コラム
2024年12月05日

「地域の実情」に応じた医療・介護体制はどこまで可能か(6)-重層事業が最も難しい?内在する制度の「矛盾」克服がカギ

保険研究部 上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任 三原 岳

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4――重層事業に内在する構造的な矛盾

1|緩やかなソーシャルワークを制度福祉に取り込んだ矛盾
第1に、緩やかなソーシャルワークを制度福祉に取り込んだ矛盾です。そもそも、ソーシャルワークでは個別性を考慮した柔軟な対応が必要であり、支援目標でも「就労すればOK」などと考えるのではなく、その人の特性や環境を意識することが求められます。

支援を提供する際の連携先についても、もし引きこもりの人が他者との関係性に慣れ始め、職業訓練校など学び直しの機関や就労支援機関に通い始めると、こういった機関も連携先になります。仮にプラモデルの同好会などに顔を出すようになったのであれば、場を開催している住民を通じて、たまに様子を聞くことも必要になるかもしれません。

つまり、専門職や支援機関が「引きこもりはウチの所管じゃない」とか、「行政主体の場に外出を促す」などと支援サイドの都合にこだわり過ぎず、柔軟なスタンスに立ち、支援を要する個人と世帯に加えて、その取り巻く環境の双方に関わる手立てをケース・バイ・ケースで検討する必要があります。

しかし、既存の制度福祉では支援対象や支援方法、支援期間、連携先などがガチガチに作られており、それぞれの専門職は精緻に作られた制度に沿って動いています。しかも、往々にして専門職は「Aさんは高齢者」「Bさんは障害者」と類型化することで、サービスを調整することに慣れています。

このため、制度の運用に際して、かなり気を付けないと、柔軟な発想や手法が失われ、却って専門分化する危険性を伴います。この点については、「『はざま』に財源と人をあてて『縦』を増やしていくだけでは、対象者別の制度運営を横断した体制整備につながらない」という指摘と符合します6
 
6 永田祐前掲書p192。
2|ルールに縛られる市町村に柔軟性を求める矛盾
第2に、ルールに縛られる市町村に柔軟性を求める矛盾です。これは別に市町村を批判するのが本意ではなく、「行政に柔軟性を求められるのか」という根源的な問いが絡んでいます。

ここでは近代官僚制の構造を指摘したドイツの社会学者、マックス・ウェーバーに登場してもらいます7。ヴェーバーは20世紀初頭、資本主義の発達などで近代官僚制が発展する可能性を見出し、その要件の一つとして、行政組織が規則や文書に縛られる点を指摘しました。正に国や自治体の役人の慎重な仕事ぶりが「お役所仕事」「官僚主義」などと揶揄される理由です。

一方、重層事業で市町村は「分野・制度にこだわらず、支援される側と支援する側の関係性を超越し、柔軟に対応して下さい」と求められています。例えば、引きこもりの人の支援から重層事業を始めたとしても、あくまでも引きこもりの人の支援策ではないので、関連する他の領域に支援対象を柔軟に広げて行く必要があります。言い換えると、引きこもりの人の支援で得た情報とか、作られたネットワークを他の分野に柔軟に活用する「にじみ出し」の発想が必要になります。こうした柔軟な運用は「ウェーバーの官僚制の定理を引っ繰り返せ」と言っているのに等しい面があります。
 
7 ヴェーバーの官僚制に関する訳書や解説書は多いが、ここでは野口雅弘訳(2023)『支配についてⅠ』岩波文庫を参照。
3|総合事業との比較
こうした難しさを理解するため、第5回で取り上げた高齢者福祉、中でも要支援者を対象とした「介護予防・日常生活支援総合事業」(以下、総合事業)と対比させます。第5回で述べた通り、総合事業では、市町村が「地域の実情」に応じて、短期集中のリハビリテーションに加えて、住民主体の体操教室など「多様な主体」による外出機会を創出することで、専ら要支援者の身体的自立を促すことに力点が置かれています8。つまり、総合事業でも地域づくりや参加支援が想定されており、両者には重なる部分が多いと考えられます。

しかし、筆者が藤田医科大を中心とする市町村支援プログラム9などで見聞きする限り、市町村職員は総合事業の推進に関して、高齢者の暮らしや「地域の実情」を踏まえないまま、「体操教室を増やす」「体操教室の参加者を増やす」「国の通知に沿った組織を作る」など制度や事業の「課題」を語りがちです。要するに、制度や事業の進め方から考える「制度頭」「事業頭」の傾向が見られます。実際、総合事業で期待された「多様な主体」はほとんど拡大していません。

一方、重層事業は総合事業よりも遥かに難しいと思われます。両者を対比させると、総合事業の対象は要支援高齢者に限られていますし、支援に関わる専門職や専門機関についても、高齢部門が中心です。これに対し、重層事業の場合、対象者は非常に幅広く、しかも「にじみ出し」が欠かせません。連携先についても、先に触れた通り、雇用や教育などに広がる可能性があります。

このため、筆者は「総合事業を使いこなせていない市町村が重層事業に対応できるのか」という疑問を持っていますが、それでも複雑化・困難化する課題に対応する上で、重層事業は重要ですし、開始直後の事業に難癖を付けるだけでは生産的とは言えません。そこで、市町村が陥りがちな「罠」、分かりやすく言うと、市町村が避ける必要がある「べからず集」を幾つか指摘したいと思います。
 
8 総合事業の状況や見直し動向については、2023年12月27日拙稿「介護軽度者向け総合事業のテコ入れ策はどこまで有効か?」を参照。その後、予防ケアマネジメントの充実などを盛り込んだ新しいガイドラインが2024年8月に公表された。
9 藤田医科大、愛知県豊明市を中心としたプログラム(老人保健事業推進費等補助金)。2022年度以降、政策形成や組織開発の支援にシフトした。http://www.fujita-hu.ac.jp/~chuukaku/kyouikushien/kyouikushien-96009/index.html

5――重層事業で陥りがちな罠

1|支援対象を絞り込んでしまう罠
第1に、支援を受ける人を特定の階層に絞り込んでしまう罠です。これまで繰り返し述べた通り、重層事業では分野、制度にこだわらない発想が求められているため、最初から「高齢者」「障害者」「子育て」などと支援のカテゴリーを決め打ちしない柔軟な発想が求められます。

しかし、どちらかと言うと、これまでの専門職は制度福祉に繋げることを重視してきたので、支援を要する人のカテゴリーを決め打ちしてしまう危険性があります。例えば、相談窓口では、いきなり「困り事」を細かく聞いてカテゴリー化するのではなく、支援を要している人の話を傾聴し、個人や世帯を中心に据えつつ、支援や関わり方を柔軟に検討することが求められると思います。

支援対象についても、先に触れた通り、最初は引きこもりから重層事業をスタートしても、事業で得たノウハウや知見などを他の分野にも活用する「にじみ出し」が重要になります。この「にじみ出し」がなければ、いつまで経っても、引きこもりの支援策は分野、制度を問わない形に広がりません。
2|必要性を認識しないまま、新しい組織や会議を作ってしまう罠
第2に、必要性を検討しないまま、新しい組織や会議を作ってしまう罠です。言わば、国の資料や好事例を参考に、事業や制度から発想する「事業頭」「制度頭」の弊害です。

しかし、繰り返し述べている通り、重層事業で大事なのは柔軟性です。むしろ、相談窓口の設置という形式にこだわると、カテゴリーにハマらない案件とか、重複する案件がタライ回しされた結果、難しい相談だけが窓口に集まる危険性さえあります。それぞれの市町村で培ってきた既存の事業や実践を考慮しつつ、柔軟に検討することが求められます。

形式主義の危険性は会議にも言えます。これまで高齢分野で多職種が情報を共有する「地域ケア会議」が設置されるなど、様々な連携会議が各分野で作られています。2024年度から本格始動した孤独・孤立対策でも地域づくりなどを目指す官民連携のプラットフォームの必要性が強調されています。

こうした状況で既存の枠組みとの関係性を整理しないまま、市町村が重層事業で会議を新設した場合、何が起きるでしょうか。その会議が何か明確な目的や意図を持っており、専門職と意思疎通が図られているのであれば話は別ですが、形式主義的に会議を作った場合、その場に駆り出される専門職は「どれだけ屋上屋を重ねるつもりか」と突っ込みたくなると思います。

こうした事態を防ぐため、例えば既存の会議体を少し拡大するとか、既に制度福祉で対応しているケースに関して、「引きこもりの人が高齢世帯に同居しているのでは」「障害者のいる世帯で、子どもが必要以上にケアに関わっているのでは」といった形で、制度福祉で抜け落ちている部分の有無を再検討することで少しずつ体制を整備していくのも一つの工夫と思われます。
3|支え合いのネットワークを行政の都合で見てしまう罠
最後に、地域の支え合いネットワークを行政の都合だけで見てしまう罠です。具体的には、市町村が主催する高齢者向けサロンなど、市町村が関わっている範囲でしか支え合いのネットワークを見ておらず、趣味の場やサークルなどは「無関係」と考える傾向です。これは制度や事業を前提に物を考えてしまう「制度頭」「事業頭」の弊害であり、住民や企業を「担い手」という言葉で下請けのように考える発想に繋がります。

しかし、地域社会は別に行政だけで支えられているわけではないし、住民や企業は「担い手」になるために活動しているわけではありません。行政の都合で地域社会を断片的にしか見れないのであれば、重層事業に取り込める支え合いのネットワークは小さくなります。むしろ、散歩サークルや子育て中の親同士の会合、喫茶店で開催されているミニ会合など、興味や関心のネットワークなどにも意識する必要があります。
4|財務省の提案は「制度頭」「事業頭」を助長?
なお、重層事業の運用に対し、財務省が問題視し始めています。2024年6月公表の「予算執行調査」で、ニーズを把握していない自治体が約2割に及ぶ実態10などを明らかにし、同年11月の財政制度等審議会(財務相の諮問機関)で厚生労働省に対し、「業務フローを確立する観点から、支援ニーズの把握方法や定量的な目標設定の考え方などを自治体へ明確に示すべき」などと提案したのです。

ただ、筆者は「その対応では重層事業に不可欠な柔軟さが失われ、自治体の制度頭と事業頭を助長させる」と懸念しています。確かにガイドラインなどで示せる部分もありそうですが、市町村には柔軟な発想で重層事業に取り組んでもらい、その趣旨を厚生労働省が徹底させることが先決と思います。
 
10 調査対象は189市町村。

6――おわりに

本稿では、市町村で導入が進む重層事業の論点を取り上げました。ここで述べた通り、市町村から失われたソーシャルワークの機能を取り戻すため、重層事業は非常に重要であり、国が期待している絵姿は非常に美しいと思います。事業に当たる市町村は自ら「地域の実情」を把握・分析しつつ、柔軟な発想とスタンスを持ち、関係者と連携を深める必要があります。そのためには国や都道府県、大学、研究機関などによる市町村への伴走的な支援も欠かせません、

しかし、重層事業に内在している構造的な矛盾とか、漏れ伝わって来る現場の状況などを踏まえると、本稿で触れた罠に陥っている市町村が早くも散見され、残念ながら「ほとんどの市町村は使いこなせないのでは」と悲観的に見ています。

言い換えると、「地域の実情」に応じた体制整備が期待される仕組みのうち、重層事業の難易度が最も高いと思われます。是非、市町村が柔軟に重層事業に取り組むことで、数年後に筆者が「市町村の潜在的な能力を見誤った」と自己反省しなければならない事態に期待したいと思います。

(2024年12月05日「研究員の眼」)

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保険研究部   上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任

三原 岳 (みはら たかし)

研究・専門分野
医療・介護・福祉、政策過程論

経歴
  • プロフィール
    【職歴】
     1995年4月~ 時事通信社
     2011年4月~ 東京財団研究員
     2017年10月~ ニッセイ基礎研究所
     2023年7月から現職

    【加入団体等】
    ・社会政策学会
    ・日本財政学会
    ・日本地方財政学会
    ・自治体学会
    ・日本ケアマネジメント学会

    【講演等】
    ・経団連、経済同友会、日本商工会議所、財政制度等審議会、日本医師会、連合など多数
    ・藤田医科大学を中心とする厚生労働省の市町村人材育成プログラムの講師(2020年度~)

    【主な著書・寄稿など】
    ・『必携自治体職員ハンドブック』公職研(2021年5月、共著)
    ・『地域医療は再生するか』医薬経済社(2020年11月)
    ・『医薬経済』に『現場が望む社会保障制度』を連載中(毎月)
    ・「障害者政策の変容と差別解消法の意義」「合理的配慮の考え方と決定過程」日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク編『トピック別 聴覚障害学生支援ガイド』(2017年3月、共著)
    ・「介護報酬複雑化の過程と問題点」『社会政策』(通巻第20号、2015年7月)ほか多数

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