コラム
2024年09月10日

賃料重視へのノルム転換

金融研究部 主任研究員 佐久間 誠

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日本経済は、長年続いたデフレから脱却し、値上げ・賃上げ・利上げが当たり前の世界に突入しつつある。この30年ぶりの大きな変化は、不動産業界や市場にどのような影響を与えるのだろうか。

「景気の気は、気分の気」とも言われるように、経済学では人々の予想や期待が自己実現するとされる。日本銀行の黒田前総裁は、長期にわたるデフレの経験から、賃金や物価が上がらないという前提の下に形成された考え方や慣行、すなわち「ノルム」を転換することが重要だと強調してきた。

このノルムはようやく転換しつつあり、賃金と物価の好循環が実現する可能性が高まっている。そして、日本銀行は2024年3月にマイナス金利政策を撤廃し、7月には利上げを実施するなど、金融政策の正常化を進めている。しかし、Jリートは金利上昇を嫌気して低迷しており、不動産の賃料についても、物価との好循環が実現するかどうかは依然として懐疑的な見方が多い。不動産市場の参加者にとっても、ノルムの転換が不可欠だろう。

デフレ下では、空室を放置していても賃料が上昇する見込みがないため、迅速に埋めることが善とされ、稼働率を優先するノルムが形成された。日本ではオフィス賃料は長期的に横ばいで推移し、景気や需給による変動があっても、平均に回帰する傾向が続いていた。その結果、日本のオフィス空室率は世界的に見ても低水準であり、日米のリート保有物件と比較しても、日本の方が稼働率が高い状況が常態化していた。これは、米国では毎年物価と賃料が上昇するため、空室を無理に埋める必要がない一方で、日本では賃料の上昇が見込めないため、多少の賃料アップを犠牲にしても空室を埋める方針に傾きやすいことが一因だろう。

この状況を打破し、物価上昇とともに賃料水準を引き上げるためには、稼働重視から賃料重視のノルムへの転換が必要である。また、その転換により、需給構造の変化も見込まれる。特に注目すべきは、自然空室率が上昇する可能性である。東京都心5区のオフィス市場では、均衡水準とされる自然空室率は5%である。空室率が5%を超えるとテナント優位となり賃料が下落し、5%を下回るとオーナー優位となり賃料が上昇する傾向がある。現在も東京都心5区の空室率が5%近辺まで低下し賃料が上昇し始めているが、この閾値が6%や7%に上方シフトする可能性がある。

不動産はインフレに強いとされる。つまり、インフレによるコストや金利の上昇を上回る賃料上昇が実現できるということだ。現状でも、インフレによる賃料上昇圧力は強まっている。企業業績が絶好調で、売上高の増加に伴い、テナントの賃料負担力も高まっている。また、建築コストの上昇による供給計画の中止・延期が見られ、従来の想定を超えて需給がタイト化する可能性も出てきた。しかし、最も重要なのは市場参加者の意識改革である。稼働重視から賃料重視へのノルムの転換が、インフレ下での不動産業を成長軌道に乗せる起爆剤となり、ひいては不動産市場の将来を左右する鍵となるだろう。

 
(株式会社不動産経済研究所「不動産経済ファンドレビュー 2024.9.5 No.673」寄稿)
 
 

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(2024年09月10日「研究員の眼」)

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金融研究部   主任研究員

佐久間 誠 (さくま まこと)

研究・専門分野
不動産市場、金融市場、不動産テック

経歴
  • 【職歴】  2006年4月 住友信託銀行(現 三井住友信託銀行)  2013年10月 国際石油開発帝石(現 INPEX)  2015年9月 ニッセイ基礎研究所  2019年1月 ラサール不動産投資顧問  2020年5月 ニッセイ基礎研究所  2022年7月より現職 【加入団体等】  ・一般社団法人不動産証券化協会認定マスター  ・日本証券アナリスト協会検定会員

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