コラム
2024年09月26日

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電気自動車(EV)は、モーターのみを動力源(パワートレイン)とするため、モビリティの脱炭素化の切り札とされ世界で普及が進みつつあったが、昨年末以降世界需要が失速している。一方、エンジンとモーターをパワートレインに併せ持ちEVより手頃なハイブリッド車(HV)やプラグインハイブリッド車(PHV)が、再評価され需要が伸長している。

EV失速の要因として、リチウムイオン電池(バッテリー)のコストを主因とする高価格、ドイツなど一部の国での購入補助金制度の打ち切り、充電インフラの不足に加え、新しいもの好きの高所得層のいわゆる「アーリー・アダプター」による購入一服などが挙げられている。これらの多くは、全くの想定外ではなく、元々想定できた要因のように思われる。

これまでEVシフトを鮮明にしていた欧米の大手自動車メーカーは、足下の需要変調を受けて戦略の軌道修正を迫られ、EVよりもPHVやHVを優先する開発・販売体制へ転換しようとしている。

欧州連合(EU)を中心に、脱炭素化と産業振興を両立すべく、EV普及策が強力に推進されてきたが、EVを中心とするモビリティ社会の実現へ一足飛びに「瞬間移動」するのは難しいということが、足下のEV失速により露呈した。

そもそも現在のように発電用エネルギー(電源)のゼロエミッション化(=CO2排出量が実質ゼロ)が、世界でまだ実現できていない段階では、エネルギー製造過程を含むライフサイクル全体でのCO2排出量で見ると、EVは必ずしも最適解とは限らず、PHVが最適解の場合もある。

2021年にトヨタ自動車の豊田章男社長(当時、現会長)は「カーボンニュートラルにおいて、私たちの敵は炭素(CO2)であり、内燃機関(エンジン)ではない」と述べた。脱炭素化に向けた現実的な手段であれば、パワートレインは何でもよいという考え方であり、EV一択のように選択肢を狭めてしまうことへの強い危機感を持って発したメッセージだったという。この言葉を体現すべく、トヨタは得意のハイブリッドシステムに加え、EV、エンジン、水素、燃料電池といったパワートレインの多様な選択肢を全方位で準備する「マルチパスウェイ」の戦略を取ってきた。当時は世界的なEVシフトの流れの中、同社は「EVに出遅れている」と指摘されたが、マルチパスウェイは足下の市場変調を見事に先取りした卓越した戦略であったと高く評価できよう。

一方、エネルギー市場では、2015年のパリ協定の採択を契機に、太陽光や風力などの再生可能エネルギー(以下、再エネ)の導入促進と化石燃料からの脱却による脱炭素化に向けた取り組みが、世界的に活発化してきた。しかし、21年の天候不順による欧州での風力発電の不調に続き、22年に勃発したウクライナ紛争に端を発したエネルギー危機により、エネルギー安全保障の観点から、むしろ化石燃料の重要性が再認識される結果となった。特に燃焼(発電)時のCO2排出量が相対的に少ない液化天然ガス(LNG)の争奪戦が、世界的に勃発する事態となった。

これを受けて欧米の石油メジャーは、再エネより化石燃料の生産を優先する姿勢に転じている。一時は、ESG(環境・社会・企業統治)投資の台頭により化石燃料関連銘柄からの投資引き揚げも散見されたが、欧米の右派政党が反ESGの動きを強めていることもあり、投資家から脱炭素を求める圧力も一時より弱まっているとみられる。

気候変動対策を主導してきたEUを中心に、電源のゼロエミッション化に向けた再エネ導入の促進が世界的に図られてきたが、再エネ中心の電源構成の実現には、EVシフトと同様に一足飛びに進まないことが、21年以降の世界的なエネルギー需給ひっ迫により露呈した。

EVシフトや再エネ普及のためには、本来、多くの人々の意識改革・行動変容、産官での設備・インフラの長期投資、産学官連携によるテクノロジーの長期的進化が求められる。さらに各国の所得水準やエネルギー事情に応じて段階的にできることに取り組むことが望ましい。このため、「脱炭素社会の在るべき姿」へ世界全体で一足飛びに瞬間移動することは難しい。モビリティやエネルギーは、日常生活や社会活動を維持していくために不可欠なインフラ領域であり、一刻の停滞も許されないという側面も非常に強い。

だからこそ、脱炭素社会の在るべき姿に辿り着くまでの道筋(パスウェイ)、すなわち「トランジション(移行)」段階の取り組みが、現実世界では重要となる。最終的な在るべき姿にこだわり過ぎると、トランジションでの現実的な取り組みの幅広い検討が不十分になりかねない。移行期では、EVや再エネの一択ではなく、「セカンドベストの選択肢」も備えて、国や企業がその時点でできる最大限の努力を尽くすことが重要だろう。

EVシフトの移行期には、燃費の悪いガソリン車から低燃費のガソリン車、さらにはHVやPHVへの段階的シフトが重要な取り組みとなる。再エネへの移行期でも、低効率の石炭火力からその高効率化、さらにはガス火力発電への転換を図ることで、脱炭素化に向けた貢献ができる。自動車のハイブリッドシステムや火力発電の高効率化技術では、日本企業が強みを持っており、途上国支援を含め国際社会への大きな貢献が期待される。

脱炭素社会の在るべき姿においても、EVや再エネの一択に賭けるのはリスクが大き過ぎるし、そもそも「現実解」としてあり得ないのではないだろうか。モビリティ社会では、航続距離の多様なニーズやインフラ整備の進捗に応じて、パワートレインの多様な選択肢がやはり欠かせない。電源構成についても、再エネの一層の拡大に伴って、その安定化のためにバックアップ電源としての火力発電の維持更新投資の積み増し、系統用大型蓄電池の低コスト化の重要性が増す。また再エネ適地と需要地を結ぶ送電網の整備・増強も欠かせない。一方で小型原子炉や核融合発電など新技術開発も必要だ。

脱炭素社会の最終的な在り方においても、多様な選択肢を備えるマルチパスウェイの考え方が欠かせないと筆者は考える。

(2024年09月26日「研究員の眼」)

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社会研究部   上席研究員

百嶋 徹 (ひゃくしま とおる)

研究・専門分野
企業経営、産業競争力、産業政策、イノベーション、企業不動産(CRE)、オフィス戦略、AI・IOT・自動運転、スマートシティ、CSR・ESG経営

経歴
  • 【職歴】
     1985年 株式会社野村総合研究所入社
     1995年 野村アセットマネジメント株式会社出向
     1998年 ニッセイ基礎研究所入社 産業調査部
     2001年 社会研究部門
     2013年7月より現職
     ・明治大学経営学部 特別招聘教授(2014年度~2016年度)
     
    【加入団体等】
     ・日本証券アナリスト協会 検定会員
     ・(財)産業研究所・企業経営研究会委員(2007年)
     ・麗澤大学企業倫理研究センター・企業不動産研究会委員(2007年)
     ・国土交通省・合理的なCRE戦略の推進に関する研究会(CRE研究会) ワーキンググループ委員(2007年)
     ・公益社団法人日本ファシリティマネジメント協会CREマネジメント研究部会委員(2013年~)

    【受賞】
     ・日経金融新聞(現・日経ヴェリタス)及びInstitutional Investor誌 アナリストランキング 素材産業部門 第1位
      (1994年発表)
     ・第1回 日本ファシリティマネジメント大賞 奨励賞受賞(単行本『CRE(企業不動産)戦略と企業経営』)

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【EVと再エネの失速から学ぶべきこと-脱炭素へのトランジション(移行)と多様な選択肢の重要性】【シンクタンク】ニッセイ基礎研究所は、保険・年金・社会保障、経済・金融・不動産、暮らし・高齢社会、経営・ビジネスなどの各専門領域の研究員を抱え、様々な情報提供を行っています。

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