、調査段階(investigation phase)を開始することを決定した。

調査段階は10月から24か月間にわたって実施され、目標はデジタルユーロの開発準備である1。調査段階においては利用者のニーズに基づく機能設計に焦点があてられ、グループインタビュー(フォーカスグループ、focus groups)2、試作機(prototype)、概念的作業(conceptual work)といったものが含まれることも明らかにされている。ただし、デジタルユーロを発行するかについては決定を留保している

ECBは、調査段階の特徴として以下のような事項を挙げている。
 

【デジタルユーロ調査段階(investigation phase)の特徴】
・デジタルユーロの目的に鑑みて、優先度が高い、リスクがなく(riskless)、誰でも使え(accessible)、効率的(efficient)であるような利用例(use case)を実験する
法的枠組み(EU legislative framework)にも光をあてる
欧州議会やその他政策決定者と引き続き協力する
・デジタルユーロの市場への潜在的な影響を評価する
・プライバシー(秘匿性、privacy)を確保し、ユーロ圏の市民・仲介機関(intermediaries)・経済全体へのリスクを避けられる設計上の選択肢を特定する
・デジタルユーロの流通における監督された仲介機関の役割(モデル、model)を定義する
・市場諮問グループ(MAG:market advisory group)を組織し、利用者やサービス提供者(distributors)の意見を考慮する
ERPB(ユーロ小口決済理事会、Euro Retail Payments Board)3でも利用者やサービス提供者の見解について議論する

調査段階では、まず今年の年末までに世界的な視点を踏まえて、デジタルユーロ導入の政策目的や利用に関する議論が行われ、次に22年の前半(1-3月期か4-6月期)には、秘匿性とEUの他の政策目的とのトレードオフが議論される。これらに続いて金融システムや現金利用への影響についての議論、デジタルユーロの流通体系(ecosystem)における官民参加の事業モデルについての議論を行うとしている4
デジタルユーロを導入する場合、調査段階で設計や機能の主要部分は決まると見られる5
 
また、この調査段階に先立って、ECBは、昨年10月に「デジタルユーロに関する報告書(Report on a digital euro)」(以下、「報告書」)を公表6し、その後の9か月間で予備実験(preliminary experimentation)を実施してきた。今回、予備実験から得られた成果について「デジタルユーロの実験範囲と主な知見(Digital euro experimentation scope and key learnings)」(以下、「主な知見」)として公表している

本稿では、3章以降でこの予備実験の内容についてECBが公表した事項を紹介したい。専門的ではあるが、筆者が注目した点や印象について述べると以下の通りである7
 

・実験は既存決済システムを利用したものから分散型台帳を利用するもの、それらの組み合わせなど幅広く実施された。
・特に「階層型」と呼ばれる中央銀行の下に仲介機関がおりそれぞれがデジタルユーロ台帳を管理する方法は、(その台帳がDLTか問わないなど)柔軟性・拡張性に長けており、仲介機関が付加価値を提供する余地も大きいため、実用化する場合には有力な方法であると思われる。
秘匿性確保とマネロン対策8の両立、オフライン端末の機能においては課題も残されている
eIDの利用などEUが進めるデジタル戦略との平仄も意識されている。今後、デジタルユーロ発行の機運が高まれば、EUのデジタル戦略に沿った形で政府・中央銀行・民間が協力して取り組む代表事例となる可能性もあるだろう。

 
1 なお、開発には約3年かかる可能性があるとパネッタ理事のブログで言及されている。
2 集団から特定製品などについての意見を収集する方法。
3 2013年12月に設置された、ユーロ建てのリテール決済について統合された革新的かつ競争的な市場を創設することを目的とした組織。
4 このスケジュール感についてはパネッタ理事が欧州議会の経済通貨委員会委員長のティナグリ氏にあてた書簡で明らかにしている。
5 なお、上記書簡では、ユーロシステムのスタッフが(デジタルユーロに関する)見解をまとめた時点、ハイレベル・タスクフォースが最終評価を行い、理事会が設計の選択肢に関する決定を行う前に経済通貨委員会と意見交換を行うことを提案している。
6 報告書の内容については、高山武士(2021)「中央銀行デジタル通貨の「攻め」と「守り」-ECBによるデジタルユーロの取り組み」『基礎研レポート』2021-02-02の補論を参照。
7 3章以降では「主な知見」についての意訳や筆者の解説を内容が中心に述べていく。ただし、筆者はシステム構築の専門家ではないため、その内容を誤解している可能性もあり、必要があれば原文を参照して頂きたい(European Central Bank(2021), Digital euro experimentation scope and key learnings, July 2021)。なお、専門用語も多く英語の原文の方が意味をつかみやすい部分もあるため、適宜英単語も記している。3章の1-3節は基本的には「主な知見」の内容を(筆者の理解をもとに)記載したものだが、筆者自身の見解についてはその旨の注記を付した。また、注記については原文中にないものがほとんどであり、筆者の理解のもと補足したものである。
8 AML(アンチマネーロンダリング、anti-money laundering)、CFT(テロ資金供与防止対策、combating the financing of terrorism)と呼ばれるもの。本稿では単にマネロン対策と記載することにする。

2――取り組み状況

2――取り組み状況

次章で予備実験の内容に触れる前に、本章では日米欧の主要中銀のデジタル通貨への取り組み状況を復習・整理しておきたい。
1主要中銀の状況
まず、日本銀行はECBが中央銀行デジタル通貨(CBDC:central bank digital currency)についての「報告書」を公表した昨年10月とほぼ同時期に「中央銀行デジタル通貨に関する日本銀行の取り組み方針」(以下、「取り組み方針」)を公表している。日本銀行において、主体的に市民が利用する一般利用型(リテール向け)のCBDCへの取り組みを本格化させたのはこの「取り組み方針」の公表以降と考えられる。つまり、ECBと日本銀行はほぼ同時期に本格的な検討を開始したと見られる。そして、日本銀行は今年4月に「実証実験(概念実証フェーズ1)」を22年3月までの1年間を予定して開始した。実証実験は、「概念実証フェーズ1」の目的が達成され次第、「概念実証フェーズ2」に移行し、その後必要と判断されれば「パイロット実験」の要否を検討するとしている。「概念実証フェーズ2」の期間については明らかにされておらず、「パイロット実験」についてはその要否の判断も留保されている。

一方、米国については、昨年からボストン連銀がマサチューセッツ工科大学と共同で研究を進めるなどの取り組みを行っているものの、FRBが主体となった実証実験に関する本格的な取り組みは行われていない状況と思われる9。ただし、FRBは今夏にCBDCの効果とリスク、発行の可能性について言及した報告書を公表し、意見の公募を行う予定である10と発表しており、今年の夏以降に実証実験に関する公表や本格的な取り組みが行われる可能性は十分に考えられる

なお、いずれの中央銀行もCBDCの導入可否については判断を留保している点は共通している。スケジュール感についても不明な点が多いが、こうした状況は図表1のようにまとめられるだろう。

一方、中国ではすでにデジタル人民元(e-CNY)の大規模実証実験を行い、22年内にも正式発行する方針と報じられている11日米欧と比較すると導入に向けた動きはかなり早いと言える
(図表1)中央銀行デジタル通貨についての主要中銀の取り組み
 
9 ただし、公表されていないだけで内部の研究が進んでいる可能性もある。
10 ボストン連銀による調査の成果も公表する予定。
11 日本経済新聞電子版「デジタル人民元、2000万人が利用 実証実験は最終段階に」2021年7月20日(2021年8月13日閲覧)。なお、中国人民銀行はこれまで、デジタル人民元の取り組みについて公式にはほとんど発表してこなかったが、今年7月に白書(ホワイトペーパー)を公表し、目的などを説明している(中国人民银行数字人民币研发工作组(2021)「中国数字人民币的研发进展白皮书」2021年7月)。ただし、現段階で具体的なスケジュールについては提示されていない。
2予備実験の位置付け
次に、ECBのデジタルユーロ検討における予備実験の位置付けについて、整理しておきたい。

昨年公表された「報告書」で触れられていた事項は、デジタルユーロを導入する上で守るべき事項(「報告書」では「中核的原則」として言及、図表2)と導入するとした場合の意義・要件(「報告書」では「シナリオ固有要件」および「一般要件」として言及、図表312)が述べられ、法的論点(法整備をどうするか)、機能設計の可能性(中核的原則や要件を満たすような機能設計にはどのようなものがあり得るか、図表4)、技術的論点(利用者と運用者・システム提供者をどのように結びつけるか)といったことが整理されている。

デジタルユーロの導入判断にあたって重要となるのは意義(導入の目的)であると言えるが、予備実験では、それを満たすような設計が可能かどうかといった技術的な側面に焦点があたっている。「報告書」において明らかになった機能設計の可能性や技術的な論点について、実際に実験を行うことで実現可能性に対するより深い理解を得るという意味がある。なお、これらの検討事項は日本銀行の「概念実証フェーズ1」での検討内容と重なる部分も多いと言えるだろう13
(図表2)デジタルユーロ発行における原則
(図表3)デジタルユーロの原則と要件
(図表4)デジタルユーロの機能設計
 
12 「守り」や「攻め」といった筆者の解釈が含まれている。これらについては、高山武士(2021)「中央銀行デジタル通貨の「攻め」と「守り」-ECBによるデジタルユーロの取り組み」『基礎研レポート』2021-02-02の本論を参照。
13 日本銀行は「概念実証」の目的を「実証実験の第1段階として、まずは、『概念実証』(Proof of Concept)のプロセスを通じて、CBDCの基本的な機能や具備すべき特性が技術的に実現可能かどうかを検証する」「このうち、『概念実証フェーズ1』では、(1)システム的な実験環境を構築したうえで、(2)CBDCの決済手段としての基本機能(発行、払出、移転、受入、還収等)を中心に検証を行う」とし、また将来の拡張を見据えた検証として、「フェーズ1の実験用システムは、CBDCの基本機能を検証するための小規模な構成とするが、将来、本番用システムを開発することとなった場合に備え、各設計パターンにおいて、以下のような追加的な機能拡張(オフライン決済機能・付利、保有上限・利用上限の適用・外部システムとの連携・セキュリティ対策・匿名性の確保・CBDCへの取引情報の付加・CBDCへのプログラマブル性の付与など)の実現可能性、容易性について比較・検証する」「システムの性能(処理の容量・スピード)についても、実験用システムとしての実機検証を行うとともに、高い負荷がかかる本番での運用を見据え、各設計パターンにおけるシステムの拡張性を比較する」と述べている(日本銀行決済機構局(2021)「中央銀行デジタル通貨に関する日本銀行の取り組み」2021年3月26日)。
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経済研究部   主任研究員

高山 武士 (たかやま たけし)

研究・専門分野
欧州経済、世界経済

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