コラム
2018年08月06日

高まる無秩序なBrexitリスク-「悪い協定を結ぶよりも協定を結ばない方がまし」という言葉の重み

経済研究部 主席研究員   伊藤 さゆり

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「コントロールを取り戻そう(Take Back Control)」は、16年6月の英国の国民投票で欧州連合(EU)からの離脱を呼び掛けたキャンペーン団体「Vote Leave」が掲げたスローガンだ。人の移動、法の権限、EU予算への拠出、通商交渉の権限を取り戻そうというわかりやすいメッセージは多くの有権者の心に響いた。
 
他方で、キャメロン首相(当時)率いる残留派のキャンペーンは、EUに残留するベネフィットを伝えきれなかった。離脱派が「恐怖プロジェクト」と揶揄した通り、EU離脱がもたらす経済的悪影響が強調された。キャメロン首相付き広報官として残留派の指揮を執ったクレイグ・オリブァー氏が国民投票までの展開を記した「ブレグジット秘録(光文社)」からは、キャメロン首相自身が、「国内で国難が起き、国民の怒りが増すたびに、その怒りをそらすために」、「何十年にもわたって公然とEUを非難してきた」1ことなどから、EU残留のベネフィットを伝える難しさを承知していたことがわかる。

国民投票で焦点となった移民について、キャメロン首相は、残留した場合には、EUからの移民労働者の流入に制限をかける新たな制度の導入などでEUから譲歩を引き出して国民投票に臨んだが、殆ど材料視されなかった。英国が、EUからもっと多くの譲歩を引き出していれば、あるいは、EUがもっと英国に譲歩していれば、英国の離脱という事態は避けられたのかもしれない。しかし、同書によれば、英国はEUから「最大限の譲歩」を引き出していたようだ2
 
ここで改めて国民投票を振り返ったのは、8カ月後にEU離脱を控えるメイ首相の姿が、国民投票の実施に先駆けて、EUから譲歩を引き出そうとしていたキャメロン首相の姿と重なるからだ。
 
「悪い協定を結ぶよりも協定を結ばない方がまし(No deal is better than a bad deal)」。メイ首相が、EUとの将来の関係について、単一市場からも関税同盟からも離脱する方針を初めて明らかにした17年1月のランカスター・ハウスでのメイ首相の演説に盛り込まれたフレーズだ。

このフレーズは、昨年9月、メイ首相が、激変緩和のための「移行期間」の設定を求める方針を表明したイタリアのフィレンツェで行った演説からは消えている。しかし、「良い協定」か「悪い協定」かという考え方は、根強く残っている。
 
目下、メイ首相は、EUからの秩序立った離脱に必要な10月18日のEU首脳会議での「離脱協定」と「将来の関係に関する政治宣言」での合意に向けて奔走中だ。7月6日のチェッカーズでの緊急閣僚会合で離脱戦略の「穏健化」で合意した後、12日にはEUとの将来の関係に関する要望事項をまとめた「白書」3を公表。24日にはメイ首相がEUとの交渉を指揮する方針を表明した。27日に、メイ首相は、チェコ、オーストリア、エストニアの首相、8月3日には休暇中のフランスのマクロン大統領と面談している。

英国との交渉は、欧州委員会のバルニエ主席交渉官のチームの担当だが、英国には超国家機関の欧州委員会よりも、加盟国首脳に直接働きかけ、英国との経済関係の重要性を訴えることが、より「良い協定」につながるとの思いがある。
 
確かに、バルニエ主席交渉官の白書への評価は厳しい。白書公表後の英国との2度目の協議終了後の記者会見で、金融サービスの同等性評価を強化しようとの申し出は却下。アイルランド国境の厳格な管理回避の方策として盛り込まれた関税アレンジメントの提案も「関税の代行徴収」というコアの部分を否定した4。8月2日付けの欧州メディアへの寄稿で、「離脱協定」の合意には、アイルランドの国境問題解決のためのバック・ストップが必要という立場を改めて表明している5

英国のリアム・フォックス国際貿易大臣は5日のサンデー・タイムス紙のインタビューで6、「協定なしの離脱の確率は60%」に上がっているとし、その原因は、経済的な影響よりもEUのルールを優先する欧州委員会の硬直的な姿勢にあると非難している。

しかし、EU27カ国の首脳が、欧州委員会の交渉姿勢を批判し、EUは交渉姿勢を変えるべきという話は伝ってこない。そもそも、バルニエ主席交渉官のチームは首脳会議が合意したガイドラインに従って交渉を進めている。単一市場と関税同盟を重視しており、英国にとっての「良い協定」である「いいところどり」を認めない方針は加盟国の総意だ。

メイ首相による加盟国首脳の切り崩し戦略は、今のところ成果を挙げていないし、この先も流れが大きく変わることは考え辛い。
 
無論、「協定なしの離脱」は、EUも望んでおらず、EU側にも譲歩の用意はある。「将来の関係に関する政治宣言」は、あくまでも離脱後に始まる交渉の叩き台であり、緩やかな方向性を示すもので十分と考えているようだ。他方で、「離脱協定」の未合意事項の解消は不可欠であり、その中でも、将来の関係がどのような形になっても機能するアイルランド国境の厳格な管理回避のためのバック・ストップは必要という立場だ。EU側の提案は、北アイルランドのみが関税同盟に残るというものだが、英国全体との関税同盟という選択肢への用意もある。ただ、その場合には、EUの通商政策や規制、関税ルールに従うことを求める。そうなれば、英国が望む米国との自由貿易協定(FTA)や環太平洋経済連携協定参加11カ国の新協定(TPP11)への参加は先送りとなりかねない。但し、バック・ストップはあくまでもバック・ストップであり、将来の関係を規定するものではない。英国とEUの合意事項である「厳格な国境管理回避」という目的が別の枠組みで実現するのであれば、発動されることはない。
 
問題は、これらがEUにとっての「最大限の譲歩」だとしても、英国から見ればEUの原則への一方的な従属に映ることだ。10月の首脳会議に向けて、英国とEUの協議は8月中旬に再開、9月20日にザルツブルグで開催される非公式EU首脳会議でも離脱問題は取り上げられるようだ。向こう数週間の協議の行方は注目されるが、その後の動きは、さらに重要だ。国民投票前のキャメロン首相と同様に、メイ首相が、なんとかEUから「最大限の譲歩」を引き出して合意に漕ぎ着け、その成果をアピールしたとしても、英国内では「悪い協定」として一蹴されるかもしれない。

「悪い協定を結ぶよりも協定を結ばない方がまし」という展開が気掛かりだ。
 
1 オリヴァー(2017)p.36
2 オリヴァー(2017)p.608
3 白書の概要とEUの反応については、Weekly エコノミスト・レター 2018-07-24「見えない英国のEU離脱の道筋(http://www.nli-research.co.jp/files/topics/59154_ext_18_0.pdf?site=nli)」をご参照下さい
4 Statement by Michel Barnier at the press conference following his meeting with Dominic Raab, UK Secretary of State for Exiting the EUBrussels, 26 July 2018(http://europa.eu/rapid/press-release_SPEECH-18-4704_en.htm
5 “An ambitious partnership with the UK after Brexit, Op-ed by Michel Barnier, the European Commission's Chief Negotiator for the negotiations with the United Kingdom”, NEWS ARTICLE, 2 August 2018, Brussels(https://ec.europa.eu/commission/news/ambitious-partnership-uk-after-brexit-2018-aug-02_en
6 “No deal Brexit is odds-on, says trade secretary, Liam Fox blames Brussels 'intransigence”, Sunday Times, August 5, 2018
 
 

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経済研究部   主席研究員

伊藤 さゆり (いとう さゆり)

研究・専門分野
欧州経済

(2018年08月06日「研究員の眼」)

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