2020年10月05日

若者のオタク化に対する警鐘-若者の考える「オタ活」とオタクコミュニティの現実

生活研究部 研究員   廣瀨 涼

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7――「コンテンツ市場の性質とオタクの定義」

次に、(2)「コンテンツ市場の性質とオタクの定義」についてである。オタクという言葉に対する定義や認識が、従来のオタクと若者の考えるオタクとで大きく異なる点である。従来のオタクは、他人から認識されることで成立しており、レッテルとしての側面が強かった。言わばそれを称賛と捉えるかは別として、他人からオタクと思われたらオタクであり、他人からにわかであると思われたら、にわかだったのである。もちろん以前より自他ともに認めるその界隈の重鎮的オタクは存在していたが、基本的には比較することで構造化されるため、「Aさんよりはオタクだが、Bさんと比べるとまだまだオタクを名乗れない。」といったように、決して自称するものではなく、オタクと名乗ることは恐れ多いことだったのである。

一方、最近の若者は、自称することでオタクは成立すると考えており、アイデンティティを顕示するように自身がオタクであることを発信している。また、他のオタクは比較対象ではなく、あくまでも仲間であるという考えが強いようである。この全く異なる認識を持った消費者が、同じ対象物(コンテンツ)を消費しているということを若者が認識していないということが2つ目の問題である。

オタクの中にはお金を支出することが美徳であると考える層が存在する。彼らもオタクを自称する若者同様に、コンテンツを消費し続ける限り、大きなオタクのコミュニティに身を置くこととなる。もちろん、狭義のコミュニティを作り、身内で深い交流を行う者もいるが、コミュニティに帰属すること自体は、本来の目的ではない。彼らの目的は消費による自己満足の追求であり、自身の購買機会を他人に譲る事や自分が入手できなかったものを持っている他のオタクを称賛することはできない。経済力があるのに売り切れ等で購入できない時、その感情は妬みになるからである。彼らが他のオタクとの交流において、平静を保つことが出来るのは、自身の経済的・時間的制約の中で購買欲求を常に充足出来る時であり、言い換えれば“買う事が出来る欲しいと思ったもの”を買えた上で、他のオタクと親交を深めることができるのである。

コンテンツ市場で消費されているモノの多くは、食品のような一般消費財市場とは対極的で、どちらかと言うとブランド品のような贅沢品市場に性質が似ている。珍しいグッズやイベントほど希少価値が高く、価値も高騰する。その結果、購入する際の倍率も上がるため、購入機会を死守するために、他のオタクを排除しようとするオタクも存在する。昨今よく耳にするようになった「マウンティング」がいい例である。マウンティングとは、自分の方が優位と思いたいが故に、自分の方が立場が上であるとアピールすることを意味する。オタク同士のコミュニケーションにおいては、コンテンツに対する知見の深さやイベント参加経験等コンテンツ自体との結びつきの強固さをアピールする「経験力」、グッズの購買力や投資力をアピールする「経済力」、いつからファンかをアピールする「オタク暦」がマウンティングの主な対象となっている。ファン資本で論じた通り、消費することがコンテンツ愛に繋がると考える層が存在しており、彼らは他のオタクに経済力でマウントをとる。その対象は若年層のオタクも含まれており、消費を煽ったり、消費する経済力がないことに劣等感を抱かせるような発言をする。

また、「同担拒否」と呼ばれるようなコンテンツ、もしくはその一部を独占したいと思う欲求をもつオタクもおり、自身が好きなコンテンツ(特に特定の人やキャラクター)と同じコンテンツが好きなオタクを排除しながら交友関係を広げようとしたり、自身よりコンテンツに対する熱量が少ないオタクに対して、「なぜそのようなことも知らないのか」「そんなことも知らないならファンを名乗るな」といったように高圧的な態度をとることもある。これは、自身の購買機会を守るという側面と同時に社会資本という側面から見ても、ファン資本(情報提供や珍しいグッズの見せつけ)を提供し続ける中で、比較的ライトに消費をするオタクを自称する層や経済力がない若者に対して、同じ土俵に立ってほしくはないという一種のプライドのようなものも垣間見ることができる。

このように多様なオタクが広義のコミュニティに存在していることを認識せず、SNSで標的となってしまう若者が多く存在している。実社会におけるオタクのコミュニティでは、このような他者を排除するオタクたちから距離をとることが可能であり、自身の身内にそのようなオタクがいない場合、そのような思考を持つオタクが存在していることすら気づかないことが多い。これはコミュニティの範囲を自身で制限することができるからである。しかし前述した通り、SNSのオタクのコミュニティはオタクであることを自称し、アカウントを作成した段階で、全てのオタクの目に晒されるリスクを含んでおり、見ず知らずのオタクから高圧的なリプライを送られたり、炎上目的でリツイートされたりするのである。   

オタクを自称することがアイデンティティとなっている多くの若者がこのようなオタクが存在していることや、オタクを自称することのリスクを認識していない。その結果、コンテンツコミュニティに対して、自身が抱いていたイメージと差異が生じ、他のオタクとコミュニケーションをとることをやめてしまったり、最悪の場合そのコンテンツから離れてしまうこともあるのである。
 

8――その「オタク」は誰を指しているのか

8――その「オタク」は誰を指しているのか

オタクを自称する若者が嫌がらせや圧力をかけられることで、全てのオタクが友好的ではないと初めて認識するように、オタクの生態(特にコミュニティ)は、研究機関による調査やメディアによって切り取られる一部分と、その全体像の実態が異なることがある。この理由としてオタクには明確な定義が存在しないことが挙げられると筆者は考えている。

従来より、オタクに関する調査は数多くされてきているが、オタクの定義が明確ではないため、それぞれの調査ごとに対象の範囲が異なる。例えばオタク人口を例に挙げると、矢野経済研究所では、調査項目で「自分がオタクか否か」を問い、それを下にオタク人口やオタクの個人消費額算出を試みている。2017年の彼らの調査によると、18~69歳までの男女のうち19.9%が何らかの「オタク」である、と答えている。そのため、オタクを自称する幅広い層をサンプルとして扱っており、2018年のアニメ市場のオタク人口を598万人と算出している。一方、野村総合研究所の2005年の調査では、アニメオタク人口を11万人と推量しており、算出された数字だけ比較すると、ほぼ10年で約590万人増えたことになってしまう。しかし、この比較からオタクの人口の増加を判断することはできない。野村総研の調査では、2004年8月に野村総合研究所が行った「趣味やこだわりに関する生活者調査」の分析の結果から、消費性オタクの出現率を生活者全体の約11%、心理性オタクでは全体の約36%であると特定した。そして、消費性オタクであり、かつ心理性オタクである層、すなわち中毒的で極端な消費行動を示し、かつ心理的にもオタク的な特徴を有する生活者を「オタク」と定義づけた。この「オタク」の出現率はおよそ3.6%、つまり28人に1人の割合でオタクが存在するとしており、野村総研によるオタクは、彼らの基準によってオタクかオタクでないか線引きされた存在であると言えるだろう。そのため、矢野経済研究所の調査対象であるオタクを自称する人々と比較すると、その数に大きな違いが生まれるのである。

また、対象市場の範囲の差でも違いは生まれる。SHIBUYA109 来館者(15~24歳女性)を対象とした「オタクに関する調査」では、72.6%が「ヲタ活」をしていたという。また、産業能率大学が行った大学生を対象とした同調査においても大学生の約8割が何かしらのオタクであると自称していたという。この背景には、「ヲタ活」という言葉が「ファン」「お金や時間をたくさん費やしているもの」という2つの軸で使われていることがある。若者のヲタ活には自己投資を目的とした「自分向けヲタ活」と、誰かを応援する「他人向けヲタ活」が存在している。自分向けヲタ活は、エステやネイル、カフェ巡りなど消費の結果が自身に回帰するものを指し、一般的に自己投資や自分磨きと呼ばれるような性質を持っている。他人向けヲタ活は、アイドルやYouTuber、マンガやアニメなど、従来のオタクが消費してきたような「コンテンツ」を対象としており、自分の消費が興味対象の応援に繋がる性質を持っている。従来のオタクの消費は、好きなコンテンツを消費することが他人の利益に繋がるという構造であったが、ヲタ活という語が「お金や時間をたくさん費やしているもの」という曖昧な意味合いを含んでいるため、その対象が拡大されたのだ。そのため、矢野経済研究所が調査対象をアニメやマンガなど16市場に限っている一方で、若者の考える「ヲタ活」は言うなればすべての市場であてはまるため、若者の8割がオタクであると自認するようになってもおかしな話ではないのである。

また、オタクの消費調査についても、調査結果に差異が生じている。SHIBUYA109 lab. とCCCマーケティングによる15~24歳の女性を対象とした「オタ活に関する調査」によると「1年間でヲタ活に使う平均金額」は約58,000円という結果となり、ヲタ活に費やす費用は、年間の可処分所得の約10.1%を占めていたという。一方で矢野経済研究所の「2019年オタクに関する調査」を基に算出したオタクの平均年間消費額は「平均22,500円」であった。これも前述した通り、対象市場が異なることを考慮に入れて結果を見る必要がある。このようにオタクの調査についてみる際は調査対象に注視する必要がある。

一方で、このような調査結果からみられる「平均」についても考えなくてはならない。前述したように、オタク市場には、熱心に消費を行う層とオタクを自称する比較的ライトに消費を行う層が混在している。筆者の肌感覚からしても、前述した平均年間支出金額は少ないと思われるし、実際に「少なすぎる。」「もっと消費している。」といった議論がネット上でされるのが恒例となっている。しかし、熱心な層がいくら消費をしても、ライトなオタク人口が増加するほど平均金額が下がることは言うまでもないだろう。しかし、メディアは、平均金額以上を消費するオタクたちに焦点を当て、彼らの消費に対する異質性を強調して報道しようとする傾向がある。お金を過度に消費することがオタクの条件であるとは言わないが、歯止めが利かなくなる消費を行うことこそ、オタクとしての本能に忠実に動いた結果であり、やむを得ない面もあると筆者は考えている。しかしながら、オタクの歯止めの利かない消費欲求を過大に取り上げるメディア報道の流れも、オタクの消費することが美徳であるという意識を加速させていると考える。

オタクに関する調査は、市場規模やトレンド、消費傾向を把握するための重要な資料であるのは間違いないわけであるが、その対象がどのような人々を指しているのか念頭に置いて調査結果を見ていくことが大事である。
 

9――若者がオタク化することに際して

9――若者がオタク化することに際して

筆者は、予てより研究を続けてきたオタクという研究対象に加えて、昨今では若者の消費行動や文化も研究の対象にしている。若者の多くは、様々な事柄に興味を持ち、その興味を探求、充足するためオタクを自称する。これは、若者の間では一般的なこととして定着しているが、オタクという言葉を十分に考慮しないで使っているのである。彼らの言うオタクは、以前から存在していた所謂“エリートオタク”のように熱心に時間やお金を消費するコンテンツファンや、根暗でコミュニケーションをとるのが苦手とされたステレオタイプとしてのオタクとは、その性質が大きく異なり、同じオタクと呼ばれていても、別のモノであると認識する必要があると筆者は考えている。これは決して若者のオタクを蔑んでいるわけではない。筆者自身、オタクであることに年齢や性別は関係のないものであると考えている。しかし、本稿で取り上げたようなアイデンティティの顕示をするかのごとくオタクを自称する若者達と、従来のエリートオタクを同じものとして扱うのは、若者にとっても不利なことなのである。他者と比較することでオタクが成立すると考える従来のオタクからすれば、気軽にコンテンツを消費し、自身らと同じ土俵にいるかのように「オタク」を名乗られるということは面白くない話である。何より、自身と同等の知識や経験をしていると想定してコミュニケーションをとっているのに、相手が何も知らないという状態では、彼らの失望や嫌悪に繋がる。

また、SNSを利用することで気軽に他のオタクと交流することができるようになった故に、2ちゃんねる時代の「半年Romれ(コミュニティのコンテクストを理解しろ)」や「ggrks(自分で調べろ)」といった従来のオタクたちが強いられてきた暗黙のルールをすっ飛ばして、安易に他のオタクに聞く丸投げな姿勢に対しても疑問を抱くオタクもいる。半年Romれやggrksの精神は、知りたいことは大概掲示板の中での会話に存在しているので自分で調べれば分かるという考えに基づいており、安易に聞くという行為はタブーであった。何より好きであるモノに対して他のオタクに質問するという行為は、自身の無知や自身の情報探索能力の低さを露呈する行為であるため、恥ずべきことであると考える層も存在する。そういった意識を持つオタクたちに対して、丸投げで安易に質問をするという受け身な姿勢は、「本当にそのコンテンツが好きなのか」という疑念を抱かせるのである。「詳しくなければオタクを名乗ってはいけないのか」、「別に熱心にオタクをやるつもりもない」、といった若者たちのオタクに対するスタンスが、従来のオタクにギャップを与えるのである。一方で、知識や情報に乏しい若者のオタクに対して、知識を授けたり、情報を与えようとするオタクも存在するのも確かであるが、そのような行動を素直に受け入れず、マウンティングと認識する若者がいることも認識する必要がある。

若者はオタクという言葉に識別機能を期待し、交友関係を増やすきっかけを創造しようとするが、皮肉にもそのオタクという言葉が釣りエサとなり、他のオタクたちの標的となり、コンテンツコミュニティから離れるきっかけを生んでしまうのである。

このような若者のオタクを大きな器で受け入れることが、コンテンツ消費人口を増やし、コンテンツを継続させることに繋がるわけだが、全てのオタクにそのようなスタンスを求めることは不可能であろう。そもそも、オタクにとっては、マウンティングする事による優越感、されたことによる屈辱感自体が消費行動に繋がったり、結果的にコンテンツに対する理解や知見を深めるモチベーションになるからである7。そのため、コンテンツコミュニティの全てのオタクが若者のオタクに対して寛容なわけではないという状況については、そのコミュニティにオタクを名乗って参与する若者のオタク自身が十分に認識して自衛する必要があると筆者は考えるのである。せっかくあるコンテンツに関心を持った若者が、他のオタクのせいでそのコンテンツのことを嫌いになるようなことが、可能な限り無くなっていくことを願うばかりである。
 
7 オタクに勝ち負けがあると言っているわけではないし、全てのオタクがそういうわけではない。
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生活研究部   研究員

廣瀨 涼 (ひろせ りょう)

研究・専門分野
消費文化、マーケティング、ブランド論、サブカルチャー、テーマパーク、ノスタルジア

(2020年10月05日「基礎研レポート」)

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