2020年11月10日

感染症対策はなぜ見落とされてきたのか-保健所を中心とした歴史を振り返る

基礎研REPORT(冊子版)11月号[vol.284]

保険研究部 主任研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任   三原 岳

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1―はじめに~感染症対策はなぜ 見落とされてきたのか~

年初からの新型コロナウイルスを受けて、保健所の機能強化が争点となるなど、感染症に脆弱な医療制度の課題が浮き彫りとなっている。

では、なぜ感染症対策は見落とされてきたのだろうか。歴史を振り返ると、保健所のネットワークを整備する際、日本は結核対策を重視した。このため、どこかのタイミングで、あるいは何らかの理由で感染症対策が軽視されるようになったと言える。

そこで、本レポートでは感染症対策の歴史を振り返ることで、感染症対策が見落とされてきた背景を探る。具体的には、疾病構造の変化、公的医療保険の拡大、地方分権の影響など様々な要因を挙げる。その上で、保健所の機能強化に向けた方策を示す。
 
* 本稿は9月15日基礎研レポートの再構成であり、詳細 は下記を参照。
 https://www.nli-research.co.jp/ report/detail/id=65456?site=nli

2―保健所とは何か

まず、保健所について考察する。保健所の数は2020年4月現在で469カ所に上り、都道府県、政令市、中核市、特別区などが設置、運営している。

さらに、その役割を見ると、『厚生労働白書』は感染症対策やエイズ、精神保健、母子保健、健康危機管理、食品衛生関係、生活衛生関係、医療監視関係、企画調整などを挙げている。身近な業務で言うと、飲食店営業の許可、クリーニング業や理容師法、旅館業法などの許可、病院や診療所への立入検査などにまたがっており、かなり広範な範囲をカバーしている様子が分かる。

しかし、保健所の数は近年、減少の一途を辿っている。図表は国立社会保障・人口問題研究所の『社会保障統計年報』に載っている保健所の設置個所数について、1954年度以降の年別推移を示している。これを見ると分かる通り、1960年代から一貫して800カ所を上回っていたが、1992年の852カ所をピークに減少し、現在は半分近くにまで減少している。

こうした保健所の機能低下は今回、新型コロナウイルス対策の検査が目詰まりを起こした一因に挙げられ、「行政改革の結果、保健所の数が減った」という指摘が多く聞かれる。

しかし、行政改革の影響を受けたとしても、保健所が必要」と考えられたのであれば、ここまでの減少を見なかったかもしれない。言い換えると、減少には別の理由が考えられる。以下、保健所を中心とした歴史を振り返る。
[図表]保健所の設置個所数推移

3―保健所を中心とした日本の 感染症対策の歴史

1|明治期における感染症対策
近代的な感染症対策が日本に「輸入」されたのは明治期以降である。開国に伴って天然痘、性病、コレラなどが次々と流入し、多くの死者や患者を出したため、政府は1897年に「伝染病予防法」を制定した。明治期に感染症が相次いだことについて、(1)江戸期の長い「鎖国」で免疫力が弱かった、(2)一般の人の栄養状態が良くなかった、(3)上下水道が整備されていなかった――などの理由が挙がっている*1

大正期に入ると、結核対策が懸案となった。紡績工場などが発展したことで、「女工」と呼ばれた女性労働者の健康問題、中でも結核対策が浮き彫りとなった。そこで、政府は労働時間の制限などを盛り込んだ工場法を1916年に施行した。この工場法は社会政策の始まりと見なされており、現在に繋がる健康保険法(1927年施行)、労働安全法制の基礎となった。

感染症対策を担う保健所ネットワークの整備についても、結核対策の要素を持っていた*1。その際、内務省は都市型のモデル保健所を東京市京橋区(現東京都中央区)明石町に、農村型のモデル保健所を1938年1月に埼玉県所沢町(現所沢市)に整備し、衛生環境の改善に努めた。いずれも写真は「保健所発祥の地」を示す石碑である。

その後、戦時色が強まる中でも、保健所は保健国策(健康な兵士と国民を作る政策)の一翼を担い、1944年までに770カ所の保健所が整備された。

さらに、保健所重視の政策は敗戦後も続き、占領軍の指示で杉並区保健所がモデル保健所に指定されるなど、感染症対策の強化が図られた。
[写真]埼玉県所沢市(左)と東京都中央区(右)に建つ保健所発祥の地を示す石碑
 
*1 村上陽一郎(1996)『医療』読売新聞社pp17-18。
*2 厚生省健康政策局計画課監修(1988)『保健所 五十年史』日本公衆衛生協会発行を参照。

4―保健所減少の理由

しかし、その後に感染症対策のウエイトは小さくなった。その第1の理由として、結核の特効薬開発などを受けて、疾病構造が大きく変わった点である。むしろ、急速に進んだ高齢化への対応として、高齢者の健康づくりが意識されるようになった。

第2に、1961年に国民皆保険が整備されるなど公的医療保険の規模が膨らんだ点が挙げられる。さらに民間医療機関も拡大した結果、医療サービスに対するアクセスも改善し、「医療=公的保険」を専ら意味するようになった。

第3に、市町村への権限移譲など地方分権の影響がある。政府は1994年、保健所法を半世紀ぶりに大改正する形で、地域保健法を制定した。この時は広域的な視点が必要な感染症対策よりも、住民の生活に根差した健康づくりが重視され、市町村の責任を大きくする方向性が打ち出された。

実際、当時の国会会議録*3では、地方分権を図る観点に立ち、エイズ対策など高度で専門的な保健サービスを都道府県の保健所で、母子保健などの身近な保健サービスを市町村で提供できるようにするとともに、1990年の制度改正で既に移譲されている福祉サービスとの連携を図ると強調した。

つまり、保健所数の減少など感染症に対する脆弱性を理解する上では、単に行政改革の影響だけでなく、地域保健法を含めた社会の変化や一連の制度改正の影響を考慮する必要がある。
 
*3 994年6月21日第129回国会参議院厚生委 員会における大内啓伍厚相の発言。

5―新興感染症対策の遅れ

一方、グローバル化の急拡大に伴い、エボラ出血熱などの新興・再興感染症のリスクが議論されるようになった。政府としても、従来の法体系を見直した感染症法を1999年に制定したほか、緊急事態宣言の発令などを可能とする新型インフルエンザ等対策特別措置法も2012年に施行させたが、必ずしも対応策は充分と言えなかった。

例えば、2009年の新型インフルエンザを受けて、有識者で構成する総括会議が2010年に公表した報告書では、▽病原性に応じた柔軟な対応、▽迅速・合理的な意思決定システム、▽サーベイランス(監視)の強化――など様々な論点を提示したが、実行に移された部分は少なかった。

6―総括と今後の方向性

以上のような歴史的な経緯を見ると、感染症に脆弱な医療制度となった理由として、疾病構造の変化や公的医療保険財政の拡大など様々な要因が重なった点が分かる。中でも、結核を中心に戦後、多くの感染症を封じ込めたことで、感染症に対する危機意識が失われたと指摘できる。

さらに、急速に進んだ高齢化に対応するため、住民の健康づくりや保健・福祉の連携を図る観点に立ち、市町村への権限移譲が重視された結果、保健所の統廃合が進んだ。つまり、行政改革による削減は一種の現象に過ぎず、様々な要因が重なっていたと言える。

ただ、感染症への脆弱性が浮き彫りになった以上、今後は保健所の機能強化を図る必要があり、新型コロナウイルスを受けて今年5月に公表された専門家会議提言では、▽本庁からの応援、▽OB職員の再雇用、▽集団感染の特徴などを調べる「積極的疫学調査」の人材育成――などを課題に挙げた。

さらに、感染症対策を担う司令塔的な組織を国に創設し、有事には国内外に人材を派遣できるような体制整備も求められる。保健所の業務効率化に向けて、▽検査業務を大学や民間企業に開放、▽IT化の推進、▽日常業務や規制・業務の見直し――なども必要になるだろう。
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保険研究部   主任研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任

三原 岳 (みはら たかし)

研究・専門分野
医療・介護・福祉、政策過程論

(2020年11月10日「基礎研REPORT(冊子版)」)

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