コラム
2024年10月08日

タブー・トレードオフへの対処-環境問題への取り組みには心理学の知見も必要!?

保険研究部 主席研究員 兼 気候変動リサーチセンター チーフ気候変動アナリスト 兼 ヘルスケアリサーチセンター 主席研究員 篠原 拓也

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◇ タブー・トレードオフを避けるには

それでは、タブー・トレードオフを避けるにはどうしたらよいだろうか。先ほどのストックホルム大学の研究者を中心としたチームがまとめたペーパー(*1)をもとに見ていこう。
 
(a) 悲劇的なトレードオフに再構成する
1つの方法として、タブー・トレードオフを悲劇的なトレードオフに構成し直すことが考えられる。タブー・トレードオフは、神聖なものと世俗的なものの間で起こるが、神聖なもの同士にしてしまえばよい、という考え方だ。
 
例えば、漁業の持続可能性を高めるために漁獲量を制限すること(世俗的なもの)が、漁業者の生計維持(神聖なもの)を損なう、というタブー・トレードオフがあったとする。この場合、漁業者にとって「漁業の持続可能性」のような理屈で、生計の維持が損なわれることは感情的に受け入れられない。
 
しかし、漁獲量の制限を行わずに乱獲が起これば、漁業が持続不可能となり、将来の漁業者は生計維持が困難になる、として漁獲量制限を神聖なものに置き換えれば、悲劇的なトレードオフに再構成できる。そうなれば、この問題の早期解決にまでは至らずとも、十分な検討が行われることとなるだろう。
 
(b) 日常的なトレードオフに再構成する
もう1つの方法として、タブー・トレードオフを日常的なトレードオフに構成し直すことが考えられる。タブー・トレードオフは、神聖なものと世俗的なものの間で起こるが、世俗的なもの同士にしてしまえばよい、という考え方だ。
 
先ほどの漁業の例で言えば、漁業者の生計を、金銭的評価や費用・便益分析の形で定量的にとらえる。トレードオフを金額の面から捉えることで、日常的なトレードオフの枠組みとして問題解決を図ることが可能となる。
 
ただし、漁業者にとって神聖なものである生計を、世俗的なものとして金銭的に評価することは、簡単には受け入れられないかもしれない。この点をいい加減に取り扱えば、かえって対立を招いてしまう恐れがある。
 
(c) トレードオフの形をとらないようにする
別の方法として、トレードオフの形から脱却することが考えられる。トレードオフから外れてしまえば対立は起こらない、という考え方だ。
 
原発の最終処理場建設や災害ボランティアの例では、「補助金」や「日当」という名目で金銭を支給することでトレードオフが鮮明になった。例えば、これを「謝礼」として贈れば、トレードオフの感覚は幾分弱まるかもしれない。
 
その際は、単に名目を変えて金銭を渡すのではなく、十分なコミュニケーションを通じて、感謝の気持ちをしっかりと伝える努力が不可欠と言えるだろう。

◇ 気候変動問題ではタブー・トレードオフを考慮する必要も

以上見てきたように、タブー・トレードオフはさまざまな場面で起こる。
 
気候変動問題では、温室効果ガス排出削減のために、これからさまざまな環境政策がとられるだろう。その際に、いろいろな形のトレードオフが出現するものと見られる。
 
例えば、太陽光発電や風力発電の設備の新設を促して再生可能エネルギー発電を増加させたり、自動車のEVシフト(ガソリン車から電気自動車への移行)を促進したりする、といったことが考えられる。これに応じて、送電網の整備や充電スタンドの増設が必要となるが、経済の面から見て、そのための土地、費用、作業人員等が十分に確保できるとは限らない。この場合には、環境と経済のトレードオフが発生することとなる。
 
生じたトレードオフがタブー・トレードオフであった場合、当事者の感情的な対立のために、合理的な判断がなされないこともありうる。その場合は、タブー・トレードオフを避けるような検討を行うことも必要となるだろう。
 
このように、これからの環境問題への取組みには、物理学や工学などに基づく環境技術に加えて、心理学の知見を生かす工夫も求められる。引き続き、気候変動問題に関する各種政策の進展について、ウォッチしていくこととしたい。

(参考文献)
 
(*1) “Evaluating taboo trade-offs in ecosystems services and human well-being” Tim M. Daw, Sarah Coulthard, William W. L. Cheung, Katrina Brown, Caroline Abunge, Diego Galafassi, Garry D. Peterson, Tim R. McClanahan, Johnstone O. Omukoto, and Lydiah Muny (PNAS, vol.112, no. 22, 6949–6954, 2 June 2015)
 
(*2) “Thinking the unthinkable: Sacred values and taboo cognitions.” Tetlock, Philip E. (Trends in cognitive sciences, 7.7, 320-324., 2003)
 
(*3) “Sacred bounds on rational resolution of violent political conflict” Jeremy Ginges, Scott Atran, Douglas Medin, and Khalil Shikaki (PNAS, vol.104 no. 18, 7357–7360, 1 May 2007)
 
(*4) “The Psychology of the Taboo Trade-Off - Surprising insights into “sacred values,” and what they mean for negotiation”Adam Waytz (Scientific American, 9 March 2010)
 
(*5) 「タブー・トレードオフと地層処分」(日本経済新聞, 大機小機, 2020年2月1日)
 
(*6) 「ボランティアにおけるタブー・トレードオフ 自尊心に打ち勝てる金額はいかほどか?」畑啓之(アルケミストの小部屋(ブログ), 2020.2.1)

(2024年10月08日「研究員の眼」)

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保険研究部   主席研究員 兼 気候変動リサーチセンター チーフ気候変動アナリスト 兼 ヘルスケアリサーチセンター 主席研究員

篠原 拓也 (しのはら たくや)

研究・専門分野
保険商品・計理、共済計理人・コンサルティング業務

経歴
  • 【職歴】
     1992年 日本生命保険相互会社入社
     2014年 ニッセイ基礎研究所へ

    【加入団体等】
     ・日本アクチュアリー会 正会員

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