2021年07月08日

不確実性の高まる世界において。デジタル化がオフィス市場にもたらす影響の考察

金融研究部 主任研究員 佐久間 誠

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7――フィジカルとサイバーの融合がもたらす不動産業のプラットフォーム化

デジタル化は、オフィス市場に創造的破壊をもたらす可能性のある脅威でもあるが、それと同時に、オフィスをさらに進化させ、不動産業の在り方を再定義する機会ももたらす。先行してデジタル化による不確実性が顕在化した商業施設セクターでは、新しい商業施設の形である「ニューリテール」を模索する動きが進み始めている。例えば、アリババの食品スーパー「フーマー」は、eコマースやキャッシュレスが広く普及した現代におけるスーパーの姿を提示し、従来からあるスーパーとしての機能だけでなく、飲食やエンターテイメント、物流施設としての機能も兼ね備える。その根底にあるのが、「OMO(Online Merges with Offline)」という概念で、オンラインとオフラインの融合を図るものである。オンラインとオフラインを切り分けるのではなく、両者が共存することを前提に、テクノロジーを活用することでフィジカル空間を進化させている。

オフィスにおいても、フィジカル空間にサイバー空間を取り込むことで、オフィスが仕事のプラットフォームとしての更なる進化を遂げ、また不動産会社が自らの役割をプラットフォーマーして再定義するきっかけになる可能性がある。また、それこそがデジタル化の脅威に対抗する本質的な方法ではないだろうか。

デジタル化の歴史を紐解くと、デジタル技術の進歩は、サイバー空間の範囲やインターフェース(接点)を次々と変化させてきた。そして、その変化に伴い、新しいプラットフォームが誕生し、IT業界の勢力図を塗り替えてきた(図表6)。現在、我々とサイバー空間をつなぐインターフェースはパソコンやスマホ、タブレットなどである。パソコンの普及はマイクロソフト、スマホやタブレットはアップルというプラットフォーマーを生み出した。しかし、AIやIoT、5Gなどの技術進歩により、オフィスや街がスマート化すれば、インターフェースは手元のデジタル機器ではなく、不動産に代替されうる。そして、サイバー空間に常時手ぶらで繋がることが可能となり、フィジカル空間とサイバー空間を結ぶ新たなプラットフォームが生まれるだろう。
 
図表 6:デジタル技術の進歩とプラットフォーマーの誕生
先にデジタル化の波が押し寄せた金融業では、米中のITプラットフォーマーが台頭している。日本の不動産業界にもITプラットフォーマーが乗り込んでくるとの懸念は強い。その前に、日本の不動産会社はデジタル化を進め、自らの役割をプラットフォーマーして再定義し、デジタル化による脅威に対抗する必要がある。不動産会社がテレワークの拡大に対抗する手段として、郊外のサテライトオフィスの開発やマンションに執務エリアを設けるなどが想定される。一方で、サテライトオフィスなどによりオフィスが分散化すると、テナントにとってオフィスの利用効率は低下する。そこで、オフィスを一つ一つ個別に賃借するのではなく、日本全国や首都圏全体などにまたがるオフィス・ネットワークを一括して提供するサービスへのニーズも高まることが予想される。ITでは一般的なクラウド型のサービスのオフィス版である。しかし、これらの対応策は、デジタル化やITプラットフォーマーの長期的な脅威に対抗できるものではない。

そこで、オフィスのデジタル変革によるスマート化が、オフィスをどのように再定義し得るのかについて、述べたい。オフィスのスマート化を進めることで、オフィスは「(1)モニタリング、(2)制御、(3)最適化、(4)自律性」の機能を得ることになる(図表7)26
図表 7:スマート化の進展により追加されるオフィスの機能
オフィスの利用状況をモニターすることが可能になれば、現在は自社所有もしくは賃貸が一般的なオフィスを、利用量に基づいた従量制(契約の短期化)とすることができる。また、オフィスの利用状況だけでなく、オフィスにおける生産性なども測定し、収益拡大やコスト削減に向けて最適化できるようになれば、成果に応じて賃料を支払うといったことも可能だ(図表8)。つまり、オフィスがオペレーショナル・アセットになることを意味する。オフィスのスマート化によりオフィスのオペレーショナル・アセット化が進めば、賃貸借契約ではなく、コワーキングスペースなどで見られるような利用契約とするケースが増えるだろう。また、オフィスを「1人あたり面積」ではなく「利用量に対する料金」、そして「利用価値に応じた対価」と、オフィスの課金体系が変化する可能性もある。
図表 8:オフィスのスマート化によるビジネスモデルのサービス化
オフィスのサービス化が進み、オフィスはその利用を目的としたハードではなく、顧客に価値を届けるソフトになれば、不動産業における競争優位も変化するだろう。資本集約産業である不動産業界では、これまで財務力が競争を左右する重要な要因だった。しかし、不動産業のサービス化が進めば、利用者が増えることでそれ自体の価値が高まる「ネットワーク効果」や事業規模の拡大により単位コストが下がる「規模の経済」が競争優位を生み出すようになる可能性がある。そうなればバランスシートには計上されにくい「無形資産」の重要性が増すことになる。

ただし、資本集約的で、供給量の調節にタイムラグがある不動産を真の意味でデジタル化していくのは容易ではない。というのも、建物というハードのデジタル化は、技術が進歩し、多額の投資を行えば可能だが、ビジネスモデルをITプラットフォーマーのように、ソフトを中心としたサービス業へと変革するにはかなりの時間を要するためである。シェアオフィス大手の米WeWorkやホテルチェーン大手の印OYOは、オフィスや賃貸住宅のデジタル化、サービス化を進めてきたが、現在は岐路に立たされており、不動産業をサービス化することの難しさを示唆している。他の産業同様、不動産もデジタル化の波から逃れることはできないが、デジタル化の範囲や速度については慎重に見定める必要があるのではないだろうか。
 
26 Porter and Heppelmann(2014)
 

8――おわりに

8――おわりに

スタンフォード大学のウォルター・シャイデル教授は、感染症は過去に不動産価格の急落を招いてきたとしている27。感染症により労働力が急減したことで、不動産の稼働率が低下したためである。しかし、今回のパンデミックにおいては、(1)新型コロナウイルス感染症による死亡者が過去のパンデミックと比較して少ない、(2)グローバル経済の第一次産業への依存度が低下している、(3)生産における労働力の重要性が低下している、ことから過去のパンデミックで見られたような実質賃金の上昇や不動産価格の急落は発生しないと予想している28

現在は、一様に不動産価格や賃料が下落するといった事態とはなっていない。2007年以降の世界金融危機と異なり、金融市場でカネ詰まりはおきておらず、むしろカネ余りの様相を呈していることもある。シャイデル氏が指摘したように、新型コロナウイルス感染症による死者数は354万人にものぼるが、それでも14世紀のペストでの7,500万人、1918年からのスペイン・インフルエンザの5,000 万人と比較すると死者数は少ない29,30。加えて、ビジネスを継続するためにデジタル技術が果たした役割は大きい。

新型コロナによるデジタル化の加速は同時に、オフィス市場に創造的破壊が起こる可能性を高めた。この不確実性が顕在化するかどうかを結論付けるのは現時点においては困難である。しかし、顕在化した場合の脅威を考慮すれば、オフィス市場の関係者はこの脅威をグレー・リノと捉え、真剣に一定の備えをすることが求められるのではないだろうか。

いずれにしても、「フィジカル空間」である不動産と「サイバー空間」は、需要を食い合う代替関係にも、互いに需要を高めあう補完関係にもなり得る。今後もデジタル化という長期トレンドが続くことについては疑う余地がなく、いかにデジタル化の脅威もしくはチャンスと付き合っていくかは、不動産業の根幹を揺るがしかねない、長期的かつ本質的な課題である。
 
27 Scheidel(2017
28 Scheidel(2020)
29 Johns Hopkins大学、2021年5月31日時点。
30 加藤(2013)

参考文献
 
  • Adalja, Amesh A., Matthew Watson, Eric S. Toner, Anita Cicero and Thomas V. Inglesby (2018), “The Characteristics of Pandemic Pathogens”, Johns Hopkins Center for Health Security, 2018/5/10
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  • Scheidel, Walter (2020), “Why the Wealthy Fear Pandemics”, The New York Times, 2020年4月9日, https://www.nytimes.com/2020/04/09/opinion/sunday/coronavirus-economy-history.html
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  • Taleb, Nassim Nicholas (2007), “The Black Swan: The Impact of the Highly Improbable”, Random House, (邦訳『ブラック・スワン―不確実性とリスクの本質』, 望月衛訳, ダイヤモンド社, 2009年)
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  • Wucker, Michele (2016), “The Gray Rhino: How to Recognize and Act on the Obvious Dangers We Ignore”, St Martins Pr.
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  • 酒井泰弘 (2013) 「ケインズとナイト ―蓋然性と不確実性を中心として―」、CPR Discussion Paper Series, No. J-36, 2013/4, 滋賀大学経済学部リスク研究センター
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  • 水野和夫 (2016) 『資本主義の終焉と歴史の危機』, 集英社.
  • 森川正之 (2020)「新型コロナと在宅勤務の生産性:企業サーベイに基づく概観」, RIETI Discussion Paper Series 20-J-041, 2020年10月.
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金融研究部   主任研究員

佐久間 誠 (さくま まこと)

研究・専門分野
不動産市場、金融市場、不動産テック

経歴
  • 【職歴】  2006年4月 住友信託銀行(現 三井住友信託銀行)  2013年10月 国際石油開発帝石(現 INPEX)  2015年9月 ニッセイ基礎研究所  2019年1月 ラサール不動産投資顧問  2020年5月 ニッセイ基礎研究所  2022年7月より現職 【加入団体等】  ・一般社団法人不動産証券化協会認定マスター  ・日本証券アナリスト協会検定会員

(2021年07月08日「ニッセイ基礎研所報」)

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