2020年10月05日

若者のオタク化に対する警鐘-若者の考える「オタ活」とオタクコミュニティの現実

生活研究部 研究員 廣瀨 涼

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1――はじめに

オタクが情報収集をする場としてSNSが中心となっている。一方、同じ嗜好の人と繋がるためにSNSを使用する若者も多く、結果若者がいわゆる「オタ活(オタク活動)」をするうえで、SNSを利用することは一般的である。筆者は、若者1がオタクのコミュニティの性質を十分に理解しないで、他のオタクと交流している点に危機感を抱いている。若者がSNSで他人と繋がることで生まれる問題として、従来より、犯罪に巻き込まれたり、性的被害にあうといった側面に主に焦点が当てられてきた。この様な問題は、もちろん見過ごされるものではないが、どちらかと言えば、インターネットに潜む危険や・犯罪を認識できる能力、すなわちインターネットリテラシーの課題であり、筆者の述べようとしている問題とは性質が異なる。筆者は、オタクという言葉が気軽に使われるようになった結果、若者がオタクのコミュニティの実態を知らないまま、気軽にオタクのコミュニティに参加してしまい、自身の抱いていたオタ活との間にギャップが生じてしまう現象に対して問題意識を抱いているのである。結果的にコンテンツ離れしたり、そのコンテンツを好きであると公言することに息苦しさを感じている若者のオタクも多くなってきている。本稿では、その要因を筆者なりに考察してみた。
 
1 本稿では扱う「若者のオタク」という語は、趣味があることや好きな対象に対して自身がオタクであると自称し、オタクという語を一種の識別機能に期待して、同じ趣味を持つ人と繋がろうとしたり、アイデンティティを形成しようとするために使用する若者を指す。決してそのような行動は若者に限ったことではないが、若者の消費行動(主にZ世代)の特徴として、オタクを自称することが挙げられる為、「若者のオタク」という語を用いている。彼らの多くは識別機能としてのオタクという語に期待しているため、その対象にそれほど熱心でなかったり、詳しくなくともオタクを自称する傾向があるということを認識していただきたい。また、若者の中にも熱心に好きな対象と向き合う所謂昔ながらのオタクも存在しており、そういった若者のオタクは、本稿で言う「若者のオタク」には含まれない。
 

2――「オタク」という言葉の今

2――「オタク」という言葉の今

オタクやオタ活という言葉を耳にする機会が増えたように思われる。以前よりオタクと言う言葉がメディアで扱われることはあったが、1990年代は連続幼女誘拐殺人事件などを背景とした特異性や偏執性の側面、2000年代は“アキバ”をはじめとしたオタクブームの側面に焦点があてられることが多かった。しかし、昨今ではオタクのイメージが再構築されマニアやコレクターとしての意味合いが強くなった結果、オタクという言葉に対してポジティブな印象が持たれているようだ。特に若者の言うオタクという語は、従来の「ファン」という側面に加えて、お金や時間をたくさん費やしているものという「趣味」そのものを表す用語として変化してきている。そこから転じて、オタクという言葉がアイデンティティと同義で使用されており、趣味に対して時間やお金を消費する「オタ活」を通して、自身のアイデンティティを充足したり、発信している。このような変遷を経て、近年「オタク」という言葉は日常的に使用されるようになってきている。
 

3――オタ活とSNS

3――オタ活とSNS

オタクの活動の場は時代の流れとともに変化している。インターネットの登場により、「2ちゃんねる」のような大型匿名掲示板での交流が、オタクの情報交換の場の中心となった。2ちゃんねるは、オタクたちの情報が集約される集合知のような機能を果たしていたが、匿名性ということもあり、誹謗中傷や他人を貶すような、見るに堪えない書き込みも蔓延していた。併せて「半年ROMってろ」2や「ggrks(ググレカス)」3という言葉が定型文として成立していたように、掲示板のコンテクストを把握することや、自分で情報を最低限収集する必要性が強いられていた。また、幅広い分野の話題が扱われていたことから、2ちゃんねる起点の事件も多く発生しており、ネット文化に詳しくない層からは、近寄りがたいアンダーグラウンド文化として認識されていた。このように、2ちゃんねるを使用すること自体に障壁が存在していたため、結果的に2ちゃんねる内に存在するコミュニティへの参加者(利用者)を、ふるいにかけることができていたのである。

しかし、SNSの登場により、この障壁は消滅していくこととなる。特にTwitterにおいては、情報が即時に発信消費されることもあり、新たな情報収集の場として広く一般に認知・利用されるようになった影響が大きい。Twitterは確かにハンドルネームで使用する事もできるが、2ちゃんねるとは異なり、実名を用いて利用したり、日常で起きたことが投稿されているなど、比較的実社会の延長としての位置づけとして認識されており、気軽に利用できるプラットホームとなっている。そのためTwitterを用いて、オタクも容易に自身の趣味嗜好と合う他のユーザーと繋がることができるようになった。実際にSHIBUYA109 来館者(15~24歳女性)を対象とした「オタクに関する調査」4をみると、「最も力を入れている興味対象に対する具体的なヲタ活」として「Twitterで情報収集する」(73.1%)や「SNSの専用アカウントを作る」(53.3%)が高いなど、SNSにおける活動がオタ活において大きな意味を持っていることが伺える。以前筆者は、若者のオタ活について「クラスタ」と呼ばれる同じ趣味を持つ人との繋がりについて論じたが5、若者にとって、他のクラスタメンバーと仲間意識を持つことは、自身がオタクであるというアイデンティティ形成に繋がるため、SNS上に存在する同じ嗜好を持つ他のユーザーと繋がることで一種の「コンテンツコミュニティ」を形成する傾向がある。「#○○ヲタさんと繋がりたい」といったハッシュタグを用いる事で、その繋がりの裾野を広げていくのはその一例である。
 
2 ROMとは、“Read Only Member(閲覧だけしているユーザー)”のことで、「半年ROMってろ」とは、「この場の空気や状況、ある程度のルールがわかるようになるまでは発言せずに見ているだけにしろ」という意味。
3 「インターネット検索しなさい」の意。 最大手インターネット検索エンジンGoogle(グーグル)の普及によって、ネット検索すること自体を本家グーグルから離れて「ググる」というが、電子掲示板やチャット、SNSなどで、なんでも聞きたがる人に対して「ググれカス(野郎)」と使われる。
4 https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000052.000033586.html
5 廣瀨涼(2020)「Z世代の情報処理と消費行動(3)-若者マーケティングに対する試論(1)」『基礎研レポート2020/02/12』
 

4――SNSにおけるオタクのコミュニティの構造

4――SNSにおけるオタクのコミュニティの構造

SNSに存在するオタクのコミュニティの特徴として、コミュニティの境界線が明確ではないことが挙げられる。Twitterにおいては、Twitterユーザーか否かを隔てる境界線しか存在しない。Twitterというプラットホームには、数えきれないほどのオタク(同じ嗜好を持つ者)が存在している。mixiを想像してもらえばわかりやすいが、一般にコミュニティは共通の意識を持った人々が集まる母体(コミュニティページ)が存在し、その母体に参加することでコミュニティに参加したこととなる。これは概ね実社会のコミュニティと同じ構造である。

しかし、Twitterには同じ嗜好を持つ人々が集まる(集約させる)母体の機能が存在しないため、各ユーザーは自身で繋がりたい対象を見つけて、自らコミュニティを形成、拡大する必要がある。この一個人の繋がりを狭義のコミュニティと捉える事ができる。Twitterユーザーの数だけこの狭義のコミュニティは存在し、互いに重なり合っているため、間接的に他のオタクとの繋がりを持つことになる。この間接的な重なりも同じ趣味嗜好を持つ者との接点であるため、自身が確認できない広い範囲にオタクのコミュニティは広がっており、無自覚ではあるもののその大きなコンテンツコミュニティに身を置くことになる。

現実社会のオタクのコミュニティも同じ構造でできており、自身を中心とした身内のコミュニティと、そのコンテンツを嗜好するすべてのオタクを包括する広義のコミュニティが存在している。しかし、基本的に自身の身内のコミュニティメンバー以外との接点はなく、ファンクラブのように実態のあるコミュニティでない限り、世の中にどれだけの他のオタクが存在しているか認識することは不可能である。実際にそのコンテンツのイベントに参加したり、オフ会に参加することで「こんなにオタクがいたんだ」と認識することはできるのであるが、そこにいるオタクたちも氷山の一角なのである。

しかしSNSにおいては、投稿の公開範囲を制限しない限り、常に自身の知らないオタクに自身の投稿を晒すこととなる。当然リスクが存在しており、モラルに反した行動やオタクとしてあるまじき姿(基本的なことを知らない等)を投稿してしまうと、自身の知らないオタクたちの眼までその投稿が拡散され、皮肉なことに、炎上してしまったことで「こんなにオタクがいたんだ」と実感することもあるのである。

同じ自身が確認できない広い範囲の大きなオタクのコミュニティであっても、現実社会のコミュニティでは、個人が“能動的”に行動を起こすことにより、広義のコミュニティ(オタクがたくさん集まる場)との接点を持っている一方で、SNSにおいてはオタクとしてアカウントを作成した段階で、広義のオタクのコミュニティに“受動的”に接点を持つことになってしまうのである。
 

5――若者がオタ活をすることに対する問題

5――若者がオタ活をすることに対する問題

さて、冒頭で述べた通り、筆者は、若者が、オタクのコミュニティの性質を十分に理解しないで他のオタクと交流することに危機感を抱いている。オタクという言葉が気軽に使われるようになった結果、若者がオタクのコミュニティの実態を知らないまま気軽にコミュニティ参加してしまい、自身の抱いていたオタ活との間にギャップが生じてしまうという現象が起きているためである。結果的にコンテンツ離れしたり、そのコンテンツを好きであると公言することに息苦しさを感じている若者のオタクも多くなってきている。筆者はこの要因として、(1)「ファン資本」と(2)「コンテンツ市場の性質とオタクの定義」が関係していると考えている。以下ではそれぞれの視点から、SNSで他のオタクと交流することで生まれる問題点について考察する。
 

6――「ファン資本」

6――「ファン資本」

まず、(1)「ファン資本」についてである。ファン資本とは、ファンコミュニティで相互作用を行うための元手となるもののことである。オタクのコミュニティにおいては、オタク同士の情報交換や交流といった「相互作用」が不可欠である(龐,2010)6。Twitterで言えば有益な情報を発信することが、他のオタクたちにとって“ため”になることであり、その情報は、より多くのオタクに拡散されることで、情報としての価値を高める。他のオタクから承認されたり、狭義のコミュニティを拡大するうえで、“自身はフォローする価値のある者”であると顕示することは避けられないことであり、いわばその元手となるのがファン資本なのである。言い換えれば、いかに話のネタやレアな情報を継続的に発信できるかといった方がわかりやすいかもしれない。ただ、このファン資本は、実社会における実資本によって成立しているということを、多くの若者は認識してはいない。
図1 実資本とファン資本の関係
龐(2010)は実資本を、我々自身の経済力や人脈、スキルといった社会生活を送る上での元手と定義しており、その中には経済資本、社会資本、文化資本が存在すると論じている。例えば希少なグッズを手に入れたり、ライブのために遠征を繰り返すという行為をSNSで投稿することは、その経験だけがシェアされるため、単純に「羨ましい」という感情を誘発する。しかし、その羨ましい行為を行うためには、実社会における経済力が不可欠なのである。

実社会のコミュニティでは、相手の名前や年齢、職業などの人となりを、交流を通して認識していくが、SNSにおけるコミュニティは繋がり合うきっかけが「趣味嗜好」であるため、相手の本名はおろか、年齢や性別もわからないまま交流をすることが一般的である。そのため、趣味嗜好に対するベクトルのみが接点であるがゆえに、SNSにおけるオタクのコミュニティは、一見、実社会における社会的立場はフラットな状態に見える。しかし、フタを開ければ交流をしていた相手が確固たる経済基盤を持つ大人であるということももちろんある。

このように実社会での人となりを考慮に入れず、他のオタクの消費行動を見て、自身も消費しなくてはと、若者オタクの間で身の丈に合わない高額浪費がされたり、経済力がないことに対する劣等感が生まれることが問題なのである。高いグッズを購入したり、貴重な経験をするためには、実生活の経済的基盤や人脈が必要であるのに、同じオタクだからと張り合って、消費することは、実生活における生活基盤を揺るがしかねない。それでも、何かを投稿しなくては他のオタクから相手にされなくなってしまう、もしくは、他のオタクに負けたくないという一種の強迫観念が消費欲求を駆り立てるのである。これは、(お金を)消費することがコンテンツ愛に繋がると考える層が一定数存在することも背景にあり、SNSで購入品や体験を容易に発信できるという点が拍車をかけている。また、アイドルとの握手券や人気投票のための投票権獲得にCDを大量に購入し、自身の経済力でアイドルを応援するというシステムが、支出額=愛という一種の視覚化できる指標を定着させてしまったことで、他のコンテンツにおいてもその歪んだ構造がより影響を強めていると筆者は考えている。

筆者が嗜好するディズニ―コンテンツにおいては、コンテンツが老若男女に愛されていることから若年層のファンも多く存在する。ある日「他のオタクは毎日のようにディズニーランドに行っているけど、私は中学生だから年一回もいけない。でも何か投稿しないとならないから、今日はキャラクターの文房具を買いました。」というツイートを見て、いたたまれない気持ちになった。筆者は、オタクとは、好きな対象に対して時間やお金の消費を繰り返すことで精神的充足を行う存在であると考えている。自身のペースでその対象に向き合うべきなのである。せっかくそのコンテンツが好きでコミュニティに足を踏み入れたのに、他人を顧みた消費によって心理的に切迫感を感じてしまい、そのコンテンツを好きであると言いづらくなってしまっては、精神的充足どころか本末転倒である。
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生活研究部   研究員

廣瀨 涼 (ひろせ りょう)

研究・専門分野
消費文化、マーケティング、ブランド論、サブカルチャー、テーマパーク、ノスタルジア

経歴
  • 【経歴】
    2019年 大学院博士課程を経て、
          ニッセイ基礎研究所入社

    【加入団体等】
    ・経済社会学会
    ・コンテンツ文化史学会
    ・余暇ツーリズム学会
    ・コンテンツ教育学会
    ・総合観光学会

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