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気候変動:死亡率シナリオの作成-気候変動の経路に応じて日本全体の将来死亡率を予測してみると…

保険研究部 主席研究員 兼 気候変動リサーチセンター チーフ気候変動アナリスト 兼 ヘルスケアリサーチセンター 主席研究員 篠原 拓也
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8――考察
本稿では、ここまで数十ページに渡り、気候指数の作成、死亡率と気候指数の関係の定式化、関係式を用いた気候変動の経路ごとの将来死亡率予測を行ってきた。それでは、本稿のポイントは何だろうか?
実は「気候変動が激しくなると、死亡数の増加が膨らむ」ということは、今回の計算を行う前からある程度予想されたことだ。疫学や生気象の学術研究では、気温が上昇して猛暑日が増えると、熱中症をはじめ、循環器系疾患や呼吸器系疾患の患者が増加する、といった研究結果が公表されている。患者数が増えれば、死に至る重篤な患者も出現する。その結果、死亡率は上昇すると考えられる。
本稿では、気候変動の経路に応じて、死亡率がどれくらい上昇するか、死亡数が何パーセント増加するかを定量化した。これは、本稿のポイントの1つと考えられる。しかし、筆者が考える本稿のポイントは、これだけではない。
気候政策により昇温を抑える経路に比べて、気候政策をとらずに昇温が進む経路では、死亡率上昇や死亡数増加のモデル間の差異が大きくなる。つまり、「気候変動が激しくなると、死亡数の予測の不確実性が高まる」― このことも本稿のポイントの1つではないか、と筆者は考えている。
気候変動が及ぼす死亡率の上昇を、リスク管理の視点から考えてみよう。一般に、死亡率が平均的にどれぐらい上昇するか、死亡数が平均的に何パーセント増加するかといった、“平均的”な結果は、リスク管理においては1つの要素である。こうした予測は「ベスト・エスティメイト(最良推定)」(Best Estimate, BE)と呼ばれる。死亡率や死亡数の分布が正規分布や二項分布のようにBEを中心に左右対称となる場合、実際の数値がBEを超えてしまう可能性は50%となる。BEの水準に対する備えでは、こうした死亡率や死亡数のブレには対応できない。BEにブレの分を加算した水準の備えが必要となる。そのブレを示すものとして、モデル間の差異(Inter-Model Differences, IMD)を用いることが考えられる。例えば、BEにIMDの一定割合を加算した水準の備えを行うことで、ブレの分を含めて対応する。55
本稿では、SSP5-8.5では、SSP1-2.6に比べて、死亡率や死亡数のモデル間の差異が大きくなることを示した。これは、SSP5-8.5の経路で気候変動が進むと想定した場合、平均の上昇分だけではなく、予測のブレの増大分も踏まえて、予定死亡率を設定する必要があることを示唆している。
なお、今回は5つのモデルでの計算にとどまるものであった。本来は、数十個など、もっと多くのモデルを用いてモデル間の差異を求めることが望ましい。そうすれば、ブレについて、より多くの定量的な情報が得られる。より多くのモデルを用いたIMDの精緻化が、計算の改良に向けた課題の1つと考えられる。
55 生命保険の死亡保障で言えば、死亡率に安全割増といわれる割増しを行うことで、死亡率の一定の上ブレに備えている。死亡保障保険では、安全割増を行った予定死亡率が、保険料の設定や責任準備金の積立に用いられている。
本稿では、気候指数の計算において、全国を11の地域区分に分けて、各地点に複数の観測地点を設定した。気象データ154地点、潮位データ57地点で、重複を省いて全国174地点のデータを取得、加工した56。気象データは1971~2023年の毎日、潮位データは同期間の毎月のデータであり、データ量は膨大なものとなった。
次に、死亡率と気候指数の関係の定式化において、同期間の死亡数と人口のデータを取得したうえで、性別、年齢群団、死因、時期(暑熱期とそれ以外の時期)の504本の回帰式を作成した。各式はダミー変数として月ダミーや地域区分ダミーを含んでいる。さらに、ロジット変換の実施、時間項の導入、気温に関する2乗項の設定など、技術的な要素を盛り込んでおり、回帰式は複雑なものとなった。
そして、気候変動の経路に応じた将来死亡率の予測では、地域区分ごとに、5つのモデルで、2024~2100年の毎日の気象データをもとに気候指数を作成して、それを関係式に代入していった。得られた結果は、グラフとして図示するだけで付録図表のとおり、数十ページに渡る大量のものとなった。
そこで、疑問として出てくるのが、「このような膨大なデータや数式による計算を行う意義は何か?」という点だ。
これについて、筆者は、膨大な計算には異常値の影響を緩和した効果があった、と考えている。一般に、予測計算においては、データに含まれる異常値の影響を取り除くことが困難なことが多い。異常であることの検知や判断が容易ではないことに加えて、異常の発生原因が不明であることが多いためだ。本稿では、原則として、異常値と見られるデータや計算結果が検知されたとしても、それを取り除くのではなく、膨大なデータに混入させることで、結果的に異常値の影響を緩和することに至った。57
例えば、気候指数の計算において、一部の観測地点では指数が急上昇するケースが見られている。これを他の地点の指数と平均化することで、地域区分ごとの気候指数への影響を緩和している。
また、一部の年齢群団では、SSP5-8.5の経路の死亡率がSSP1-2.6の経路の死亡率に比べてマイナスとなっている。これは、異常と判断すべきかどうかはわからない。
こうした結果を、死亡数の計算では他の年齢群団と合計することで、死亡数全体への影響を緩和している。結果として、膨大なデータや計算を取り扱うことにより、気候変動と死亡率の関係を全体的に把握することはできているものと考えられる。
なお、本来、異常値については、その発生原因の解明に努め、必要に応じて除去等の対応を図ることが基本的な取扱いと考えられる。計算の改良に向けた課題の1つとして、取り組む必要があろう。
56 ただし、モデルに気象データがない父島と南鳥島の2地点や潮位データについては、加味せずに気候指数を作成し、それを回帰式の計算に用いた。
57 気候指数については、図表3の注記にある通り、山に設置された測候所の地点(例.富士山)では、一部のデータが取得できない場合があり、その場合はその地点のデータは用いていない。また、2011年の東日本大震災や2000年の三宅島噴火など、自然災害による観測中断期間がある場合は、その内容を見て採否を判断している。
本稿では、第5章から第7章にかけて、計算結果をさまざまなグラフに図示した。そして、将来の気候指数、死亡率、死亡数の解釈をもとに、気候変動と死亡率、死亡数に関する推論を行った。
ただし、結果の解釈は、多くの困難を伴うものであった。以下、具体的にいくつかの点について見ていく。
(1) 新生物を死因とする死亡の推移
死因別の死亡数の増減率(図表23-1~23-3)を見ると、2081—2100年に新生物を死因とする死亡の数は、気候変動なしからSSP1-2.6への増減率、SSP1-2.6からSSP5-8.5への増減率のいずれも減少となっている。男性90-94歳の新生物による死亡率の推移(図表14-1-1)を見ると、SSP5-8.5はSSP1-2.6よりも低下している。つまり、気候変動が激しくなると、新生物の死亡は減る結果となっている。
これについては、気候変動と新生物の間に因果関係があることは考えにくい。むしろ、近年、温暖化と新生物死亡率の低下がそれぞれ進んでいることが、回帰式の作成過程で、相関関係としてとらえられていることが原因と考えられる。53
53 図表14-1-2の通り、女性90-94歳では新生物による死亡率の推移は経路間の差異は微小となっている。男女で傾向が異なる原因について、図表を表示したページの注記で回帰計算に関する検討結果を述べてはいるものの、因果関係については明らかになっていない。更なる分析を要するものと考えられる。
(2) 75—79歳群団の死亡の推移
年齢群団別の死亡数の増減率(図表24-1~24-3)を見ると、2081—2100年の死亡数は、85歳以上の年齢群団では、SSP1-2.6からSSP5-8.5への増減率は増加となっている。一方、75—79歳、80-84歳の年齢群団は減少となっており、特に75-79歳は大きな減少となっている。
これについては、年齢群団に固有の要因(いわゆる年齢コホートの要因)があることが考えられる。75-79歳の年齢群団に話を絞ってみる。回帰式計算で、学習データとして用いた死亡率の期間は2009-2019年だ。この時期に75-79歳であった人は、1930~1944年(昭和5~19年)生まれであり、幼・少年時代を戦中期に過ごした層である。戦時中の食糧難や感染症の蔓延など、食糧事情や衛生環境に関する過酷な体験が、気候変動に関して、他の年齢層と異なる死亡動向をもたらすとの仮説も立てられる。だが、具体的にどのようなメカニズムが存在しうるのかについては、慎重に検討・検証を行う必要があるものと考えられる。なお、このような年齢コホートの要因の存在が明らかになった場合には、これを予測から外すことが適切と考えられる。
(3) 男性と女性の月・季節ごとの死亡の相違
月別の死亡数の増減率(図表25-1~25-3)を見ると、2081—2100年の死亡数は、春先や秋から冬にかけて、死亡数が大きく増加する可能性があるとしている。これを男女別に見ると、男性は夏季、女性は秋季から春季にかけて気候変動の影響を受ける傾向が見られる。
これについては、一般に仕事等の関係で、夏季には男性のほうが女性よりも屋外で過ごす機会が多いことが影響している可能性がある。今後、温暖化が進み、夏季だけではなく、3月や10月にも高温の日が増えると、その影響が女性に顕著に表れる可能性があるものと解される。月や季節ごとの死亡の動向については、さまざまな経路が考えられるため、検討・検証を重ねる必要があるだろう。
(4) 関東甲信や近畿での死亡の推移
地域区分別の死亡数の増減率(図表26-1~26-3)を見ると、人口の多い関東甲信や近畿では、気候変動の影響が他の地域に比べて小さい傾向がうかがえる。こうした傾向は、男性で顕著となっている。
これについては、東京や大阪などの大都市では青年期や壮年期の人口の割合が地方に比べて高いことが影響しているものと考えられる。また、都市部ではヒートアイランド現象を通じて、気温上昇に対する備えや人々の意識が高くなっていることが要因の1つとして挙げられる可能性もある。
なお、本来、こうした結果の解釈は、因果関係の検証に基づくべきだが容易ではない。検証に疫学や生気象学等のさまざまな知見を要するためである。得られた疑問点や懸念点の1つ1つについて、継続的に取り組む必要があるものと考えられる。
本稿では、死亡率の改善トレンドを、時間項として織り込んだ。これは、死亡率に影響を与える医療技術や医薬品・医療機器等の進歩をはじめ、社会全体の健康増進意識の高まりや、健康診断等の予防医療の普及。住居や職場等の衛生環境の改善。禁煙・節酒を含む、食生活バランスの見直し。適度な運動等により体を動かすことや、適切な休息・睡眠をとることが重要性であることの認識の浸透など、さまざまな時間的要因の寄与を加味したものである。
ただし、気候変動の死亡率への時間的な影響を見る際には、(1)緩和策の推進等の気候政策により気候変動そのものが変化する可能性や、(2)医療体制等の気候変動に対する適応策が進む可能性も考えられる。このうち、(1)の気候変動そのものの変化については、共通社会経済経路(SSP)の経路として一定程度織り込まれているものと解することができる。一方、(2)の気候変動に対する適応については、本稿の気候指数と死亡率の関係式の中には織り込まれていない。
今後、関連する諸研究の成果を踏まえて計算に取り入れていく必要があろう。
9――おわりに
その結果、「気候変動が激しくなると、死亡数の増加が膨らみ、予測の不確実性が高まる可能性がある」との推論を得ることができた。(第7章第2節および第3節)
ただし、この推論は、気候変動と死亡率の相関関係をもとに導出したもので、メカニズムを明らかにしたものとは言えない。前章に記したとおり、結果の解釈にはさまざまな課題が残っている。これらの課題に対応して、予測の精度を高め、その解釈をわかりやすいものとすることが求められる。
今後は、引き続き、気候変動が人の生命や健康に及ぼす影響に関して、国内外の各種調査・研究の動向のウォッチを続けるとともに、因果関係の検証など、推論の精度向上に努めることとしたい。
(2024年12月24日「基礎研レポート」)
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保険研究部 主席研究員 兼 気候変動リサーチセンター チーフ気候変動アナリスト 兼 ヘルスケアリサーチセンター 主席研究員
篠原 拓也 (しのはら たくや)
研究・専門分野
保険商品・計理、共済計理人・コンサルティング業務
03-3512-1823
- 【職歴】
1992年 日本生命保険相互会社入社
2014年 ニッセイ基礎研究所へ
【加入団体等】
・日本アクチュアリー会 正会員
篠原 拓也のレポート
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