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なぜ韓国の政治家は“悲劇”を恐れず、最高権力を目指すのか?

生活研究部 上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任 金 明中
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韓国で多くの政治家が大統領を目指すのは、単なる個人的な野心にとどまらず、支持層の期待、政策の実現、さらには政治的報復といった複雑な動機が交錯しているためだと考えられる。韓国は強力な大統領中心制を採用しており、大統領は外交・安全保障・人事・恩赦などに関して広範な権限を有している。そのため、大統領は事実上、国家運営における最終的な意思決定者であると言える。
では、韓国で大統領になると、どのような特権を享受できるのだろうか。まず挙げられるのが「不訴追特権(起訴されない特権)」である。韓国憲法第84条は、大統領が在任中、内乱罪および外患罪を除き、原則として刑事訴追を受けないことを規定している。さらに、憲法に明記されてはいないものの、大統領が任命権を持つ職務は、手続きだけでも3,000~4,000件にのぼるとされる。また一部の分析によれば、大統領が影響力を行使できるポストは1万8,000件を超えるとの主張もあり、事実上、主要ポストの大部分が大統領の意向に左右される構造となっている。つまり、大統領が交代すれば、韓国の政官界の主要人事もほぼ全面的に刷新されると言っても過言ではない。
さらに、大統領には退任後、終身年金が支給される。2025年時点での大統領の年俸は約2億6,258万ウォンであり、職責の重さに比して特別に高額というわけではない。しかし、退任後には死亡するまで毎月年金が支給されるという特典がある。
年金額は通常、1年間の報酬額を12で割り、その後、特定の係数を掛けて算出される。具体的には、年間報酬額を12で割った金額に8.85を掛けた金額が月額年金となる。尹錫悦(ユン・ソンニョル、以下、尹錫悦氏)前大統領が弾劾されることなく任期を全うした場合、2025年基準では月額約1,533万ウォンの年金が支給される見込みであった。しかし、「前職大統領の礼遇に関する法律」第7条第2項には、「在任中に弾劾決定を受けて退任した大統領」には「警護・警備」以外の礼遇を認めないと定められている。このため、尹錫悦氏は年金だけでなく、将来的な「遺族年金」についても対象外となった。
このほか、大統領には特別活動費や業務推進費の執行内容を非公開にする権限や、支持率などに関する世論調査を実施する権限をはじめ、多くの特権が付与されている。これらの特権と強大な権力を持つため、多くの政治家が大統領の座を諦められないのが実情である。しかし、韓国の歴代大統領の多くは、辞任、暗殺、拘束、弾劾などの数々の受難を経験し、しばしば歴史に汚名を残してきた。以下に、その詳細を述べる。
韓国の第1代から第3代大統領である李承晩(イ・スンマン)元大統領は、3・15不正選挙をきっかけに起こった4・19革命により、1960年4月26日に辞任を表明し、翌27日に国会に辞表を提出した。その後、第4代大統領に就任した尹潽善(ユン・ポソン)元大統領も、当時陸軍少将だった朴正煕(パク・ジョンヒ)氏による5・16軍事クーデターで実権を失い、在任期間わずか1年7か月で辞任を余儀なくされた。
1963年に軍事クーデターを通じて政権を握った朴正煕(パク・ジョンヒ)元大統領(第5・6・7・8・9代大統領、以下、朴正煕氏)は、約15年間にわたり大統領職に留まった。しかし、1979年10月26日、最側近である金載圭(キム・ゼギュ)中央情報部長によって暗殺され、悲劇的な最期を迎えた。韓国で大統領が暗殺されたのは、朴正煕氏が初めてであり、現在も唯一の例である。
朴正煕氏の死後、崔圭夏(チェ・ギュハ)氏が暫定的に第10代大統領の座に就いたが、全斗煥(チョン・ドゥファン、以下、全斗煥氏)元大統領(第11・12代)によるさらなる軍事クーデターにより、わずか8か月で辞任を余儀なくされた。
軍事クーデターによって大統領の座を掌握した全斗煥(チョン・ドゥファン)氏は、1995年末に12・12軍事クーデターおよび5・17内乱の容疑、さらに不法な裏金造成などの容疑で拘束された。また、全斗煥氏の後を継いだ第13代大統領の盧泰愚(ノ・テウ)氏も、内乱および企業から約3,000億ウォンを受け取った贈収賄の容疑で1995年11月16日に拘束された。全斗煥氏は一審で死刑判決を受け、二審では無期懲役と2,205億ウォンの追徴金が確定した。盧泰愚氏には懲役17年と2,628億ウォンの追徴金が言い渡された。両元大統領は約2年間服役した後、1997年12月に金泳三(キム・ヨンサム)元大統領によって恩赦されることとなった。
その後、第14代大統領の金泳三(キム・ヨンサム)氏は自身が拘束されることはなかったものの、アジア経済危機の影響で在任中に検察の捜査を受けた。また、次男の金賢哲(キム・ヒョンチョル)氏は、1997年に韓宝グループへの特恵融資に関連した事件で実刑判決を受けた。
第15代の金大中(キム・デジュン)元大統領は、韓国人として初めてノーベル平和賞を受賞する栄誉に浴したものの、長男の金弘一(キム・ホンイル)氏は、1999年から2001年にかけて人事に関する請託に関連した賄賂を受け取った容疑で有罪判決を受け、2006年には議員資格を失った。また、次男の金弘業(キム・ホンオップ)氏も、1998年から2001年までに現代・サムスンから約25億ウォンを受け取った容疑で実刑判決を受け、三男の金弘傑(キム・ホンゴル)氏もスポーツトトの事業者選定に関与し、賄賂を受け取った容疑で有罪判決を受けた。
一方、在任中、「道徳性」を最大の武器として掲げた進歩派の象徴である第16代の盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領も、退任から1年後の2009年4月30日に「パク・ヨンチャゲート」1に関与したとして検察の捜査を受けるという不名誉な事態に直面した。盧武鉉元大統領は、捜査が進行する中で逝去し、そのため検察の捜査は「公訴権なし」として終了した。
第17代の李明博(イ・ミョンバク)元大統領も、退任から5年後の2018年3月22日に拘束された。彼は自動車部品会社「DAS」の実質所有者疑惑など20件を超える容疑で起訴され、懲役17年が確定したが、2022年末に恩赦を受けた。朴正熙元大統領の長女であり、韓国初の女性大統領として注目を集めた第18代の朴槿恵(パク・クネ、以下、朴槿恵氏)元大統領は、国政壟断などの疑惑により憲法裁判所から罷免されるという不名誉な結果となった。韓国で大統領が罷免されたのは、朴槿恵氏が初めての事例である。
第19代の文在寅(ムン・ジェイン)元大統領は、2018年当時、公共機関長兼企業家であった李相稷(イ・サンジック)元国会議員から、元女婿の徐某氏がタイイースター航空の幹部として採用され、高額の給与や住宅費など金銭的利益を提供されたとして、特定犯罪加重処罰法に基づく贈賄罪の共犯に該当するとして在宅起訴されている(2025年5月5日現在)。
一方、韓国の憲法裁判所は2025年4月4日、第20代の尹錫悦(ユン・ソンニョル)前大統領が昨年12月3日に「非常戒厳」を宣言したことについて、「軍と警察を国会に投入し、憲法上の権限行使を妨害したことで、国民主権や民主主義を否定し、布告令を出して国民の基本権を侵害した」と判断し、裁判官8人全員一致で罷免を宣告した。現職大統領が弾劾訴追で罷免されるのは、2017年の朴槿恵氏に続いて2人目である。
韓国の大統領は在任中に強大な権力と特権を享受できる地位にあるが、これまでほとんどすべての大統領が辞任、暗殺、拘束、弾劾、自殺などの不名誉や不幸を経験してきた。特に、任期中に大統領が2度も弾劾されたという事実は、大統領制が長く続いているアメリカでも例がない政治的汚点である。
現在の韓国社会では、若者と高齢者、若い男性と女性、進歩と保守、嶺南と湖南といったさまざまな対立軸で分断が深刻化している。このような状況を踏まえると、今後、特権層を標的としたポピュリズムや、それに伴う報復的な政治が一層激化する可能性がある。
政治的報復と社会の分断が続けば、最終的には民主主義の根幹を揺るがす事態に繋がる恐れがある。少子高齢化が進み、将来的に人口減少が避けられないと予測される韓国が持続的に発展するためには、政治的な報復や対立ではなく、「協治」と「共生」を基盤とする政治の実現が不可欠である。今後、そのような政治が実現されることを心から願っている。
1 朴延次(パク・ヨンジャ)泰光実業会長が、事業運営上の特別な便宜を図ってもらうことを目的に、盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領の親族や、与野党の国会議員など政治界の有力者に対し、賄賂として金品を提供した事件である。
(2025年05月09日「研究員の眼」)

生活研究部 上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任
金 明中 (きむ みょんじゅん)
研究・専門分野
高齢者雇用、不安定労働、働き方改革、貧困・格差、日韓社会政策比較、日韓経済比較、人的資源管理、基礎統計
03-3512-1825
- プロフィール
【職歴】
独立行政法人労働政策研究・研修機構アシスタント・フェロー、日本経済研究センター研究員を経て、2008年9月ニッセイ基礎研究所へ、2023年7月から現職
・2011年~ 日本女子大学非常勤講師
・2015年~ 日本女子大学現代女性キャリア研究所特任研究員
・2021年~ 横浜市立大学非常勤講師
・2021年~ 専修大学非常勤講師
・2021年~ 日本大学非常勤講師
・2022年~ 亜細亜大学都市創造学部特任准教授
・2022年~ 慶應義塾大学非常勤講師
・2024年~ 関東学院大学非常勤講師
・2019年 労働政策研究会議準備委員会準備委員
東アジア経済経営学会理事
・2021年 第36回韓日経済経営国際学術大会準備委員会準備委員
【加入団体等】
・日本経済学会
・日本労務学会
・社会政策学会
・日本労使関係研究協会
・東アジア経済経営学会
・現代韓国朝鮮学会
・韓国人事管理学会
・博士(慶應義塾大学、商学)
金 明中のレポート
日付 | タイトル | 執筆者 | 媒体 |
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2025/05/09 | なぜ韓国の政治家は“悲劇”を恐れず、最高権力を目指すのか? | 金 明中 | 研究員の眼 |
2025/04/15 | 韓国は少子化とどう闘うのか-自治体と企業の挑戦- | 金 明中 | 研究員の眼 |
2025/03/31 | 日本における在職老齢年金に関する考察-在職老齢年金制度の制度変化と今後のあり方- | 金 明中 | 基礎研レポート |
2025/03/28 | 韓国における最低賃金制度の変遷と最近の議論について | 金 明中 | 基礎研レポート |
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