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気候変動:アクチュアリースキルの活用-「プラネタリー・ソルベンシー」の枠組みに根差したリスク管理とは?

保険研究部 主席研究員 兼 気候変動リサーチセンター チーフ気候変動アナリスト 兼 ヘルスケアリサーチセンター 主席研究員 篠原 拓也
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1――はじめに
気候変動の将来予測では、通常、複数の気候シナリオを設定して、それらを比較・分析することが行われる。こうした気候変動問題のシナリオ分析は、保険・年金制度の分野で、金融・経済等のシナリオをもとに、長年リスク管理を手がけてきたアクチュアリーにとって、スキルの活用を図ることのできる分野とみることができる。
2024年に、イギリスのアクチュアリー会(IFoA)はエクセター大学と共同で、気候変動予測に対するアクチュアリーのアプローチについて、レポート2(以下、単に「レポート」と呼称)を公表している。本稿ではこのレポートをもとに、アクチュアリーが気候変動予測を行うとした場合に、どのようにスキルを活用することができるかについて見ていくこととしたい。
1 生態系の喪失や、極域の氷床の融解など。
2 “Climate Scorpion - the sting is in the tail Introducing planetary solvency” Sandy Trust, Oliver Bettis, Lucy Saye, Georgina Bedenham, Timothy M. Lenton, Jesse F. Abrams, Luke Kemp (Institute and Faculty of Actuaries (IFoA), University of Exeter, March, 2024)
2――気候変動と保険・年金制度のリスク管理の比較
類似点として、リスク管理の期間、テールリスクの評価、モデルリスクの存在が挙げられる。
(1) リスク管理の期間
両者を比べたときに、類似点として挙げられるのが、リスク管理の期間が超長期に渡ることだ。
銀行等の金融機関では、長くても10年間、20年間といった期間でリスク管理が行われている。これは、負債である預金が最長でも20年程度、資産運用の対象である債券投資や長期融資が15年程度であることなどによる3。一方、生保会社が取り扱う保険や年金は、100年近くに渡るものもある。一生涯に渡って万一の保障を行う終身保険や、年金を支払う終身年金といった商品がこれに該当する。これに対応して、資産側では超長期債への投資を含めて負債の期間を踏まえた運用が行われている。その結果、リスク管理も超長期のタイムスパンで行われることとなる。
気候変動については、温暖化等の変化が徐々に進んでいくことを踏まえて、今世紀末までや来世紀以降数百年間にも渡る非常に長い時間軸で、予測やリスク評価が行われている。
3 ただし、個人に対する住宅ローンは一般に最長35年程度で、金融機関によっては50年まで行っているケースもある。
テールリスクとは、確率分布の端(テール)の部分の発現する可能性の低い事象のリスクを指す。このような事象が起きることはまれであるが、生保事業運営においては、その評価が重要となる。評価に基づいて、準備金の積立や、再保険の活用などのリスク対応策がとられる。
一方、気候変動においては、“200年に1回発生”などとされる極端な事象が問題となる。確率分布が変化して、極端な事象の発現確率が変わっていないかどうか等、気候変動がテールリスクに与える影響が気候モデルを用いて評価されている。
(3) モデルリスクの存在
モデルリスクとは、モデルの誤り、モデルの実装や使用の誤り、モデルの解釈の誤りなどを指す。保険や年金のリスク管理では、掛金や給付に関する数理モデルを構築し、それを用いて将来の保険金や年金に関する収支状況や財務状態をシミュレーションすることが行われている。そのため、モデルリスクを意識したリスク管理が必要となる。
一方、気候変動では、気温、湿度、降水等の気象要素について、物理法則や気象学の知見等を組み込んだ気候モデルを構築し、その運用により、将来の気候変動の推移を予測することが行われている。そのため、予測におけるモデルリスクを念頭に置くことが必要となる。
相違点として、リスク連鎖の影響範囲、金額ベースの評価、ティッピングポイントの重大性がある。
(1) リスク連鎖の影響範囲
保険や年金においては、保険会社や年金基金などが保険金や年金の支払いに関してリスクを引き受ける。仮に、保険会社や年金基金が破綻した場合は、原則として、影響はその保険会社や年金基金と契約した契約者にとどまる4。
一方、気候変動においては、気候変動リスクが発現した場合、その影響は地域社会全体に連鎖して広がっていく。海面水位の上昇や大規模な干ばつなど、影響範囲が全世界に広がるケースもある。その結果、人類を含めて、地球上の生物全体に影響が及ぶこともある5。
4 日本では生保会社が破綻した場合、生命保険契約者保護機構により、一定の契約者保護が図られる。
5 影響は、まだ生まれていない将来世代にも及ぶことがある。
保険や年金においては、保険料や保険金等のやり取りは金額に換算されて行われる。保険会社や年金基金等の収支状況や財政状態は金額をベースに表示される。
一方、気候変動においては、現在のところ温暖化等の推移の予測が中心であり、リスクを何らかの金額に換算したり、国や地域レベルでの収支状況や財政状態を表示するような取り組みはほとんど行われていない6。
6 ただし、温室効果ガスの排出量をベースに、気候変動リスクへの適応策や緩和策を評価する取り組みは行われている。
保険や年金においては、事業の途中で財政状態が悪化すると破綻に至る場合がある。ただし、破綻に至る前に追加資本の投入や事業費の削減等により財政の健全化を図ることで、事業を持続可能な状態に戻すことができる場合が多い。
一方、気候変動においては、温暖化の程度等にティッピングポイント(転換点)があり、それを超えると元の状態には戻らなくなるという見方が一般的である。このため、シナリオ分析を通じてティッピングポイントを超過するかどうかを検討することが、リスク分析の重要なポイントとなっている。
3――レポートの3つの提言
保険や年金の事業の分析では、ストレステストが行われることがある。これは、例えば金利の急騰やパンデミックの発生等のストレスのかかる状況下で、事業にどの程度の損失が発生するかをシミュレーションし、事業の存続可否を判定するものだ。
これに対して、リバース・ストレステストというテストも行われる。これは、事業が保険金や年金の支払い不能(インソルベント)の状態に陥るようなシナリオを、シミュレーションモデルを逆算することによって導き出すものだ。
レポートは、このリバース・ストレステストを気候モデルで実行し、気候変動が破局状態に至るまでの経路を把握することを提言している。ただし、気候変動問題におけるティッピングポイントの存在と、それを超えた後の気候変動の推移については未解明な要素が多い。そのため、これらを正確にモデル化することは困難である。レポートは、リバース・ストレステストを正確に行うためには次の3つの仮定が必要である、としている。
(1) 特定の水準の温室効果ガス排出に対してどの程度の温暖化が予想されるか?
(2) 温暖化の進行の速度はどのくらいになるか?
(3) どのくらいの温度上昇で、社会として機能しなくなるか?
困難ではあろうが、リバース・ストレステストを通じて、気候変動のディストピア(反理想世界)に至る経路を早期段階で示すことができれば、人々の意識の変化や行動変容を促して、気候変動問題への取り組みが進むことが期待できよう。
(2025年03月18日「基礎研レター」)
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保険研究部 主席研究員 兼 気候変動リサーチセンター チーフ気候変動アナリスト 兼 ヘルスケアリサーチセンター 主席研究員
篠原 拓也 (しのはら たくや)
研究・専門分野
保険商品・計理、共済計理人・コンサルティング業務
03-3512-1823
- 【職歴】
1992年 日本生命保険相互会社入社
2014年 ニッセイ基礎研究所へ
【加入団体等】
・日本アクチュアリー会 正会員
篠原 拓也のレポート
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